手合わせの話


「手合わせをしてほしい?」
 アランは一瞬目を見張った後、すぐに理解ができない、と言うかのように首を振った。
「オユン、俺は癒し手だ。大鎌を振るう君とは役割が違う。誰かと間違えていないか?」
 にべもない言葉に、しかし申し出をしてきた若きアウラは、確信に満ちた強い視線でエレゼンをじっと見つめる。その隣で、彼の相棒であるオルカは、ただ不思議そうにもぐもぐと口を動かしていた。何せもう半分ほど、大山羊ステーキが残っていたので。
 ウルダハのクイックサンドで、4人の冒険者が同じテーブルに座っていた。若いアウラ二人――オルカとオユン――と、エレゼンとヴィエラの師弟――アランとラドミール――だ。
 彼らはひょんなことから知り合い、たびたび出先で出会って交流し、今となっては時折一緒に依頼をこなしたり、情報交換をしている。仲間というには少し浅く、知り合いというにはやや深い程度の関係。よくある冒険者の仲である。
 とはいえ、このメンバーの中ではアランが冒険者としてのキャリアが最も長く、また最も手練れであったから、オユンは遅かれ早かれこの申し出を持ちかけるつもりだった。『強くなりたい』それがこの若きアウラの願いであったから。
 だからオユンは食い下がった。
……ラドミールは『あなたの本職は近接戦闘だ』と言っていましたよ」
 エレゼンの青年はそれを聞いて初めて目を揺らし、隣に居た弟子へ目を向ける。
……ラド」
 師が少し呆れたように零せば、隣にいた弟子はさっと顔を逸らし、ぼそぼそと『隠したりしてないだろ』と言い訳をする。
「別に……いいだろ。やってやれよ。あんた、結構強いんだし……
 実際、アランの弟子であるラドミールは、秘密をバラしてやろうと思って口にしたわけではなかった。単に彼らが日々行う戦闘訓練の様子を聞かれ、『役立つのはわかるが辛い』『いつもボコボコにされて終わるし』と愚痴るうちに『だいたいあいつは――』とアランの戦闘スタイルの話になり、うっかり漏らしてしまったのだ。
「勝手に言ったのはその、悪かった。でもさ、やることはいつもと同じだろ?」
 ピンと伸びた耳を少ししょんぼりとさせながらも、だからオユンにもやってやったっていいだろ、と続ける弟子の言葉に、アランは悩み、うーんと言葉を濁す。
「いい……と言えばいい、が……
 だが嫌でもあるというか、やや気恥ずかしいというか。青年は顎に手を当てて考え込んだ。
 悩むのにもそれなりの理由がある。そもそも、流れで弟子を取ってしまったはいいものの、実際のところ、青年にはさほど教えるのが上手くない自覚があった。更に、まずアランの戦闘スタイルの根幹は、他者に教えられるような類のものを論拠としていない。
 エレゼンの青年のそれは、暗闇の中で与えられた暴力によって培われたものであり、更にそれの上に、放浪の中身につけた戦闘術が根を張った結果出来上がったものだ。要するに、あまり来歴の良い物とは言えない。
 ラドミールは弟子だから、彼が冒険の中で無惨に死なないよう手ほどきをしているが、別に自身の技術を身につけて欲しいわけではなく、それを要求したこともない。
 が、オユンは手合わせから何かしらを吸収したくて言ってきたのだろう。が、教えるには余りに汚すぎる技術でもあるし……と青年が悩むうちに、どうしても自分の希望を通したいらしい若きアウラが追撃をしてきた。
……何も隠さなくたって、戦闘中のあなたの振る舞いや立ち位置は癒し手のそれじゃない、ッスよ。見てりゃ分かります」
 そこまで見られていたのかと、アランはこっそりため息をついた。ならば、もう言い逃れもできない。青年は決まりが悪そうに、両手をあげて降参する。 
……わかった。少しだけ付き合おう」
 静かにガッツポーズをするオユンの向こう、ようやく大ぶりのステーキを片付けたオルカと、追求をどうやら逃れたらしいと安堵するラドミールが、特に理由もなく顔を見合わせてにへらと笑っている。
 弟子とはあとで軽く『話し合い』をするとして、決まってしまった以上は仕方がない。アランは軽く手を振って、会計のために人を呼んだ。どちらにせよ、クイックサンドでおっ始めるわけにはいけないのだから。

 中央ザナラーン、フェスカ冒険者キャンプ。ナル大門にほど近いこの場所には、駆け出しの冒険者たちが集まり、お互いに手合わせし合って腕を磨いている。
 そのキャンプの広場を借りて、オユンとアランはそれぞれ武器を手に向かい合っていた。アウラは両手鎌、エレゼンは二刀武器だ。周囲は、なんだなんだ喧嘩か?と見物に来た冒険者たちが遠巻きにしている。
「致命傷になりうる攻撃を受けたと想定された時を一回として、三回先取制でいいか?」
「オレも、見てる!」
 流れで審判のようになったラドミールが二人に確認を取る。動体視力のいいオルカもまた審判役として元気に手を上げた。アランは問題ないと頷き、オユンは鎌を持つ肩を回して準備万端だと伝える。
「じゃあ……二人とも、ちょっと離れて。2ヤルムくらい。よし」
 平等を期すために手合わせする二人には距離を取らせ、若いヴィエラは手を上げた。途端、周囲の空気がピリッと張り詰め、見物人たちも固唾を呑む。
……はじめ!!」
 ラドミールの声と共に手が振り下ろされた瞬間、離れた場所にいるはずのオユンの姿が消える。ヘルズイングレス――空間を捻じ曲げて繋げることのできる術――その名を青年が脳裏に思い浮かべるより先に、命を刈り取りに来た死神の如く、リーパーはアランの目の前で巨大な鎌を振り上げていた。
 未だ成長の途上であるとはいえ、アウラ族男性の体重を乗せた斬撃は、当たれば相手の身体を真っ二つに裂いただろう。が、それはヴァイパーの読み通りだった。
 ギィン! 金属と金属がぶつかり擦れ合う耳障りな音が響き、鎌と剣が鍔迫り合う。けれどそれは一時のことで、すぐにその身体の太さも重さも勝るはずのアウラが、剣の一振りで吹き飛ばされる。
 思わずたたらを踏んだオユンの身体に、ぞわっと嫌な予感が這い上がる。薙ぎ払われた剣によって空いた胸元に、するりと音もなくエレゼンの身体が入り込んでいたからだ。
……ッ!」
 背にドッと出た汗は、その空いた場所に強い衝撃を受けたからなのか、それとも攻撃を受ける予感によってなのか、リーパーには判断が付かなかった。
 ただ剣の柄で胸を突かれたのだと気付いたときには、それに相応しいだけの痛みと吐き気が身体を駆け巡り、知らず膝をついていた。
……一回。あと二回だな、オユン。勇猛さは美徳だが、力任せなのはいただけないな」
 汗一つ掻かずに見下ろすヴァイパーが言う。その表情は僅かな感傷もなく、立ち姿に何の力みもない。やはり勘は間違っていなかった、そう思ってオユンはハッと笑った。

「あ~……
 ラドミールは鎌と剣のぶつかり合う音を聞きながら、自分が常日頃受けている戦闘訓練を思って遠い目をした。手加減されてるって分かってるのにめちゃくちゃ痛いんだよなあ、あいつの攻撃。泣きそうになるくらい。あ、今モロに入った。マジかよ、よく耐えられるな、やっぱり近接だからか?
「オユちゃん、ナンで、負けタ? アラン、ツヨいのわかるケド……
 チカラ、オユちゃんの方がある。一緒に見ているオルカが不思議そうに首を傾げる。
 確かに体格に劣るエレゼンが、若いとはいえ体重も身長も勝るアウラを正面から打ち破るのは、一見奇妙に思える。彼の弟子であるヴィエラも、アランの手ほどきを受けていなければ同じように思っただろう。
「うーんと、な。簡単に言うと、あいつはエーテルで身体を強くしてるからなんだ」
 エーテルを扱えるエオルゼア地域の人々にとって、ある種当たり前であるが故に名前のないそれは、しかし研鑽を重ねれば、ララフェル族であってもルガディン族さえ凌駕する剛力を得ることができる、らしい。帝国の植民地出身で、エーテルの扱いに疎いラドミールには、まだ十分に理解できていないが。
「で、あいつはそれが異様に上手いんだ。だから筋力や体重がオユンより劣ってたって全然関係ない」
 むしろエレゼン族らしい細身は、相対する時に認識を誤らせる。エーテルで肉体を強化した青年は、大型の魔物並の膂力で剣を振るうというのに、それを知らない大抵の相手は所詮エレゼン、華奢だと舐めてかかって、地面に転がる羽目になる。
「今のあいつはデカい魔獣か何かだと思った方が戦いやすい……と思う」
 要は、アランの腕の一振りはウェアドラゴンの腕の一振りであり、足の薙ぎ払いはアンフィプテレの尾の薙ぎ払いのようなものだ。生半可な攻撃は単に相手を有利にしていくから、強化術の効果の切れ目を狙うか、相手以上の力を持ってきてねじ伏せるしかない。
 実際、ラドミールが常日頃の戦闘訓練でなんとか戦えているのは、弓を獲物とする遠隔戦闘職であることが大きい。離れているから攻撃自体も避けやすいし、相手の身体全てを視界に収められるから、術の切れ目も分かりやすい。
「んだけど……正直、未だに勝てる気がしないのがムカつくところなんだよな」
 オルカがまたも首を傾げる。
「ナンデ?」
「なんでって言ったって……あいつは分かってるから。術の切れ目が自分の弱点なんだって」
 ヴィエラの少年は、不思議そうにきょとんとしているアウラに首をしゃくって見せ、戦う彼らを示す。
 そう、術の切れ目ならば、筋力は見たまま程度に落ちている。だから攻撃は通りやすいし、仮に攻撃されても対処しやすい。が、面倒なのは、術の限界を最もよく知っているのは当然掛けている本人だということであり――そしてあの青年は、そんな『限界』のことをよく承知している。

『マジかよっ……!』
 一合、二合と打ち合うほどに、オユンは己が防戦一方になっていることを自覚していた。信じられないことに、相手の力は(悔しいことに)自分よりずっと重く分厚い肉体を持つ相棒よりも強い。どころか、オユンがまず体験したことがないほどに剣戟は重く、どうにかギリギリで受け流す度に手が痺れていくのが分かる。
 強者と戦えることに心はこれ以上なく躍っている。しかし、身体は心についていけず、じりじりと後退させられ、鎌を持つ腕には力が入らなくなっていく。このままではジリ貧だと分かってはいても、一歩間違えばやられると分かる打ち合いが、思考するだけの余裕を奪っていた。
……っ?」
 次受ければもう手に力が入らない、そう思った時、ふっと受ける剣が軽くなった。どころか、受け流しながらも切り返した鎌の動きに、これまで微動だにしなかった相手の剣が揺らいだのだ。無論、すぐに隙と呼べる物はなくなったが、オユンは見逃さなかった。アランの身体のエーテルが薄まった瞬間を。
『試してみるか……!』
 リーパーは勝負に出た。振り下ろされる剣戟の中に、守護のクレストを張りながら飛び込む。クレストは瞬時に砕けたが、いくらかのダメージは肩代わりしてくれ、決定的な一撃を避けることができた。
「うぉおおおお!!」
 地に伏した獣が伸び上がるように鎌を切り上げる。片方の剣を振り切ってガラ空きになったヴァイパーの身体に、吸い込まれるように鎌の斬撃が奔る――それはまともに当たりさえすれば、オユンに勝利をもたらしてくれるはずだった。そう、まともに当たりさえすれば。
……その判断は正しい。が、物事はそう単純でもない」
 もう片方の剣が、オユンの全霊を以て切り上げたはずの鎌を軽々と受ける。だけでなく、振り下ろした剣をどうやってか逆手に持ち直していた。もはや驚きの声を上げるまでもなく、その切っ先は凄まじい速度でオユンの喉に迫り、突き刺さる手前でピタリと止まった。
「これで二回だ。術の切れ目を狙ったのはよかったが、元より術の主導権は相手にある。切れたのか、わざとそうしたのかを考えるべきだったな」
 僅かでも動けば突き刺さりそうだった剣が引かれ、リーパーは上がった息を必死に整える。身体は興奮に震え、突きつけられた死の予感に強ばった頬を、それでもオユンは引き上げた。残されたチャンスはあと一回、上等じゃねえか。
「次は取る!」
 決意を口にすると、相手はゆるりと目を撓めた。

「また、オユちゃんの負ケ?」
「だな。あと一回だ」
 審判役を買って出たが、ここまで差があるともう審判など必要ない。オルカとラドミールは野次馬を決め込みながらクッキーを摘まんでいた。この菓子は、同じように観戦している冒険者の一人が勝手に握らせてきたものだ。勿論ばっちり金は取られた。
 機を見るに敏と言おうか、それともがめついと言おうか、いつの間にか周囲にはプレッツェルなどの軽食や飲み物、菓子を売りつける移動販売や、なんとどちらが勝つか賭け事をしている輩もいて賑やかになっている。なかなかのお祭り騒ぎだ。
……アラン、ウソつくのウマい」
「そうなんだよなぁ。あいつはフェイントがアホみたいに上手い」
 動体視力のよいオルカには先程のやり取りが悉に見えていたのだろう。強化術の効果が切れたように見せかけて必殺の攻撃を誘い、術を戻してそのまま決着に持ち込んだのだ。
 師の戦い方が面倒もとい巧みなところはここにある、と弟子は思っている。強化術だけなら他にも使っている人はいるし、もっと練度の高い人も多くいる(例えば力に劣るララフェル族でもタンク役をやっている人は居るように)。が、術の強弱の幅をあそこまで(しかも戦闘中に自在に)変化させられる冒険者はそういない。
 対人特化の技術だとはいえ、この死亡率と引退率が恐ろしく高い業界で、どこも欠損することなく長くやっている以上、その実力は伊達ではないということだ。
「オユちゃん、一回でも勝てルかな」
「うーん…………
 ラドミールは返す言葉に困った。オユンは強い。が、戦いという場においては、経験の差がありすぎる。そしてそれは、勝敗を分けるのに十分以上の要因だ。
 ヴィエラの返答がないのも特に気にしていないのか、ふいに隣のアウラが唇を尖らせた。
……オユちゃん、負けテるのに楽しソウ」
 ぷく、とモチのように頬を膨らませるオルカにもまた菓子を渡してやりながら、ラドミールはそうだな、と相槌を打った。そして半ば諦めてはいたが、一度くらい相手に花持たせてやれよ、と祈る。おそらくそんなことはしないことを十全に理解はしていたが。

 オユンにはもう分かっていた。相手の肉体は術によって強化されており、まともに打ち合えば負けること。術の切れ目を狙っても、その切れ目こそが弱点であると相手は分かっており、むしろ裏を掻くのに使われること。
 ではどうすればいいか? 答えは一つしかない。
『正面から行って、ブチ抜く……!』
 相対するアランは剣を構えたまま動かない。例えオユンがどのように打ち込んできても対応できるという自信があるのだろう。実際、それに足るだけの実力があることを、リーパーはもう思い知っていた。
 だからこそ、オユンはこの技を『使える』。今の己の実力では、まともに打ち合えば押し負けてしまうから、戦っている最中には到底使えない。けれど、こうしてお互いただ立っている状態であれば、できる。
 リーパーの背後に契約している妖異が現れる。いつもならば攻撃する瞬間にしか出現しないそれは、けれどそのままオユンの中に溶けるように消えていった。
 アウラの青年が疾駆する。そして再びヘルズイングレスを発動し、その姿が掻き消えた。次の瞬間、ヴァイパーの立つ目の前の空間が裂け、獣じみた咆哮と共にリーパーが現れる。
 野次馬をしていた冒険者たちから驚きと恐れの混じったどよめきが上がる。その様相が、先程までと似ても似つかないほど異なっていたからだ。
 全身を覆うような黒くぼろぼろの長いローブ。妖異が纏っていたのと同じ赤黒いエーテル。フードから覗く目は不気味に赤く光り、その手足は魔物のように鋭く尖っている。エーテルと同色の禍々しい文様が走る身体と鎌は、正に人の姿に近いだけの妖異といった姿だった。
 レムールシュラウド。契約している妖異を己に憑依させ、その力を得る邪法。当然そのリスクは高く、妖異に魂さえ蝕まれる可能性がある代わり、凄まじいまでの力を得ることができる。これこそが、オユンが持つ奥の手だった。
 ギィン! 三度、鎌と剣がぶつかり合う音が広場に大きく響いた。この手合わせの中初めて、アランが目を見開く。
『押し負ける……!』
 赤黒いエーテルを纏った鎌が、ヴァイパーの持つ剣を嘲笑うように押し込んでくる。なんとか受ける面をずらすことで受け流したが、その手はひどく痺れ、腕が痛んだ。当然、肉体強化の術は使用済みだ。だというのに、ここまでのダメージが来た。
 またリーパーが鎌を振る。その速度もこれまでにはないほど早い。一度の打ち合いで、正面からぶつかるには不利と踏んだアランは、目と足にエーテルを集中させて避けることを選択する。
……っ!」
 風切り音を立てながら振り下ろし、あるいは切り上げられる鎌に、剣先を差し込んでどうにか逸らす。紙一重で避けているつもりが、それでも鎌が軌跡を描くほどに皮膚が浅く裂け、血が舞う。防御も回避も僅かに間に合っていない、それをヴァイパーは認めざるを得なかった。今は術も使ってどうにか往なしているが、その内に限界が来ることは自明だった。
『こちらも使うか……?』
 エレゼンは身の内で蜷局を巻いて眠る生き物の気配を手繰り寄せる。祖霊――ヴァイパーを守護し、あるいは災禍をもたらし破滅させるとされる霊魂――の力を借りれば、おそらく再度力関係は逆転するだろうという予感があった。だが青年は、すぐにその可能性を手放す。
……ダメだ』
 それでは、手合わせをした意味がない。強い力を超えるだけの強さがあれば、勝負はすぐに付くだろう。けれど、手合わせとは本来、力と力の示し合いではない。勝つにしろ負けるにしろ、学ぶものがそこにあるべきだ。
 腕を掠める斬撃が肉を削り、血が落ちる。エーテルを集中させた目も足も往なす腕も、限界が近い。だがそれでもまだやりようはある。
 アランは両手に握っていた剣を連結させ構えた。受けるには向いていない長い武器は、けれどこれから先には役に立つ。何せ戦いとは『最後に立っていた者』が勝つのが決まりなのだから。

「おぉぉおおお!」
 腕に力を込めて鎌を振るうたび、オユンの喉から咆哮が吹き上がる。身体は軽く、身の内からは止めどなく力が湧き出す。けれど、リーパーはそう事態を楽観視していなかった。何せ、奥の手である憑依まで使ってようやく相手を追い込むことに成功したのだ。しかも、それさえ十分ではなく、未だ決定的な一撃は与えられていない。
 おそらくこれが経験の差というものだろう、必殺の一撃になるはずの斬撃は紙一重で避けられ、往なされ、受け流されている。刃が相手の皮膚に掠ることはあっても、その肉を切り裂くには至らない。
『こうなりゃ根比べだ!』
 レムールシュラウドも、相手の肉体の強化術も、無制限にいつまでも使えるものではない。肉体には限界というものがあり、体内エーテルには容量がある。いずれにせよ、決着はそう遠いものでもない。
 だが、オユンは諦めるつもりはなかった。例えここでエーテルを使い果たし倒れることになろうとも、どうにか一撃は与えるつもりでいた。
 と、ヴァイパーが不意に両手に持っていた剣を連結し、一本の長い武器とした。だけでなく、鎌を受け止めながらもじりじりと後ろに後退していく。リーチが伸びたことで二対の剣であった時より距離を取れるようになったのだ。
『なんだ……?』
 だが、その意図が分からない。風切り音を立てて振られる剣は、一本となったことで確かに威力が上がったように感じられる。が、代わりに小回りが効かないのか、刃を差し込んで往なすことができず、先程よりもオユンの攻撃は通りやすくなっていた。
 こちらをまっすぐに見つめるアランの目は変わらず落ち着き払っていて、何も考えず自棄になってそういったことをしたとは思えない。じわ、と背に汗が滲んで落ちるような感覚がする。それは本当にそうだったかは分からない。何せ、今のオユンは半ば妖異のようなものだ。わざわざ確かめたことはないが、汗も涙も出たことはない。だが、確かに形にならない焦りが、オユンの背を突き動かしているのは事実だった。
 ガキン! 何度目か分からない鎌と剣のぶつかり合い。が、とうとうそれに剣が押し負けた。長い一本となったそれが高く空に跳ね上げられ、アランの胸や腹などが大きく開いた。この戦いの中で、初めてヴァイパーに明らかな隙が出来た瞬間だった。そして、オユンはそれを見逃さない。
「オレの……勝ちだ!!」
 そこに向かい、リーパーは全力を以て鎌を振る。もはやこれが手合わせであり、寸止めをするという認識さえ欠落していた。それほどに本気でなければ勝てるわけがないと、そう確信していたから。

 お前の師は強いのか? そう問われれば、ラドミールは困る。強いのは間違いがなく、それを否定するつもりはない。が、それは『強さ』を問われてイメージするそれではないから、答えに困る。正直言って、ストレートな強さであれば、オユンの方が『強い』し、今後も『強くなる』と思う。だから今苦戦しているのは、彼の『強さ』とアランの『強さ』は相性が悪いからだ、とヴィエラの少年は思っている。
 師の強さとは、見た目と実情のギャップであり、相手の裏を掻く戦法であり、あらゆる手を使うことを一切躊躇しないことに起因する。もちろんある程度以上の戦闘技術はあるが、それ以上に『負けないのが上手い』のであり、筋力があるとか、一人の武人として磨き上げられているとか、そういう類いの強さではないのだ。
 だからこそ最初躊躇したのだろうと、弟子であるヴィエラはよく分かっていた。簡単に言えば、師はそういう『強さ』が邪道であることも、誇るようなものではないことも分かっているから見せたくはなかったということだ。何せ、ああ見えて師は結構かっこつけなのだ。
――リーパーによって放たれたその斬撃は、当たれば胸を裂き、急所であるそこは大きく血を吹き出したことだろう。が、それはただ空を切った。
 けれどそれは、ヴァイパーが飛び退いたからだとか、剣で往なしたからではない。オユンが目測を誤ったから空振りしたのだ。
「うぁあ……!!」
 鎌は振り下ろされた勢いのまま地面に突き刺さっている。オユンは辛うじて片手でその柄を握ってはいるものの、もう片方の手はすでに武器を手放し、代わりに目を覆って、苦しげな呻り声を上げていた。
 リーパーが纏っている黒いローブには点々と(彼自身のエーテルでない)赤いものが散っている。それもかなりの範囲に渡っているそれは、例外なく顔にも及んでいた。彼は今や物語の死神のように恐ろしげに彩られていたが、物語と異なるのは、そうなったことによってむしろ本人が苦痛を覚えていることだろう。
『あいつ、とうとうやりやがった……!!』
 ラドミールは頭を抱えた。ヴィエラの少年との手合わせでも時々使う手だ。相手の視界を奪って混乱に陥らせたり、攻撃目標を誤らせる、汚いが対人戦ではこれ以上なく有効な手。
 やいのやいのと好き勝手に声援を送って盛り上がっていた冒険者たちは今や静まりかえっている。アランはその静寂の中を淡々と進み、オユンの目の前に立った。その手からはぽたぽたと血が滴って、握る剣を伝い落ちていた。
……オユン、君は強い。あのまま打ち合っていれば、俺は負けただろう」
 掛けられた声に、悶えていたオユンはようやく手で覆っていた顔を上げ、ヴァイパーが立っている場所を探すように視線を動かした。その目の周りは真っ赤に濡れている。アランが剣を伝わせて飛ばした血飛沫によって。
「だが、戦場における強さというのは、武に秀でていることとは直結しない」
 打ち合いで出来た傷による出血を利用した目潰し、それがエレゼンの取った選択だった。汚い手だ。およそ武の道を修めた人間のやることではない。それはアラン自身もよく分かっている。が、アランは武人ではないし、通り一遍の『強さ』よりもそちらの方がずっと性に合っているものだから、恥じ入ることなどしない。
「強くなりたいのなら、この世には汚い手があることも、そういう相手が居ることも――覚えておくといいかもしれない」
 何より、この世にはそういう人間もいることを覚えていないと、いつか足下を掬われて死ぬ。どんな人間であろうとなれるのが冒険者であり、そんな人間たちとも、いつか戦場で出会うかもしれないのだ。その時になって知らなかったなどと述べたところで、容赦されるわけもない。
 説教くさくなってしまったなと反省しながら、ヴァイパーはリーパーがどうにか握りしめていた鎌を持つ手を強く打ち、武器を手放させる。武装解除させられたことで憑依も解けたのか、そこにいたのはいつもの姿のオユンだった。
……これで三回目だ」
 
 あまりにあっけなさ過ぎるというか、尻の据わりが悪い終わりに、見物を決め込んでいた冒険者たちはぽかんとしたまま動かない。
 それをよそにヴァイパーはさっさと武器をしまいこみ、代わりに水筒を取り出して、またも目を押さえてしまったリーパーに差し出している。そこにオルカがすごい勢いでやってきて、あまり周りが見えていないオユンに変わって水筒を傾け、目を洗う手伝いをし始めた。その顔はひどく心配そうだ。
「ほら、手合わせは終わりだ。そもそも見世物じゃないぞ。散った散った」
 ラドミールと言えば、それらの光景を視界の隅で捕らえながら、呆然としている冒険者たち――軽食売りや賭博屋のようなことをしている者も含め――をせっせと追い払う。中には少年よりもずっと体格のいい者もいたが、あんまり手合わせが思ったような終わりにならなかったからか、割と皆、目を白黒させたまま帰って行ってくれた。
「オユちゃん、大丈夫?」
 しっかり目を洗い流し、濡れてしまった顔をブルブルと振るオユンに、オルカは尋ねる。物見遊山の冒険者たちを追い払ったラドミールも戻ってきて、地面に座り込んだままのリーパーを見つめた。アランはもうすでに本を取り出していて、自身の傷とオユンの傷に回復魔法を掛けている。その姿はすっかり癒し手という風情で、先程まで剣を振るっていた気配など微塵も感じさせなかった。
…………い」
……オユちゃん、どしたの? どこかいたい?」
 判然としない声に、オルカは首を傾げながら顔をリーパーに近づけ、言葉を聞き取ろうと試みる。その耳元もとい角元で、俯いていたオユンは声を張り上げた。
「もう一度手合わせしてください!!!!!!!」
 当然大声を浴びせられたオルカは飛び上がり、ラドミールは目をまん丸にし、アランは困惑したように目を瞬かせる。そのヴァイパーの手をがっしりとリーパーは掴む。逃がさないとでも言うように。
「肉体の強化術、それを使ったフェイント、どんな場面でも手を尽くす戦い方、本当にめちゃくちゃ勉強になりました!!! オレ、対応できるようになりたいです!!!! だからもう一度お願いします!!!!!」
「えええ……
 きらきらした目に見つめられ、アランは困り果てた顔で弟子を見つめる。が、ラドミールはふいと目をそらし無視を決め込んだ。その向こうでオルカは身体をわなわなと震わせ、モウダメ!!!!とオユンに負けない大声で叫ぶ。
 
 ちなみにその騒ぎは、たまたまウルダハに向かっていたシュガが通りがかり、二人のアウラをどうにか宥めるまで続いた。
 少なくともキャンプはしばらくずっと賑やかだったよ、と後にそこに寝泊まりしている冒険者は語ったが、その後再び手合わせが行われたのか、またその勝敗はどうだったのかについては、げんなりした表情で何も言わなかった。