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史加
2025-11-01 08:30:40
3107文字
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原神(鍾タル)
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骨も溶けるまでは愛せないが
鍾タル/こだわりという名の面の皮が厚い先生とそれを剥ぎたいタルタリヤの話
ひどい男だ。
肌触りの良い毛布で包まれ、さらにその上からたくましい腕に抱き締められた状態で、タルタリヤは唇を尖らせていた。
汗と砂埃で汚れた身体を綺麗にし、ほのかに匂い立つように香膏を手首に塗って。花街の女たちのようにけばけばしくはないけれど、純粋無垢というには無理がある程度の色香を纏い、夜も深まり始めた頃に家を訪ねたというのに、どうして上手くいかなかったのか。どう考えたって夜のお誘いとして百点満点の振る舞いをしたはずなのに、鍾離という男はタルタリヤの演技に見惚れてそのまま流されるでもなく、ただ穏やかに微笑んで寝支度を整えた。服は脱がされたけれどすぐに寝間着を着せられたし、手首に塗った香のにおいも毛布に染み込んだお日様のにおいで上書きされている。燃えるような熱に浮かされるはずだった身体はぽかぽかと温かくて、そのどれもが悔しい結果だった。
とん、とん、と幼子を寝かしつけるように、一定のリズムで鍾離がタルタリヤの背を優しく叩いている。大きく温かな手の感触が恨めしい。今日は鍾離の目に美味そうな据え膳として映るよう、しっかり下ごしらえをしてきたというのに、この男、恥をかいてもいいと思っているのだろうか。
ぐるぐると考えているうちに意識が溶けて夢の海へと流れ出していきそうになる。これではいけない。胸の奥で焦げ付く悔しさと腹立たしさをなぞりあげて、タルタリヤは首を横に振った。
その動きも鍾離には幼子がまだ寝たくないと駄々をこねているようにしか見えないのだろう。ふ、と笑みを深める息遣いがして、殊更優しく抱き締められる。
「また別の日に相手をしてやるから、そうぐずるな」
「あのこだわりの強い鍾離先生が食べごろの見極めを誤るなんて、ずいぶんと耄碌したんじゃないか?」
「何を言う。最も美味い時期と食べ方を知っているからこそ、今日は手を出さないことにしたんだ」
タルタリヤの言い分にいけしゃあしゃあと返す鍾離が折れる気配はない。今宵はきっと何を言っても、どう仕掛けても傷ひとつつけることなんて出来ないのだろう。敗北を認めるのは癪だが、ここまでくると勝ち目がないのも明らかだ。ならば本日は勝ちを譲ってやり、次の好機に備えるのが賢いやり方に違いない。
くそ、と悪態をついて身体の力を抜く。途端に重力に逆らえなくなったまぶたが落っこちてきて、タルタリヤの視界を狭めていった。わかっていたことだけれど、それでもやっぱり悔しい。鍾離という真綿に包まれると、兵器として生きる自分の呼吸の仕方をほんのいっときだけ忘れてしまいそうになる。武人が決して忘れてはならない、大切なことだというのに。
「
……
ずっと」
ぽつり、と言葉が零れた。
「ずっと、会いたかったんだ」
纏いこんだ情欲の奥にひそめていた、他愛のない願いだった。
「やっと休みが取れたから、出来る限り先生と一緒にいたくて。そういうこともずっとしてなかったから、したくて。だから準備してきたのに、本当に、いいのかい」
先生だって、したいんじゃないの。
最後の悪あがきで尋ねても、すっかり角が取れて丸くなったタルタリヤの声では、盤石の理性を揺るがすことなんて出来ない。
背を叩いていた鍾離の手が持ち上がり、タルタリヤのかたちの良い後頭部を撫でる。少し伸びた前髪を指先で払い、眠たげな色をしている目のふちに口付けた。
「わかっている。だからこそ今日はしない」
「
……
この、ろくでなし」
「ははっ
……
だがそんな男に会いたいと思ったのは、他ならぬお前なのだろう?」
「
……
そうだよ。ああもう
……
くやしいなあ
……
」
呻くように呟く間に、タルタリヤの視界は真っ暗になっていた。
鉛のような気怠さが身体に纏わりついている。指一本動かすのも億劫なほどの強烈な疲労感と眠気に襲われては、もう一度目を開けようという気になれない。それでいいと言うように抱き締めてくる鍾離のすべてがすきで、そんなふうになっている自分が信じがたくて、けれどもう、今日はどうでもよかった。
次は絶対に、その神様の皮を剥いで奪ってやる。
刹那の安寧に意識が落ちる直前に思ったのは、ただそれだけだった。
遠い冬国で生まれ、氷の神に忠誠を誓い、兵器として生きる男が、鍾離の目と鼻の先ですうすうと寝息を立てている。目の下につくられた隈は色が濃く、唇はわずかに荒れていて、肌の血色も良くない。かの組織の動きは風の噂で鍾離の耳にも届いており、ここしばらく忙しかったのであろうことは容易に想像出来た。
疲労を綺麗に隠し、鍾離に満たされることを求めて久方ぶりに尋ねてきたタルタリヤに心が躍ったのは事実だ。別にこれが初めてではないのだから、手を出したってよかったのだろう。だが長く人間を見守り、庇護し続けてきた神としての欲が、今日はこの子に安らぎとやわらかな愛を与えたいと望んだ。寝台の上で乱れるさまを見るのなら、健康そうな色をした肌がますます色付き、瑞々しい唇が甘く蕩けた声を上げ、曇りのない瑠璃のひとみが欲に燃えて輝くところが見たかった。
酒宴の席で言葉を交わし、美食を分かち合い、本性の一端を知る者同士の気安い関わりを積み重ねながら、丁寧に、じっくりと鍾離は火を入れてきた。己の好む香りも、その香り方も、誘い方も、そういったことを何ひとつ知らないし必要ともしない青年が学ぶよう仕向けていくのは実に面白い。手間暇をかけて鍾離好みになるよう下拵えをし、煮詰め続けてきたものが、おそらくあともう少しで完成する。
タルタリヤの言う通り、ろくでなしだろう。だが途中から仕向けられていると気付いたくせに、なおも学ぶことをやめずにここまで至った彼も、男を見る目がないと言える。
「
……
逃げ出すという選択もあったんだぞ」
タルタリヤは勝敗にこだわる性質の人間ではない。生き延びるためなら逃亡だって選べるはずの戦士だ。
なのに、兵器としての己を暴かれるとわかっていながら、鍾離に応える道を選んだ。その理由を直接尋ねれば今度はひとでなしと罵られるだろうから問いはしないが、自惚れていいのか、迷いがないといえば嘘になる。
くやしい、と舌っ足らずに呟いた声が耳の奥にこびりついていた。懐柔されるリスクを認識した上で懐に飛び込むことを選んだのは、今もこの心臓を狙っているからなのだろうか。もしそうだとしたら
――
夢想しかけて、首を横に振る。
どれほど丁寧に火を入れたって、タルタリヤの胸の奥にある忠誠と気高さまでは溶かせない。あれは氷ではなく、武人としての彼を支える脊髄だ。鍾離が食べることを許されるのは自分好みの味に仕立てたところだけで、食べ尽くしたとて残る骨まではこの手に入らないと分かっている。
それでもいいから、この子が欲しかった。だって鍾離も、自らを支える骨まではこの子に差し出してやれない。結局自分たちは、与え合えるものが限られている。
深い夜の中にひとり分の寝息が響き続ける。抱き締めた身体はあたたかい。この儘ならなさに寄り添うような体温を守りたいと願うのも、何故手に入れ尽くすことが出来ないのかと懊悩するのも、すべてがタルタリヤという青年を愛することでしか知り得ることのなかった感情だ。
知らないままでいられたらよかったのか?
その問いには、否、と即答出来る。
この複雑で飲み込みきれない想いを、何十年、何百年とかけて咀嚼し、消化する楽しみは譲りたくない。
愚かしくも、凡人はそれほどまでにこの青年を愛してしまった。
――
本当に、ろくでもない話だった。
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