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おねえ
2025-11-02 17:13:33
6760文字
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月明かりの下で
桑名くん修行前の、弊本丸くわぶぜ。(約6500字)
⚠畑の指南書について独自解釈があります!
⚠あくまで弊本丸のくわぶぜなので、解釈違い等あるかと思います。あらかじめご了承ください。
「よいしょ
……
っと」
夜風がそよぐ縁側。僕は持ってきたお盆を座布団の隣に置く。お盆の上には徳利ひとつとお猪口がふたつ。お盆を挟んで隣の座布団に座り、既に待っていた愛しい相手に目を合わせれば、豊前はその目を柔らかく細めた。
寝巻きの浴衣を羽織った豊前の胸元は緩く開き、白い肌が月で照らされて浮かび上がる。
そこから目を逸らすように徳利を持ち上げると、とくとくと豊前のお猪口に注ぐ。そのお酒には名月がぽっかりと映っていた。
「あんがと」
短くお礼を言った豊前が、細く骨張った手でお猪口を取る。僕もそれに続くためお猪口にお酒を注ぎ、手に取った。
視線を再び合わせると、互いのお猪口を小さく掲げ合う。乾杯の合図だ。
くいっとひと口飲めば、日本酒が喉を通り熱くなる。ちらりと盗み見た先では、月明かりを浴びた豊前が酒をあおっていた。繊細な首筋で嚥下する喉仏がやけに艶っぽく見えてしまい、どれだけ共に過ごした夜があろうとも、まだまだ熱が冷める気配もない自分自身に呆れながらも嬉しくなる。
飲み干されたお猪口に再びお酒を注ぎ、豊前に差し出した。それと同時に名前を呼んでみる。
「豊前」
「ん?」
深紅の瞳が僕を捉えた。僕はその瞳を離さぬよう、僕の視線を絡ませる。
「月が、綺麗ですね」
使い古された言葉を紡げば、豊前の瞳が大きく開かれた。
そして次の瞬間、頬を綻ばせる。そして僕の差し出していたお酒を手に取った。
「ははっ。あんがとな!」
僕のしっとりとした声は、豊前のからりとした声に取って代わられてしまう。でもそれが嬉しくて、僕もいつも通りの声の調子に戻した。
「ふふっ。ちゃーんと意味わかってるねぇ」
「あたりめえだろ。何年一緒にいると思ってんだ」
そう言って豊前はニッと笑う。そしてお猪口に注がれたお酒を、くいっと飲んだ。
この言葉を豊前に初めて伝えた時、豊前の返事は「そうだな!」だった。真意を知らない豊前が可愛くて、その時に答え合わせはしないまま。それからしばらく経ったある日、もう一度伝えてみたら、顔を真っ赤にしたのだ。
意味を知り、あのとき僕から愛を囁かれたこと、それに対する返事のおかしさ、そして今再び愛を囁かれていること。そんな色々な感情が絡まりあって照れながら拗ねていた豊前がとても愛らしかった。
それから折に触れて、僕はこの言葉に僕の愛をこめて豊前に伝えている。もう豊前にとっては「少し照れくさいけど嬉しい挨拶」くらいになっているのだろう。あの時のような愛らしい反応は見られなくなったものの、僕の愛が当たり前に存在していると豊前が信じて疑わないということもまた嬉しいのだ。
「人の身だと6年って長いねぇ」
しみじみと共にすごした日々を振り返ってみる。本丸で出逢って、人の身を持って始めて僕の胸の奥にある感情に名前がついて、そして豊前も同じ気持ちを持っていることが分かってすぐ恋仲になった。
互いに何度も重傷を負ったし、どこかで間違えば互いの存在を失う可能性もあった。けれど、無理をしないこと、無事に帰ることを厳命されている本丸であることもあってか、無事にここまで共に過ごして来られた。
最も失うかもしれない可能性が高かったのは、きっと豊前の修行だろう。豊前は、その時のことを多くを語らない。僕も聞かない。豊前が自然と話せるようになった時、ちゃんと聞こうと思う。ただ、断片的に話す内容から、少なくとも危険と隣り合わせではあったのだろうと思う。
僕は豊前の修行の断片に触れるたびに思うんだ。無事に帰ってきてくれてよかった、って。そして、これは驕りかもしれないけれど、豊前が帰りたいと思った理由の一つが僕であって欲しいとも思う。
「でもあっちゅーまって気もする。あんま変わんねーしなぁ」
「豊前は修行に行ったりして、大きな変化はあったでしょ?」
「はっはー。俺のことじゃなくて、俺らのこと! 変わんねえだろ?」
そう言って豊前は、お酒の乗ったお盆を避けると、座布団を隣り合わせにした。そして頭をちょこんと僕の肩に乗せた。
「変わらず、こうしていられる」
肩から伝わるほのかな熱。僕たちが打たれたときのような高温ではない。でもあのときの温度にも似た内に籠る熱は確かにある。僕の心にも、豊前の心にも。互いにのみ向けられる、お互いでしか触れられない熱が。
僕は持っていたお酒を置くと、そのまま豊前の肩を抱く。
「豊前」
「ん?」
「豊前はどう思ってる? 月は綺麗かな?」
僕が肩口を覗き込めば、すぐ側にある顔がこちらを向いた。
「知りてえ?」
そう尋ねる豊前の表情は少しばかり悪戯心が混じる。僕の返答次第では答えないって意地悪が待っていることだって有り得るだろう。
そんなのは嫌だから、僕は逃がさないようはっきりと答えた。
「勿論」
僕の答えは想定通りだったのか、それとも意外だったのか。真意は掴めない。でも、すぐ側で僕を見つめる豊前は笑みを崩さない。
僕は早く答えを聞きたくて、豊前が返事をする僅かな時間も待ちきれなくて。
いつでも風のように疾さを、速さを求める豊前の気持ちが少しだけわかる気がした。
僅かに豊前の唇が動く。そして僕の問いの答えが伝えられた。
「俺も桑名のことを愛してんよ!」
そう言う豊前の笑顔は満開の花のように華やかで明るくて。月というより太陽のような眩しさに、こちらも表情を緩めざるを得ない。
「もー! ずるい!!」
「はっはー! まどるっこしいのは俺らしくねーっちゃ!」
しっとりとした秋の夜長すらも、豊前がいれば楽しくて嬉しくて。浮かれるような心地になってしまう。
ああもう、本当にずるいんだ。いつだってこうして僕の心を吹き回る風になって、僕の心の季節を変えていく。冬のように悲しい時も豊前がいれば春のような温かさを帯び、しっとりと物寂しい秋の夜は花火の上がる夏のように楽しくしてくれる。
だから豊前と一緒にいたいんだ。いつだって豊前は僕に、僕だけでは知ることの出来ない、分かることのない素敵な世界へ連れて行ってくれるから。そして、豊前がいてくれさえすれば、僕はずっと幸せというものを知っていることができるから。
そして豊前も僕にそんな感情を覚えていてくれたら、僕はこれ以上望むものは何もないかもしれない。
……
いや、他にもあるね。豊前といつまでも一緒にいたいとか、ないものねだりみたいな願いはずっと胸の奥にある。
いつまで一緒にいられるだろう。戦いは好きではないけれど、他の誰かを傷つけたいわけではないけれど。それでもこうして戦いに身を置いている間はずっと一緒にいられるのなら
……
。いつからか湧き出した僕らしくない感情。それと向き合う日が来たみたいだ。
「豊前」
「ん?」
嬉しそうに目を細める豊前と目を合わせる。
「僕も愛してるよ」
僕にできるのは愛を囁くことだけ。ひとつでも多く。君の心に届くように。何度も。
「愛してる」
何度でも、君に想いを伝えるよ。いつか隣にいることが出来なくなっても、忘れないように、忘れられないように。
「俺も。愛してっから」
からりとした声が聞こえたと思ったら、豊前の腕が僕を抱きしめた。お酒の香りと一緒に豊前の匂いが鼻を擽る。僕の大好きな体温と匂い。僕は豊前の身体を抱きとめるように、その背に腕を回した。
「行くのか?」
耳元で聞こえた声。僕の心臓は大きな音を立てる。
ああ、そうか。分かってたんだね。
「うん」
僕は小さく頷いた。君に内緒で行くつもりはなかったけれど、先に言われてしまうとは思わなくて、それ以上の言葉が出てこない。
その間を生めるように豊前の明るい声が耳元で響いた。
「だよなぁ。俺が修行へ行った後からせっせと作ってたもんなぁ。畑の指南書。桑名の描いた絵があるからさ、俺でも分かりやすいわ」
豊前が修行へ行った辺りから少しずつ、僕の心に変化が生じていた。豊前に並び立ちたい。肩を並べたい。それに戦いに身を置き続けるなら、きっとここで畑だけをしているだけというわけにはいかない。豊前を守りたい。共に在り続けるために。
そんな思いが生まれると同時に、僕の心には「修行へ行く」という選択肢が見え始めた。
でも畑のことを放っておくわけにはいかない。僕の矜持が騒ぐ。ここの本丸のみんなは僕がいなくては作物を育てられないほど、知識と経験がないわけではない。だけど時に迷ったとき、想定外の事態に見舞われたとき、僕を頼るという流れは確実にあった。だから、みんなが困ったときに立ち返れる何かが必要だと思った。
それで僕は毎日のように植物を観察し、その様子を絵や文字で残し、そして畑仕事の指南書を作り上げたのだ。
そしてそれが出来上がったとき、僕の中ではっきりと区切りがついた。倶利伽羅が僕の指南書を見ながら畑仕事を難なくこなしてくれたのも大きかった。これがあれば、僕がいなくてもみんなが困らずに作物を育てられる。兵站に困ることはない。そう安心できた。
「これがあれば僕がいなくても
……
」
「たった4日な!」
僕の言葉を遮るように、豊前は強く声を発した。
「桑名がいねえのは、こっちではたった4日だけ!
……
そうだろ?」
その言葉はまるで豊前自身に言い聞かせているようにも聞こえた。
たった4日だから大丈夫。そう信じさせてほしい。安心させてほしい。そんな願いが痛いほど伝わる。
素直に頷けないのが悔しい。これから行く場所で何が起こるのか、わからないから。無事に帰ってこられる保証などない。
無事でいるかわからない相手を、ただ生きていることだけを信じて、祈りながら待つことしか出来ないことがどれだけ苦しいか分かっているくせに。明日届く報せが「生きている証拠」であるかどうかもわからず、手紙が届くたびに、それが豊前からだとわかるたびに安堵した。内容に一喜一憂したけれど、それでも生きてさえいてくれれば。そう願うだけしか出来ない無力さに苛まれながら、それでも祈る時間の長さと辛さは僕が1年前に体験したはずなのに。
それでも頷くことは出来なかった。
「
……
そういう誠実なところ、好きだよ。でも今だけは嫌いちゃ」
「あはは
……
」
本心ではない「嫌い」という言葉に愛想笑いしか返せない。
修行へ行く。その間に最愛の相手を安心させることすらも出来ない。僕は無力だ。それでも手を離せない。愛しい相手の背に回したこの手を。正しいのか、間違いなのか。答えを出せない僕を抱きしめる豊前の腕に力がこもった。
「桑名は帰ってくるよ、ぜってえ」
耳元で聞こえた声に迷いはない。先ほどまでの豊前自身に言い聞かせるものとは少し違う、どこか地に足ついた口ぶりに僕は1年前のことを思い出す。
豊前がこの本丸へ、そして僕のもとへ戻ってくるようにと「呪い」を豊前に伝えた僕を。そしてその呪いを「願い」だと言ってくれた豊前を。
そうこれは願い。豊前の中に存在している純粋な「願い」なのだ。
「迷ったときはさ、俺の腕についた旗印。それを目指して帰ってくること。そしたら迷子にならねーだろ?」
りいだあである豊前の腕には、風にはためく旗印がある。どこに自分がいるのか、遠くにいてもわかるための旗印が。
どちらへ向かえばいいのか分からなくなった時、よく目立つ赤い旗印はきっと僕の道標になる。そう根拠なんかない。でも自然とそう思えたんだ。
「うん。わかった」
迷いなく僕は返す。
前が見えなくても、きっと君の旗印ならよく目立つから見えるだろう。風にそよぎ、大きくはためく君の旗印なら。
僕は豊前の背に回した両手に力を込めて抱きしめた。
「待ってて。必ず帰ってくるから。ここに。豊前のところに」
「勿論だ。帰ってきたら疲れてるだろうし、膝枕してやっから。あんまり待たせんなよ」
はっはー! と、明るい笑い声が聞こえる。
豊前を好きになってよかった。
愛おしさが溢れて、もっと豊前に触れたくなる。抱きしめたままでは出来ない触れ方で。
「ねえ、きすしたい」
僕が出せる精一杯の甘い声を豊前の耳元で囁く。でも返ってきたのは意外な言葉だった。
「だめ」
「何で」
間髪入れずに返すと、かすかに鼻を啜る音が聞こえる。その瞬間、豊前の表情は見えないのに分かってしまった。
「抱きしめてるのって
……
」
「顔見えねえだろ、こうしてりゃ。俺がどんなに情けねえ顔しててもさ」
言葉は気丈だ。でも言葉でどんなに覆っても心の奥で燻る不安や寂しさは、簡単には消えてくれない。
それは僕も体験したからわかる。
僕はさらに強く豊前のことを抱き締めた。
「情けない顔でもいいよ。どんな豊前も見せてよ。どんなに傷ついて絶望しても、いろんな豊前を思い出せるように。そして歩き出す元気をもらえるように」
僕が自信を持って言えること。畑のことと、そして豊前の表情ならこの本丸の誰よりもたくさん見ていることだ。
りいだあとして、そして誰からも頼れる存在として明るく振舞う豊前が、ふと心に浮かぶ暗い感情を出せる唯一の相手。それが僕なんだと思う。唯一は自惚れかもしれない。でも少なくとも僕にだけ見せられる表情が、感情がきっとある。
豊前が見せたくないと言っている今の表情も、きっと僕だけしか引き出せないものだ。だから受け止めたい。忘れたくない。ずっと覚えていたい。そして君の抱く感情の全てを受け止められる存在なんだと思いたい。そうしたらきっと、理性に導かれた諦念も振りほどける気がするから。
「ねえ、お願い。きすしたい。だから見せて」
僕がお願いすると、豊前の腕の力が緩む。そしてゆっくりと身体が離れた。
月明かりに照らされた愛しい相手の顔は、この世のものとは思えぬほど美しい。潤んだ瞳は少し色っぽくて、せっかく顔が見れたのに胸がいっぱいになった僕はもう一度抱きしめてしまった。
「絶対帰ってくるから」
出来ない約束かもしれない。でも、僕は帰りたい。ここに。豊前の元に。その気持ちに微塵も嘘はない。
豊前のために、僕のために、ここに帰る。そうでなければ豊前の心も僕の心も救われないから。僕は僕たちのために帰ってくる。
「ぜってーだからな」
気丈な声に僕は大きく頷いた。そして抱きしめる力を緩めれば、豊前の顔が見え、そしてどちらともなく唇を重ねる。
西洋では誓いのためにきすをするらしい。だったらこれは僕の誓いだ。豊前の元へ必ず帰ってくるという誓い。
誓いを立てたら、僕の腹は決まった。揺らぐこともなさそうだ。どれだけ心が傷つき、身体がぼろぼろになろうとも、必ずここに帰る。
ここが、豊前の隣が、今の僕の大切にするべき居場所だから。
唇を離し、秋風でひんやりとした頬に触れる。
「どこにも行かないで待ってて」
「どこへ行くって言うんだよ。お前がいない世界のさ」
一度離した唇をもう一度僕に触れさせた豊前は、寂しさを滲ませた笑みを浮かべた。そして再び自分の座布団へと戻り、僕の肩に頭を乗せる。
「またこうやって変わらねえ毎日を送るんだよ。そのために帰って来いよな。わーった?」
僕は豊前の肩を抱き寄せた。触れた体温は頬と同じように少し冷たい。でも体温が高い僕にはちょうどいい。ああ、そうか。僕たちは一緒にいなくちゃいけないんだね。そう互いの体温が教えてくれた。
「うん。わかった。頑張るよ」
「ん。帰ってきたらまたこうして酒飲もうな」
「うん。美味しいお酒用意しておいてね」
またこうして月を眺めながら美味しいお酒を飲みたい。そのときはこんな寂しい気持ちはなくて、心の底から笑い合いたい。そして君への愛を伝えたい。
この気持ちを大事にしていれば、きっと僕は帰って来られる。そんな根拠のない自信が溢れてきた。
「いいけど、俺、どの酒飲んでも美味いって思っちまうからなぁ」
口を尖らせる豊前を覗き込み、一つの提案をする。
「じゃあ一緒に買いに行こうよ。僕が帰ってきたら」
「お。でえとか! いいぜ!」
そう答える豊前は満面の笑みを浮かべていた。そしてそれを見る僕もきっと同じくらいの笑顔だ。
夜風が頬を撫で月の光が僕らを照らす縁側で、笑い声が静かな庭に溶けていく。
その笑い声の向こうで、僕はもう一度だけ心の中で誓った。
——
必ず帰るよ。この場所へ、豊前の元へ。
その誓いを再び伝えるように、豊前と唇を重ねる。笑い合う僕らの間に、守らねばならない約束が確かに生まれた。
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