ugatuno
2025-11-01 22:55:28
2706文字
Public 二次小説
 

その心臓は世界のかたち 2話


 
 最初にそれが起きたのは、体育の持久走のあとだった。
 何百メートルも走るタイプではない。ジンペイにしては、珍しくペース配分を気にしながら最後尾から数人目でゴールした。
 「……だっるぅ~」
 そう言いながら、ふらつく足を誤魔化すように笑って、そのままコマくんに寄りかかってしまいそうになる。
 「ジンペイくん? 顔色、ちょっと悪いよ……
 「えっ、そっかなー? いやー、体育で全力とか久々すぎてさ。ていうか俺って元々、持久力ないんだよね~!」
 軽口で返す。やや大ぶりなジェスチャーで手を振り、少しだけ肩で息をした。
 ——胸が、重い。鉛の塊を押し込まれたみたいに、ずっと、内側に圧がかかっている。
 (……なんだこれ)
 でも、そんな違和感すら『無意識の演技』で押し流されていた。呼吸を整えながら、なんとなく視線を動かす。
 「……ねえ、コマくん」
 「うん?」
 「俺さ~、最近変な夢ばっか見んだよね」
 唐突に話を逸らした。話題を切り替えるスピードだけは、誰にも負けない自信がある。
 「夢?」
 「そう。なんかさ……妙にリアルで、でも途中から、自分が自分じゃない……!みたいなやつ」
 「えっ、怖……
 「でさ、昨日のは——
 くだらない夢の話を続けながら、ジンペイは、誰にも見えない位置でシャツの上から胸元を押さえていた。
 (……さっき、一瞬……ギュッて、掴まれたみたいだった)
 呼吸が浅くなる。けど、それも喋りながらテンション上がった風に見せかけて、笑いに混ぜた。
 
 体育の授業が終わったあと、簡単に着替えを済ませて校舎に戻る。
 コマくんと一緒に、教室へ向かう廊下を歩いていた。
 「それでさ、ラントくんがさ……『そうじゃない、ここはこうだろう』ってまた割り込んできて——
 コマの声が、隣でふわふわと響いている。
 ジンペイは、歩きながら相づちを打っていた。
 「まーた会長やってんなぁ~」
 口調はいつもどおり。テンポもいつもどおり。
 だけどそのとき——ふいに、視界がゆらいだ。
 目の前の風景が、ほんの少しだけ遠ざかった気がした。
 (……あれ?)
 耳鳴りとまではいかない、でも確かに周囲の音が一瞬、くぐもった。
 「——ん? ……で、どうしたんだっけ?」
 自分で言いながら、ジンペイは内心ちょっとだけ焦った。
 (ちゃんと聞いてたはずなのに……
 (いつの間にか、話の内容が抜けてる)
 「ジンペイくん……今、ちょっとぼーっとしてた?」
 コマが、ほんのり首を傾げる。
 「えっ、してないよ?」
 平然とした顔を装って受け流す。でも、ポケットの中では手がぎゅっと握られていた。

 

 
 部屋の電気はつけたまま、ジンペイはベッドに倒れ込んでいた。
 特に理由はない。宿題はとっくに放り投げて、歯も磨いた。
 寝るには早いけど、やることもない。そんな、どこにでもある夕刻だった。
 ただ、今日はなんだか、身体がだるかった。
 (……んー、走り回りすぎたか?)
 枕に顔を押しつけたまま、ぐるりと体勢を変える。
 窓の外では、商店街の灯りがオレンジ色にまたたいている。
 ――そのときだった。
 「……ッ」
 唐突に、胸の奥がギュッと縮まった。
 掴まれるような——でも、ズキンとするのとは違う。
 もっと、鈍くて重たい感覚。
 思わず、胸に手を当てる。でも、痛いというほどじゃない。
 「……なんだよ、これ」
 口に出してみても、答えは返ってこない。
 部屋には誰もいないし、その違和感はすぐに引いてしまった。
 けど、それが、かえって不気味だった。
 (……これ、前にも……あったっけ?)
 ああ、そういえば、持久走のときに……
 でも、あれはきっと疲れてただけのはずで。
 ——ただ、最近なんとなく、体力がすぐなくなる気がする。
 放課後に友達と話してると、ちょっとだけ息が続かなくなるときがある。
 妙に暑くて、でも熱はないような感覚。
 (でも、それって……それも、気のせい、だよな)
 「よしっ」
 無理に明るい声を出して、ジンペイはベッドから起き上がった。
 わざと、伸びをする。わざと、大きなあくびをしてみる。
 「なんか飲も!」
 もう気持ちを切り替えた。さっきまでのことなんて、気にしなくていい。

 ——坂道の途中にある、古びた自販機。
 白と青の明かりが、薄暗くなりかけた空にぼんやり浮かんでいた。
 「……あー、なんか甘いの飲みたいかも」
 独り言のように呟きながら、ジンペイは制服のポケットから小銭を取り出す。
 キン、と指先に触れる冷たさ。けれど、それはいつもの冬の日常。
 手慣れた動作でボタンを押し、取り出し口から缶を引き出す。
 「っと……
 缶に触れた瞬間——思ったより、冷たい。
 (……あれ?)
 今まで何度も寒い季節に缶ジュースを買ってきた。
 でも、こんなに指がびっくりする感じだったっけ?
 (……冷たすぎ、ってわけじゃ……
 そのまま、プルタブを開けて一口。
 飲み込むと、冷えた液体が喉を通って——そのあと、胸の奥がじんわりと重くなった。
 (……あ?)
 ほんの数秒だけ、心拍がズレたような感覚。
 けど、すぐに元に戻った。
 「……やっぱコレ、甘すぎたかも」
 そう言って笑ったけど、その笑いはちょっとだけ間延びしていた。
 缶を持つ手を、自然と反対の手で包み込む。
 寒いから、というより——なんとなくそうしたくなっただけ。
 (……風邪気味……かな?)
 そう思いながら歩き出す足取りは、少しだけゆっくりだった。
 
 
 「…………
 重たいまぶたを、指の腹でこすった。
 視界がにじむ。
 カーテンの隙間から、もう夜が始まっていることに気づく。
 部屋に戻ってきてから、うたた寝していたらしい。
 体の下でぐしゃっとなった毛布を引っ張りながら、上体を起こす。
 その瞬間——
 「あっ……
 視界が、わずかに傾いた。
 頭が浮いて、胸の奥がギュッと縮む。反射的に手をついてバランスを取る。
 息が一瞬詰まりかけて、背筋に冷たい汗が走る。
 (……うわ、立ちくらみ……?)
 ほんの数秒。けれど、それが妙に長く感じられた。
 「……いや、寝過ぎただけ、だよな」
 いつもならすぐに立てるのに、今日は、足に力が入りづらい。
 変な体勢でうたた寝して、寝返りがうまく打てなかったせい。
 そんなふうに、ジンペイは自分に言い聞かせた。
 けれど、胸にかかる違和感だけは、ずっとそこにいた。