つなみ正登/ぱるこ
2025-10-26 07:59:15
4911文字
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コーヒーハウスで逢いましょう

かんゆばデートアンソロ「DAYLIGHT AFTERLIGHT」に寄稿させていただいた拙作「エンドロールのその先に」のおまけ話になります。
神田が九州に進学し、環境試験も終わり選抜メンバーが遠征に出た後の時間軸になります。未来捏造。神田は出てきません。古寺くんがいます。
単独でもたぶん読めるとは思いますが、できたらアンソロを手に取っていただくと参加者冥利に尽きます(*'▽')

 カランカラン、と真鍮でできた小鳥の姿のドアベルが涼やかに鳴る。
 大通りから一本入った道筋にある喫茶店だった。
 道路に面した壁面に大きく配置されたデザインガラスの窓ごしの柔らかな採光と、心地好いジャズのBGM、そして香ばしい珈琲の香りで満たされた空間に、木製の扉を開けてやってきた来訪者であるところの古寺は、窓際の席で本をめくりながらカップを手にしている先客の姿に、かすかな驚きを以て、目を見開いた。
「弓場さん」
 卒業した高校の在校生であり、同じ組織に在籍する若者の小さな呟きを聞き取った彼は、紙面から視線を上げる。
「おう、古寺じゃねェーか。こんなところで奇遇……いや、奇遇でもねェか」
 果断で自らに峻厳な性分で知られる彼は、だがどうしてからしくもなく少しばかり自嘲めいた苦笑を、その口元に刷いた。
「いや、こっちの話だ。気にすんな。それよりどうだ、古寺隊長」
 と弓場は視線で対面の空いた場所を示すと、古寺は軽く頷いて、カウンターに注文をしてから、その前へと腰かけた。
「おれとしては三輪隊の隊員のつもりなんですけどね」
 試験を終えた志願者たちが長期遠征に出たのは少し前のことだった。三輪隊のうち三輪と米屋は遠征部隊に加わり、奈良坂と古寺、そして月見は三門市へと残った。三輪隊の狙撃手ふたりは、試験中の防衛任務で実績を積んで昇格した新たなB級隊員たちをそれぞれ率いて日々の任務をこなす立場になっていた。
「弓場さんや三輪先輩のようにはいきませんよ」
「三輪だって危なっかしいところはあったさ。けどな、おめェーの目から見た三輪が隊長としてついていく甲斐があったってェーのなら、それはおめェーら隊員がそうさせたってェーのはあると俺は思うぜ?」
「それはつまり立場が人を作る、っていうことですか。弓場さんみたいな人が言うと説得力しかないですよ」
 お待たせしました、と古寺の前に薫り高い珈琲が置かれる。暖かな湯気ごと香気を愉しみながらカップに口をつける古寺を見やった弓場は窓越しの街並みに一瞬だけ視線を投げてから、口を開く。
「ンなしゃらくせェー言われようは正直くすぐってェーがな、
けどな、確かに俺も、王子や蔵内や、……神田がいてくれたおかげでまがりなりにもそこそこやってこれたようなもんだろうさ。藤丸には容赦なくケツを蹴り飛ばされてたしな」
「弓場さんが、ですか?」
 意外な思いで古寺は目を見開くしかない。
「色んな意味で手を焼かせてくれた奴がいたしな」
……ああ、王子先輩」
「俺が呑みこんだコトを口にすんじゃねェーよ」
 磊落に応じる弓場に古寺も微笑む。
「失礼しました。いえ、弓場さん風に言うなら野暮を言いました」
「それっくれェーでいいんだろうさ、おめェーなら」
 本部や任務中には見せない柔らかなまなざしで弓場は静かに頷く。
「ま、あいつらもそれなりに上に担ぎ上げられてみて、気づくことがあるだろうさ。そん時にああ、あン時はこういうことだったんだって思い返して益になることがありゃ、隊長冥利に尽きる」
 カップの底に残っていた最後の一口を飲み干して、弓場はそう言い放った。
「おれも、いつかそう言えるようになりたいです」
「なれらァーな」
 弓場は空のカップを軽く持ち上げる。
「おめェーは俺がまだ駆け出しだった頃に較べりゃ遥かに出来がいい」
「ありがとうございます」
 駆け出しだった頃に抱えていた隊員すべてを「送り出した」男がかけてくれるそんな言葉が今の古寺には何よりも頼もしい。
 カップから離した弓場の手が、古寺のカップを指す。
「おめェーの頼んだのは?」
「おれのは月替わりの、今月はグアテマラです。弓場さんは」
「オリジナルブレンドってェーのにさせてもらったが、俺も頼むか」
 こいつと同じものを、と弓場が告げる。
「弓場さんははじめてここに?」
「ああ。こっちにはあんまり足を向けることはなくてな。大学と本部の往復でだいたい事足りちまうし。だが、いい店だ。珈琲も美味いし、雰囲気もいい。……確かにあいつが薦めてくれただけのことはある」
 最後の一節は、独り言つにも似、あるいはまるで秘め事のようなささやかな呟き。
「こちらもどうぞ」
 弓場が追加注文したコーヒーと共に、こぶりなプレートが二枚、テーブルに置かれる。プレートの上にはグレーズをまとった焼き菓子。
「ウィークエンドシトロンです。良ければお試しを。シトロン、とは言ってますが、みかどみかんの摘果を使っています。摘果は酸味が強いですからね、レモンの代わりになるかと。新しくメニューに加えようと思っている試作品です。忌憚のないご意見などもあるようでしたら是非」
「え、いいんですか」
「お客さまたちが甘いものがお嫌でなければ、ですが」
 ソーサーに添えられたサービスのクッキーはないことを確かめたのだろう、オシャレな口ひげのマスターが悪戯っぽく、古寺と、そして弓場もまた手にしていたショッパーに今度は視線を配る。それはここから少し歩いたところにあるショコラトリーのものだった。
 マスターの目配せで互いの持ち物に気づいたかたちになったふたりは少しばかりの苦笑を交わして、その好意に預かることにした。
「奈良坂先輩御用達なんですよ、ここ。こっちに行くならついでに頼むっていつも言われて」
「俺はうちの連中への手土産だ。先にこの店と一緒に教えてもらったことがあってな」
 そうなんですか、と頷いた古寺だったが、ふと思い出す。
「そう言えば、神田先輩にも以前、聞かれたんですよ」
 
 思えば、弓場隊の中核だった彼がボーダーを卒業とともに退役すると人づてに知る少し前だろうか。どうしてか、狙撃手の演習場にふらっと顔を出したことがあった。
『珍しいですね、狙撃手に転向ですか?』
『荒船でもあるまいし』
 万能手の彼は高校の後輩でもある古寺に気安く笑い返した。
『ああ、そうだ。おまえ、いい喫茶店知らないか。○○駅前あたりに。いまあっちに住んでるんだろう』
 珈琲に詳しいって聞いたことあるから、知ってるかな、って人懐こい大地色の瞳に、何故か切実そうな色をほのかににじませて訊ねてきたのだ。

「好きなだけで詳しいってほどじゃないですけど、それでここを紹介させていただきました。その時」
……
『できたら、そうだな、そう、フェアトレードって言うんだろう?』
「現地で働く人にちゃんと真っ当なかたちで報いてるものを扱ってるといいって。あの人には、きっと、そういうものが相応しいからって」
『少しでもいい記憶を、残しておきたいんだ。俺にはそれくらいしかもうできないから』
「神田先輩が外の大学に進学するって聞いた時に」
 窓越しの淡い光が、唇を引き結んだ弓場の横顔の輪郭を浮かび上がらせる。
「ああ、あの時の言葉ってそういうことなんだ、って腑に落ちました。だから、ついあの人ってどなたなんですか、ってつい聞いてしまいました」
 古寺はその時の神田の優しく、はにかむ様子を思い返しながら続けた。
「内緒って言われちゃいましたけど。ですよね。でも、きっとそれくらい大切で素晴らしい人なんだなって」
 赤いコーヒーチェリーの外皮に抱かれて、熟す種子のように抱かれた想いをあだやおろそかに暴く気にもなれず、古寺はそれ以上は言及しなかった。自分もそれを理解できない身でもなかったので。
……見込んだモンだな」
 どなたか、心当たりがあるんですか、と訊ねようとした。だが、弓場の峻厳な唇がかすかな苦さをはらみながらもほころぶさまを目の当たりにした古寺は、何か見てはいけないものを見てしまったようないたたまれなさが口をつぐませた。
 問いを、古寺は少し冷めた珈琲と共に呑み下す。
 すると、弓場は「ああ、そうだ」と傍らに置いてあった手帳から、紙片を二枚取り出すと、古寺の前へと差し出した。
「ここで会ったってェーのもいい機会だろう。こいつを貰ってくれねェーか」
「これは」
 弓場が差し出したのは映画の鑑賞券だった。
「この映画館でならどのプログラムでも使用可能なブツだ。今なら、ほら」
 と弓場はワンフレーズだけ軽く口ずさむ。印象的なメロディと歌詞はたったそれだけで、タイトルこそは出てこないがすぐにあれだと思い至れる耳に覚えのある曲だった。海外の映画の主題歌で、その作品も有名なものだ。歌姫と護衛の出会いと恋と別れの物語。
「こいつが来週までかかってる。もしいンなら、惚れたヤツと見ればいいさ。なにしろこれを一緒に観たふたりは結婚したってェーお墨付きだ」
 笑みを含んで告げられる言葉に、古寺は思わず想いを寄せる玉狛のオペレーターと共に映画館で並んで見ているさまを思い浮かべて、頬に熱を登らせた。そんな古寺に、弓場は澄んだレンズの奥のまなざしを細めた。
「言い草が大げさだったな。気が向いたら使ってくれりゃいい。観てェーようなモンがかかりそうもなかったら、誰かに譲っちまっても構わねェーし、な」
「でもこれ使用期限がないじゃないですか。それに、こうして二枚持ってるってことはご自分で誰かと行く予定だったんじゃ」
「一緒に行く約束はしてたんだが、どうにもタイミングが取れなくてな。いっそハシゴでもするかと思ったんだが……
 古寺はその鑑賞券を手に取る。手作り感あふれる、リソグラフでフィルムをデザインした枠と映写機にキネマパークみかどの文字。
「ここに来る途中にある、ミニシアターですよね」
「あァ。そういう見方をするのは、そうだな、さっきのおめェー風に言うならちっとばっか野暮だと思ってな。できたら、俺たち《・・・》の代わりに楽しんでくれたら、冥利に尽きるって話だろう。なにしろ映画が好きでたまらねェー連中が寄り集まって出来た、宝物みてェな場所だ」
「弓場さん」
「くすぐってェー言い方をしちまったな」
 いただくとしようか、と弓場は皿の上で食べられるのを待ちかねている、ふんわりとした卵色の生地にフォークを入れ、古寺も続いた。
「なにしろ一緒に行くってェー約束が反故にしちまうからな。……そいつが言ったんだよ。いくら期限がなくってもいつまでも塩漬けにしておくのも申し訳ない、楽しんできてくれってな、ふたりで行く時には改めて誘った自分が二人分のチケットを買い直すからって、な。ここから発つ時に」
 仕切り直してェーんだろうさ、可愛げがあるって言うか、と弓場は甘く酸い表情で言い添える。
――ここから発つ時。
 その人はもしかして、と古寺の中で答え合わせがされそうになった。
 だが、それこそがきっと野暮だろうと、古寺は考えるのを制した。何しろ、コーヒーハウスといえば古くはフランス革命の時にだって使われた密談の場所なのだから。琥珀の液体にすべての想いを受け止めてくれる。
 古寺はウィークエンドシトロンのひとかけらを口にする。
 きめ細かいけれど重たくはないバターケーキに練り込まれたオレンジピールの甘酸っぱさが口の中にふわりと広がる。シャリっとした糖衣の下に、おそらくはみかどみかんを使ったマーマレードがしっとりとした食感でいいアクセントだった。
「美味しいですね、これ」
「ああ。美味ェ。珈琲にも紅茶にも合う案配だ」
 弓場も頷く。苦さと甘さを堪能するように。
「これ、おれ好きな味です、マスター」
 素直な賞賛にマスターは嬉しそうに軽く会釈を返してくれた。
「あいつにも、食わせてやりてェーな」
「ウィークエンドシトロンは週末に大事な人と食べる、そんな意味らしいですよ」
「そうか」
 古寺がそう告げると、弓場はもう一口、口にしてから改めて深く首肯すると、デザインガラス越しに揺らいで見える街の風景を慈しむように眺めやった。
「楽しみにしておくとするか、いつになるか分からねェーがな」
 きっと、それまですぐですよ。
 古寺は胸の中だけで弓場に答えてみる。そして、二枚の鑑賞券をありがたく受け取った。
 ふたりぶんの想いごと。