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来羅
2025-11-01 23:04:36
2550文字
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トワウォ
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猫(風信)
ワンドロライ第16回。
龍捲風の犬がッ、といつもの底の浅い捨て台詞を吐かれて肩を竦めた。
犬で結構。忠誠を誓ったただひとりの男にだけ一途で誠実、彼の命令を聞き、彼のために働き、彼のために生きて死ぬ。
侮蔑的に飼い犬と侮られようが、好意的に忠犬と揶揄されようが、それがどうしたと思う。信一の自認もまた龍捲風の犬だ。
他に気の利いた文句はないもんかね。
そんな呆れた顔すらしていたかもしれない。
だからそのとき、男たちの騒々しさにぴくりと毛を逆立てて路地を駆け抜けていった影に気づいたのは、本当に偶然だった。
香港では珍しくもない、どこにでもいる野良猫だ。黒とグレーの縞模様。瘦せ細った体。煤けた毛並みはお世辞にも美しいとは言えない。そんな、どこにでもいる、猫。
「
…………
ねこ」
猫。ねこ。
城砦にだっている。信一は時折こっそりと餌をやっている龍捲風を知っている。あの人は不思議と猫にも好かれるのだ。彼の周りで寛ぐ猫を、龍捲風もそう邪険には扱わない。さすが俺の大佬。そう思って。
「あれぇ?」
ふいに思い当たったそれに、首を傾げた。
もしかして、もしかしなくて、もしかするのだろうか。
「聞いてんのか、藍信一!」
「うるせぇな、今それどころじゃないんだよ」
ちょっと本気を出して、あっという間に男たちを地に沈め、服の埃を払ってバイクに跨る。城砦まで寄り道せずに飛ばして、目を瞑っていても歩ける路地を駆け抜けた。
「大佬! 大変だ!」
飛び込んだ先、ちょうどまさに、たむろする猫たちへと餌をやっていたらしい龍捲風が振り返った。ぴりっとした空気は、理髪店を営む福祉委員会主幹ではなく、龍城幫の頭目としてのそれだ。
「何が起きた?」
低く問うた龍捲風のサングラス越しの瞳は鋭い。大抵の人間はその眼差しだけで足が竦むのだろう。けれども信一にとっては、いつもの龍捲風とたいした差はない。
「大佬、どうしよう」
真剣だった。心の底から真剣だった。
「俺、猫じゃない!」
叫んだ信一に、龍捲風が意表を突かれて僅か、固まる。
瞬きすること三回。眉間に寄せた皺を指先で揉み解し、長々とした溜め息一回。
「
……………………
信一」
あ、この顔は知っている、と思った。
呆れて果てて、頭痛が痛い、そんな顔。
またおかしなことを言い出したぞと、その滲み出る空気。
「あ、俺、素面だから」
「知ってる」
酔っているわけではないのだ、これは真剣な話なのだとアピールしたら余計に冷ややかな声で返されてしまった。解せない。
「俺の目にも、お前は猫には見えないな」
それでも付き合ってくれる龍捲風は、軽く手を払って赤い格子戸を閉めた。そうして話はこれで終わりだと言わんばかりに、店の片付けに戻る。だからその手にした箒を受け取って正面に回り込んだ信一に、今度はわかりやすく龍捲風が邪魔だと告げた。が、諦める信一でもない。
「だって、大佬、猫好きだろ?」
「嫌いではないな」
「でも俺は猫じゃない」
「そうだな」
「どうしよう!」
どうもしない。それがどうした。
龍捲風の顔に書いてある。この一大事が伝わらないもどかしさに地団太踏みたい気持ちで、信一はぐっと顔を寄せる。
「俺は犬でいたいわけ!」
「
………………
信一、四仔のところへ行け」
「俺は正気だって」
「何が言いたいのかさっぱりわからん」
「だからさ」
猫は可愛い。確かに、可愛い。
その気紛れな気高さも、一匹で生き抜く強さも、普段はつんと澄ました顔でそばに寄ってきてはくれないくせに、たまにデレてくれるところも可愛い。わかる。十分にわかる。
けれども信一はそういったところをちっとも、少しも、全く、持ち合わせていないのだ。
気紛れとは反対の堅実性を重視しているし、そもそも城砦育ちで気高さも何もあったものじゃない。龍捲風がいないと生きる意味など見いだせないし、龍捲風を前にしてつんと澄まし顔で冷たくするなど無理な話だ。それにたまにではなく、常にデレている。だって龍捲風と一緒にいるのに、ツンツンするなんて時間が勿体ないではないか。
だから、それなら、そうだとしたら。
「俺、可愛くないのかも!?」
大真面目に言った信一に、龍捲風は瞠目してまた深々と溜息をついた。
龍捲風は猫好き。
城砦内ではよく言われることではあるし、まぁ、否定はしないことでもあった。なぜか好かれる猫たちを構っている時間は癒されるし、意外と言葉が通じるところも悪くない。何より、猫はネズミを捕る。病原菌を運ぶネズミは狭くて汚い城砦においては最大の敵だ。奴らの運ぶ病原菌によって厄介な何かにひとりでも罹患すれば、あっという間に城砦中に広まって壊滅状態になるだろう。福祉委員会主幹として、ネズミは大敵だった。そのネズミを捕り追い払ってくれる猫は、だから、必要不可欠な存在なのだ。皆が思っているような、信一が誤解しているような『好き』の意味ではない。
当然ながら、猫っぽい特性と人間の性格は別問題だ。
「信一、信仔、いい子だからもう黙れ」
信一の突飛な行動には慣れたつもりで、まだまだ甘かったらしい。龍捲風は落ち着くためにポケットから出したウィンストンに火をつけ、深く吸い込む。
黙れ、と言われて不服そうながらも信一は口を閉じている。龍捲風の次の言葉を待っている。
なるほど、犬か、と思ったら笑えてきた。
まったくもって、この愛し子の思考回路は複雑すぎて飽きが来ない。
「信一」
「はい」
「俺の恋人は確か人間だったはずだが、違うのか?」
恋人、の一言にないはずの耳がピンと立ったのが見えた気がした。目を輝かせて違わないと叫んで飛びついてきた信一を抱き留めて、やれやれと肩を竦める。
「お前にも餌をやろうか?」
「それより大佬が欲しいなぁ」
「餌は俺か」
「だって俺は猫じゃないからね」
にゃぁん、と甘く鳴いてみせた信一が、喉を鳴らして頬を緩める。その喉をくすぐって紫煙を吹きかければ、気持ちよさそうに目を細める様は猫に似ていなくもなかった。
犬で、猫で、なんの立場も欲しがる龍捲風の恋人は、今日もその腕の中という一等席で幸せそうに笑う。
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