まよこ
2025-11-02 01:43:24
4409文字
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春に落雷


 雷鳴が春の身体を貫いた。
光がはじけて視界が真っ白になる直前、最後に見たのは昔から彼がよくみせる目を細め口の端を少しあげた悪戯ぽい笑顔だ。制御を失った身体がぐらりと傾き地面に倒れていく。

 目が覚める。ぼやけた視界に白い天井が見えた。周囲は同様に真っ白なカーテンが天井から垂れ下がり壁のように小さな空間を形成している。のろのろと手を伸ばす。寝かされていたベッドからずり落ちないようにバランスを取りながら、カーテンの端を掴む。ざっざと引っかかりながらカーテンは開けられ、少し離れた窓に青空が広がっているのが見えた。

 どれくらい眠っていたのだろう。最後の記憶をたどる。春と近所の沼地に行ったことは覚えている。
祖父が亡くなって数カ月がたち、それでも春はどこか上の空のような間を感じることが多くなっていた。常に人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべて膨大な知識があるくせにあらゆる情報をつぎはぎに合わせた口から出まかせしか言わない虚構から生まれたような、あの春が。彼もショックを受けるなんてことがあるのだろうかとしばらく様子を伺っていたある日、春が日課のように祖父と散歩をしていた沼地へと誘われた。
「今日はとってもいい天気になるそうですよ」
 嘘だ。
 天気予報は、午後から天候は荒れ落雷のおそれありだった。

 しばしぼんやりと晴天を眺めていたが、僕が起きたことに気がついた医療スタッフたちが慌ただしく集まってきた。うすうす感づいていたがここは病院らしい。
医師からの説明によると、僕達は沼地近くで雷に打たれたということだ。実際のところ直撃したのは僕達というよりは、春だけのはずだが。検査の結果、僕の体に異常は見られなかった。ショックで寝ていたのだって1日もたっていない。
「春は無事なんですか」
 医師は困ったように首を傾げる。彼はすでに自宅に帰っているそうだ。僕も体調に問題がなければ明日には帰宅して良いと言われた。

 翌日。
祖父の残した広い家に訪れる。春はここで、僕の祖父と共に暮らしていた。祖父が亡くなったのちも祖父がいた場所を守る様にここで暮らしている。周囲を木々に囲まれ半ば山に埋まる様に建てられた大きな白い家。鳥の清々しい鳴き声があふれ、あたたかな木漏れ日が降り注ぐ。絵本にでも描かれていそうなのどかな風景が広がる。
 こんな穏やかな場所で普段なら感じない緊張感を覚えながらインターホンを押した。
 春はあまり見ない清潔そうな白いシャツを着て現れ、穏やかに微笑んだ。出会った頃から今日まで年齢の今一つ掴みきれない変わらない風貌で春はそこにいる。

「いらっしゃいませ。どちら様ですか。どういったご用件でしょう」

居るには居るのだが、春はこの世界にはどこにもいなくなってしまった。目の前にいるのは、春の姿をした全く別のなにかだ。春の第一声で否が応でもそれを実感する。
僕のことをまるで知らない人のように扱う丁寧な対応に、わかっていたとはいえ冷や水をかぶせられた心持ちになる。
 落雷のショックで春の記憶が失われてしまった、ということを医師から聞いていた。

 僕のことは聞いていたらしく、身分を名乗ると合点がいったように少しバツの悪そうな表情を浮かべて頷いた。
聞き慣れた落ち着いた声で、聴いたこともない優しい声音で話す。
「ごめんなさい。何も覚えていなくて。俺と親しくしてくれていたのですね」

 その日は初対面の者同士の無難な会話を終えた。
家に帰り、母に春の見舞いに行ったことを告げる。母は困惑はしているもののそれほど自体を重くとらえてはいないようだ。
「前より良くなったじゃない。 おじいちゃんもどうしてあんな子をずっと傍に置いていたのかしら」
 春は、以前の春と変わらず祖父の家で暮らしていた。生活を送るうえでの知識に問題はなく、一人で暮らすことに支障はないのだという。
 それでも毎日、祖父の家に春の見舞いに行った。

「ご心配をおかけして申し訳ありません」
 春は、眉を下げた優しげな表情で迎え入れてくれる。そして丁寧に入れられた紅茶を置いて、僕が座ってというまで席にはついてくれない。

「昔の話を聞けば思い出すこともあるかもしれないと聞きました。かつての俺はどんな様子でしたか?」
 横柄に席について肘をつき組んだ手にあごを乗せる姿を思い出す。
……。いい性格をしてたよ」
 はじめて会った時は僕も子供ではあったけれど、春は同年代のクソガキもかくやというほどの悪戯者であった。お化けが出るという廃墟につれていかれて大泣きした記憶や、子供の視点からすると広すぎる祖父の家で適当な案内をされて迷子になり泣かされた記憶がよみがえり、事実をそのまま伝えることにした。常日頃からくだらない嘘しかつかず、日常的な軽口でどれほどの人を小馬鹿にしてきたかを説明してやる。日々尽きることのない思い出話を、一杯の紅茶の合間に話せるだけ話す。春は見たこともない困ったような苦笑を浮かべるばかりだった。
「随分と破天荒な性格をしていたんですね」

 祖父の家の管理や仕事の手伝いを以前の春と同じように行う今の春に母は不満はないようだ。むしろ礼儀正しい良い子になったことを喜んでいる節がある。
「きっとすぐに戻るわよ。戻らなくて困らないと思うけれど」

 幾度となく不毛な会話と時間を繰り返した。白いテーブルクロスと紅茶を挟んで僕は春に問いかける。
「約束は、思い出せる?」
 何も写していないような真っ黒いガラスの瞳で春がこちらをみた。

 祖父の家にはいくつも写真が置かれ、楽しげな祖父が仕事仲間たちと映っている。春はここで暮らしていたことを思い出そうとでもいうかのように、毎日決まったルーティンを繰り返している。
春の手によってこの家は埃一つなく保たれている。春の視線が、春と祖父が並ぶ写真へと移る。

……約束を先に破ったのはそちらでしょう」
「春?」
……すみません。そのような言葉が思い浮かんだのですが、意味するところはよくわからないんです」
 申し訳なさそうな表情を浮かべる春を見る度に心臓がぎゅっと痛くなる。春はもう、本当にどこにもいないのかもしれない。

 仕事の合間に父と春の状態について話し合った。父は春の状況については母よりは心配している様子だ。
「お義父さんが亡くなってからずっと調子が悪そうだっただろ。管理もこちらに移そうと思っていたしそろそろアップデートをしようと母さんと話していたところだったんだ」
……。それ春に話した?」
「ああ、春自身はどうしたいかも確認したかったしからね。三人で話したよ」
春はなんて?」
「それならもっといい方法を考えましょう、だったかな。春のことだから了承の返事かと思ってたよ」

 春は、アンドロイドを研究していた祖父が初めて完成させたガラクタだ。虚構から生まれた嘘の塊みたいな春のことを祖父は失敗作だと笑っていた。本来ならプログラムした通りのことを行うはずだが祖父が学生の時分につくったAIが元になっており、春の出力は不安定だ。祖父は春のそうした先の読めない言動を気にいっていた。 春は祖父の人生の大半にいた。
 祖父の背中を見て育った母は、祖父の立ち上げたアンドロイドを研究し製作するラボで働き、そこで父と出会った。祖父はもう数年前から隠居をしており、今では研究所は父と母が共同で運営をしている。
 春と初めてであったのは20年は前のこと。僕が物心つく前のことだ。メンテナンスを繰り返しその当時から容貌が変わることはない。従順なアンドロイドと比べると確かに春は失敗作だ。適当な嘘ばかり言って人をからかい楽しそうに笑っているようなやつだ。最悪だ。
 でも。
 いい遊び相手だった。
 何でも話ができる親友だった。
 気の許せる家族だった。

 大昔に春と約束をした。
「ずっと一緒にいてくれる?」
春はいつものように目を細めていた。
「もちろん。あなた方が俺をいつまでもここに留めてくれるのなら、あなたが死んでもずっとここにいてあげますよ」


 そもそも祖父以外に管理できない出来損ないのアンドロイドの中身なんて誰も必要としていない。父はアップロードなんて言っていたけれど、メンテナンスもできずに壊れていくだけの中身を全く違う新しいAIに入れ替えようとしていただけだ。
 春もそれをわかっていた。何の不具合かわからないけれど、大人しく従順な家事手伝いアンドロイドになったのならば、誰にとってもこれが一番良い状態だ。父も母も罪悪感を覚えず春を処分できたんだから。春の言っていた、自分が居なくなるためのもっといい方法はなんだったんだろう。
 
 嘘をついて僕を連れ出しわざわざ落雷に当たること?あの日の天候も春が知らなかったはずはない。あの時、あの瞬間、春は確かに僕を突き放し落雷から遠ざけたんだから。春の考えていたことなんてもう何もわからない。ずっとわかることなんて何もなかった。
 今わかることは、ここに春はもう居なくなってしまったということ。誰もそれを困っていないということ。
 僕だけが、あの春を見ていられない。

今日も、研究室を兼ね備えた祖父の家へと赴く。子どものころから遊び場として訪れていた勝手知ったる祖父の家だ。中庭に備え付けられている物置きにはあらゆる工具が揃っているのを知っている。ほとんどの時間を機械へと向かっていた祖父は、生活にはできるだけ自然を取り入れようなんて古風な暮らしをしていた。暖炉にくべるため木材を切り落とすための手斧を手にして家の中に入る。
 春はキッチンに居た。なにをするわけでもなくダイニングテーブルの前に腰を下ろしている。テーブルの上には祖父の写真が置かれていた。春はじっとそれを見ている。

「ねえ、春」
 真後ろに立ち、かつて春にした質問を目の前の春に問いかける。春は、写真から視線をはがして振り返り、柔らかく微笑んだ。
「出来る限りのことはいたします。しかし現状の技術では、この機械の身体は人間の寿命以上の耐久性は持ち得ておりません」
「ずっとここに変わらず居ることはできないでしょう」

お願いだから。
そんな設定された正しいことばかり言わないでくれ。嘘の一つでもついて。
そんな作られた笑顔なんかじゃない春の笑顔をもう一度見たかった。
「嘘つき」
目の周りが熱くなる。斧を握る腕を振り上げた。
目の前にいる春そっくりのこいつは、絶対に春なんかじゃない。

手にした斧を振り下ろす直前に見えたのは、もう一度見たいと願った目を細め口の端をあげた悪戯ぽいあの笑顔だ。
「はる、」
重みと勢いで刃は落ちる。彼の固い頭部を雷鳴が貫き額を砕いて光がはじけ銀色の金属片が飛び散った。