ひじり
2025-11-11 00:00:00
7106文字
Public 大新 小説
 

御祝と感謝とそれから

大新。全ルートクリア後推奨。
新橋さんの誕生日を祝う大崎さんの話。
※大家さんと大学生を捏造しています。

――昭和三十一年十月二十六日 金曜日
 自分は今非常に焦っている。新橋さんの誕生日を二週間前に控えているが、肝心のお祝い内容が決まっていないのである。自分の使い道のなかった貯金は充分にあるが、使わなかったということは使い方も知らぬということだ。何を用意し何を贈れば新橋さんは喜ぶのだろう。大事なのは気持ちなのだとわかってはいるのだが、それはそれとして新橋さん本人に見劣りしない物を贈りたい。外出する度に眺める店先の品々に新橋さんを重ねてみても、どうにも納得のいく物に出会えないのだった。

 今までの経験した誕生日を思い返してみる。そもそも自分は、誕生日というものが好きではなかった。自分の生まれを知ったあの日から、その思いはより一層強くなった。本当は生まれてはいけなかったのではないかと、本当は望まれてなどいなかったのではないかと、両親と祖母の死が重たく重たくのしかかるのだった。それでも新木場さんは、半ば自分の気持ちを無視するように誕生日を祝い続けた。『緋色君、生まれてきてくれてありがとうございます』と、必ず目を見て祝ってくれた。その産湯のような優しさが嬉しくも、自分には足の着かない水中のようにも感じられたのだった。新木場さんはそのことも承知していたようで、毎回のお祝いは控え目にしてくれていた。
 その常識が覆されたのは、ついこの間、新橋さんとの初めての誕生日のときだった。
『俺はあなたのことを何も知りません……。あなたがどこかへ行ってしまったら、もう追いかけられません』
 新橋さんが涙を流しながら伝えたその言葉は、確かに彼の本心であった。新橋さんは事あるごとに自分を知ろうとしていた。食の好みから起床時間に至るまで、自分に付随する情報ならば何でも貪欲に食らいついた。あの日も、丁度知ろうとしてくれていたのだろう。
『そう言えば、もう誕生日は迎えられたのですか』
『いえ』
『それでは今年で二十八ですか』
……、新橋さん。すみません、そのことについて訂正したく』
『は?』
『あの島では台場静馬を装っていたので、二十八になるのは台場静馬です。自分は十月十日で二十三になります』
『何故そのような大事なことを先におっしゃらないのですか! 素性を隠して、すぐに俺を捨てられるおつもりでしょう!』
 それから飛んできたペンナイフを避け、暴れる新橋さんを押さえ、頬を濡らす新橋さんに自分の身の上を話すことになった。新木場緋色という名前、火傷の理由、そして、生まれた経緯。折を見て話そうとは思っていたが、新橋さんにとって、自分について知らないことがあるというのは耐え難いことであるらしかった。だから、先延ばしにするよりも、今この場ですべてを打ち明けるべきだと思ったんだ。新橋さんは自分の話を神妙な面持ちで最後まで聞いてくれた。話し終わるころには彼の涙も乾き、落ち着きを取り戻していた。
『十月十日は俺に祝わせてください。あなたのお養父様へのご挨拶も兼ねて、料亭で食事をしましょう。大崎様、お養父様のご都合を聞いておいてくださいますか。ああそれから、来週の日曜日は出かけますのでそのつもりで』
 矢継ぎ早に伝えられた連絡事項もとい予定は、そのまま実行へと移された。新橋さんに連れられていかにも高級そうな店に入り、自分は何もわからぬまま大人しく採寸された。『仕立てには最低でも一ヵ月はかかります。誕生日には間に合いませんが、よろしいですね?』と肯定の返事以外返しようもない質問をされ、有無を言わさずに自分の誕生日プレゼントは決まったのだった。誕生日当日は、新橋さんの予約したこれまた高級そうな料亭で食事をした。『新橋と申します。緋色様とは八月よりお付き合いをさせていただいております』といつも以上に畏まった新橋さんに、新木場さん――父さんは『最近、土曜日になると緋色君は浮足立っているんですが、そうでしたか。緋色君のこと、末永くよろしくお願いしますね』と柔和な笑みで返した。それでは婚姻ではないかとも思ったが、今更新橋さんを放してやる気もないし、訂正はしないでおいた。
 翌日も仕事であるから酒は飲まなかったが、それでも自分は心地良い酔いを感じていた。運ばれてくる料理の美味しさも、新橋さんと父さんの仲良さげな会話も、すべてが自分の誕生を祝ってくれていた。勿論、今まで培われてきた希死念慮がそう簡単に消えるわけではないし、自分の出生に対する負い目は未だ感じている。それでも何故か、あの日の誕生日は自分の生きる糧になっていた。

 新橋さんにとって、誕生日とはいかなるものなのだろうか。彼も自分と同じように誕生日を嫌っているのならば――否、自分はもう誕生日に対して暗い感情は抱いていないが――自分も新橋さんの生きる糧になりたいと思った。自分に祝われるためだけにも、誕生日を待ち望むようになってほしいと。今の自分がそうであるように。
 階下から小刻みな音が聞こえる。微かに香ばしい匂いも漂っている。ふと、食事は自分がつくってみてもいいかもしれないと思った。自分のつくったものが新橋さんの血肉となるのだ。精神的な生きる糧となるだけでなく、肉体的な生きる糧となる。それならば、まずは料理を学ばなければならない。塩すら自分は所持していないのだ。炊事場を覗けば大家さんの後ろ姿があった。夕食の献立は味噌汁、白米、ほうれん草のお浸し、魚の煮つけといったところか。
「あら、大崎さん」
「ご支度中にすみません」
 大家さんは「大丈夫ですよ」と微笑んだ。
「お食事はご用意しなくてよろしかったです?」
「はい。外で済ませました。……折り入ってお願いがあるのですが、料理を教えていただくことはできますか」
 自分は、恋人の誕生日に料理を振る舞いたいこと、料理の経験がないので料理上手の大家さんに教わりたいことなどを伝えた。大家さんは何故か嬉しそうで、好きな食べ物や味付けはわかるか、誕生日はいつ頃かなどを質問された。
「お誕生日まで時間がないですし、何か一品決めてつくりましょうか」
 隣人の大学生は彼女の用意した食事を食べていた。彼女も並んで食事をしているが、箸を持つ手は完全に止まっている。自分は湯飲みを片手に同じ机を囲んでいた。こうやって三人で顔を合わせるのはいつぶりだろうか。
「炊き込みご飯とか」
 大学生は小さく呟いた。大家さんは炊き込みご飯、と繰り返した後、魚の煮つけを一口食べた。咀嚼している最中に何か思い浮かんだらしく、急いで飲み込んで「そうだわ!」ときらきらした眼差しを自分に向けた。
「鯛めしはどうかしら! 鯛だからお祝いにもぴったりですし、お吸い物を添えるだけでも立派な献立になりますよ!」
「鯛めし」
「明日の夜は大崎さんいらっしゃいますよね? お手本で私がつくりますから、それを食べて決めてみてください」
「ありがとうございます」
 洗い物の手伝いをしてから自室へと引き上げる。一つ、新橋さんを祝う方法が決まった。それに即して、新橋さんの家にある調味料や調理具を確認する必要が出てきた。ここで料理をする方が楽ではあるが、他人の目があるからきっと彼はくつろげない。道すがら必要なものを揃えることも考えたが、土鍋を両手に「お邪魔します」と戸をくぐる自分を想像してやめた。


――昭和三十一年十月二十七日 土曜日
 翌日、自分は夕食を食べずに帰路についた。下宿先では大家さんが鯛めしとキャベツのすまし汁、茄子の揚げ浸しを用意してくれていた。三人で机を囲み手を合わせる。大学生は茄子が好物らしく、大変美味しそうに頬ばっていた。あまりにも美味しそうに食べるので、「自分のも一つ食べますか」とつい声をかけた。彼は「ありがとうございます」と、誰かに似た笑みで受け取るのだった。鯛めしは上品な味わいで美味しく、山椒や生姜とともに食べるとまた違った表情をみせるのも良かった。キャベツのすまし汁と茄子の揚げ浸しもいい組み合わせだ。もはや、誕生日当日はこの献立を採用したいくらいである。
「お口にあいました?」
「とても美味しかったです。あの、できれば今日の献立をつくってみたいのですが」
「あらあら。それなら大崎さん、月曜日から練習しましょうか。手順は紙にも書いておきますから」
 大家さんはやはり嬉しそうだった。


――昭和三十一年十月二十八日 日曜日
 鎌倉駅には黒いシャツに黒いネクタイを締めた新橋さんの姿があった。紫煙にじゃれつかれた様子からして、彼は待ち合わせの時間よりも早くに到着していたようだった。
「ごきげんよう」
「おはようございます。待たせてしまいましたか」
「俺が勝手に早く来ただけです」
「自分もはやく会いたかったです」
「俺は会いたかったなどとは一言も申しておりませんが!?」
「すみません。自分の勘違いだったようで」
「で、ですから、すぐに謝りたもうなと何度も。……それと、会いたくなかったとも申してはおりません」
 ふいと横を向いた彼の耳は、赤く染まり始めていた。指摘すれば寒さのせいだと言い逃れるだろう。昨日今日と朝晩は冷え込んでいるから、そんな嘘でも罷り通ってしまう。新橋さんはそのまま歩き出した。向かう先はわかっている。先月の二十三日にも訪れたブティックだ。スーツが仕立て上がったと新橋さんのところに連絡があり、今日はその受け取りをする手筈だった。自分は新橋さんの左側に並んで歩いた。
「何故わざわざそちら側を歩くのです」
「眼帯では見づらいかと思いまして」
「気遣いは無用です。二十二年もこの生活をしているのですから。それに、貴様が迷子になったときに初動が遅れては困ります」
 新橋さんは悪魔のように笑い上げた。相変わらず素直じゃないが、そういうところも可愛いらしいと思う。自分は素直に右側へと移動した。彼は一瞥をくれた後、満更でもなさそうな顔で正面へと向き直った。
 ブティックに着いたのは開店時間と同時だった。自分は店員に言われるまま早速スーツを試着させてもらった。新橋さんは入念に仕上がりを確認し、「申し分ございません。貴店にお頼みして正解でした」と紳士然と店員に返した。それからスーツの手入れの仕方や扱いの注意点について説明を受け、折角ならということでこのまま着て帰ることにした。自分の身の丈に合わないような値段のスーツを着ているからか自然と背筋が伸びた。馬子にも衣裳になっていないかと不安だったが、窓ガラスに反射する長身の男はしかしどこか誇らしげで、自分のためだけにつくられた一着は内面から自分を変えてくれるような気さえした。
「あれほど駄々を申しておりましたのに、随分とお気に召したようで」
「はい、ありがとうございます。……新橋さん、似合っているでしょうか」
「俺がオーダーしたのですから当たり前です」
 新橋さんは得意気に鼻を鳴らした。――自分も、これだけ自信をもてる誕生日プレゼントを贈りたい。新橋さんの誕生日は刻一刻と迫っていた。


――昭和三十一年十一月八日 木曜日
 人探しの依頼のために十時頃より外出していたが、とんとん拍子に事が進んだため、昼時には新木場探偵社へと戻っていた。
「お昼はどうしましょうかねぇ」
「そろそろお昼っすもんねー」
 十二時を告げる音が鳴り響き、昼休憩のために各々が伸びをする。新木場さんは「決まりました! 僕はうどんにします」と独り言ちて身支度を始めた。品川君は「じゃあジブンはぶっかけにします」と新木場さんに倣って上着を羽織った。近所にある馴染みのうどん屋で昼を済ませることが確定した。自分はいつもざるを頼むが、今日は別のメニューを頼んでみたい気分だった。「では、自分はきつねを」と零すと、二人の視線が一挙に自分に集まった。
「先輩、いつもざるですよね?」
「新しいことへの挑戦も必要かと思いまして」
……なにか心境の変化でもあったんすか? たとえば、恋人ができたとか」
 品川君の観察眼は鋭い。新木場さんは朗らかな笑みを浮かべている。自分は「今度紹介します」とだけ返して、先に探偵社を出た。後ろから品川君の悲鳴にも近い声が聞こえる。きっとうどん屋では質問攻めを受けるだろう。それすらも何だか楽しみで、心なしか足取りは軽くなっていた。

 うどん屋では案の定、品川君からのおびただしい数の質問に攻められることになった。一部は正直に答え、一部ははぐらかし、よく出汁の染みたおあげを堪能した。
 料理を学ぶようになってから食への関心が出てきたように思う。少しでも美味しいものを提供しようと練習するうちに、他の料理がどのように美味しくなるよう工夫しているのか、分析を試みるようになっていた。たとえ分析はできずとも、新橋さんが美味しいと笑ってくれるならと、自分は食事に対する認識を改めつつあったのだった。

 探偵社へと戻った後は、通常通りに業務を再開した。自分はどこの店も昼休憩を終えたであろうタイミングを見計らって、再び外出していた。不足しがちな消耗品を買い足すためであった。文具屋と日用品店は別の通りにあるから、少し歩く必要がある。食後の運動も兼ねてちょうどいいだろう。自分は品川君から買い足してほしいと頼まれたものを順繰りに買い求めた。
 粗方購入が終わったところで、ふと、いつもは素通りする雑貨屋に目が留まった。店先に並べられた装飾品は、どれも太陽の光を受けて輝いている。その中に一つ、何故か目の離せないペンダントがあった。銀色の楕円形をしたそれは、額縁のような薔薇に猫が囲まれている様が精巧に彫り出されていた。ロケットペンダントらしく、開けば両面に写真が収められるようになっていた。自分は迷わずにこれを購入した。あの日、新橋さんは肌身離さず持っていた宝物を自分に譲ってくれた。今も胸ポケットには祖母の写真の入ったペンダントがある。だが、今この時、彼の胸ポケットには何もないのだ。このペンダントが新たな宝物になってくれれば。自分は願いを込めてペンダントをしまった。


――昭和三十一年十一月十一日 日曜日
 誕生日当日。予め新橋さんには夕食をつくりたい旨を相談し、食材を買ってから彼の家を訪ねた。
「痛みそうなものは冷蔵庫にお入れください」
 この家には物珍しいものがいくつかある。この冷蔵庫もその一つだった。自分が鯛をしまう横で、新橋さんはせっせと珈琲を注いでいた。いつも通りの日曜日だ。
 二階の椅子に腰を下ろしたところで、自分は漸く本題を切り出した。
「新橋さん、お誕生日おめでとうございます」
 新橋さんは決まりが悪そうに猫を撫でた。
「そのスーツ、身に付けて下さっているのですね」
「新橋さんからの贈り物ですから」
 「そうですか」と小さく返した彼の頬は赤らんでいた。自分は一拍置いてから、言葉を続けた。
「自分からもプレゼントがあるのですが、今渡してもいいですか」
「? どうぞ」
 鞄の中には長方形の箱が入っている。それを取り出して彼の前に置き、「あなたの心の支えになれば」と付け加えた。新橋さんは恐る恐るといった様子で懇ろに箱を持ち上げ、その蓋を開けた。あの日と同じようにペンダントは一際眩しく輝いている。その彫刻の細やかなるを指でなぞって、細心の注意を払って彼はロケットを開いた。そこには何の写真も入っていない。新橋さんが一番良いと思う写真を入れてほしかったから、敢えて何も入れないでおいたのだ。新橋さんは見開いた眼をすぐに戻し、やおら立ち上がった。
「大崎様、今すぐ写真館へ行きますよ」
 新橋さんの声からは、それが既に決定事項であることが察せられた。
「今からですか」
「当たり前でしょう。大崎様もそのつもりでスーツを着てきたのではないのですか」
 図星である。自分は何だか恥ずかしくなって急いで立ち上がった。新橋さんは「存外可愛いらしいところもあるのですね」と笑っていた。自分には到底似合わないであろうその言葉も、今はその通りである気がした。自分は、今日という記念の日を、写真に収められればと思っていた。そうすれば、何十年経ったとしてもあの日はこんなだったと笑い合える気がしたから。

 写真館で写真を撮った後、新橋さんは「カメラを買おうと思います」と言った。
「あなたには水彩画という手段がございますが、俺にはこの景色を見返すための手段がございません」
 「猫を連れてくるわけにもいきますまい」と彼は笑った。カメラは高級品であるが、新橋さんにとってそんなことは関係ないのだろう。それよりも、自分とこの先も同じ道を歩んでくれるのだと、未来を語る彼の姿が嬉しかった。二人のアルバムをつくるのはどうか、毎年写真を撮ってはどうかと話は弾み、二人して皺の増えた互いの姿を想像しては笑った。自分の祖母も、新橋さんのお祖母様とこんな風に笑いあったのだろうか。
 夕飯は予定通り自分が振る舞った。練習の甲斐もあり、味も見栄えも良いものができた。新橋さんは大層驚いていたが、おかわりもしてくれるほど美味しかったらしい。「来年のあなたの誕生日には俺が振る舞いましょう」と言うので、「では自分も」と約束を交わした。食後は二人で食器を片付け、酒を飲み、交わった。

 新橋さんは片面に自分との写真を、もう片面にはおおさきさんとたかなわさんの写真を入れた。今も、二人の胸にはあたたかなロケットペンダントがある。