静かな、夜だった。まだ日が変わるには早い頃合い、いつもは人で賑わう街の明かりは見えず、規則正しく並んだ街灯の光が闇を照らしている。見上げれば空には赤い月が煌々と輝いていた。それが血塗られたように見えて、ぞっとする。蓮巳は込み上げる不安を振り払うように首を振った。
今宵は『道化退治の決行日』だ。その為にこの街は閉ざされている。店も民家も、全て固く戸を閉ざし、何があっても外に出ないよう厳命してある。
この街の平穏を乱す辻斬り、道化染みた言動なのに圧倒的な強さを誇る日々樹と、それに付き従う月永という男。そして、何故か狙われている書生の英智。英智を護りつつ、辻斬り共を成敗するのが蓮巳たちの役目だ。蓮巳を隊長とする部隊は、副隊長の鬼龍、守沢、神崎、南雲の五名。
強者揃いの精鋭と呼ばれているが、それでも血が流れない結末などないだろう。
受けた命令は捕縛だが、生死は不問だ。捕らえるなどと甘い考えは最初から捨てた。
まともにやり合えば無事には済まないとわかっていても、殺してでも奴の悪行を止める。命を懸けても。それが己の役割。
深く息を吐き出し、蓮巳は目を閉じた。
『なあ、守沢。……俺に万が一のことがあったら、後は頼む』
決行の数日前、蓮巳は守沢を執務室に呼び出していた。
『それは隊長命令か、蓮巳』
真っ直ぐな、真剣な表情と声音で、守沢は蓮巳に問いかけた。
『そうとってくれても構わない。有事の際、以降の指揮は全部貴様に任せる。……鬼龍たちのこと、任せたぞ』
『……。それでおまえが安心できるなら引き受けよう』
『話が早くて助かる』
学生時代は大人しく目立たなかった同級生だが、こうして一緒に働いてみれば、聡明さも戦う才も持ち合わせていた。それから、皆を託せるだけの資質も。
『納得はしていないぞ。でも、蓮巳の考えもわかる』
自分だって死にたいわけではない。けれどそれくらいの覚悟がなくば、勝てもしないだろう。それを守沢は冷静に判断している。おそらく逆の立場であったなら、彼も同じ結論を出していたのだと思う。だから蓮巳は、副隊長の鬼龍ではなく彼を呼び出したのだ。
話はこれで終わりのつもりだったが、守沢はこちらに詰め寄ってきた。
『作戦会議をしよう! みんなで力を合わせれば、何か道はあるはずだ。誰一人欠けることなく任務を遂行する道が』
励ましているつもりなのか、気休めなのか、まさかそんな綺麗事で楽観視しているなどということは無いだろうが。と蓮巳はわずかに顔をしかめる。けれど、最初から誰かを犠牲にする作戦など隊長失格だろう。何にせよ、無策では挑めない。できる限り万全の作戦を立てる必要はある。けれど。
『いや、それはしない。何の為に貴様だけを呼んだと思っているんだ』
『……まさかとは思うが、鬼龍には何も言わないつもりなのか』
『言う必要が? 拗れて作戦決行すら危うくなるだけだろう』
蓮巳の言葉に、守沢は苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。思ったことがそのまま口に出やすい守沢が、珍しく言葉を選んで黙り込んでいる。
今、彼が何を考えているのか蓮巳には分かった。蓮巳が作戦や計画を副隊長の鬼龍ではなく守沢に相談していること自体は、きっとなんとも思わない。頭使うことなら俺よりも適任だろ、などと普段から言い放っていたくらいだ。
けれど、蓮巳が考えていることを知ったら、鬼龍は絶対に納得しない。怒るのも当然だろうが、揉め事に発展するとしか思えない。決行の日まで時間がないのに、内輪で争っている場合ではないのだ。
守沢はそれを瞬時に理解している。そして仲間としての立場と、二人の関係も知る友人としての立場との間で、どう立ち回るべきなのかを考えている。
『蓮巳。やっぱり俺は……』
不意に走る緊張、空気が張り詰める。現実に引き戻され、蓮巳は剣の柄へ手をかけた。正面に見える影、長身と、風になびく長髪。
「二人とは甘く見られたものですね」
「現れたか、この道化め」
蓮巳も守沢も剣を抜き、構える。戦闘能力は鬼龍や神崎ほどではないが、二人とも剣術の腕は上位だ。それでも、日々樹を止めるには一瞬たりとも気が抜けない。日々樹も剣を手に、余裕の笑みを浮かべている。挑発するかのような態度にも、二人は動かない。いつ仕掛けてくるかと身構える。
「来ないのなら、私から……」
日々樹が言いかけた時、突如遠方から派手な破裂音が鳴り響いた。離れているはずなのに、一切の声も聞こえなくなるほどの音量。それが鳴り止んだ時、日々樹は首を振った。
「酷いことをしますねぇ。聞こえのいい彼には、相当な苦痛でしょうに」
「手段など選んでられるか」
音の発生源はここより離れた区画。鬼龍と神崎、南雲三名の元に月永が現れたのだ。
日々樹が言った通り、聴覚の優れた月永に音で攻撃し、隙を突く。それが作戦の一つだった。日々樹と月永、現れる地点は二箇所予想がついていたが、どちらが来るかまでは不明だった。月永がこちら側に来た時は守沢がその担当をしていた。
「そうですか。では」
笑みを浮かべたままの日々樹から、瞬時に殺気が溢れ出す。
真正面から向かってくる日々樹の重い一撃を、蓮巳はなんとか弾き返した。横から守沢が剣を繰り出す。日々樹はそれも難なく交わし、守沢に斬り掛かった。守沢は大きく飛び退いてそれを避け、体勢を整える。そうして再び斬りかかるが、あっさりと日々樹に受け流された。蓮巳も手を緩めることなく剣を振るうが、日々樹には届かない。
二人掛かりでも、余裕綽々と言った様子に、苛立ちを覚える。それでも少しずつ壁の方にと追い詰め、そして。日々樹の笑みが一瞬、驚愕に変わる。
「っ、?!」
日々樹がその場から飛び退くと、そこには神崎が降ってきた。
「……!」
今の奇襲を避けられたことに、神崎も僅かな驚きを浮かべている。それでもすぐに剣を構え、日々樹を取り囲むようにする。
「いつの間に」
「屋根を渡れば案外近いのでな」
「なるほど。……あなた以外にはできそうもない作戦ですね」
作戦の二つ目はこの奇襲だった。二人の方に日々樹が来た場合は、神崎が屋根を通って移動し、援護に入る。
「じきに鬼龍も来るだろう。貴様もこの面子を一人で相手はできまい。覚悟しろ」
剣を突きつけ蓮巳が告げれば、日々樹は大人しく持っていた剣を地面に放った。
「ええ、素直に捕まるとしましょう。ただし」
日々樹の笑みに、不穏な色が乗る。
「そちらも無傷とは、いきませんよ」
「……!」
一瞬の出来事だった。日々樹が動いたと思ったら、身体に衝撃がきた。腹のあたりが痛くて、熱くて、息が止まりそうになる。
「蓮巳!」
「蓮巳殿!」
懐から隠し刀を取り出し、蓮巳の腹へ突き立てたのだと理解した時には、刀は引き抜かれて投げ捨てられていた。血が噴き出す。力が抜け、膝から崩れ落ちる。反射的に血の流れる部分を押さえるが、それくらいで止まるわけもなく。手を、衣服を、血の赤が塗りつぶしていく。
神崎と守沢が日々樹を押さえつけ拘束しているのが見えた。その光景が揺れて見え、身体が傾いて視界がぼやけた。倒れた時に眼鏡が落ちたようだった。
「っ、蓮巳!!」
遠くから鬼龍の叫ぶ声が、聞こえて、それから……蓮巳の意識は途絶えた。
街を騒がせていた辻斬りたちが捕縛されたという事実は、瞬く間に広まった。
その作戦は、夜警の隊長がその身を賭して成功させたのだ、という話も。
「……は、散々俺たちを詰っていたくせに、今度は英雄扱いとはな」
鬼龍は新聞の一面を飾る記事を睨み付けて、それを乱暴に机に放った。
思いのほか大きな音がしたのに驚いて、書類に向き合っていた守沢がびくりと身を竦ませた。
「鬼龍! 顔が怖いぞ!」
「あ? この顔は生まれつきだよ」
「……蓮巳のことか?」
守沢が訊ねると、鬼龍は苛立たしげに舌打ちをする。
「落ち着いたら腹立ってきた。あの野郎……」
「会いたいんだな。もう面会もできるようだし、見舞いに行ってくるといいぞ!」
「んなこと言ってねぇだろうがよ」
「さっきから仕事も手についてないだろう」
「書類仕事は苦手なんだって知ってんだろ」
「俺はこういうのも嫌いじゃないが、この量はきついな。蓮巳はいつもよくやってるよ」
文字通りの書類の山を捌きながら、守沢は揚々と告げた。
「というわけで鬼龍、今やってるのが終わったら蓮巳の所に行ってきてくれ。隊長代理の命令だ!」
「都合よく使ってんなぁ。ま、いいけどよ。今回は俺がじっくり説教してやらなきゃな」
殴り込みにでも行くのかというような顔で、バキバキと指を鳴らしている。
「おまえたちのことにあれこれ言うつもりはないが……ほどほどにな?」
守沢は思わず苦笑いをしていた。
その後。言われた通り鬼龍は病院を訪ねていた。最上階の個室に、蓮巳はいる。
ノックして扉を開ければ、蓮巳はベッドに座り新聞を読んでいた。入院患者用の服を着て、眼鏡は別のものに変わっていたが、顔色も悪くなかった。
「鬼龍か。どうした」
「……思ったよりは元気そうだな」
蓮巳は新聞を脇に置くと、鬼龍の方に向き直る。
「内臓も骨も傷一つない。綺麗に隙間を縫うように刺してきたらしい。……くそ、全く腹立たしい」
身に付けていた制服と、倒れた際に落ちた眼鏡は駄目になってしまったし、蓮巳の身に傷は残るだろう。
それでも、街の住人にも被害はなく、蓮巳もこうして命があるだけ、良い結果だったとしか言えない。
決行の日の前。蓮巳はあの日の続きに思いを馳せる。
『やっぱり俺は、黙っていることには反対だ。でも、蓮巳の言うこともわかる。だから、神崎くんを呼ぼう』
『は? 何故そうなる』
『俺たちの中で一番武術に長けているだろう。何か良い案を出してくれるかもしれない。三人である程度作戦を詰めてから、鬼龍と南雲には伝えればいい』
鬼龍ほどではなくとも、神崎も蓮巳の考えには納得しないのではないかという不安は過ぎったけれど、嫌な役割を押しつけている手前、拒否もしにくかった。それに、守沢が言ったことは事実だ。頭を使うことや作戦を立てることが苦手だと言っている鬼龍や南雲だって、思いも寄らなかった妙案を出してくれることはある。
『確かに一理あるな。わかった、神崎を呼んで来てくれ』
そうして決まったのが、先日の作戦だった。奇襲の提案は神崎が、大きな音をという意見は南雲が、爆竹の話は鬼龍が出した。
結果、蓮巳が想定していたよりも被害は少なく済んだのだ。
「……」
「鬼龍、……っ?」
「てめぇに言ってやりたいことは山ほどあったのにな」
抱きしめられて、しばし時間が止まったかのように、呼吸さえも忘れていた。
「血を流して倒れるおまえ見た時、……心臓、止まるかと思った」
「……すまん」
鬼龍の腕が、声が、震えている。母を病で亡くしている鬼龍に、また大事な人を失う痛みを負わせるところだったのだ。その重さを、自分は理解していなかった、きっと。
「生きててよかった、本当に」
「……うん」
顔を上げると、視線が絡んだ。安堵したような、ほんの少し泣きそうな、そんな顔。今まで見たことのない表情に、胸が痛くなる。
夜警となった時に、みんな、身の危険など覚悟はしているだろう。それでも誰かを失うことはしたくないと、思うのは当然だ。ましてそれが仲間であり、恋仲でもある相手となれば。
しばしの沈黙。それから、ゆっくりと、顔が近づき……。
「蓮巳殿!」
「蓮巳先輩!」
「っ!」
唇が触れる直前、飛び込んできた声に、鬼龍は慌てて体を離した。
「見舞いに来たぞ、体調はどうだ?」
「いやなんでてめぇまで来てるんだよ守沢」
「書類はきりの良いところまで片付けてきたぞ! 鬼龍が見舞いに行ったと話したら、神崎くんも南雲も様子を見に行きたいと言ったから、みんなで来たんだ。ほら、果物も買ってきたぞ!」
籠盛りの果物を掲げてみせる守沢に、蓮巳は盛大にため息をついた。そして。
「貴様ら、やかましいぞ! ここは病院だろうが!」
「いや旦那の声が一番うるせぇ」
神崎と南雲がベッドに近づいてくる。
「我、ずっと心配であった。守沢殿の采配に不満などはないが、やはり蓮巳殿の命令でないと落ち着かんのだ」
「蓮巳先輩がいないと守沢先輩がずーっと喋ってるんスよ。緊張感がなさ過ぎッス」
蓮巳は二人の顔を見て、それから鬼龍を見上げた。その隣に守沢が近づいてくる。
「やっぱり全員揃ってないとな!」
「てめぇがいないと、締まらねぇよ」
よく言う。内心で蓮巳は思う。隊長である蓮巳がいなければ成り立たないような軟弱な者たちはこの部隊にはいない。それでも、早く帰ってこいという激励を、受け取らないわけにはいかないだろう。
「そうだな。……早く治して復帰しないとな」
昼下がりの、平和なひととき。これからもこの街を、穏やかな時間を護り続けるため。
そして大切な仲間と、愛する人と……共に生きるために。
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