いぬみ
2025-10-30 13:51:01
6442文字
Public 黒バス
 

先駆けて祝福を

付き合ってる紫氷。
高2のアツシ×高3の室ちん。
一番になりたくて去年のリベンジをするアツシの話です。

 『Himuro』と書かれたネームプレートを目の前にして、紫原はノックする。間もなくして開かれたドアの先の人物は、決まりきっていた。
……やっほー」
「ああ、アツシ」
 氷室は、対して驚いたような素振りもなく、軽い挨拶をする紫原を迎える。それは、慣れているからもあるけれど(厳密に言えば、お互いにお互いの部屋に行くときは、部屋主とともになだれ込むことが大半なので、ノックで了承を立てる状況は数えるぐらいしかしていないのだけれど)、何より、事前に連絡をよこされていたからだった。
「入れよ」
 今日部屋行っていい?──と何気なく、そして相当の用事がなければ断られることはないという信頼を持って、紫原に訊かれていた。氷室も、それにノータイムでYESを返していた。驚く要素はない。拒否する理由もない。
 入った氷室の寮室は、なんの変哲もなく、定期的に紫原もたむろするそのときのままである。
 氷室は二人部屋で、同学年である三年生と過ごしているはずだが、今夜は姿が見えない。その理由を、紫原はつい数日前に聞かされていた。家の都合で、昨日から三日の間、寮を空けるのだという。……だから、紫原はなんの気遣いも躊躇いもなく、今日の日付けに、氷室の部屋に行くことを、決めたのだけど。
 部屋の中にあるテーブルには、教科書とノートが広げられていて、シャーペンがさらにその上に転がされていた。
「宿題? それ」
「というか……対策かな。小テストがあるんだ」
 覗き込めば、どうやら古典のものらしい。一定の点数を取らないと再テストがあるから、と彼は語る。多くは言わないが、つまりは放課後の部活の時間を減らしたくないということだろう。何気なくぶれない人である。
「アツシにはないのか、宿題」
「ん〜、あったけどもう終わった〜。五時間目自習になったからさ〜」
 そのとき終わらせた、といえば、アツシらしいと微笑まれる。どういう意味なのか問えば、要領がいいというか、ちゃっかりしているところだとまた笑われた。
 そのまま、氷室はシャーペンを持ち直して、教科書とノートとを交互に睨みつけていた。紫原は、部屋の片隅の箱──中身はポテチだとか、ポッキーだとかの菓子類である──を漁ると、徳用せんべいを取り出して、食べるね、と一応口に出してから開封した。そのまま、氷室と向き合う形で座って、せんべいをばりばりと噛み砕く。
 紫原の部屋にももちろん、氷室の部屋にも、紫原のためのお菓子が置いてある。主に、紫原が氷室の部屋に来たときか、氷室が紫原に何かしらの要望がある(試合観戦に付き合ってほしいとか、居残り練習を一緒にしたいとか、バスケ関連のものだ)ときに使われる。要はどうにせよ紫原のものなのだった。
 紫原と氷室がお互いの部屋に行ったとき、やること自体は、お互いに変わらない。紫原はお菓子を食べて、氷室は勉強なり読書なりをする。
 分からない部分や単語が出てきたときなんかに、氷室はそのまま、いつも通りにお菓子を口に含む紫原に問いかけたりなんかもする。
 氷室は帰国子女であるがゆえ、日本語に疎いところがある。そして、紫原の学力は案外高いのだ。得意教科は物理といった理数系だけれど、国語系も、少なくとも思春期の大半をアメリカで暮らした帰国子女よりかはできる。
 だから、紫原が氷室に勉強を教えるという状況も、珍しくはない。氷室が苦手にしている古典や国語の内容は、一学年の差があってないような教科であるし、そもそも紫原は、教科書さえ目を通してしまえばある程度マスターできる。積極的に教えにいくことはしないが、氷室自身に問われたなら解答を提示する。去年のウインターカップ後から、特に、二人の勉強風景はそれがお決まりになっている。
 出会いはじめのころの氷室は、紫原の学力の高さにショックを受けていたし、年上としての矜持でも抱いていたのか、岡村や福井や劉に教えてもらうことはあっても、紫原にはあまり頼らなかったのに。三学期の初めから吹っ切れた様子で、年の差も構わずに頼ってくるようになった。変にカッコつけるのをやめた、というべきか。
 紫原にとっては面倒事が増えただけといえるのに、なぜだか氷室に頼られると悪い気がしない。むしろ嬉しいとまでいえてしまうかもしれない。少なくとも、紫原の知らない顔に氷室が頼りにいくよりは、いい気分であった。
 とはいっても、氷室の地頭はそこそこいい。当初から、複雑な書き取りや難解な読みに戸惑うことはあっても問題文はきちんと読解できていた。(日本に行くと決まったときから、予習をしていたらしい。)編入してきて一年は過ぎているし、慣れてきたのだろう、紫原に訊ねてくる頻度は、日に日に下がりつつある。
 紫原は、筆を進めたり、時折口に出して暗記を試みたりしている氷室をぼんやりと見つめる。バスケでも勉強でも、氷室は反復記憶するタイプだった。何度も繰り返し練習して、動きをスムーズにして、自分の力にしていく。その過程は、紫原が苦手としている熱血さを秘めているのに、なぜだか目で追ってしまう美しさがあった。
 ちらりと時計を見やる。消灯時間まではあと一時間あった。
「今日こっちに泊まっていい?」
 提案を投げかけると、氷室はシャーペンを持つ手を止めて、紫原を目に映す。純粋な疑問だけが、その目に宿っている。
「寝る場所どうするんだ?」
 ……氷室の懸念はそれだけである。
 さすがに無断で同室相手のを使わせるわけにはいかないし。
 紫原と同衾することは、珍しいことではない。〝恋人〟になってから、当初から近かった距離感はさらに縮んでいるし、そばに寄るためには、氷室も紫原も手段を選ばなかった。現に昨日も氷室は、同室相手がいないのをいいことにこっそり部屋を抜け出して、紫原の部屋で共に寝た。
 けれども今までは、元々一人部屋であり、ベッドも特注のキングサイズを取り寄せている紫原の部屋に、氷室が向かっていくパターンしかなかった。
 今回の提案は、逆なのである。
「室ちんと一緒でいーよ」
「狭くないか」
「室ちんもいつもオレんとこ潜り込んでくるじゃん」
「それは……違うだろ」
 紫原の部屋に泊まりに来た氷室は、当然のようにベッドに潜り込んでくる。特注のキングサイズとはいえ、二〇八センチと一八三センチが広々と共寝すると、窮屈になる。しかし今となっては、そんなことに文句は言われないと見越した上で、氷室は堂々と入り込んでくるのだ。
 狭いからという理由には収まらないほど、こちらに体を密着させながら。
 言い訳をするとボロが出るからか、そういうときの氷室は、寒いだとか寝ぼけているだとかいう口実を使わない。ただ黙って、こちらに体を押し付けて、大胆に擦り寄ってくる。そうして理由を曖昧にする。むしろ、『狭いから』という理由付けができる今回の方が抵抗があるらしいのが、ちぐはぐで、かわいらしい人である。
「いっしょだし」
 いつも、窮屈ではあっても足を伸ばすのに困らない程度のスペースがあるのを無視して、紫原の足に足を絡ませ、脇腹に抱きつき、こっちの気も知らずそのまま眠り込むくせに。まったく変な躊躇をするものだ。
……アツシのは特注のやつだろ?」
「引っつけばいいじゃん」いつも室ちんがするみたいに、とは言わないで、「変わんないし」と付け足した。
……明日部活あるから、やらないぞ」
「知ってっし」
 念を押すように告げられるけれど、氷室の注意は的外れだった。
 バスケ関連における氷室の融通がきかなさは、紫原がよく知っていることである。万が一支障を出したら、氷室から恋人関係解消を言い出されかねないし、荒木監督からも大目玉を食らうだろう。危ない橋を渡る趣味は紫原にはない。
「今日はそーいうのが目当てじゃねーから」
 まあやりたくないわけでもないけどさ、とも付け足しながら。
 そりゃあ男として、そして恋人として、氷室と睦み合いたい気持ちがないわけじゃない。紫原は三大欲求が旺盛なほうだ。目的のない禁欲はやらない。そして同時に、むやみやたらな発散もしない。寮生活であるし、部活もあるので、基本的に計画を立てて、予定を擦り合わせながら関係を続けている。
 だから、無理やり迫ることはしない。したとしても明日が休日であったり、部活がなかったりする日を狙う。(性においては、ことのほか、氷室のほうが手段を選ばなかったり、後先を考えなかったりする。)
 そのことを氷室もわかっているのだろう。確かめながらも、まさかなんの前触れもなく自分を襲おうとしているとは、本気で思っているわけではなさそうだ。紫原の答えを聞き、じゃあ一体なんなんだと言いたげな、訝しげな顔をしている。
 そういうのが目当てじゃない、ということは、それ以外に目的があるということである。
……わかったよ」
 それが気になるけれど、言及してもそのまま答えてはくれないだろうと判断して、氷室は頷いた。
 人肌恋しいのかな──まあ最近急に寒くなってきたし──ウインターカップに向けて、練習もこれから厳しくなっていくし──ただ、彼の脳裏によぎる予想はことごとく的外れであった。



 消灯時間がすぎて、薄暗い空間の中、二人。十月だというのに、秋田の地は東京の真冬と匹敵するほど寒い。防寒設備や暖房器具がそのぶん発達しているから、なんとか凍えずに済んでいる。同じベッドに、二人分のぬくもりが宿っていることもあって。
 部屋には二人分のベッドがあるにも関わらず、わざわざ、氷室のベッドをふたりで使っている。その背徳感からか、珍しい状況への興奮からか、氷室も紫原もいまいち寝付けずにいる。発光するタイプのデジタル時計の左側が、二十三という数字を表示していた。
「なんか、慣れないなあ」
「ん〜」
「オレの部屋……というかベッドに、アツシがいるの」
 お互いに向かい合う形で……氷室の頭がちょうど紫原の胸元あたりに収まる形で……寝転がっている。この体勢自体は、それこそ行為後だとか、そうじゃない共寝のときだとかでお決まりのものなのだけれど。
「アツシの部屋で二人きり、っていうのとは、やっぱりちょっと違うな」
 自分が部屋に押しかけるのと、自分の部屋に相手がいるのとでは、感覚が違う。結果は同じなのにな、と氷室は愉快そうに笑って、手持ち無沙汰というか足持ち無沙汰なのか、足を絡ませてくる。
 ──オレのベッドの中なのに、アツシの匂いがする。
 なんて言って、こちらの胸板を嗅いでくるのだから、いけない。
 する気はない、と言ったのはそっちのくせに、イチャつきはしたいらしい。同感ではあるけれども、思わせぶりなふるまいをする無防備さに、紫原は辟易に似た嘆息をした。眠気が来るかと思いきや、静かな興奮がお互いに宿っていて、しばらくのあいだ夢の世界へは行けなさそうだった。
 ……好都合である。
「(これなら、起きてるうちに)」
 内心で計画(というには小規模だけれど)を確認しながら、紫原は、擦り寄ってくる氷室に負けじと、横になったことで流れた彼の髪を梳いたり、頬を撫でつけたり、肩を抱き寄せたりした。照明のない薄暗さに慣れた目で見やれば、同じようにこちらを見あげていた彼と目が合う。
 暗闇でも、その頬の形の良さと目のしどけなさがわかる。目の下の泣きぼくろが紛れていることだけが惜しい。
 どうでもいい雑談だとか、言葉のないスキンシップだとかを繰り広げていると、発光している数字が六十に近づいていく。訝しがられない程度に様子を見て、
「室ちん」
 五十九が、〇〇という表示に塗り替えられるそのときに、紫原は呼びかける、氷室は何にも気付かずに、ただほんのすこし首をあげて、紫原と目を合わせる。
「誕生日おめでと〜」
 ──そして、紫原は、〝お目当て〟を達成した。
「え。……ああ……
 氷室は一瞬目を見開いて、状況を飲み込む。
 そういえば昨日は十月二十九日だったから──日付が変わった今は十月三十日。十八回目の、氷室辰也が生まれた日にちである。
 興味が無いわけではないが、さして意識しているわけではない。ただ、直接言われて気づくっていうのは初めてかもしれない、と思った。たいてい氷室が気づくのは、送られてきたメールの文面からである。
「ありがとう」
 唐突に告げられた祝福に、咄嗟に感謝を贈る。
「これでさ」
 どこか満足気に、紫原は言う。
「顔合わせて祝ったの、オレがはじめてってことになるっしょ」
 未だ、戸惑いと喜びとで不思議そうにしている氷室に、それとなく、答えを示すように。優越感を抱くように。
「そうなるな、たしかに」
 十月三十日になった瞬間に告げてきたのだから、そうなる。氷室の返事を聞いた紫原は、
「ふうん」
 と、形だけ無関心を装った返事をする。
 ……けれども、高揚感が隠しきれていない。
「アツシ、まさかと思うけど、そのために来たのか?」
……
 氷室の誕生日を祝うため。ただ祝うだけではなく、真っ先に、誰よりも先に、直接顔を合わせて、伝えるために。
「前は先越されたからさ。負けるのやだし」
 ……否定はできなかった。言い逃れをする気もなかった。今更、氷室への好意を押し隠す必要はない。
 去年も、紫原は氷室を祝った。氷室が気になると言っていたケーキを前日から予約して。通学のお迎えがてら氷室の寮室に向かって、開口一番に祝いの言葉を告げたのに、〝一番〟ではなかった。
 顔を合わせてのお祝いは、同室相手に。
 メールでの文面上のお祝いは、アメリカ時代の友人に。
 〝一番〟を取られてしまったのである。
 氷室が人に慕われることは当時からよく知っていたが、まさか、時差を見越してメールを送信したり、朝っぱらに電話やビデオメッセージを送ったりする輩がいるとは、予想外だったのだ。同室の男が、氷室の誕生日を知っていたことも。
 早いからって、何があるわけでもない。お祝いの気持ちは変わらないし、氷室はそれで優劣をつける人じゃない。それでも、紫原個人として、虚しさや悔しさを感じたのだ。
 特に今年は、和解した氷室の〝弟〟も、メッセージなり、電話なりで祝福を送ってくるだろう、そう思ったら、頑張ってみるだけは頑張ってしまった。
 たぶん今も、カバンの奥にしまってあるだろう氷室の携帯はメールの通知に震えているのだろう。彼があまり携帯に頓着しないのと引き換えるように、紫原のほうが気になった。
「負けず嫌いだね」
 ふふ、と楽しげに氷室は笑いをこぼす。──いいことだと思うよ、アツシらしくて。恍惚として聞こえるのは、氷室が歓喜に震えているからなのか、紫原自身が特別感に酩酊しているからなのか、どちらだろう。
 自分らしくもなく張り合っているさまを肯定的に認められるのが、どうにも照れくさい。
 アツシらしいと言うけれど、こんな自分は、お菓子と氷室にしか見せないのに。訂正するのも小っ恥ずかしいし、勘違いさせていても問題はないから、今のところ、口にはしないけれど。
 照れ隠しのために、十八歳になった彼の体を抱き寄せながら、視界を奪ってやる。胸元でくすくすと震える黒髪がくすぐったくて、無駄に誇らしかった。
 明日の朝にもおはようの代わりにおめでとうを言ってやって、夕には仕方がないからお菓子なしでも居残り練習に付き合ってやって、夜には去年と同じように予約しておいたケーキを貰いに行って、一緒に食べて……。目的達成で気が緩んだのか、一気に眠気が襲ってくる。ぼんやりと翌朝のことを思いながら、紫原は目を瞑った。来年に彼はここを卒業するけれど、そのときもどうにか祝ってやれるか、と、気の早いことを睡魔の中に思いつきながら。