桐子
2025-10-27 15:16:30
3693文字
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まわる世界21(完結)


もうすぐ夜が明けるという頃合いに目が覚めた。
腕の中が暖かくて、鬼太郎を抱っこしているのだと思ったが、しっかりと肉の付いた骨っぽい腕で、息子でないことに気が付いた。寝ぼけたまま視線を彷徨わせると、端正な鼻梁が見えて、ああそういえば、昨夜は水木と初めての夜を迎えたのだと思い出した。
水木はすうすう寝息を立てながら、ゲゲ郎にしっかりとしがみついて眠っている。まるで幼い子どものように安心しきった寝顔だ。目元に涙のあとが残っているのは、昨夜さんざん泣かせたせいだろう。
ゲゲ郎は水木の涙の跡に口づけると、ゆっくりと起き上がった。布団のすぐ側に脱ぎ捨てた着物をざっと羽織り、帯を締める。無性に煙草が吸いたかった。水木を起こさないようにそっと襖を開ける。廊下に出て雨戸をあけると、外は雨だった。細い雨が庭木を濡らし、冷たく湿った空気が昨夜の甘く熱い空気のこもる部屋へ流れ込んでくる。ゲゲ郎は雨戸に寄り掛かるようにして、煙草の箱を取り出した。
パシュッ。
マッチを擦って火をつけ、煙を深く吸い込むと、頭が冴えていく。ゲゲ郎はしばらく雨の音を聴きながら煙草をふかし、それからゆっくりと紫煙を吐き出した。
思えば、自分の人生を変えるような出来事があるときには、いつも雨が降っていた。
母親が死んで警察に保護されたときも、妻と出会ったときも、水木との結婚式も――――。ゲゲ郎は煙草をふかしながら、ぼんやりと雨に濡れる庭を眺めた。
「ん……げげろう……?」
背後から掠れた声がして振り向くと、水木が目をこすりながらこちらを見ていた。まだ眠そうに目をとろんとさせている。
「おはよう、水木。もう少し寝ておればよいのに」
「ああ……
水木はもそもそと布団から這い出てくると、ゲゲ郎の隣までやってきて縁側に座った。それから甘えるように肩に頭を預けてくる。
「ひどい目にあった」
初夜のあととは思えない言いぐさに、思わず笑ってしまう。
「なんじゃ、その言い方は」
「初心者相手に飛ばしすぎなんだよ」
あのあと、一度で終わるはずもなく、二度、三度と体位を変えて何度も交わった。淫らな言葉を言わせたり、恥ずかしい格好をさせたりして、水木はなかなか羞恥を捨てきれず抵抗していたが、最後には泣きながら気持ちいいと言ってくれた。
「心も身体も全部わしに溺れさせたくて必死だったんじゃ。許せ」
そう言うと、水木は恥ずかしそうに俯いた。
……別に、嫌とは言ってねえ」
「それはよかった」
ゲゲ郎は水木の顎を掴んで上向かせると、優しく口付けた。最初はされるがままだった水木も次第に舌を絡めてきて、濃厚な口づけを交わした。長いキスのあと唇を離すと、名残惜しそうに見つめてくるのがいじらしい。
「なあ……俺にも吸わせてくれよ」
「ああ」
吸いさしを水木の口元へ持っていってやると、薄く唇を開いて煙草を咥えた。すう、と深く息を吸い込んで煙を吐き出す姿は、なかなか様になっている。
「まずい」
「くく……そうか」
ゲゲ郎は笑いながら、水木の口から煙草を抜き取り、再び自らの口に戻した。水木はまだ布団に戻るつもりはないらしく、ゲゲ郎にぴたりとくっついてくる。冷え性の自分には、水木の高い体温は心地よかった。
「俺は、雨は好きなんだ」
「ほう」
ゲゲ郎は雨空を見上げた。細い雨が霧のように庭を覆い、庭に咲く椿の花をしっとりと濡らしている。
「お前と初めて出会ったのも雨の日だっただろ。従姉妹の沙代ちゃんには、泣き暮らすようで縁起が悪いと言われたが……俺にとっては、雨は吉兆なんだよ」
まだ眠いのか、水木の口調はどこか幼い。ゲゲ郎は水木の肩を抱き寄せ、額に口づけた。
「わしも雨は好きじゃ」
……なんで?」
「おぬしに会えたからのう。――――そういえば、初めて会ったとき、なんて美しい男じゃとおぬしに見とれておったのを思い出したよ」
そう言うと、水木は照れたように視線を逸らして俯いた。
東の空が少しずつ明るくなっていく。もうすぐ雨も止むだろう。細い雨はまるで、天から伸びる透明な糸のようだ。この糸が、水木と自分を再び引き合わせてくれたのだ。
「愛しておるよ」
ゲゲ郎がそう言うと、水木は「俺もだ」と言って微笑んだ。







桜の花が舞い散る中、鬼太郎はピカピカのランドセルを背負い、ゲゲ郎と水木と並んで小学校への道のりを歩いていた。
「いい天気だな」
「そうじゃのう。入学式日和じゃ」
水木の言葉に、ゲゲ郎はのんびりと頷いた。
今日から鬼太郎も一年生。あの赤ん坊だった息子がもうそんなに大きくなったのだと、感慨深かった。妻もあの世で喜んでくれていることだろう。
「それにしても、俺までよかったのか?」
今日の水木は、びしっとスーツを着て、ピカピカの革靴を履いていた。さっきから通りかかる女たちが皆振り返るほどの男ぶりだ。この男が、昨夜は自分に抱かれて淫らに喘いでいていたのだと思うと、たまらない気持ちになる。
「みずきさんはぼくのおとうさんですからね。とうさんとおとうさんとぼくのさんにんじゃないと、かっこうがつきませんよ」
「しかし、男同士の夫夫が父親なんて、お前が学校でいじめられたりしないだろうか」
「そういうひとたちは、かちかんをあっぷでーとできていないふるいかんがえのひとなんですから、なにをいってこられてもべつにきにしません。それに、ぼくたちはようちえんで、おとこのこどうし、おんなのこどうしでけっこんすることもあるってまなんでいますからね」
「お前は本当に、わしの子とは思えん賢さじゃのう」
「奥さんに似たのかねえ」
そう言って水木は笑った。
やがて桜並木が途切れて、小学校が見えてきた。鬼太郎は手を伸ばし、水木とゲゲ郎の手を握った。
「ぼくのおとうさんたちはこんなにかっこいいんだって、じまんしなくっちゃ」
意気揚々と言う鬼太郎に、水木とゲゲ郎は顔を見合わせて笑った。
ーーーーずっと、息子が気の毒だった。生まれたときから母を亡くし、頼りない父に育てられ、苦労ばかりかけてきた。だから年に似合わず大人びて、甘えることもわがままを言うこともない、聞き分けのいい子になってしまったと。
だが、ランドセルを背負った息子の顔は、きらきらと輝いている。子どもらしい無邪気な笑顔だ。ゲゲ郎は、思わず涙ぐんでしまった。
「お前、また泣いてんのか」
水木は呆れたように言ってポケットへ手を突っ込む。朝から泣き通しなので何も言い返せない。
「面目ない……
「ほら、父親が泣いてたんじゃ格好がつかん。早く行くぞ」
水木はポケットからハンカチを取り出した。白いアイロンのかかったハンカチだ。ゲゲ郎はそれを受け取って涙を拭った。ハンカチを貸してもらうのはこれで二度目だ。
「ありがとう」
「おう」
水木は快活な笑みを浮かべてそれに応えてくれた。

この世は目に見えない無数の糸でつながっている。
ゲゲ郎は母によってこの世に生をうけ、母の死によって妻に出会った。妻は死んだが鬼太郎を残してくれた。そして彼女は水木とも引き合わせてくれた。それは決して偶然ではなく、ごく細いながらも強く繋がった糸のおかげだったのだ。
あるいはその糸を、人は運命と呼ぶのかもしれない。

――――すまんな岩子。まだまだそちらには行けそうにない。

息子を立派に育てると約束したが、そのあとはいつ死んでもいいと思っていた。しかし、立派に育った倅が恋をして妻をめとり、その子どもが生まれるのを見たい。幽霊会のみんなの面倒も見なくてはならないし、時貞翁には返しきれないほどの恩を受けてしまった。何より、水木という連れ合いができたのだ。死によって引き裂かれるまでは、彼と添い遂げたい。
生きたい。大事な人たちの未来を、この目で見ていたい。

ゲゲ郎はそんなことを考えながら、鬼太郎の手を握った。
水木が合図をするように目配せをしてくる。それに応じて、ゲゲ郎は握った手を上にあげた。同じタイミングで手を上げた水木のおかげで、鬼太郎の小さな体が宙に浮いた。
「わあ!」
嬉しそうにはしゃぐ息子を見て、ゲゲ郎は目を細めた。
三人の手はしっかりと繋がれて、学校への道を進んでいく。花びらの舞い散る春の日のことだった。





余談ではあるが、関東最大といわれる龍賀会の頭、龍賀時貞翁は、齢百を越えるまで壮健に過ごした。
病院ではなく家で最期の時を過ごしたいという彼の願いは聞き届けられ、時貞翁は家族に見守られながら静かに息を引き取った。
彼は死の直前、娘とこんな会話を交わしたそうだ。
「悔しいのう、次は二百組を目標にしておったのに」
「百組も縁を取り持てば充分でしょう。しかも、離縁をした夫婦は一人もいないとか。水木さんも幸せそうでしたし……ふふ、お父様のご慧眼には参りましたわ」
娘の称賛に、彼は呵々と笑ったという。

「そうじゃろう、そうじゃろう。余の人を見る目は確かじゃった!」

彼は、最期まで仲人としての自分の能力に、鼻高々であったそうだ。



おわり