影喰い
2025-11-04 21:30:53
2450文字
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皓月を胸に

9月の課題。伊織が初めて人を斬った話。
捏造多め、本編前のことなのでカプなし。カヤちゃん少し顔を出ます。
やや生々しい描写があるためこちらに置いていきます。




 「カヤ。先に小笠原様と浅草へ戻りなさい」
 師は他界へ旅立った。彼の墓を立て、色んな整理をすると、あの人から恩を受けた家の主に、二人とも養子とする提案があった。安定な生活のため、金や地位は不可欠なのだ。例え子供から離れたばかりの年でも、こんないい機会は二度とないことを理解できる。

 ――少し、時間を頂けませんか。心の整理と他のやることを済ませたら、浅草で返事をします。カヤのことは頼みます。

 宮本武蔵の一番弟子なので考えることもあるのだろうか。自然と思われる立場で、その人は快く請け負った。
 「いやだ! 兄ちゃんと一緒に行く」
 「俺一人ではカヤの世話を上手くできる自信はないから、おまえを小笠原様に託すしかない。やることが終わったらすぐに追ってくる」
 血の繋がらない妹はどんなに粘り強いけど、再三「きっとついてくる」を保証したらようやくその家の人たちと先に浅草への旅路を始める。
 「心の準備も出来てるか」
 「はい」
 もう一人の師に向けてこう返した。本来は許されぬことだが、今は責める人もなくなってしまったから。進む道があるならここで止めるわけにはいかない。
 全ては、未だに見えない頂きへ辿り着くため――


 「では行って参ります、師匠」
 物言わぬ墓に一言を。遅れて浅草への旅路は最低限の荷物しか持たなくて、並ぶ人は誰もいない。
 宮本武蔵とその弟子への噂はここに置いてしまい、二振りの刀と一緒に師の最期の地から離れた。
 雨の心配もなく快晴の日。旅に相応しい天気で、出歩く人も少なくない。もちろん、旅人を目当てにしての野盗も現れるのだろう。
 この時代はもはや武士の末路。戦いは減って、主君を守る彼らも必要な存在ではいられなかった。魂と等しい刀があっても、所詮浪人でしかない。それを持ちながら先の行方を知らずに、他者から奪うことを生き様とした奴のことも人の口から聞いた。
 ……いや、今更何を求めるのか。
 左手に込めた力を解き、己の烏滸がましさに伊織は空を仰ぐ。
 声も出さない言葉は瞬く間に自分で押し殺した。この時代では護衛などの使い道はあるものの、所詮この心を満たすものではない。故に、燻る思いを奥底に封じるだけ。

 地面を踏み、乾いた音を発する足はふと目の前の障害によって止まっていた。数人が道の先を塞いでいて、何かを企んでいる笑顔が見えた。
 「よぉ、そこの兄ちゃん」
 「何の用だ」
 浪人たちの視線は伊織が背負った包みと、腰に差した二振りの刀へと集中する。
 「金になる物を出せ。金がなくても刀があるだろう」
 「断る。この先の道にはこれらは必要なのだ」
 こういうのは一度承諾するときりがない。どうせ拒んでもほぼ同じ結果になるから、付き合う義理もない。
 その言葉を口実に、鞘から出した刃の切っ先は伊織を指した。
 「乱暴にしたくないけど仕方ないなぁ。やれ!」
 先陣で斬りかかるのは二人。多人数の戦いでは速さが必要と思い、流れる水のような二刀は攻撃を逸る。
 弧を描きながら、反撃はここから始まる。一撃目は受け流し、二撃目はその隙を見落さない刀が先に胴に見舞う。傷口は浅いが充分に痛みを与えて、鋭い裂け目から赤が滲む。しかし、あえて急所を避けても逆効果みたいで、こちらへと振り向く刃の勢いがむしろ増している。
 「おい、こいつを殺しても構わない!」
 彼らの反応から威嚇は効かないと知り、どうやらもう少し痛い目を見せる方がいい。

 (これだけでは足りない……と云っても)

 今は大規模な戦いもなく平らかなる世。ただ物を奪いたいだけならほどほどにすればいい。

 (鮮やかな赤は、あの夜と同じように)

 今の剣は目に焼き付いたあれと程遠い。もっと、もっと上を目指せねば――

 「ああああああ!」
 悲鳴は近いところから伊織の耳へ伝わった。眩しい月夜と血塗れの村から離れて、倒れ込んだ浪人たちはもう傷だらけだ。
 「くそっ……!」
 そして、死角からの一振り。頭が目の前に広がる光景を飲み込むことすら及ばず、握った刀は既に人間の胴体を貫いていた。咄嗟の一撃は運良く骨を避け、深く、柔らかい臓腑に届く。
 一気に明晰になった意識は瞬時に理解した。自分が奪われる側から奪う側に、その命を亡くした事実を。見るだけしかできない、無力な子供の面影はもはや青年に残ってはいない。
 「ひぃぃ……!」
 仲間らしい者が物言わぬ屍となった光景を見て、横たわる浪人たちが見上げると、寒月のような眼と合った。最初の意気揚々は何の跡形も残らずに、地に這っても凶刃の持ち主から離れようとする。


 「……はっ、」
 強張った筋肉が刃を絡んで、刺さるときよりもっと力を使わないと抜けない。手に更に力を入れ、ぐぐっと切っ先を取り出すことで、命の色が人間だった者の服を汚す。柄を通じて伝わる命の重さは、初めて呼吸を乱した。
 命がある限り忘れられない景色。無数の死の上に立つ、月より眩しい剣。己の行いはそれに届くまで程遠いと思って、伊織は静かに目を閉じる。
 大きく体中の息を吐いて、微かに震える腕をいつもの冷静さを取り戻そうとする。
 これは己の未熟さだと思った。命を奪わない程度で斬ったはずだが、鋼の切っ先は知らないうちに、加減を上手く掴めない結果。
 やがて、両方の生と死を秤の対極に置いた末、刀を握ったまま生き残った。その激昂もやがて理性により抑えつけ、一連の発展についてもう一度反芻する。

 ――人を生かすにはどのくらいするのか。殺すには、どれくらいするのが最善だったか。
 その境界を知らねば。
 もっと上に至るまで、あの夜のつきにたどり着くまで。

 「道半ば、だな」

 口からこうして呟く気がした。生憎、聞ける耳は一つもないことなのだ。
 血糊をついた刀身を一振りをし、屍の上に落とした。




 これは誰も知らない、浅草への道での出来事。