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ORANGE*AXE/小野美歓
2025-10-25 22:56:59
6265文字
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風花
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今はまだ秘密の関係【ディミメル】
蒼月√クリア後。タイトル通りの状況な恋人同士の話。短編再録集「CANDY BOX 4」収録。
「メルセデス!」
朗らかな声に背後から呼ばわれ、予想外の邂逅にメルセデスの胸は躍った。顔を見て確かめずとも、その声の主を違えるはずなど有り得ない。
即座に歩みを止めて踵を返せば、足早に近づいて来るディミトリの姿が目に入る。彼の後方にはドゥドゥーが佇んでいて、どこかへの移動途中であることが窺えた。
不意に空き時間ができて、会いに来てくれた
――
などと期待できる状況ではなく、だからこそこうした偶然の機に、僅かにでも言葉を交わせることが嬉しい。ほんの一週間ほど前までは、自分がこんな風に思うようになるとは想像もしなかったのに。
戦争が終わった後も側にありたいと望みながら、一方でこの想いは届くことはないと諦める心積もりでいたが、大切な話があるからと請われて訪れた女神の塔でそれは一転した。心の裡を語るディミトリが差し出してきたのは、菫青色の貴石をあしらった指輪で。メルセデスは彼の想いを受け取り、生涯を共にすると誓い合った恋人同士となったのだ。
「こんなところに一人で、ということは、休憩中なのか?」
辺りを視線を一撫でしたディミトリに状況を問われ、メルセデスは首肯した。
「今は作業の合間でね。ずっとお部屋の中にいたから、外に出て風に当たりたくなって、気晴らしにお散歩してたのよ~」
あなたは? と返すと、大聖堂に行く途中だとディミトリは答え、それから。
「時間があるなら、少し話さないか。俺も次の予定までは余裕があるんだ」
「喜んで、って言いたいところだけれど。ドゥドゥーが待ってるのに、いいの?」
「構わない。先に行かせるから」
言いながら、ディミトリは軽く背後を振り返った。予め打ち合わせていたのか、主従の遣り取りに言葉はなく、ほんの一瞬で終わる。ドゥドゥーはディミトリの目配せを受け取ると、遠目にも分かる優しい微笑みで頷いて、大広間の建物に入っていった。時間に余裕があるというのは、どうやら本当らしい。
通路の真中での立ち話は往来の邪魔になるからとディミトリに促され、日陰を目指して連れ立って移動する。降り注ぐ陽光は角弓の節に入っても未だ夏のそれだが、大きな建物が光と熱を遮ってくれ、吹き抜ける風は爽やかで心地良い。
落ち着ける場所に二人で並び、メルセデスが傍らのディミトリを見上げる。互いの視線が絡むと同時に、彼の目が柔らかく眇められた。碧眼に映る自分の姿でこれまでとは違う距離の近さを実感して、胸の奥にまた熱が熾る。
ここは昼間の屋外で、人が行き交う場所だ。いずれも足早に通り過ぎるばかりだから注視はされていないだろうが、耳目があると思えば迂闊なことは言えない。このまま見つめ合っていると感情に任せた言葉が零れ落ちてしまいそうな気がして、メルセデスは誘惑を振り切って視線をディミトリから外した。
今はまだ、内緒にしておかないといけないものね
――
そうと裡に呟けば、女神の塔で将来を約束した後、報告に出向いた先で、当面は表沙汰にしない方が良い、とセテスやギルベルトに言われたことが思い出された。戦争が終わり、フォドラは新たな体制の元で復興を進めていく。そのために多忙となることが目に見えている時に、外から要らぬ口を挟まれかねない話は避けた方が無難だ、と。ディミトリの立場を思えば、彼らの懸念も当然のものである。
気持ちを切り替えるべく一つ息を吐いてから、メルセデスは改めてディミトリを見上げた。そして、今度は恋人ではなく、以前の親しい友人の顔を意識して、誰に聞かれても困らない話題を俎上に載せる。
「本当に、毎日慌ただしいわね~。戦争が終わればそれで全部が解決するものじゃないって分かってたけれど、それにしても、お茶の差し入れもできなくなるくらいに予定が詰まっちゃうなんて、想像もしなかったわ」
帝都決戦は王国軍の勝利で決着し、戦争終結の目処が立った。平穏な日常を取り戻すための復興が始まり、誰も彼もが忙しく働いている。それは当然、メルセデスも例外ではなかったのだが、ファーガス神聖王国のみならず、フォドラ全体を統べる王となるディミトリとは比較するのも烏滸がましい程度だ。
戦時の彼も多忙と言えたが、それでも毎日の食事の時間が概ね同じで、時には昼下がりに共に紅茶を飲む時間を取ることもできた。しかし今は、熟すべき仕事があまりに多すぎて、最低限の睡眠時間を確保するために他の余暇を削っているという有様だった。
以前のように紅茶の差し入れをと思ったメルセデスが、今朝の朝食時に食堂で同席した際にディミトリに一日の予定を尋ねたところ、彼は困ったように眉尻を下げつつ、確実に空いている時間がない、と答えた。今の彼が抱えているものを思えば、少しくらい、とも言えず、身を案じつつも引き下がるしかなかった。
その遣り取りは記憶に新しく、すぐに脳裏に浮かんだのだろう。ディミトリの眼差しがあの時と同じく気まずそうな色を帯びた。
「折角の気遣いなのに、すまないな。この目が回るような忙しさは今だけで、王都に戻れば増しになるとは思う」
「本当に、今だけなの?」
小首を傾げつつ、素直に問う。単純な疑問に過ぎず、メルセデスには責めるつもりは毛頭ない。ディミトリが鼻白む素振りを見せたのは、何度も無理を咎められた経験が脳裏を過るからか。
「ええと。保証はできないが、多分な。今後の統治の体制や復興の方針は、基本的なところだけでも今の内に定めて、皆が大修道院に発つ前に共有しておく方が齟齬が少なく済む。だから急いでいるんだ」
「あ
……
、それもそうね。みんなもいつまでも一緒にいるわけじゃないし、離れちゃったら連絡するのだって時間が掛かって大変だものね」
今の大修道院に集う同級生には王国出身者が多いが、年の途中で青獅子の学級に移籍した者もいる。また、先の冬以降に援兵として参戦した旧同盟諸侯の顔も見かける。戦争が終わった今も、故郷の復興に携わるべき彼らが大修道院にいるのは、新王の戴冠式が近く執り行われるからだけでなく、当面の方針に関する情報を多く持ち帰る必要があるのだろう。
朝食の時の話では空き時間がないと告げられただけで、そこで互いに料理の皿が空になったから詳細までは聞けなかった。メルセデスは、彼が目の前の仕事に集中するあまり、無理をしていることに気付いていないのではと不安を感じていたのだが、目的が分かればそれも致し方ないことと飲み込める。
「そういう事情だから、今だけは大目に見てくれると助かるよ」
「仕方ないわねえ。
……
なんて、あなたのお仕事を助けられない私が、偉そうに言えることじゃないのだけど」
「せめて、もう少し二人で話をする時間を取れたら良いんだが。なかなか難しいな」
ままならない現状への小さな不満を、ディミトリは溜息と共に吐く。王位を継ぐ者として、戦争終結と民の安寧は身命を賭して成し遂げるという信念はあれど、他の全てを犠牲にできるはずもない。如何に大きな権能を持っているとしても、彼も一人の人間に過ぎないのだから当然だ。
「
――
今日の夜も、時間は取れなさそう?」
人の目を気にしつつ、メルセデスが声を潜めて問うと、ディミトリは溜息を吐きつつ頷いた。
「明日の予定を考えると、日付が変わるくらいまでは執務室から出られそうにないな。次に会えるのは、明日の朝になりそうだ」
日付が変わる頃ならまだ起きているから
――
言ってしまいたいと思いながらも、メルセデスはそれを我儘だと断じて飲み込んだ。仕事を終えた深夜に訪ねてこないのは、相手の身を案ずる彼の想いの現れで、無理をしないでほしいと彼に望むなら、自分も彼の休む時間を奪ってはいけない。今だけだと彼が言うなら、信じるだけだ。だから。
「お願いだから、無理はしないでちょうだいね」
「ああ、善処する。どうにもならない時は少しでも休むようにするから、心配しないでくれ」
メルセデスが見上げる眼差しに想いを込めて言えば、ディミトリも真剣な面持ちで返してくる。以前の友人だった頃の彼は、無理を咎めても笑顔で線を引いて踏み込ませないところがあったが、今は違う。正面から受け止める姿勢は、彼にとっての自分の存在が確かに変わっていることの証左かもしれない。
視界に広がる青い空を眺めながら、暫し言葉を交わしていると、鐘の音が遠く響いた。不意に告げられたのは時の区切りで、メルセデスの心に落胆が微かな影を落とす。
「ごめんなさい、ディミトリ。私、そろそろ戻らないと」
後ろ髪を引かれる思いで告げると、ディミトリの視線が周囲を窺うように動いて、それから。
声を上げる間もなく距離が詰められ、視界が暗くなったことをメルセデスが認識した瞬間に、掠めるような口付けが降ってくる。先の彼の視線の動きが何を探していたのか、その意味を理解したのは、彼が一歩身を引いて、優しく微笑んだ後のことだった。
彼は自分の立場を分かっていて、近しい人たちの懸念も理解している。迂闊な行動かもしれないが、先に耳目がないことを確かめた上でのことなら、とも思ってしまうのが本音だ。頬に上ってくる熱を自覚しつつも、もう、と形だけでも咎めてみせると、ディミトリの碧眼が楽しそうに眇められる。それから三秒ほどの無言の間を置いて、二人はどちらからともなく笑い合ったのだった。
細やかな歓談の時は終わり、ディミトリは次の目的地である大聖堂へと向かっていった。彼の広い背が遠ざかる様を、小さな寂寥を感じながら眺めていたメルセデスもまた、作業に戻るために踵を返す
――
が。
予想外の事態が起こり、身を反転させたところでメルセデスは硬直してしまった。驚きのあまり目は見開かれ、胸の奥では心臓が暴れ、口は陸に打ち上げられた魚さながらにはくはくと動くばかりで声が出ない。というのも、真正面の軽く手を伸ばせば届く位置に、心底から楽しそうな笑顔のアネットが立っていたからだ。
「メーチェ~~~?」
恋人との逢瀬で心が浮き立っていたにしても、これほどの至近距離にアネットがいたことに、振り返るまで全く気付かなかったのは何故なのか。人の気配に敏い方ではないが、それでも石畳を歩いてくれば足音は鳴るものだ。なのに。
「え、あ、ええっと
……
いつから、そこに?」
「向こうに行った殿下が、大広間の建物に入ったくらいから、かな。メーチェってば、あたしには全然気付いてない感じだったから、驚かせようと思ってこっそり近づいたんだけど、大成功だね」
混乱しつつもどうにか問うべきを絞り出したメルセデスに対して、アネットの指先の軌跡が、先程のディミトリが通った道をなぞる。その言葉に偽りがないのなら、彼女はディミトリが移動を始めた頃に自分を見つけて、謀って足音を立てずに近づいてきたに過ぎない。
「もう。アンもいい大人なのに、小さな子供みたいなことをして。吃驚したじゃないの~」
内心の焦りを単純な驚きで覆い隠し、メルセデスは苦笑いで唇を尖らせる。咎められたアネットは、「えへへ」と小さく舌を出して首を竦めた後、楽しそうな笑みを崩さずに顔を覗き込んできた。
「
……
で。さっきのは、どういうことなのかなぁ? 説明してほしいな、メーチェ」
真っ直ぐに向けられた瞳に見えるのは好奇心だ。とはいえ、ディミトリとの立ち話の場面ならこれまでにも何度も見ているはずで、殊更問うまでもない日常の光景に過ぎない、のだが
……
意味深長そうな笑みも相俟って、不穏なものを感じたメルセデスは我知らず半歩身を引いてしまう。
「さっきの
……
って、何のこと
……
?」
「殿下と一緒だったけど、ただ話してたってだけじゃないよね、ってこと」
「え
……
」
さらりと吐かれたその言葉が指しているのは、まさか。ディミトリが去り際に残した口付けのことではと察したメルセデスの背を、汗の粒が一つ、滑り落ちていった。
アネットが見ていたのがいつからなのかが明確ではない以上、自分から暴露するわけにはいかない。何となく雰囲気が近いように思って訝しんだだけ、という可能性もあるのだから。
本音を言えば、大切に想い続けてきた親友にこそ、一番に伝えたかった話だ。今以て明かせないことへの罪悪感が、胸に小さな痛みを齎す。それでも、約束は約束だ。
「あんまり人に聞かれたくないような、大事な話をしてただけよ~」
「大事な話って、どんな?」
「えっと
……
それは、だから
……
」
「あたしにも言わないようなことを、殿下に?」
鋭い指摘を受けて、メルセデスは返す言葉を見失ってしまった。後に家族となる関係を伏せるなら、自分にとって一番近くにあるのは親友のアネットであるはずで、ならばディミトリに話せて彼女に話せないことなどそう多くはない。軍の機密か、他人の私事に関わる話か。そうと言えれば追及は免れたかもしれないが、焦りが先行して咄嗟に思いつかなかった。時既に遅し、である。
どうしよう、どうしよう。そればかりが脳裏を巡って何も言えないでいると、痺れを切らしたのか、アネットはこれ見よがしに溜息を吐いて。
「あのね、メーチェ。少なくともあたしには、無理して秘密にする必要、ないと思うよ。だって、あの時の殿下、あたしが見てるって気付いてたもん」
「
……
ええっ!?」
予想外の発言が飛び出し、さらなる混乱に見舞われる。アネットが言うところの「あの時の殿下」とは、口付ける間際に辺りを視線で窺った時のことだと思われる。記憶を探ってみても、他に心当たりはなかった。
ディミトリは自身の立場を鑑みて、混乱を避けるべく周囲の求めに応じた。一番重要なことを認めさせるためは、飲むしかない。諭す言葉に頷いていた横顔は、友人であった頃にも見られた物わかりが良い級長のそれだった。彼は無欲ではないが、取り巻く柵の全てを踏み砕いてまで我を通せる性質でもない。そんな人が、他人の接近に気付いていて、敢えて行動してみせたのだとするなら、その理由は
――
おおよその想像はできなくもないが、彼の気質を思うに自信は持てなかった。
恋人の真意はさておき、アネットが決定的な場面を目撃していたことは先の言葉から明らかだ。そのことに思考が届いた途端、焦燥と喫驚で混沌としていたメルセデスの胸裡は、ただ一つの別の感情に染まってしまった。
彼と想いを交わし合ってまだ一週間程度、過去の遍歴としてもこの手のことには不慣れだった。そも、恋人との親密な触れ合いは当人同士のものという認識で、他人に見せつけたいという嗜好もメルセデスにはない。
胸の奥に熾った熱がゆるゆると頬に上り、やがて耳にまで届く。恥ずかしさのあまり顔を上げていられなくなったメルセデスに、アネットは視界の外で「あー
……
」と零し。
「答え合わせ、できちゃったねえ、メーチェ」
「
………………
それ以上言わないで、アン
……
」
夕食後に話をすると約束を交わしてアネットと別れたメルセデスは、彼女の姿が見えなくなってから近くの木の陰に身を潜めた。思わぬ事態で真っ赤になってしまった顔を、他の誰かに見られる前にどうにかしなければならなかったからだ。
明日の朝は食事の前に連れ出して、ディミトリを問い詰めなくちゃ。頬に残る熱から意識を逸らすべく、今はここにいない恋人に愚痴をぶつけながら、暫し独りで深呼吸を繰り返したのだった。
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