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きなこ湯
2025-10-30 23:06:30
6836文字
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彗星は未観測
カネブラ、3rd後のT→Y未満の話。
愛の自覚があるヨル、トキシンを選んだヒロイン、付き合ってからも若干不安定なところのあるトキシンの話です。3rd Seasonおよび雰囲気だけIf Situation♡Cheat Endの要素を含みますが、致命的なネタバレはないはず。
だいたい横恋慕ヨルくんの話なので、なんでも許せる人向けです。
「
……
あ?」
深夜のキッチンに灯りがついていた。廊下に漏れ出た光を見たヨルは、一体誰が消し忘れたのかとため息を吐いて渋々キッチンへ向かったのだが、冷蔵庫の前でぼんやり佇む人影に目をまるくする。こんな時間に出くわすとは思っていなかったのか、向こうもぎょっと肩をすくめた。
「アンタ、やっと起きたのかよ。体調は?」
当たり障りのない言葉を選ぶ。予想はしていたが、彼女は大丈夫だと薄く笑った。
部屋着と少し乱れた髪は見るからに寝起き姿だ。今日は夕食に顔を出さなかったことを思い出し、その理由がヨルの嫌な想像ではなかったことを確信して、口の中に苦いものが広がった。女が着るにはオーバーサイズすぎるスウェットは襟ぐりが大きく空いている。そのせいでよく見える首元には無数の新しい噛み痕が残っており、ヨルは実弟の匂いがべったりとまとわりつく彼女から視線を逸らした。
視界の外で冷蔵庫が空き、閉まる音がする。目当てのものがなかったのか、彼女は野菜室の扉を引いた。屈んだ拍子に白いうなじが露わになり、そんな場所にも見覚えのある歯形がくっきりと残っているのを目の当たりにして、思わず舌打ちする。
彼女の手から未開封の2ℓのペットボトルを取り上げてコップに注ぐ。引き戸からいつものサプリメントの袋を出して乱雑に手渡すと、彼女はきょとんと目をまるくしてからありがとう、とはにかんだ。
「べつに。つーかアンタ、昼から何も食ってねぇなら腹減ってんだろ。ソレ、空腹で飲んで大丈夫なヤツなのか」
ヨルが顎をしゃくってサプリメントの袋を指すと、よくはないと思うけど、なんて歯切れの悪い言葉が返ってくる。しかしちらりとリビングの時計を見やったのは、この時間から食べ損ねた夕食をやり直すことに抵抗があるのだろう。
ヨルは大きく嘆息して後頭部をガシガシと掻いた。自分がこんなことまでしてやる義理はない、頭ではそうわかっているが、ただぼんやりと苦笑するだけの彼女をそのままにはしておけなかった。この家で一番良識のあるマトモな人間だが、己のことを存外軽く扱うきらいがあり、ヨルは自分の価値観を根拠としてそれを見過ごせないと結論付ける。それに、ヨルにとって彼女が好きな女であることは依然として変わらなかった。だから、誰であろうと彼女を雑に扱う者は許し難い。
「アンタは向こうで待ってろ。すぐ用意してやっから」ええー、と半ば不満そうな声の主を睨みつける。「どうせサッと作れるヤツだし、大したカロリーにはならねぇよ。つーか、余ったぶんはオレが食う用だ。だからこれ以上文句つけんじゃねぇ」
反論は何も受け付けないとキッパリ言い切り、数時間前にも開いた冷蔵庫の中身を改めて確認する。
……
ラップに包んだ冷凍ご飯がいくつか余っている。だが、肝心の食材がほとんど残っていない。卵は朝食のスクランブルエッグ用、トマトとサニーレタスもそう、あとはベーコンとウインナーソーセージの袋。休みの日は兄弟たちの弁当を用意する必要がなく、どうぜ午前中に買い出しに行くだろうと夕食ぶんで冷蔵庫をリセットしたのが裏目に出た。冷凍食品のフライドポテトやスナックならあるのだが、これを出すのでは負けも同然だろう。
ダイニングテーブルに肘をついて座る彼女の様子をちらりと覗き見る。手持ち無沙汰に白湯を飲みながら、ぼんやりと薄暗いリビングを眺めていた。夜食の用意に時間をかければ、この女だって飽きてそのまま寝直すとでも言い出しかねない。やはり、時間のかからないものを作るべきだ。
「ほらよ。ソレ飲む前に、これでも食っとけ」
グラタン皿ととりわけ用の食器を出すと、彼女は不思議そうな目でヨルを見上げた。白い湯気を吐き出すチーズリゾットを確認し、複雑そうな表情で口元を尖らせる。
「あ? 言ったろ、残りはオレが食うぶんだっつの。オレが食いたいモン作って何か悪いかよ。ほら、アンタはどれくらい食うんだ」
そう言って、望まれるだけリゾットをよそってやる。彼女も人並みの礼儀を身に着けている人間なので、ヨルが作ったものにそれ以上の文句はつけず、ありがとうと素直に受け取った。
とろりと糸を引くチーズが、重力の手を引かれてぽたりと途切れる。掬ったスプーンにふうふうと息を吹きかけ、ゆっくりと口に含むまでの動作を、ヨルは確かめるように見ていた。
さすがにまだ熱かったのか、はふはふと口の中で転がすように咀嚼する。きちんと味わってから嚥下したのを見届け、今回はうまくいったのだろうとひそかに胸を撫で下ろした。
「どうだ?」
自信の滲む声で訊ねると、想像通りおいしい、と好意的な言葉が返ってくる。
この人間の特殊な味覚は塩味と匂い、それからイチゴ以外を感知しづらい。必然的に食事へのモチベーションが低く、自炊どころか時に食べることすら億劫だと言いかねないのだが、ヨルは試行錯誤でフライドポテト以外のものでも味を感じさせることに成功していた。
もちろん、これで満足とはいかない。確かに今も「おいしい」と言わせているが、それは「自分が感知できる味付けでおいしい」という意味に過ぎず、たとえば他の兄弟たちがヨルの手料理を褒めそやすのとは明らかに温度感が異なる。自分では作れない、時間をかけずに料理を拵えることがすごい、味がわかっておいしい、そんな程度の感想で満足できるわけがなかった。
「アンタ、イチゴは味がわかるんだろ。赤いから
……
だとか、ワケのわからねぇこと言ってたが、ケチャップはどうなんだよ」
普段よりもやや濃い味付けになったリゾットを食べながら、そう問いかける。夜食とするにはハイカロリーだが、レンジで作れる手頃なもので、しかも食事に後ろ向きな彼女に食べさせるとなれば、もうこれしか思いつかなかったので仕方がない。
ぱくぱくとリゾットを食べ進める手がぴたりと止まる。溶けたチーズの隙間から覗くケチャップライスに視線を落とし、考えるようにくちびるを尖らせた。
「
……
普段よりはおいしい気がする? ああ、プチトマトは食うもんな。ならパプリカはどうだ?
……
味がしない。なるほど、なるほど? クソ、相変わらず意味わかんねぇな、アンタの味覚」
それは彼女がホムンクルス、ファーターの実験を経て作り出された人造人間であるから。彼女自身に非のない現実だが、ごめんね、と困ったようにつぶやく。なぜか肝心なところで諦めの早い部分に、一度は腹の底に飲み下した反抗心がざらりと逆撫でられるようだった。アンタが悪いわけじゃない、もちろんオレも。むしろオレたちは揃って被害者だろう。その屈辱的な現実を受け入れないと立ち向かったのがあの夜ではなかったのか。冗談の範疇に収まるからかいには強気に言い返してくるくせに、自分が本当に尊重されていない場面では簡単に無礼を許してしまう、その態度がヨルはどうしても受け入れられなかった。
今でも、間違いなく好きだと思う。きっと島にいた頃からそうだった。なかったことにされていた記憶を取り戻し、感情の抑制の外れた今では、彼女をこの家に連れてきた時に抱いた違和感の正体も推測できる。自分達に振り回されながら離れていくことはない、からかわれたら強気に怒るわりに親しくなりたいの一心で簡単に歩み寄る、無神経なんだかお人よしなんだかわからないこの女のことを、どうあれヨルは好ましく思っている。あの森の廃墟で完結していた狭い音楽に、聴衆という新しい風を吹き込ませた人間。自分たちの正体を知ってもなおこの家にいることを選んだ、愚かだが愛しい人間。少なくとも、ヨルは彼女を傷付けて喜ぶような悪趣味な感性は持ち合わせていない。だというのに、自分と同じ血が流れているはずの男は一体どうして
……
「
……
! いや、なんでもねぇ。ちょっと考え事してただけだ。気にすんな」
怪訝そうな声で名前を呼ばれ、ヨルはハッと顔を上げた。向かいに座る彼女がひらひらと片手を振っている。その白い肌にもきちんと噛み跡が残っているのを見て、咄嗟に込み上げた嘆息をグッと呑み込んだ。
気がつけば彼女の取皿は空で、リゾットは冷え始めている。ヨルは固まりかけたチーズを皿から剥がすように掬い、残ったリゾットをかき込んだ。それから彼女の皿も一緒に流し台へ運ぶと、一拍遅れてヨルの背中についてくる。どうぜ自分で洗うとでも言うのだろうと思い、「オレが作ったんだからオレが片付ける」と先んじて釘を刺す。
いくつかの薬を飲んだ後も、彼女は律儀にキッチンに居残った。ヨルとしてはこんな機会はむしろチャンスで都合が良い。だから追い払うこともなくそのままにしていたが、少ない洗い物を終え改めて向き合った女の目を見返し、もしやと思う。
「
……
アンタ、もしかしなくとも、ただ眠くねぇだけだな?」
ばれた? とはにかんで指先で頬をかく。これでは妙な気を遣った自分が馬鹿じゃないかと思いながら、久々に見た邪気のない笑顔に単純な心が弾んだ。そうだ、自分は彼女の笑った顔が好きだ。この穏やかさを守ってやりたいと思っている。それは、あいつだって同じはずなのに。
なるべくこの時間が続けばいい、とヨルは密かに思う。根拠や経緯はどうあれ、傷をつけられることを受け入れている姿など見たくない。どうしてオレじゃなくあんなやつを選んだんだ、ときつく詰め寄りたい気持ちを正しく呑み込むためにも、この女には過不足なく幸せでいてもらわなければならない。
複雑に渦巻くヨルの胸中をよそに、へらへらと能天気に笑う彼女はこのままコンビニでも行こうかな、なんて言い始める。あまりに警戒心のない発言にぎょっとしてヨルが眉を顰めると、別に今までは大丈夫だったよ、と何でもないような声が返ってくる。彼女の中で夜間の散歩が別段珍しいことになっていない証拠で、その能天気な考えを育てた要因を頭に思い浮かべて、ヨルは我慢できずに舌打ちをこぼした。
「ここで黙って見送れるわけないやん? オレも行く。どうせ寝られねぇのは一緒なんだ、アンタが気にするようなことじゃねぇよ」
彼女は一瞬申し訳なさそうな表情を浮かべたが、率直にありがとうと頷いた。まるでこちらの心を疑わない仕草にはヨルへの明確な信頼が透けている。ひどく能天気な女だが、これがネィトの申し出だったらもう少し疑いを持つだろう。その純真な信頼を裏切りたくない気持ちと、それで都合のいい兄扱いをされるくらいならいっそと唸る本心がぶつかり、結局答えは具体的な形をなさない。
晩秋の夜は存外冷えて、首元を通り抜ける風にヨルはわずかに首をすくめた。傍らを歩く彼女に視線を向け、同じく外を出歩くには若干心許ない薄着だなとぼんやり思う。しかし上着を持ってくるのも忘れていた。ヨルは元から冷たさというものに慣れているが、並の人間と同じかそれより脆弱な彼女には酷だろう。何度目かもわからない舌打ちをケチャップ味の残る口の中で転がし、結局差し出すものもなく両手をスウェットのポケットに突っ込んだ。ヨルの手では、繋いだところでかえって彼女の体温を奪うばかりだろう。
誰もいない夜道だ。アスファルトを蹴る二人の足音ばかりが静かに響いている。夕方に降った雨のせいか、地面は少しだけ湿っていた。タン、タン、と何故か不規則な足音を怪訝に思い隣を見ると、ヨルの少し後ろを歩く彼女はぼんやりと頭上を見上げながら歩いていた。
「何見てんだよ。ちゃんと前見ろ、転ぶぞ」
ヨルがそう声をかけると、ごめんと笑いながら開いた距離を詰めるように駆け寄ってくる。自分の行動が不可解だった自覚はあるのだろう、訊ねるまでもなく彗星を探していたと話しはじめた。
「彗星だあ? ンなもん見えんのかよ、人間の目で」
さあ? と他人事のように首を傾げる。ただ今の時期が見やすいらしいよとぼんやり言うので、ヨルは自分のスマホで適当に彗星、見える、日本、と検索ボックスに打ち込んでみる。さすがに真っ赤な嘘というわけではなさそうで、それらしい記事が二、三件上位に表示された。
「
……
へえ、これか。確かにギリギリ肉眼でも観測できるって書いてあんな」しかし、続く見出しに肩をすくめる。「ま、実際見えんのは夕方の西の空らしいぜ?」
遠慮なくヨルのスマホを覗き込む横顔にそう言って画面を見せてやると、覇気のない顔がそっかとため息を吐いた。元々本気で天体観測をしようと思っていたわけではなかったらしいが、実際見えないと残念な気持ちがあるのだろう。
「──なら、オレと見にいくか。彗星なんて、そうそう見えるもんじゃないんだろ」
不意に、そんな言葉が滑り出た。
スマホを覗き込んでいたつむじがパッとヨルの顔を見上げる。擦れたところの少ない直截な眼差しに、咄嗟にまずいと背筋が冷えた。吟味する時間もなくこぼれ出た本音だった。いくら彼女がヨルを信頼できる相手と認識していたって、過去ヨルが明かした心は覆らない。五択を突きつけられて、そうしてヨルを選ばなかった過去は、確かに起きたことだ。
男として見られるならそれもいいじゃないかと悪どく囁く声もヨルの中には確かにあった。好きな女で、大事に守ってやりたいと思っている女だ。傷をつけて己の手元に縛りつけるような男を、よりにもよって運命の王子様だなんて思っているのなら、その間違った幻想から引っ張り上げてやるのだって正当な愛だろう。
口の中が嫌に渇く。血の渇きにも似ているが、あくまで理性で押し留めることのできる程度の欲望だ。腹の底に、この女が欲しいとどうしようもなく吠える獣がいる。その時点で、どうあれ自分も彼女に傷をつける存在だと認めざるを得ない。
守ってやりたい。嘘偽りない本音だ。その庇護欲は、身勝手な支配欲の裏返しでしかない。ヨルはその横暴さをよく理解している。
「
……
つーか、アンタ、これくらい自分で調べろよ。なんでオレのスマホ見てんだ」
意味のある沈黙をうやむやにするべく、一歩足を引く。真っ直ぐにヨルを見上げていた彼女はゆっくり瞬いた後、開いた距離を詰めることなく部屋に置いてきたと答えた。
「そうかよ」
だから慌てて追いかけてきたのか、と納得する。
「
……
いた! もう、いきなりいなくなるからびっくりした
……
!」
静かな夜道に焦り混じりの声が響く。家の方角から走ってきたのは案の定トキシンだった。慣れた気配で察していたヨルは特に驚くことなく顔を上げる。
「こんな時間に出歩いたら危ないよ。っていうか、俺を起こしてくれたらよかったのに。お前、スマホ置いていくから連絡もつかないし
……
」呼吸を整えながら矢継ぎ早に文句を垂れ、彼女の隣にいるヨルを見る。「でも、一人じゃなかったんだね。ヨルが一緒だったんだ」
「当たり前だ。さすがにコイツを一人で出歩かせるわけないやん?」
「なら、ありがとう、でいいのかな。もしお前に何かあったらと思うと
……
」
彼女はトキシンを見上げ、素直にごめんねとつぶやいた。まだ不満そうな表情を浮かべるトキシンも、しばらくじっと彼女の顔を見下ろした後、やがて諦めたように「うん」と頷く。
「勝手にどこか行ったら嫌だよ。お願いだから、ちゃんと俺のそばにいて」
トキシンが彼女の両手を持ち上げ、その指先にそっと口付ける。まるで壊れものにでも触れるような仕草だ。ヨルはその白々しい光景を横目に、しかしトキシンの視線の先にあるのが彼女の手ではないことを認めて、やはり横槍を入れる隙もないと思う。トキシンが王子様なんてあり得ないと今でも思うが、ヨルがどう思うかは、彼女の気持ちに影響しない。自分と彼女は別の人間なのだから、当然だ。
羽織っていたパーカーを脱いで彼女の肩にかけてから、トキシンは「俺も一緒にコンビニ行くよ」と横に並んだ。右手は彼女の白い手を握ったまま離さない。ここで帰ってもよかったのだが、それは負けを認めるも同然な気がして、結局ヨルも家とは反対方向に足を向けた。
結局、好きだと思う心に小難しい理由などいらない。そんなことはわかっている。ヨルは自分の心を根拠として、彼女の心を否定できなかった。トキシンが息を切らせてここまで来たことも、真剣に心を砕いた結果だろう。少なくとも、今のトキシンに彼女を地獄へ連れてゆくつもりはないことくらいはわかっている。
大事そうに手を繋ぐ弟の横顔には、見ているこっちは気恥ずかしくなるような無邪気さがある。その不器用なところを含めて、彼女はトキシンを選んだ。わかっている
――
横から自分が手を出すのは、ただの身勝手でしかない。
頭上では、町の明るさにかき消されそうな星の光がちらちらと瞬いていた。
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