____mugi1
2025-10-26 13:54:54
3648文字
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Still More and Then

イトアキ‪🧡‬‪🔦 臆病者と触れ合うまでの話

 人間の標準体温は約三十六度〜三十七度と基準値が置かれているが、アキラ自身、何方かと言えば体温は低い方だった。三十六度に届くか届かないか、程度のもので。──所謂、低体温だった。体質ということもあるだろうが、主な原因は筋肉量の低下である。
 筋肉量が低下すると熱を生み出す回数が減少して体温が下がり、筋肉による熱量が下がると停止状態の体温を保つ基礎代謝も下がってしまうらしく。身体を動かすこと自体は嫌いでは無いが得意では無いので、アキラは運動からは離れているのが現状である。
 第一に、人間同士の触れ合い、皮膚接触等。アキラは片割れであるリン以外とは殆どしたことが無い。恋人であるライトでさえ、付き合ってからというもの身体的接触は殆どしていなかった。一度だけ手は繋いだことはあるが、それだけだった。必要以上に、皮膚に触れてこない人間だった。
 とはいえ、アキラもひとと付き合ったのはこれが二度目で、一度目は女性だった訳だが三ヶ月程度で振られてしまっている。アキラとしては無碍にできなかった感情に触れて接していたつもりだったが、それだけでは恋愛というものは構築できない代物らしく。──もともと、好きだったのかと言われれば返答に困る話だが。
 恋愛感情から芽生えた「触れたい」という衝動がアキラには理解できなかった。同時に、ライトという人間は全くと言っていい程アキラに触れようとはしなかった。ソファに座って一緒にビデオ鑑賞をしている時でさえ、一人分の空いた距離の中で会話をしている。
 たった一度だけ、生身の手に触れたことがあった。「此処数日眠れなくてな」というおとこを抱きしめて眠ったことがあった。何時もは隔てられた手の温度があれほど温かいなんて、いままで識らなかった。けれど、たった一度だけだった。ライト自身の皮膚に触れたことは無かった。
 解り易く、ライトはアキラに触れようとする度にゆびさきを迷わせてやめてしまう癖があった。アキラ自身も自分からライトに触れようとはしなかった。皮膚摂取が苦手な人間も勿論いるし、ライトが苦手なのであればそれでよかった。おとこが嫌がることだけはしたくなかったし、話ができるだけでじゅうぶんだった。──筈、だったのだが。
 人間というものは存外欲に塗れて生きているということを再認識する。自分自身が誰かに触れたいと思うこと等、このさきずっと無いと思っていたのだが。幾度と触れることを躊躇うゆびさきに焦れて、疑問だけが募って。いっその事、聞いてしまえばいいのではないかと思考回路が振りきった結果。
『少し話があるのだけれど、時間をくれないだろうか』とノックノックに連絡を入れてしまった次第で。送信して直ぐに既読はついた。だが、返信は時間を置いて約一日が経過してから返ってきた。『わかった、何時にする』と、何時もと同じようで、何処か簡素な一言だった。
 
 荒野を運転すること数分。穹は快晴で雨の予報も無い。砂埃を舞い上げながら車輪が駆動している。舗装されていない道路にハンドルが少しグラつく。ビデオ屋をあとにする前、リンに「夕飯は?」と聞かれ「僕の分は無くていいよ」と言い置いてはきたが、夜の予定は未定だった。
 無事にブレイズウッドに到着すると、何時も停車する位置の左側におとこが待っていた。車を停めて、時刻を確認する。午後二時の十分前。約束した時間よりは少し早く現着した筈だが、何時から待っていたのだろうか。
「ライトさん、すまない。待たせしてしまったかい?」
「さっき着いたところだ。……で、道中は何も無かったか」
 何処か、拗ねたような言い方に瞬きを繰り返す。薄闇の下は、険しい表情だった。最初が最初であったこともあって、まして、郊外は基本的に治安が悪らしく。昨日まで『何時ものところまで行く』『一人で行けるよ』という言い合いさえ足りない言い合いをしていたが『あなたに直ぐに連絡する』と言って、今回はアキラの勝利を収めた。
「ふふ、うん。無かったよ、安心してくれ。──けれど、次は。あなたに護衛をお願いしようかな」
「そうしてくれ、あんたも識ってるだろうが郊外はお世辞にも治安が良いとは言えないんでね」
 もう一度「すまない」と言うと「無事だったらそれでいいさ」と返される。少々過保護なのだ、このおとこは。そういうところもかわいいとは思うけれど。
 レバーボンブに挨拶をしたあと、何時ものように幾度かあたまを撫で「お願いできるかい?」と頼むと「……あんた、何時もそうなのか」とライトから言われ、疑問符を浮かべる。視線を合わせて約三秒が経過し「あー……いや、いい」とおとこは一人で納得して、薄闇をかけ直した。
 仮住まいに到着し、境界線を跨いで「お邪魔します」と言うと「ただいまでもいい」と言われて笑みがこぼれる。合鍵はもらっているが、まだ使用したことは無かった。「適当に寛いでくれ」と促され、ソファに荷物を置いて横に腰をかける。おとこが赤いマフラーを解いて、ハンガーに手をかけている。一枚隔たりが剥がれた背中に「……ライトさん、一つ聞きたいのだけれど」と、前置きも無しに。心臓から這った蓄積した疑問が滑落した。
 
「──あなたは、僕のことが怖いかい?」
 
 停止していたおとこが緩慢に、此処に視線を合わせる。薄闇に隠れた翠が瞑目していた。滑稽な言い方だった。無敗のチャンピオンに「怖い」等と。きっと他者がいまの疑問を聞けば笑い話にされていたことだろう。けれど、アキラ自身がそう思ってしまったことも事実だった。
「解り易く避けられているからね、聞いてしまおうと思って」と退路を塞ぐように続けて言うと、おとこの視線は下に滑落し「……すまん、不快にさせたか」と呆気無く白状した。アキラが避けられていたのは気の所為では無く、間違い無く事実だったようで。
「皮膚の直接的な触れ合いが駄目なら、遠慮無く言ってくれ」
「いや、それは違う。寧ろ……、あー……何て、言えばいいか」
 俯いていた表情が緩慢に上がって、翠の目が此方をおそるおそるに視線を合わせようとして、失敗していた。静寂が部屋の中を侵食し、二人の呼吸だけが鮮明に聞こえている。それから、少しの静寂のあと「──……俺が、触れていいもんかと、思って」と、何処か。継ぎ接ぎのようなことばが聞こえた。
「あんたに、嫌われたくなかったんだ」
 不安にさせて、すまん。とおとこは言った。嫌われたくないと、言った。──嫌いになる訳が無かった。謝らなくてよかった。「あなたに触れられて、嫌なことなんてきっと無いよ」 と、心が溢れる。アキラだって、いままで恋愛感情さえ無かった内側が初めて恋を識って、自分自身が予測不能の行動をしている。
「──ね、ライトさん。触れていいよ」
……それは、此処を俺の部屋だと意味を理解して言ってるか」
「そうだね、解っているよ」
「あんた、性質が悪いって言われないか?」
「よく言われるよ、リンには「酷い」とまでね」
 恋をすると世界の輪郭が変質するとは聞くが、全くもってその通りだと思う。全ては不可能だったとして、あげられるだけ与えたいと思う程には、触れて欲しいと思う程には、このおとこのことが好きだった。他者に触れ合うことの理由さえ感情さえ理解できなかったというのに、それを組み換えたのはこのおとこだった。
 横を、とんとんと軽く叩く。「はい、座って」と言うと、おとこは渋々と言った様子で此方に寄って腰を下ろした。何時もと同じ、一人分の開いた距離だった。
「ライトさん「これ」を外して欲しいのだけれど」
「理由を聞こう」
「あなたの手で、ちゃんと触って欲しいから」
 革製のグローブに触れて「──駄目かな?」と、懇願する。おとこは片手で顔を覆い溜息を吐いた。薄闇から覗く翠の目がよわったように此方を一瞥して、一度閉じる。
「何処でもいいから、好きなところに触ってみて」
…………あんたな、少しは手加減してくれ」
 ライトは二度目の溜息を吐いて、革製のグローブが外していく。無骨な手には傷跡があった。「何時でもいいよ」と言うと、おそるおそる、といった様子で、ゆびさきに温度が柔く触れた。自分より幾分か高い温度が指の合間を縫って緩く捉え、少しだけ人肌の感触に躊躇う。──けれど、嫌悪感は無かった。
…………アキラ」
「うん」
「嫌じゃないか」
「嫌じゃないよ」
 おとこは、躊躇ったゆびさきを掴まえるように無骨なゆびさきを絡ませる。擽ったくて、愛おしい。「ライトさん」と名前を呼んだ。皮膚から感情が全て伝導すればいいのに。「嫌いになんてならないよ」と紡ぐと。おとこは「……もう少しだけ触っていいか」と言った。
 繋いだ手の甲を自分自身の頬に寄せ、擦り付けて「あなたは結構、臆病なんだね」と笑う。翠の目が「あんたのことになると臆病にもなる」と拗ねて、アキラの手をつよく繋き直した。