◇◇◇
「恥を忍んでお聞きするのですけど
……その、パートナーとの夜の頻度を増やすには、どうしたら
……」
後日。まさかの神本人から直々に相談を受け、にゃむは危うく楽屋の椅子から転げ落ちるところであった。
いやあのスパチャ、マジであんたかい──そう突っ込みたい気持ちをぐっと堪える。隣に座る祥子は目の下にうっすらと隈をつくり、肌も髪もすっかり艶を失っている。『パートナー』の件で相当な精神的ダメージを受け、憔悴しきっているのが見て取れた。にゃむにこうして相談してきたのも、なりふり構っていられなくなってのことだろう。
ならば、茶化すわけにもいくまい。にゃむは居住まいを正し、真摯に対応することにした。
「えーと、相手
……ういこは、どんな感じなの? したくなさそうとか?」
「
……いえ、そういうわけではないと思いますわ」
「さきこ側からアプローチはしてる?」
「しているつもりなのですけれど、そういう雰囲気にならなくて
……」
私に、魅力がないのかしら。そう呟く祥子の姿は見るからに悲痛で、にゃむにも同情の気持ちが湧いてくる。そもそも、祥子がここまで弱ることなど滅多にない。普段の高潔さが影を潜めたその表情は、今にも泣き出しそうな幼い子供のようにも見えて、にゃむの中に眠る『お姉ちゃん』の部分を的確に刺激した。何とかしなければ。そんな使命感が芽生える。
「いやいや、そんなことないでしょ! ういこ鈍そうだし、誘われてるって気付いてないだけなんじゃない?」
「そう、かしら
……」
「絶対そうだって! もっと大胆にいってみたら? ほら、こんな風に
……」
「きゃっ
……?」
言いながら、にゃむは祥子に抱きつく。祥子は驚いたのか、腕の中でびくりと身を震わせた。
「こうやってさ、耳元で囁いてみたりして
……」
「ちょ
……っと、にゃむっ、く、くすぐったいですわっ
……!」
ふざけて吐息で耳を擽ってみれば、祥子は堪えきれずに笑いを零す。
……よかった、笑っている。血色の悪い頬に赤みが戻っていく様子に、にゃむは少し安堵した。
「ういこみたいなタイプはさ、多分はっきり言わないと伝わんないよ。直接言葉にしてみたら? 抱いてくださいまし~、って」
「そ、そんなことっ
……、言えませ、んっ
……」
「でも実際に頻度減っちゃってるんでしょ? じゃあ待ってる場合じゃないよ、押さなきゃ」
「んぅっ
……、で、でもっ
……」
「
…………」
耳元で声を響かせるたびに、祥子がくすぐったそうに身を捩る。その様子を初めは微笑ましく見ていたにゃむだったが、続けていくうちに、だんだんと違う感想が頭に浮かび始める。
何と言うか。
……思いのほか、反応がいい。
にゃむからしてみれば、こうして祥子に抱きついて囁いていることなど、じゃれ合い以上の意味を持たない。落ち込んでいる祥子の気を少しでも紛らわせれば、という程度のものだ。
しかし、祥子の身体はそんなささやかな刺激を敏感に拾い、ふるふると可愛らしい反応を返している。それはステージ上の忘却の神・オブリビオニスとも、Ave Mujicaの総合プロデューサー・豊川祥子とも違う、にゃむの知らない祥子の姿だった。
「んぁっ
……! やっ、ぁ
……」
試しにほっそりとした項に指を這わせてみれば、祥子は面白いくらいに肩を跳ねさせる。それどころか、鼻にかかったような甘い声を上げながら、にゃむの胸元にしなだれかかってきた。
(
……い、いやいや。いくら何でも弱すぎじゃ
……?)
失礼ながら、そんなことまで考えてしまう。それくらいに祥子の身体は『素直』すぎた。元々そうなのか、あるいは、そうなるよう躾けられたのか
……。
……脳裏に金髪のギターボーカルの姿が浮かぶ。あの忠犬、虫も殺せなさそうな顔をしておきながら、意外とやることはやっているらしい。何となく、ベッドの上での二人のパワーバランスについても推察できてしまった。
「ふ、ぅぅっ
……。んぅぅ
……」
「
…………」
……しかし、と思う。
普段の気品溢れる姿しか知らないにゃむにとって、こういう祥子は新鮮だった。言葉を選ばず言うなら
……かなり、面白い。
そもそも、やれネットリテラシーだのコンプライアンスだので、何かと祥子からお小言を貰いがちなにゃむである。いつもいつも母親のように口うるさい祥子が、今この時ばかりはにゃむの指先に翻弄され、小動物のようにぷるぷる震えている。それが面白くないはずがなく、にゃむの中にふつふつと悪戯心が湧き上がるのも、仕方のないことであった。
「
……さーきこ」
「ひゃあっ
……!?」
わざと吐息を含ませるようにしながら、祥子の耳元で話しかける。びく、と大きく跳ねる身体をすかさず抱きとめ、腕の中に閉じ込めた。
「どうしたの、かわいー声出しちゃって。
……耳、弱いんだ?」
「ゃっ、ち、ちがっ
……」
「ふーん? じゃあこういうことされても平気だよね?
……ふーっ
……♡」
「きゃうぅっ!?♡」
耳に向かって息を吹きかけると、祥子は甘い嬌声を上げて背中をしならせた。続けて二度、三度と吐息を送り込む。祥子は吐息の熱に合わせてがくがくと全身を痙攣させ、そうしなければ耐えられないとでも言うかのように、にゃむの身体にぎゅっとしがみついてきた。その耳は今や真っ赤に色付き、食べ頃の果実のようににゃむを誘っている。
「よっわぁ
……♡ 耳だけでもうへろへろじゃん♡」
「ひぅ
……♡ ち、ちが
……♡ ちがぅぅ
……♡♡」
「違わないでしょ♡ こんなにやらしー身体してるのに、ういこに放置されちゃってるんだ? さきこかわいそ~♡」
「う
……♡ うぅ
……♡」
嘲るようにそう言いながら、片手を祥子の背中に這わせる。テクニックも何も無い、単なる上下運動。にもかかわらず、祥子はにゃむの手が通り過ぎるたびにぞくぞくと背筋を震わせ、「はぁ、ぁ
……♡」と陶酔のため息を漏らした。
これは
……いじめがいが、ありすぎる。少し触れただけで期待以上の反応が返ってきて、楽しくて仕方がない。ちょっとからかうだけのはずが、気が付けば手が止まらなくなっている。あまりにも従順に身を委ねてくる祥子に、にゃむも次第にのめり込みつつあった。
「ねぇ、もう素直になれば? ほんとは触ってほしいんでしょ? 『さわってください♡』って、おねだりしてみてよ♡」
「そ、そんな、こと
……♡」
「かわいくおねだりしたらさ
……ういこだって、こういう風に、触ってくれるかもしれないよ
……?」
「ぁ
……、ぅ、ういか、ぁ
……♡」
初華。その名前を出した途端に、祥子の目がどろりととろける。同時に、祥子を保っていた最後の理性も、溶けてどこかへ消えていった。
「ね、言ってみて? さわってください、って
……♡」
「ぁ、ぁ
……♡
……さ、触って
……♡ ういか、さわってぇ
……♡♡」
にゃむに促されるまま、祥子がとうとう、陥落の言葉を口にする。ただし、それはにゃむにではなく、想像上の初華に向けたものだった。祥子はどこまでも一途で、初華のことしか見えていない。切ない声で初華を求める祥子の姿を見て
……にゃむは不覚にも、それを可愛いと思ってしまった。
「はいはい、お望み通り触ってあげますよー、
……『さきちゃん』♡」
「ぁっ
……!♡ う、ういか♡ ういか、ういかっ
……♡ ういかぁ
……!♡♡」
指先をぱらぱらと動かして背中を擽りながら、もう片方の手ですっかり熟れた耳をくにくにと弄ぶ。たったそれだけで、祥子はがくっ♡ がくっ♡ と、まるで秘部を触られているかのように激しく身体を震わせた。
……明らかに、先程までとは反応が違う。『初華』が触れるとこうも違うのかと、ざわついた感情が込み上げそうになって
……慌てて、にゃむはそれを振り払う。
「は、はつっ
……♡ ぅ、ぅう、ういかぁ
……♡♡ すき、すきっ、すきぃ
……♡♡」
祥子はにゃむの胸元にすりすりと顔を擦り付けながら、くぐもった喘ぎ声を漏らしている。『すき』という言葉が聞こえて、思わずどきりとする。
……違う、自分に言ったんじゃない。そう頭では分かっているのに、まるで祥子の声と共鳴するかのように、にゃむの両手の動きは激しさを増していった。
「はぁっ、はっ
……♡♡ ぅ、ういかっ
……♡ すき、もっとぉ
……♡♡」
快楽をねだる掠れた声。蜂蜜のようにどろりと甘いそれを流し込まれて、にゃむの頭の中が灼かれていく。駄目、もうやめないと、冗談じゃ済まなくなる。理性がそう叫んでいるけれど、その声はどんどん遠く、小さくなって、祥子の声に上書きされていった。
……ふと、先日の配信のことが脳裏に浮かぶ。あの日、パートナーと体を重ねる機会が減ったと悩む相談者に、にゃむは『刺激的な下着でアピールしてみては』とアドバイスした。
あの相談者が祥子本人だったというのなら、祥子はにゃむのアドバイスを実践したのだろうか。『刺激的な下着』を、身に付けてみたのだろうか。
……今も、着けているのだろうか。
ぼんやりと、目の前の祥子を見やる。露出が少なく、祥子の首元までをぴっちりと覆う服。その服の下は、どうなっているのだろう。
確かめてみたい。暴いて、みたい。そんな衝動に突き動かされるまま、にゃむの手が祥子の下半身に伸びる。スカートの端を少し捲り、膝をかり、と擽ると、祥子が大袈裟に両脚を跳ねさせた。
祥子の荒い呼吸が部屋に響く。世界から他の音が失われたかのように、もうそれしか聞こえない。お互いの体温しかわからない。祥子のことしか、考えられなかった。
両手がひとりでに動く。熱い吐息が肌に染み込む。太腿を撫で上げる。腕の中の小さな身体が跳ねる。そのまま、にゃむの手は導かれるように、その奥へと進んで──
「
……何してるの?」
──突如、楽屋に冷え切った声が響いた。
びくりと、祥子と二人して硬直する。
弾かれたように声の方を見やれば──渦中の人・三角初華が、楽屋の入口に佇んでいた。
別の現場から直行してきたらしい初華は、いつも通りのキャップ姿で
……しかしその目元には、いつもよりも暗い影が落ちていた。
「
……っ、う、ういこ、おはよ
……」
急激に血の気が引いていく。にゃむは震えそうになる唇をなんとか落ち着かせ、やっとの思いで挨拶の言葉を絞り出した。
初華からの返事はない。その代わりに、二人に向かって足早に歩み寄ると、祥子を背中に庇うようにして、にゃむの前に立ち塞がった。
「なに、してたの」
再度、初華が問う。その声には彼女らしからぬ圧が籠もっていて、流石のにゃむも一瞬、言葉に詰まった。
「
……ぅ、ういかっ
……ちがい、ますの。にゃむは
……私の相談に、乗ってくれていた、だけで
……」
初華に隔てられた向こう側から、息も絶え絶えの祥子が必死に弁解する。しかし祥子の言葉をもってしても、初華のまとう雰囲気は少しも和らがない。
……どころか、より刺々しさを増していった。
「
……ただの相談で、身体を触る必要があるの?」
吐き捨てるように初華が言う。祥子は返す言葉がないのか、何も言えずに黙り込んでしまった。にゃむも当然、言い訳など全く思い付かない。誰も言葉を発することはなく、楽屋の中に重苦しい沈黙が立ち込める。
……その沈黙を破ったのは、初華だった。
「さきちゃん、ちょっと来て」
「ぇ、
……きゃっ
……!」
初華は唐突に後ろを振り向くと、祥子の腕を取って強引に椅子から立たせた。そのまま祥子を引き摺るようにして、楽屋の入口に向かってつかつかと歩いていく。突然のことに、にゃむは呆然と見送ることしかできない。
そして初華がドアノブに手をかけて、楽屋を出ていく直前。彼女はにゃむを一瞥し、
「
……こんなこと、二度としないで」
それだけ言い残して、ばたん、と荒々しくドアを閉めた。廊下から、二人の話し声と足音が僅かに聞こえてくる。それもやがて、遠くへと消えていった。
「
……はぁぁ
……」
一人残された楽屋の中で、にゃむは重い溜息をついた。
こんなはずじゃなかった。そんなつもりはなかった。誰に言うでもない言葉が、頭の中に浮かんでは消えていく。あとに残ったのはただ、後悔だけだった。
……初華には、間違いなく嫌われただろう。ただでさえ、にゃむは初華の『苦手なタイプ』に属しているのか、いまいち心を開いてもらえていない節があったというのに。それが今回の一件で明確な亀裂が入ってしまった。今後は要注意人物として初華にマークされながら、ひたすらに居心地の悪いバンド生活を送る羽目になるだろう。自身を待ち受けるであろう暗い運命に、にゃむの気持ちは深く沈んだ。
「あー
……」
椅子に背を預け、天を仰ぐ。溜息と共に声が漏れる。そのまま、今日の記憶も体の外に追い出してしまいたかった。
祥子の甘い声。潤んだ瞳。柔らかな身体。火傷しそうなほどの、熱。
全部、何もかも、忘れてしまいたい。
「
……さきこ、大丈夫かなー
……」
ぽつりと呟く。初華と一緒に楽屋を出ていった祥子。いったいどこに連れて行かれてしまったのだろう。
……どこであろうと、碌なことにはなっていないだろうな、と思う。初華のあの剣幕からして、無事では済まされないだろう。今頃嫌と言うほど『おしおき』されてしまっているに違いない。そして間違いなく、今夜帰ってからその続きが執り行われることだろう。
パートナーと体を重ねる機会が減った。祥子のその悩みは、図らずも解決しそうだ。
……ただし、祥子の望んだ形での解決とは限らないが。
「さきこ、まじごめん
……」
受け取る相手のいない謝罪が、ただ空気に溶けていく。
祥子が今夜とんでもない目に遭うとして、その責任の一端
……というか八割くらいは、にゃむにある。祥子が快楽に弱すぎた部分もあったとはいえ、結局自制できなかったのは自分だ。だからこそ、祥子のこれからを思うと申し訳なさが募った。
祥子のために、にゃむができるせめてもの贖罪。
……一つだけある。
にゃむは私用のスマートフォンを取り出し、メッセージアプリを起動すると、履歴の一番上にいる相手にメッセージを送った。
『うみこ~、明日のムジカの合わせ練さ、午後にずらせる?』
『可能ですが、なぜですか?』
『諸般の事情~』
それだけ送り終え、にゃむはスマートフォンを机に伏せた。
……今のにゃむにできることは、これくらいだ。あとはもう、どうにかなってくれることを願うしかない。
ぼんやりと、楽屋の扉に視線を向ける。そして、その先に消えていった祥子に思いを馳せる。
──せめて今夜、足腰が立たなくなる前には解放してもらえますように。
にゃむは一人きりの楽屋で、そんなささやかな祈りを捧げるのだった。
~おしまい~
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