高尾
2024-09-25 18:39:34
4224文字
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孫歌④

夏の終わりの線香花火


 昨夜は本丸に花火が上がったらしい。
 イベントでたくさん集めて余ってしまった花火玉を、毎年の十五夜を過ぎたこの時期に盛大に打ち上げるのだそうだ。
 丘の手前の畑の脇から、力自慢の刀達が協力して打ち上げる。一方本丸では皆で軽装に着替え、広間の座敷や濡れ縁に思い思いに腰を下ろして、おむすびや西瓜やかき氷を食べながら、夜空を飾る大輪の花に歓声を上げるのだ。
 花火玉を10万個も集める間に花火なんて見慣れてしまっているのだろうに、そこはまた趣が違うらしい。この花火を最後に本丸の夏は終わる。それが慣例になっているのだと話してくれたのは、手入部屋に一緒に入っていた同田貫だった。いつも打ち上げる方をやってんのに手伝えなくて悪かったなと、金色の瞳を伏せて少し寂しげに呟いていた。

「だからね、孫六。君にも最後の夏を届けに来たよ」
 そう言って歌仙は俺の部屋の縁側に、蝋燭や水の入った手桶などを運んできた。
 手入から開放されて自分の部屋に戻った夜のことだった。
 昨夜の賑いの様子を聞いてもいまひとつ想像できないほど静かな夜だ。肌に触れる風は草木や土の匂いを孕んでひんやりとしていて、座っているだけで汗が滲んでいたほどの真夏の暑気はいつの間にか9月の風に押し流されていた。小さな縁側の前庭には萩が咲いて、その足元から涼やかな虫の声が聞こえてくる。夜空は深い紺色に染まり、記憶にある7月7日の空よりも星が冴え冴えと遠くに見えた。

 昼間、偶々歌仙と行き会った廊下で、おや手入は終わったんだねと声を掛けられた。何気のない立ち話を交わした最後に「今夜、部屋に行くよ」とひそやかな声で歌仙から告げられて、それからの俺は胸の奥が波打つような、身の置きどころが定まらぬような、そわそわとした心地で過ごしていた。自身も彼も明日は非番であることは確認していたので、冷やしておいた香り高い吟醸とそれに合う軽いつまみなどを拵えて歌仙を待つ間、去年の秋にここへ顕現してから1年近く過ごした日々を想った。
 血腥くざわりとした手触りの昏く冷たい塊を腹の底に抱えていた俺の視界は、美濃伝や幕末の刀をはじめとした本丸の連中との関わりを深めるうちに、鮮やかな色を持つようになった。
 特に、揺れる藤色の髪と、濡れた若葉のような瑞々しく透き通った瞳に惹き付けられてから、尚更に。
 
 「僕ばかりでなく、こちらも見てくれないか」
 照れたような歌仙の声にハッとした。手桶などを置いて縁側に腰を落ち着けた歌仙の、白い手から差し出されているのは細長い桐の箱だった。歌仙がその箱を開くと、中には鮮やかな七色の栞が10本ほど縦に並んでいる。関西に多いスボ手ではなく、和紙の紙縒りを持ち手にした長手牡丹だった。ひと目でそれとわかる高級品だ。
「桐箱に入った線香花火なんて初めて見た」
「きみと一緒にと思って、買っておいたんだ。夏が終わる前に出番を得られて良かった」
 小さな燭台に乗せた蝋燭に燐寸で火をつけると、歌仙の白い横顔が淡い光に照らされる。俺は一旦立ち上がって部屋に戻り、電灯を消してまた縁側の歌仙の隣に腰を下ろした。
 小さな蝋燭のひかりでも、軽装姿の歌仙の輪郭を描き出すには十分だった。炎の揺らめきに合わせて着物の裾から伸びる白い足が見え隠れする。そこに目を奪われそうになるのを必死で堪えた。その足に唇で触れたときの感触を思い出して、どうにかなりそうだったからだ。

 彼の手が桐箱の中から線香花火を1本抜き出し、どうぞと差し出す。ではお先にと受け取って、先端に蝋燭で火を点けた。
 周りの紙が燃え、溶けた火薬が丸く溜って、そこから小さな小さな細い火花が弾けると、あたりに香ばしい火薬の香りが漂った。繊細な金色の火花は葉脈のようであり、大樹の根のようにも見えた。だから歌仙がふふと微笑って「枝葉みたいだね」と言ったとき、少し驚いて手先が震えた。火薬が落っこちないかとヒヤリとしたが、燃える火薬玉は無事に小さな花をチリチリと紡いでいた。
「そんなに驚くことかい?」
「いや、同じことを考えていたからさ……
「きみが愛おしむ枝葉のイメージはこんな感じなのだろうと思ったんだ。明るく弾けて闇夜を照らす、美しい光だ」
 そうだな、と俺は小さく頷いた。

 炎の中から生まれた俺達は、火花に馴染がある。細かな光が飛び散る様はどうしたって懐かしさを覚える。この小さな火花は確かに枝葉に似ていた。蕾から牡丹が花開き、その儚い火花が松葉のように華やかに燃え上がり始めると、ややあって菊の花弁のような細長い火花を吐き出すばかりとなり、やがて静かに消えた。
 あまりにも儚いそれは、人の一生のようだった。
「終わっちゃったか」
「次は僕が」
「交互なんだ」
「だって10本しかないのだから、ふたりで一緒に火をつけるとすぐに終わってしまうだろう」
 だったら次は花火セット買ってさ、無骨と和泉守も呼んで賑やかにやろう、と話すと、歌仙はそれは良いねと笑った。
「楽しみだよ。きみの物語がまた増える」
「物語?」
「きみはどこか、ふっと消えていなくなってしまいそうなところがあるから。敵を斬っていても皆とはしゃいでいても違うところを見ていて、すべてに執着がないというか。だから、そうはさせるものかと必死なんだよ」
「そうかな、これでもけっこう楽しんでいるつもりなんだが」
 そう言ってはみたものの、見透かされていることにドキリとした。
「まぁ……ちょっとは寂しかったかな」

 確かに、顕現した頃の俺は少しさびしかった。寄せ集めた逸話の周りに空洞というか歪な隙間があって、その隙間を埋めようとしてたくさんの本に手を伸ばした。
 ひとつも取り零したくないと思っていた。孫六兼元の物語を。どこかに俺の知らない孫六兼元がいて、そいつが揃わなければ俺は完全じゃないんじゃないかと思ってた。
 けれどこの本丸に来て、容赦なくいろんな体験がドカドカとこの身に降って来るのでそれに埋もれているうちに、寂しいどころじゃなくなっちゃってさ。
 そんな話をしている間、歌仙は俺の顔を見て微笑んでいた。せっかく点けた線香花火が手元で美しく咲いているというのに。

「それなら、覚悟してほしい。君の本棚をこの本丸の物語でもっといっぱいにしてあげよう」
「いいねぇ、お返しに歌仙の中も俺でいっぱいに」
「言い方が不届き千万なんだが」
 終わってしまった線香花火の紙縒りを手桶の中に浸けてから、歌仙は即座に「はい」と次の線香花火を差し出して来た。動きに隙がなさすぎる。
「なんで可愛いことを言ったあとに俺の手を封じようとするんだ」
「不埒な手を阻止するためだよ、勿論」

 ふふ、と不敵に笑われる程度には、俺と歌仙は馴染んでいた。交わる空気も、感情も。そうなるまでには紆余曲折あって、その間にいろんなことがあった。俺にとって初めての季節を歌仙と共にいくつも超えた。冬から春、夏を過ぎて、もうすぐ本丸に秋が来る。
 夏だけでも大変だったよ。熱中症で倒れるし、日焼けは痛いし、カキ氷食べても頭が痛いし。
 夏の間の思い出だけでも限りなく出てくる。夜光貝の炊き込みご飯が思いの外美味かったこと、熱い砂浜を素足で歩く感触を知ったこと、玉蜀黍畑での短刀達とのかくれんぼに本気になったこと。急な夕立と雷に驚いて、ずぶ濡れの泥だらけで馬を回収しているうちに楽しくなって和泉守と大笑いしたこと。
 そんな他愛もない話を、歌仙は嬉しそうに聞いていた。長い思い出話の間に互いの花火は次々と終わってしまい、中には笑った拍子に蕾が落ちてしまうものもあった。俺ばかりが喋っているのも何なので「歌仙は何が楽しかったんだ?」と訊けば、歌仙は少し考え、やがて耳を赤くして「きみと過ごしたことかな」と顔を逸らしてしまうのが堪らなく愛おしかった。

 俺が持っていた9本目の花火はとっくに終わっていた。歌仙はそれを見て、最後の花火を箱から取り出して火をつけた。今度は俺の方を見ようとせずに、熱い蕾から弾ける火花をじっと見詰めている。翠の瞳が瞬く光に照らされて揺れていた。
……だから、去年の打ち上げ花火の方が楽しかったよ」
……? だから、というのは?」
「だって君が顕現する前は、君が隣にいない寂しさなんて知らなかったのだから。――今年の花火は少し、寂しかった」

 昨夜、本丸の夜空を飾った花火が上がるころ、俺は出陣先にいた。向こうの時間軸では昼間だった。重い灰色の雲の中で雷鳴が轟き、あたりは瘴気に満ちていた。血塗れで敵を斬り続けながらも餓えを満たすことに夢中だった。斬ることへの衝動に取り憑かれながら、それでも心のどこかで、本丸で待つ恋刀のことを想っていた。

「この夜を、覚えていてほしい」
 歌仙の手の下で、最後の線香花火が鮮やかに火花を散らした。手作りなので花火にも個体差があって、それまでのものよりいちばん華やかに燃えていた。
「願掛けだよ。この光を目印に、君が必ず帰ってきてくれるようにと」 
 耳に髪をかける仕草。線香花火の瞬きに照らされて蛍のように揺らめく瞳の色。照らされた白い首筋。
 夜の空気にひそやかに溶ける、声。

 美しい刀だった。どうしてこんな美しくて強い刀が俺を好いてしまったのかわからない。どうして初期から本丸にいて、無垢のままでいてくれたのかもわからない。俺と恋仲になったと知ったときの周りの連中の、いや知ってたけどさぁ!!みたいな反応も腑に落ちないまま、何だかんだ共にいることを許されているのも俺からすれば奇跡みたいなものだった。

 だから、ずっと憶えている。歌仙と過ごした時間の全部を。歌仙が俺を想ってくれた言葉のやさしさを。線香花火の儚い瞬きの美しさを。こんなにも得難い夜の光景を。

「忘れないし、俺はあんたとずっと一緒にいたいと思ってるよ」
 折れず曲がらずって言ってもさ、俺達は武器だから絶対折れなって訳じゃないんだが。でも、言葉にすれば変わるものがあるかも知れないだろ。言霊って言うし。だから、歌仙。
「来年の打ち上げ花火は、絶対一緒に観るからさ」
 さびしくなんて、ならないでくれ。


 花火の勢いが少しずつ小さくなってゆく。
 この火が消えたとき、俺は歌仙を抱き締めようと思った。