asaumi
2025-11-02 20:22:08
3555文字
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教祖様の特別

教団でのしのぶちゃんは特別扱い



「穏やかな気持ちで楽しく生きること」
唯一の願いだった。
親に見捨てられて男には裏切られる。金は底をつき、頼れる友達は誰一人いない。明日の食べる物にも困る、そんな人生に疲れ切った自分を救ってくれるのはここしかないと、万世極楽教の門扉を叩いた。

初めは新規の入信を募集してはいないと断られたが、数日後、たまたま女性信者の枠が一人空いたとの連絡があり許可が降りた。投身自殺を図る数時間前のことで、これは神様のお導きに違いないと感謝した。
そして、初めて教祖様にお会いした日がどん底を歩んだ人生で一番の感動だった。
白橡の髪の毛に虹色の瞳、まるで天から降りてきたような常人とは一線を画す容姿をしていた。瞳から美しい涙を流し、朗らかな口調で「可哀想に、救ってあげるよ」と言われた時には涙を流し平伏して、教祖様が望むのであれば金であろうと、この身であろうと差し出す、命すら惜しくないと思った。

「辛いことや苦しいことはしなくていい、する必要はない」
その言葉通り、入信したからと言って宗教につきものの苦行が待っているわけではなかった。てっきり滝打ちや断食など、神に近づくため心身を極限状態に追い込む修行があると覚悟していたから、胸を撫で下ろした。
何をしても自由、食べ物に困ることはなく、広く清潔な寝床がある。何時に起きても、何時に寝ようとも咎められることはない。そんな極楽のような生活だが、慣れてきたころに集団生活のためがゆえに一つだけ仕事が与えられた。それは教祖様の寝室の清掃だった。

二つ返事で引き受けた理由に、あの神秘的な教祖様が寝た場所に触れられると邪な気持ちがあった。だから初めて清掃に入る時は緊張しつつも胸を高鳴らせて襖を開けたのだが、そこで面食う。
清掃する必要のないくらい、綺麗に何から何まで整っていたのだ。掛け布団はそのまま、皺ひとつない寝具、枕にも寝た形跡はない。
もうすでに誰かが清掃した後なのか?
聞いてみたが役回りは一人ひとつだから、それはないはずだと言われた。

そんな状態が続いた三日目には、教祖様はここを寝床にしているのか、いや、そもそも寝ているのか疑問に思い首を傾げたものだ。もちろん、仕事はちゃんとしている。皺がなく汚れていないとはいえ全て取り替える。まあ、仕事は楽に越したことはない。
深く考えるのはよそうと決めた四日目、今日も片付けようと襖を開けて目を剥いた。
一体、何が起こって、こんな惨状になったのかと唖然とするぐらい散らかっている。布団はめくれ、枕は隅に転がり、シーツは皺だらけで敷布団から剥がされてる。寝ただけでここまでにはならない。破れてるのではないかとシーツを引き抜けば、そこに転々と赤いシミが付いていた。これは、血だ。
さらに布団をめくり、全てのシーツを引き剥がすと隅でカランと何かが落ちた。歩み寄って見ると、蝶の髪飾りだった。
「これは……
髪飾りの持ち主に心当たりがある。


「これ……あなたのでしょ?」
持ち主であろう女の子に尋ねる。黒髪を結い詰めて、いつも蝶の髪飾りをつけていた。それが今日はない。だからか、髪をおろしていた。差し出すと微笑む。
「探してたんです。見つかって良かった、ありがとうございます」
初めて声を聞いた。透き通る綺麗な声だった。何より顔だちが可愛い。同性でもそう認めたくなる、美しさだ。ただ小柄な子で、自分の頭ひとつ分下で華奢な体躯だった。

『教祖様の寝室にあったんだけど、なんで?』
そう突っかかることも、嫉妬に似た思いもあっという間に吹き飛んでいた。
ふ、と彼女が結いあげた黒髪に髪飾りを留めているうなじに目が留まる。
ぎょっとした。
そこにあるのはくっきりと刻まれた赤い痕、口づけて吸われた際にできたものーー歯形に。
一体、誰がつけた?
「あ、あの……そのくび」
しかし、この問いかけは打ち消される。
「しのぶちゃん」
後ろから教祖様の声がした。呼ばれた彼女は明らかに雰囲気が変わった。

教祖様は信者に対して誰であっても「君」と呼ぶのに対し、彼女は必ず名前で呼ぶ。そして、自分には目もくれず彼女の元へ歩み寄った。外套が靡き、小柄な彼女の傍まで来ると少し屈んで耳もとに顔を近づける。閉じた鉄扇を口元に翳して、笑顔で言った。
「体は大丈夫かな? 無理しないで、休んでた方がいいんじゃない?」
言葉に彼女は怒りを露わにした。
「じゃあ、また後でね」
一方の教祖様は満面の笑顔を返して去る。
いる者として扱われてない、蚊帳の外だった自分は混乱した。
この二人は一体、どんな関係なんだろう。


他の信者に聞けば、『蝶の子』のことを深く知る人はいなかった。ただ確かなのはみんな、口を揃えて『教祖様のお気に入り』だと言うことだ。
彼女の部屋も信者たちが共同で暮らす棟ではなく、教祖様のいる棟である離れだと聞いた。端の廊下から、その離れは見える。
離れの扉は重々しい鉄の両開きになっており、大きな睡蓮が描かれていた。
夜な夜なぼんやり眺めては、小柄で華奢な彼女では開閉が大変だろうなと考えていると、教祖様がそこへ近づいていく。
ごくり、唾を飲んだ。
門扉の前まで行くと、両開きの扉を開けてなかへ入っていく。その次には再び閉まり、まるでそこだけが遮断された別世界のように思えた。
ここで、二人は何をしているのだろう。


「しのぶちゃん、今夜は俺の部屋においで」
盗み聴きするつもりはなかった、とは言えない。教祖様のお気に入りという彼女が気になって、暇さえあれば彼女を観察して、聞き耳を立てて、後を追っていたところだった。
…………っ」
唇を噛んで、返事を渋っている。
「あれ? 気分じゃない? しょうがないねぇ……残念だけど他の子を誘うかなぁ」
「やめろ!」声を荒げた「私が行きます」
ほら、あの蝶の子も教祖様を独り占めしたいんだ。でもそれにしては、こめかみに血管が浮き睨んでいる。
「じゃあ、楽しみにしてるね」
嬉々として微笑む男に憤怒を滲ませる女、と二人を包む二極化した空気は異様でしかなかった。

最後の最後まで悩んだ。こんなことをするべきではないと、覗き見なんて卑しいことこの上ない、思い留まれと何度も言い聞かせたのに、夜深く寝静まった深夜に一人、教祖様の寝室の襖の前にいる。
見つかったらどうしよう。胸の動悸が激しく、心臓が飛び出るのではないかと思うくらいだ。だが、好奇心が勝った。
襖は顔半分程度開いており、ぼんやりとした橙色の光が漏れている。それと季節外れの冷気が廊下まで漂う。晩夏なのに鳥肌が立っていた。まだ引き返せる。それなのに、次に取った行動はその襖の間を覗くことだった。
そして、目を見開く。ひゅ、と喉がなり、これ以上、声が出ないよう両手で口を押さえる。

あれは、何? なんなの?

部屋に張り巡らされた氷の蔓、所々におそらく蓮だろう花が咲いている。その中心には、蝶のあの子が磔にされていた。蔓がまるで生き物のように胴体に絡みつき、小さな痩躯は宙に浮いている。
彼女の浮いた足元の布団に、刀だと思われる刃物が突き刺さっていた。
「また毒、効かなかったね」
そう言うと、教祖様は片手に開いた鉄扇を持ったまま抱きしめた。愛おしげにと言ってもいい。
「いっそのこと、鬼になれば首を斬れるんじゃない?」
……っ」
唖然と見つめる一方で、頭が混乱している。

毒ってなに? 鬼?
「俺の血ならいつでもあげるよ」
「ふざ、けるな」
「満足した? 次は俺の番かな?」もう片方の鉄扇も開く。「ーーと、その前に」
次の瞬間、蝶の子は宗教着の袖から隠していた小刀を逆手に持ち、教祖様の肩に突き刺した。
「お前の相手は私だ……っ」
柄の付け根まで深々と刺さる、そこから血が溢れ流れて教祖様が死んでしまうのではないかと絶叫しかけた。
だが、教祖様は肩に刺さる小刀などなかったかのように抱き直す。流れていた血も止まり、引いていく。
隆々とした筋肉の張る腕が締め上げてるのか、蝶の子の苦しげな呼吸が聞こえる。切なく、艶やかだった。
教祖様はそんな彼女の首筋に顔を近づけて舌で舐め上げ、耳もとまで辿るとこう言った。
「ごめんね、しのぶちゃん」

何がなんだかわからずに、気づけば腰が抜けていた。どうしてここに来たのか、頭は真っ白だ。あの人たちは、あのふたりーー刀、血、傷は。訳がわからない。
「残念だけど、ここまで見られたら見逃してあげられないなぁ」
「逃げて!」
振り向いた教祖様と目が合った。
…………あ」
あれ、虹色の瞳に文字なんかあった……け? じょう、げん?

疑問に思ったーー

次には、息の根が留まる。