ugatuno
2025-11-01 22:54:58
2560文字
Public 二次小説
 

その心臓は世界のかたち 3話


 校舎の外階段。
 昼休み、風の通り抜ける静かな場所で、ラントは一人ベンチに座っていた。
 タブレットを手に、書類を確認していたが——ふと、校庭のほうへ目を向ける。
 グラウンドに、ジンペイの姿が見えた。
 いつも通りに笑って、おどけて見せて、走り回っている。
 ……ように、見える。
 ラントはほんの一瞬、眉を寄せた。
 (……あいつ、最近……少しおとなしいな)
 そう思ったのは、これで二度目だった。
 廊下ですれ違ったとき、以前なら必ずひとこと茶化すような軽口を飛ばしてきたのに、ただ目を合わせてスルーしてきた日があった。
 戦闘後の報告会でも、「ここのタイミング、ちょっと雑だったぞ」と言ったら、以前なら「いや~俺も完璧じゃねーからな~☆」などとでも返すところを、「うん……気をつける」だけで終わった。
 (……疲れてるだけ、か?)
 そう考えて、一度は思考を切り離そうとした。
 でも、遠くのジンペイが、誰も見ていない隙にふと膝に手をついた、その動作。
 ラントの目が、わずかに鋭くなる。
 (……違うな)
 (元気に振る舞ってるのが、どこか嘘っぽい)
 ただし、まだ確証はない。詰めるには、情報が足りない。
 (それに——あいつのことだ。何かあっても、誰にも言わない)
 ラントは立ち上がった。タブレットを閉じる。
 (だから……気づいたことを言うより、黙って見ておく方が正しいときもある)
 (今はまだ、そのときじゃない)
 でも、風の向こうで笑うジンペイの姿が、どこか遠くに感じられたのは——たぶん、気のせいじゃなかった。
 


 夜。
 部屋の明かりを落とし、ベッドに横になってから、もう一時間は経っていた。
 眠れない。目を閉じても、耳に残っているのは、一定じゃない、自分の心臓の音だった。
 (……また、ズレてる)
 (さっきからずっと……どくん、って跳ねるのが変なとこで来る)
 先ほどまであった吐き気はおさまっていた。
 でも、代わりに——胸の奥が、じわじわと冷たくなる感覚。
 息を吸うたび、中から押し返されるような違和感。
 呼吸がしづらいことに気づいて、一度、わざと息を止めてみる。
 けれど、思ったよりも早く限界がきて、慌てて吸い込んだ空気が、喉に引っかかった。
 (……これ、普通じゃないよな)
 (……もう、さすがに)
 布団をぎゅっと握る。その動作すら、少ししんどい。
 (……隠すのキツい、かも……
 頭のどこかで、そう思ってる自分がいた。でも同時に——口に出すのが、怖かった。
 「……だれかに、言ったら……
 声にならない声が、喉の奥でこぼれる。
 (いつもの自分じゃなくなる気がして)
 (もう、戻れなくなる気がして)
 静かに、横を向いた。目を開けても、天井は見えない。
 その代わりに、何もない暗闇が広がっていた。
 (こんなとき……父さんだったら、どうしてたんだろ)
 (母さんは……どんな顔してたんだろ)
 痛みが強くなるわけじゃない。でも、どこにも逃げられない。
 明日になれば、またいつも通りを演じられるかもしれない。でも、今だけは。
 「…………
 声を出すかわりに、ジンペイは静かに目を閉じた。
 布団の中で、身体を小さく丸める。
 それが、今の自分にできるいちばん大きな“助けて”のかたちだった。
 
 

 ——数日後、夕方。グラウンドのざわめきが遠ざかっていく。
 ジンペイは人気のない体育館裏に、そっと足を運んでいた。
 誰にも用事は言っていない。特別な理由もない。
 ただ、誰もいない場所が必要だった。
 (……マジで、今日は……ちょっとキツかった)
 壁にもたれて、ゆっくりと息を吐く。
 喉の奥が乾いていて、吸う空気が、少しだけ刺さった。
 「……はぁ……っ、はぁ……っ」
 深く吸えない。吐くたびに胸の奥が引きつる。
 (バレてない、よな……
 (あれぐらい、大丈夫に見えたはず)
 (俺は——『いつも通り』だった)
 そう、自分に言い聞かせながら、ジンペイは制服の襟を軽く引っ張った。
 身体が熱をこもらせていて、呼吸がうまく通らない。
 ふと、ポケットの中にあったキャンディをひとつ口に入れる。
 甘さでごまかす。
 それが、自分をいつものジンペイに戻す儀式みたいになっていた。
 (今日一日、何とか保った)
 (それで十分)
 ほんの少し、うつむく。その目に影が差した。
 けれど、誰にも見られていないから——その顔を、作り直す必要はなかった。
 風が吹いた。
 制服の裾が揺れて、ジンペイの髪がふわりと浮いた。
 「……あともうちょっと。ちゃんと動ければ、問題なし」
 そう呟いて、再び息を整えてから立ち上がる。
 何事もなかったような足取りで、ジンペイは教室へ戻っていった。

 

 教室のドアを閉めて、ジンペイは廊下へ出た。
 誰もいない放課後。窓の外は、すでに薄暗い。
 「……ちょっと、走って帰れば間に合うな」
 そう言って、階段へ向かおうとした。でも——その一歩目が、重たかった。
 (……あれ?)
 身体がついてこない。
 心臓が、ドク、ドク、と急に跳ねた。
 (なんで……?)
 まだ、何もしてない。走ってもいない。たった数歩、歩いただけなのに。
 「…………
 息が、途中で詰まった。無意識に胸を押さえる。
 「……く、そ……っ」
 誰もいない廊下に、小さな声が落ちた。
 その場にしゃがみ込むのは、ちょっと悔しくてできなかった。
 だから、壁にもたれて、ただ目を閉じて——何度も、深呼吸を試みた。
 でも、吸うたびに胸の奥が重苦しい。
 「……っ」
 心臓がうまく動かない感じがする。胸の奥は冷たいのに、背中が熱い。
 首筋を汗が伝う。
 (……いや、これ、……ほんとに……
 はじめて、心のなかで言葉が止まった。
 〝たぶん、ほんとにマズい〟
 でも、声には出さなかった。出したら、もうヒーローではなくなってしまう気がした。
 しばらくして、ようやく落ち着いた心拍と呼吸を確認して、ジンペイは、ふらりと立ち上がる。
 誰かに見つかっていないかを気にしつつ、足取りは、いつもより慎重だった。