高尾
2024-08-17 20:04:32
2983文字
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孫さに

関市に行きたい孫さに

 真夏の昼間でも薄暗い書庫の、たくさんの古い書物が詰め込まれた書架を抜けた先で、窓辺の壁に寄り掛かるようにして孫六さんは眠っていた。
 強い日差しを避けるように少し窓から離れていたけれど、眠っている間に日差しの方角が変わったのだろう、膝の上に置かれた手の先や、その手からこぼれおちた本の表紙の上にくっきりと窓と影との境界が描かれている。細かな埃が陽光を反射しながらゆったりと舞い、ひかりの欠片が孫六さんの艷やかな前髪や睫毛の上にも留まっているのをわたしは吸い込まれるように眺めた。
 胡座の片膝を立てた孫六さんの横にはたくさんの本が積まれていて、そのどれもが新選組や忠臣蔵、創作の時代劇など彼の逸話に関連しているようだった。和綴じのその本たちはどれも古ぼけて埃っぽい匂いがするけれど、綴られた文字のひとつひとつが彼にとってはキラキラと瞬く星のように美しく輝いて見えるのだろう。

 刀剣男士は皆、物語に捕われている。
 彼等はみなエピソードから成り、物語が刀としての存在を強固にするからだ。
 鍛たれた時代のこと、主だった人々のこと、逸話や、それを語り継いできた人々、刀身を大切に管理して今に残してくれた人々のこと。歴史を守るということは、それら己の物語を守ることに等しい。
 だけど歴史を守りきったとしても、もうこの時代に彼等が活躍できる場所はない。幕末の動乱を最後に刀は刀としての役割を終えてしまった。軍刀として使われたものもあるけれどそれも僅かだ。戦が終われば彼等は刀の付喪に戻るか、消えてしまう。それでも彼等の本体を残し、語り継いでくれる人々がいるのなら、この世界に彼等の生きた証が残るのだ。
 私は、それを守りたい。彼等と、彼等の大切な物語を。

 ふ、と孫六さんの睫毛がちいさくふるえて、瞼の下からゆっくりと浅葱色のきれいな瞳が覗いた。発光しているような鮮やかな瞳が光に透けるとガラス玉のようで、人ではないのだと実感する。傍に座るわたしを認めて少し驚いたように瞬きをする仕草は、まるで人そのものなのに。
「あぁ主人、いたのか」
 ヨダレ垂れてなかったかな、と恥かしそうに顔をこする孫六さんにわたしは笑った。彼は存外にかわいいのだ。
 本当は、彼が人の気配に気付かなかった筈はないのだけれど。
「新しい孫六さんの物語は見つかりましたか?」
「まぁ、それなりに。同じ話でも書き手によって脚色が違ったりしてさ、なかなか面白いよ」
 これなんかもそうだな、と、孫六さんの長い指が本の表紙を撫でた。
「識ることで己の持っているものを知る、でしたよね」
「そう、そして持てるものこそ与えなければ。後継のためにもね」
「孫六さんが過去の物語を拾い集めながら、刀の未来も語って下さること、とても嬉しいなって思います」
 わたしがそう言うと、孫六さんは口の端を上げて笑みを深めた。目元の皺が深くなる。
「俺の故郷は刀都だからね、今を生きる刀鍛冶もたくさんいて、孫六の名と技術と伝統を残そうと頑張ってくれてる。刀を愛してくれている人々のおかげで刀の歴史は続いてゆく。こんなに嬉しいことはないよ」
 嬉しそうにそう語る孫六さんの瞳に、窓の外の青空が映っている。彼の瞳には彼の地の明るく晴れ渡った空の色が見えているのかも知れない。
「だからさ、2205年の人間が、歴史を守るための武器に銃器でも近代兵器でもなく、刀剣(おれたち)を選んでくれたことも感謝してるよ。そうでなければ俺達がこうして刀を握ることもなく、刀の存在が見直されることなんてなかった」
 まぁ最後の餞なのかも知れないな。刀への。
 そう、ぽつりと孫六さんは言った。
「はなむけ、ですか?」
「いずれこの戦のことも、長い歴史のなかのひとつの物語として本棚に仕舞われるんだろうからさ」
 それは、きっとそうなのだろう。時代遡行軍を殲滅し、世界の歴史がこの先も続いてゆくのなら。この戦の記録は、朽ちて忘れられてゆくばかりの刀たちが一瞬でも輝いた証となる。
 でも、それでおしまいじゃない。終わりにはしたくない。孫六さんが言うように、刀を愛してくれる人々がいる限り刀の歴史は続いてゆくのだ。
「孫六さんのあたらしい物語を見付けるために」
「ん?」
――行ってみますか? 私と、2024年の夏の美濃へ」
「2024年? たしか令和の、――あぁ、そうか」
 どの『孫六』の記憶を拾ったのだろう。思い当たるデータがあったらしく、孫六さんは瞠目して、そして崩れるように破顔した。
「はじまりの年だ」
「はい」
 日本のまんなか辺りの、とある刀都の。小さな催しだけれど、孫六兼元という刀が再び脚光を浴びてイベントが始まり、地元のみならず全国のたくさんの人々に愛されるようになった、最初の年。
 あの年は賑やかだった。同時期に東京の科学館で刀の特別展も開催されたし、たくさんの刀たちが全国各地で展示された。
「美濃は暑いからな、主人が倒れないようにしないと」
「孫六さんも、黒い服は危険ですね」
 それより歌仙さん達の髪色もどうにかしないと、と呟いた途端、は!?と孫六さんが胡座からガタッと膝立ちになった。
「そこは二人きりで行くんじゃないのか?」
「美濃伝御一行様ツアーですよ」
「いやいや考え直してくれないか主人、用心棒はひとりで十分だろう、目立つし」
「皆さんも絶対行きたい筈です。うなぎも皆で食べた方がきっと美味しいですよ」
 うなぎうなぎ美味いよな。確かに和泉守達も行きたいよなぁいやしかしな!と孫六さんが葛藤している。かわいい。あんなにも物騒な刀なのに、人斬りの花形・最上大業物と謳われて、愛されて育った人特有の懐っこさが孫六さんにはある。
 そんな孫六さんだから、わたしは彼を関に連れて行きたいと思ったのだ。
 刀を愛し、連綿と守り続けてくれた土地。そこに暮らす人々の姿や、孫六兼元に会うため関に訪れる人々の想いが、孫六さんの浅葱の瞳にどんなふうに映るのか、私は見てみたかった。
 きっと彼の地の情景は、孫六兼元の新しい物語として彼の中に深く刻まれてゆくに違いないのだ。
 戦が終わっても、孫六さんや私がその役割を終えても、その物語がずっと続いてくれますように。
 孫六兼元という芽が伸び、瑞々しい梢を広げ、やがて大樹となって人々の心に根付きますように。

「二人きりは、また別に」
 おっ、と孫六さんは片眉を上げた。翡翠の瞳が小さく煌く。言質取ったぞと言わんばかりに。
「今度かき氷でも食べに行きませんか」
「甘味処かぁまぁいいけれども」
 孫六さんの大きな手が、私の手首を捕まえる。見上げた顔の上に長身の影が差す。孫六さんの横髪がさらりと頬に触れると、微かな煙草と汗の匂いが香った。
 耳朶を掠めた唇から、吐息とともに吐き出された囁きがわたしを震わせた。
「主人、」
 続く孫六さんの囁きを聞いて、数秒後、私は孫六さんの肩をバシバシ叩いて爆笑していた。だってさ、と孫六さんも笑っている。
 歌仙さんが呼びに来るまで、私と孫六さんは書庫の窓辺で笑い続けていた。
 ないない、ぜったいないですから!! えぇ~わからないだろ なんてじゃれ合いながら。

『他の兼元を見ても、惚れないでくれよ』