イオの衝動

サイトから持ってきました
気持ち的には1話より前の話
距離がまだ縮まってない(エグシャリ成分は薄めかも)

 メインブリッジまで残り数メートル。金属の床をかつかつ歩く音が鳴る。ジークアクスのパイロットに選ばれた後。強襲揚陸艦ソドンで初めてシャリアと顔を合わせることが決まった時、エグザベは戦々恐々としていた。
 手元の携帯端末で該当キーワードを検索する。一番上に表示された事典サイトを覗いてみれば、民間人でも簡単にその名を確認できた。どこかの誰かが勝手に作ったページには、様々な通称が由来と共に書き連ねられている。
 ザッとページをスクロールして、文字の羅列を流し見る。メインブリッジまであと僅か。慌てて端末をポケットに突っ込み、襟を正した。
「エグザベ・オリベです。ただいま、ソドンに着任いたしました」
「初めまして、エグザベ少尉」
 木星帰りの男、灰色の幽霊、赤い彗星のMAV。
 エグザベの目の前にいるシャリア・ブルにはそんな呼び名が多く付けられていた。
 こんなに多くの通称がつくのだ。一年戦争では英雄とまで称されている。さぞかし近寄りがたく、恐ろしい人物なのだろう。加えてシャリアにはギレン派のスパイ疑惑までもがついて回っている。だからこそ、己に課せられたシャリア監視の任務のためにも見極めなければならない。指先の感覚が冷えていくようだった。
「あなたが……シャリア中佐」
 シャリアが首を縦に振る。
「貴方のことはよく聞いております、少尉。フラナガンスクールで首席だったそうですね。ガンダム・クァックスのパイロットとして、大変なこともあるかと思いますが、よろしくお願いしますよ」
……は、はい! よろしくお願いいたします!」
 蓋を開けてみれば、巷に流れる二つ名とは裏腹に、シャリアは物腰柔らかで誰にでも優しく接する人だった。
 差し出された右手を強く握り返す。手袋越しでも温かい。自身と同じ、血の通っている掌だった。指先の熱がいつの間にか戻ってきている。あれだけ萎縮していた自分は既にどこかへと消えていた。



 ソドンに着任してからというものの、シャリアは何かとエグザベを気にかけてくれる事が多かった。
 ある時は、モビルスーツの操縦について。またある時は、ここ最近食べた一番美味しいご飯は何か、という事について。また、別の日にはニュータイプの能力について。
「はあ……
 廊下の壁にもたれながら、シャリアの一連の行動についてエグザベは頭を抱えていた。
 気を遣われているのだろう、という事はなんとなく伝わる。ただ、ここまで親切にされる理由が思いつかない。監視している事に勘付かれたか。その上で徐々に距離を詰めて、逆にこちらを籠絡しようとしているのか。あらゆる憶測が浮かんでは消える。それだけ木星帰りの勘は侮れない。
 携帯端末を見る。新着メッセージはない。対象に動きなし、と入力し送信ボタンに指を置く。
「エグザベ少尉」
「わっ! は、はい!」
 低く、耳あたりの良い声が届く。
 背後から声をかけられて、思わず手元の端末を吹き飛ばしそうになった。辛うじて体勢を立て直し、なんとか端末は床への衝突を免れる。慌てて後ろを振り向くと、穏やかな面持ちのシャリアが佇んでいた。
「な、何でしょうか?」
「これ、貴方に差し上げます」
 怪訝に思い差し出されたシャリアの右手を見ると、小袋に入った菓子が一つコロンと乗っていた。広く流通している何の変哲もない菓子だ。目を凝らして見ると、赤いパッケージに小さい字でチョコレートと書かれている。
「ん? チョコレート、ですか?」
 シャリアが頷く。
「甘いものは気分転換にもなりますからね。本当はお酒のアテにでもなるかと思い買ったのですが、私には少し甘すぎまして……。なので、遠慮せずにどうぞ」
「アテ……ですか? まあ、ありがとうございます。せっかくなのでいただきます」
 小袋を開けてチョコレートを口に放り込む。口内に入ったチョコレートは自身の熱ですぐに形を崩していった。
(確かに、これは甘い……)
 自身の想定よりも甘いチョコレートに、僅かに顔を顰める。まるで口内が甘さに蹂躙されているようだった。とはいえ、曲がりなりにも上官から貰ったものである。なるべく何事もなかったかのように振る舞おうとはしていた。
「やはり、甘ったるいですよね。水、要ります?」
「いえ……大丈夫です」
 見かねたシャリアに水を勧められるも、丁重に断りを入れた。これ以上気を遣わせてしまうのも何だか忍びないと思い、平静を装う。空になった赤いパッケージをまじまじと見た後、適当にポケットへと捩じ込んだ。
「ところで、少尉」
「何でしょうか?」
 シャリアが心配そうに尋ねてくる。
「ここに来てからの暮らしにはもう慣れましたか? 艦の中で何か困り事がありましたら気兼ねなく言ってください。希望通りにならないことも多いですが、善処はします」
「ありがとうございます……。皆、僕みたいな新参にもとても良くしてくれるので、不満などはありません。でも、お気遣いいただき嬉しいです」
「なら良かった。ああ、明日も訓練でしょう? あまり根を詰めすぎないようにしてくださいね」
「はい!」
 それじゃあ、と言って去っていくシャリアの背中をエグザベは黙って見送った。
 何故、こんなにもシャリアは他人に気を配れるのだろうか。秘密裏とはいえ、スパイ疑惑があるシャリア監視の任を受けて自分はソドンへ来たというのに。期待されているのだろうか。自分はジークアクスでの初陣もまだだというのに。
(……同じニュータイプだから、仲間意識でもあるんだろうか?)
 携帯端末が震えだす。送信元はソドン外の上官からだ。送られてくるメッセージの内容はいつも変わらない。一つは引き続きシャリアの監視をするという事。もう一つは対象を信じすぎるなという事だ。
 口の中の甘ったるさが薄れた後、妙に喉の渇きが押し寄せてくる。
 シャリアに優しくされ、微笑みを向けられる度に、エグザベの心の中には後ろめたさが募っていった。



 今日のメインブリッジは空気が重い。皆、黙々と己の仕事を全うしている。機械の稼働音や電子音以外は何も耳に届かない程だ。原因はなんとなく理解できた。窓際に佇むシャリアの雰囲気によるものだろう。
 数週間程ソドンで過ごし、気がついた事が一つある。
 メインブリッジの窓越しに、シャリアはどこか遠くを見ている事が度々あった。普段から窓前の定位置にはいるが、纏う空気が明らかに異なる時がある。そういった日は顔を見なくても、シャリアから寂寥感が感じ取れた。ただ、この状態だと、こちらからはどうにも話しかけにくい。手元の書類に目を落としながら、どうしたものかとエグザベは困窮していた。
「エグザベくん」
「コモリ少尉」
 近くにいたコモリから、コソコソと声をかけられる。
「どうしたの? 何かあった?」
「訓練の報告をしようか今まさに悩んでた所」
……あ〜」
 黒く広がった宇宙を見つめるシャリアを、コモリとエグザベが遠巻きに背後からじっと眺めた。
「うん。いつも外を見てはいるけど今日みたいな日、たまにあるもんね。中佐は秘密主義な所もあるから、ワケも話してくれないだろうし」
「まあ、確かに……
「しばらくあの状態だろうから、訓練の報告は後回しにしたほうがいいかもしれないね」
……そうしようかな」
 ポケットから携帯端末を取り出して、メッセージアプリを起動する。
『本日の訓練について報告をしたいので、後程お時間を頂けますか?』
 片手で簡潔な文章を打ち、送信ボタンを押した。横を見るとコモリが「わたしも後回しにしようかな。いやでも、今言っといた方が絶対楽」と眉を顰めながら静かに唸っている。その様子に苦笑しながら、シャリアの背中を再度流し見た。
 シャリアはよく、どこか遠い所を見ている。
 この事に気が付いた時、タイミングを見計らいソドンのクルー達に理由を尋ねたことがある。
 以前からずっとああやって外を眺めている。答えは皆、同じだった。
 ソドンに来る前は「シャリア・ブル中佐は未だに赤い彗星へ熱を上げている」なんて噂も耳にした事がある。そんな印象も頭の片隅に残っていたからだろう。茫然と宇宙を眺めているのは、赤い彗星を今でも探しているからだ。そう思えて仕方がなかった。ゼクノヴァで消えたMAVの片割れをかれこれ五年も探し続けているのだ。そういった世評が出てしまうのも無理もない。しかし、シャリアは軍内の評判など気にも留めていないのだろう。艦内での為人を見て、ただ何となしにエグザベは思い至った。
(よっぽど、大切なMAVだったんだろうな……)
 胸の辺りが不思議と痛む。ほんの少しだけ、赤い彗星の事が羨ましく思えた。
 手元の携帯端末が小刻みに震えだした。思案に暮れていた意識が急速に戻りハッとする。無機質な画面を見てみれば「新着メッセージが一件」の表示。送信元はシャリアだった。
『はい、構いません。では後程、私の部屋に来てください。よろしくお願いします』
 こんなに近くにいるのにもかかわらず、対話ではなくメッセージでのやり取りをしている事に、どこか可笑しさが込み上げてくる。シャリアの背中をもう一度見てみれば、漂う物悲しさが僅かに消えているような気がした。



 初めて訪れたシャリアの部屋は、いたって簡素な内装だった。もう少し豪奢な部屋を想像していたエグザベは思いがけず拍子抜けする。軍の、それも強襲揚陸艦だ。絢爛豪華な内装にするのは到底無理がある。ましてや、煌びやかにする意味もない。とは言うものの、この部屋は佐官クラスの人物に宛がわれるにしては、非常に簡素すぎる印象を受けた。
「すみません、少尉。こんな時間に来ていただいて」
「いえ、大丈夫です。こちら、本日の訓練についての報告書です」
「ありがとうございます」とシャリアが謝辞を述べる。書類を受け取ると椅子に腰掛けながら、丁寧に目を通し始めていた。数時間前までの寂寥感はまるでなく、その事にエグザベは少し安堵する。
 気取られない程度に辺りを見回すと、室内には必要最低限の物しか置かれていなかった。かろうじて私物と言えるであろう物は数冊の本と酒。加えて、前に貰った赤いパッケージのチョコレートが数個置いてあるだけだった。
 生活感がまるでない。ここまで徹底して何もないと、却って心配にもなってくる。
——なるほど。これは後でじっくり読む必要がありそうですね。ありがとうございます、エグザベ少尉。訓練続きで色々お疲れでしょう? 今日はゆっくり休んでくださいね」
「はいっ!」
 どうにもここ最近、シャリアの一言一行が気になってしまい仕方がない。監視対象を信じすぎてはいけない事は頭では理解しているつもりだ。それでも、何気なく言葉をかけられると、いつからかそれが嬉しくもあり、照れ臭く感じている自分がいた。妙な動きがないか監視をするためとはいえ、近くにいる期間が長すぎたせいだろう。
「それでは、ひとまず報告書も渡せましたのでこれで失礼し——
 ふと、頭の中をある考えが掠める。
 目の前にいるシャリアの事をもっと知りたい。軍人でありながら、その優しさはどこから来るのか。皆に慕われているシャリアの優しさの理由を知りたいと思ってしまった。今、この空間には自分とシャリアの二人だけだ。聞くにはまたとない機会ではある。
 だが、これは間違いなく私情を挟んでいる。任務には必要がない。入れ込みすぎるのも良くない。わかってはいる。けれど、それでも。
 後ろめたさと好奇心が天秤にかかり、ぐらぐらと揺れる。
「あの」
「どうかしました? 何か問題でも?」
……中佐は、どうしてそこまで人に優しくできるんですか?」
 無意識の内に口から言葉を発していた。ぐらぐら揺れていた天秤は好奇心の方へと傾いていた。
「私が、優しい?」
「あっ……
 エグザベからの率直な質問に、シャリアは目を丸くしていた。
 まずい。頭の中で警鐘が鳴る。みるみるうちにエグザベの顔からは血の気が引いていった。
「も、申し訳ありません! 上官に対して、なんて軽率な発言を……
 床に頭がつきそうな程の勢いでエグザベは謝罪をした。どうして好奇心に負けてしまったのか。己の不用意な発言に忸怩たる思いでいっぱいだった。
 しばらくの間、生きた心地がしなかった。部屋の中は規則正しい機械の稼働音だけが小さく聞こえる。
 シャリアは口を噤み、何も言葉が返ってこない。まるで時間が止まったかのように、静けさがずっと続いているだけだった。
「あの、中佐……?」
 おずおずとエグザベが頭を上げると、訝しげな表情を浮かべたシャリアと視線がぶつかる。
……少尉には私が優しい人間に見えているのですか?」
「え? は、はい」
「それはどうして?」
「どうして、ですか……
 シャリアからの問いにエグザベは思わず言い淀む。
 灰色に少しずつ緑色を混ぜたような瞳にじっと覗き込まれる。シャリアの瞳を見ていると、頭の中を全て暴かれているのではないかという印象があった。
 何故、優しいと思ったのか。艦内での日々を思い起こせば、柔和な表情で、常に他者に気を配るシャリアの姿が浮かんでは消えた。もちろん、その優しさ受けた対象は自分だけではない。人を思って行動する事が優しさではないとしたら、一体その感情は何なのだろうかと疑問に思う。
 エグザベは意を決して訥々と話し始めた。
「そうですね……。中佐はいつも僕や皆のことを気遣ってくれて、その時に必要なアドバイスもしっかり教えてくれます。ここに着任して、あなたから教えられたことも多い。だからあなたは優しい人だと、僕は思っています。恐らく、口には出していませんがソドンにいる人達も皆そう思っているはずです」
 本心から出た答えだった。
 この艦に来てからというもののシャリアの為人をずっと見ていた。監視の名目もあったが、嫌と言うほどに見続けた。君もニュータイプだから、と振り回される事もあったが、この温かい人がスパイだとはどうにも思えない。何かの間違いでは。いや、間違いであって欲しい。いつか貰ったチョコレートのような、甘ったるい考えが頭を掠める。
……そう、ですか」
 シャリアが顎に手を当てながらエグザベを見据える。何かを思い悩んでいるような、その視線がひどく刺さり痛い。
 やはり余計な事を言って、気分を害してしまったのだろうか。心臓が早鐘を打ち始める。額に汗がじんわり滲み、言いようのない不安に駆られた。
「貴方が思っているほど、私は優しい人間ではありませんよ。エグザベ少尉」
 椅子の軋む音が鳴る。シャリアが立ち上がり、ゆっくりと距離を詰めて来た。纏う物悲しさに気圧されて、指一本も思うように動かせなかった。一歩、一歩と近付く度にコツコツと無機質な音が部屋に響く。
「そんな事は」
 あなたは優しい人間です。そう発したいのに、言葉に詰まる。メインブリッジにいる時のあの寂寥感が部屋を満たしていた。視線が絡み、思わず息を呑む。ふわりと漂うシャリアの香りが鼻をくすぐり、距離の近さを存分に認識させられた。
「私には何もないんですよ」
 低く、耳あたりの良い声が囁く。
 そっと肩に手が置かれた。初めて会った時から何も変わっていない。優しく温かい、血の通っている掌だった。
 瞬間。
……っ」
 まるで脳裏を焼くような閃光が走った。
 閃光が消えた後、薄暗い何かが滔々と頭の中に流れ込んでくる。暗闇がこちらを推し量るかのように覗き見ているようだった。暗闇にじっと睨まれて、まるで体の中心にはぽっかりと穴が空いたような気分になる。暗い感情の奔流は次第に強くなり、心臓から末端まで黒々とした想いで徐々に蝕まれていくような感覚に陥った。
「今のは……
 肩に置かれた手がするりと下へ落ち、お互いの間に僅かな距離ができる。
 たった今、流れ込んできたものは一体何だったのか。一瞬の出来事だったが、とても長い時間が過ぎたようにも思えた。今まで経験した事がない奇妙な感覚に戸惑いを隠しきれず、エグザベはただ呆然と立ち尽くしていた。
……少尉」
 片手を口に当て、シャリアが伏目がちに喋り始める。
「何でしょうか?」
「先程言った通り、私は優しくなんかありません。優しく見えるのは……そうですね。適当な理由をつけるとしたら、その方が円滑に物事が進むと体に染み付いているからでしょうか。だから、貴方が知りたがっている事の理由なんて、私には無いに等しいんです」
「そんな風に……
 卑下をしないでほしかった。
 シャリア本人が言うように、理由なんて物は本当に無いのかもしれない。ただ、己の好奇心が動機を求めているだけだろう。それでも、自分や皆が受けた優しさは間違いなく本物だと断言できる。それ程までにエグザベはシャリアの事を信用していた。
「少尉、貴方はまだ若い。これから先、輝かしい未来も待っています。私のような優しくもない、何もない人間の事は、ここを離れた後に即刻忘れるべきです」
 淡々と話を続けるシャリアのペースに呑まれ、口ごもる。顔色を窺い見てみると、シャリアはひどく悲しげな表情をしていた。そんな顔をさせたかった訳ではないのに。焦燥が心の中を駆け巡る。
「忘れるなんて、できません……
「貴方のためを思って言ってるんです」
 伏目がちのまま、シャリアが少しため息を吐く。
……だ」
「え?」
「嫌だ!」
 やめてほしかった。赤の他人に対しては優しくできるのに、自身を擲つ事を。伝えたかった。さりげない気配りに心が穏やかになった人達がいる事を。詰まる言葉を出すために、必死になって声を立てる。
 だのに、ほんの少し前に流れ込んだ空虚な思念が、シャリアの言動を裏付けするかのように全身を這いずり回る。エグザベの心の中にはえも言われぬ不安が込み上げてきていた。
「少尉……?」
 ふと気がつけば、シャリアの両肩を目一杯に掴んでいた。
 不意に肩を掴まれたシャリアが面食らう。目を白黒させている様子を見て、エグザベは思わず視線を逸らした。
 後ろめたさ。好奇心。信用。不安。
 色々な感情でない交ぜになった心を全て見抜かれそうな気になり、肌が粟立つ。こちらを射抜く灰緑の瞳を、今はどうしても直視する事ができなかった。
……中佐はもしかして、自分には何もない。だから優しくなんかない。そう思っているんですか」
「当たらずといえども遠からず、ですかね。しかし、どうしてそう思ったんです?」
「ただの勘です」
……勘、ですか」
 シャリアが何かに気付いた様子で、エグザベに尋ねる。
「エグザベ少尉。貴方、先程私が肩に触れた時、何か視ましたか?」
……わかりません。一瞬だったので。視えたと言うよりは、何かが流れ込んできた? そんな感じでしたから。ただ——
「ただ?」
 自身の事を優しくも何ともないと感じている目の前の人物に心の丈をぶつけよう。そうでもしないと、慕ってくれている人達の事をシャリアは一生理解しようとしないのではないのか、そう思った。
 勇を鼓して、灰緑の瞳を見据える。肩を掴む掌にも自然と力がこもった。
「さっき流れ込んできたものが例えば中佐の感情で、人を気遣う理由なんて中佐自身がないと思っていたとしても! 皆や僕があんたから受けた気遣いは、間違いなく本物だった……! 皆、あんたの事を好きで慕っている。だから、中佐自身がそれを否定し、何もないだなんて。自分を卑下するような事、言わないで下さい!」
 心中を丸々見透かされてもいい。あれだけ詰まっていた言葉が、今は止めどなく溢れてくる。半ば投げやりな気持ちもあったが、何もないというシャリアの心の空洞をどうにかして埋めたかった。
「少尉……
「それに、また中佐が自分の事を卑下した時には、あんたは必要とされているって! 今回みたいに僕が全力で言いますからね!」
……君もなかなか頑固ですね。でも、不思議です。全く悪い気はしないですよ」
 口に手を当ててくつくつと笑い出すシャリアが視界に入り、エグザベは我に返った。一度ならず二度までも、自分は上官に対して何て無礼な事を言ってしまったのだろう。そう気づいた時に、顔色は再び蒼白となっていた。

「本当にすみません。中佐に対して何度も無礼な事を言ってしまい……
「いえ、構いませんよ。それにとても面白いものが見られましたし」
 こちらはいたって真面目に心中を吐露したというのに。明け透けに心中を話したのにもかかわらず、一言「面白かった」と返され、エグザベは僅かにむっとした。そんなむくれた様子を見て、シャリアが再び口を抑えながら笑いを堪えている。
 咳払いを一つする。ささくれ立つ心をどうにかして落ち着かせた。
「とにかく。報告も終わりましたので、今度こそ本当に失礼いたします」
……はい。また、何かありましたらよろしくお願いします、エグザベ少尉」
 一礼をして、扉の外へ向かう。ふと、思い立ち扉の前で一度足を止めた。シャリアは自身の事を何もないと言っていた。であれば、この生活感のない部屋はもしかするとシャリアの心中を体現したものなのかもしれない。もしそうだとしたら、この部屋も様々な物で満たせる事ができればいい。そう考えていた。
「ああ、そうだ。少し待ってください」
「? なんでしょうか?」
 既の事でシャリアに呼び止められる。振り返って見てみれば「確かここに入れたはず」と呟きつつ、机の引き出しから何かを探しているようだった。不思議に思い一部始終を眺める。目的の物はどうやら見つかったらしく、顔色をぱっと明るくしてエグザベに視線を戻してきた。
「これ、お一つ差し上げます。この前のより幾分か食べやすいはずですよ」
 差し出されたシャリアの右手を近くに寄って訝しげに見る。掌には以前と同じ小袋に入った菓子が一つ乗っていた。相変わらず何の変哲もないチョコレートではある。ただ、一点以前とは差異があった。目立つ赤色ではなく、深い緑色にパッケージが変化していた。
「また、お酒のアテですか? とりあえず、ありがとうございます。せっかくなのでいただきますね」
 小袋を開けてチョコレートを口に含む。チョコレートは口内の熱ですぐに形を崩した。確かに、シャリアが言うように以前の物よりも遥かに食べやすい。口に残る甘ったるさもなく、僅かな苦味も感じられる。
「美味しい……
 ほんの少しの甘さが訓練で疲れた体を解きほぐしていく。チョコレートの美味しさとシャリアの気配りに思わず顔が緩んでいた。
「美味しかったですか? 以前にあげたものは甘すぎたでしょう? 実は停泊中にこっそり今差し上げたチョコを買ってたんですよ」
「へぇ、そうだったんですね」
「ええ、そうですよ。少尉が気にいるかと思って、ね? その顔を見ると、どうやら喜んでいただけたようで良かったです」
……はい?」
 少尉が気にいるかと思って。わざとらしく誇張された言葉が頭の中でリフレインする。シャリアの意図が理解できず、しばらくその場で立ち尽くしていた。
「えっと……え?」
 狼狽えるエグザベの様子を見て、シャリアは目を細めながら微笑んでいた。もしかすると、シャリアは人心掌握術に長けているのではないか? 今更ながらにそんな考えが頭をよぎる。
 口の中のチョコレートの甘さはいつの間にやらどこかへ消えていた。監視の任務とシャリアに好感を抱いてしまったこの状況に終わりが来る気配はしばらくないだろう。己の勘がそう告げている。