雪成はす子
2025-10-25 22:00:25
2351文字
Public 💛関連
 

マイ ファーストペンギン

ハートのワンドロワンライ、お題:名前
ペンギンが一歩を踏み出す話
無断転載・AI学習・コピペ・自作発言禁止Repost is prohibited

 木の上に登った時、俺は遠くの海で酷く波が泡立っているのに気付いた。
 波が遠く、遠くに遠ざかっていたのだ。あんな風に遠くまで引いた波は初めてで、俺はごくりと唾を呑み込んだ。
 嫌な予感がしていた。
 俺の反対側から遠くを眺めていたシャチの腕を掴み、俺はぎり、と唇を噛み締める。

「ペンギン……? どうしたの?」

 シャチの戸惑う声が聞こえたが、答える余裕は無かった。
 嫌な予感が背筋をざわざわと這い回って、つう、と頬を嫌な汗が流れる。
 遠くで泡立っていた波は次第に高く、高くなっていき、大きな壁となってこちらへ押し寄せようとしている。

 あの波に気付いた時点で、木を降りて両親たちに呼びかけていたら――そう思ってみても、もう遅い。

 今から降りたとしても、きっと間に合わない。今降りたとしても、俺は、俺たちもまたあの波に呑まれてしまうだけだ。
「なに、あれ……お父さん、お母さん!!」
「シャチ、駄目だ!! 今降りたら俺たちも呑み込まれちまう!!」
 シャチの腕を更に強く掴み、俺はシャチを止めた。
 俺たちの目の前で、両親たちが、あの大きな壁に呑み込まれていく。

「ごめんなさい……!!」

 波に吞み込まれていく両親を眼下に見下ろしながら、俺はじっと震えて木の上に立っている事しか出来なかった。
 せめてシャチの腕を離さない事で、シャチを守るので精一杯で――そう言い訳してみた所で、俺の罪は変わらないのに。

 自分が助かりたいから、俺は両親を見殺しにした。
 その事実は、どう足搔いた所で消える事なんて無いのに。

  ***

 ――ペンギン。貴方の名前はね、勇気の名前なの。

 ――ペンギンはとても臆病で、とても慎重な生き物なのよ。だから群れの中で一番臆病で、一番慎重な個体は群れの先頭を歩くの。クレバスに仲間が落ちないように、クレバスがあったら仲間に知らせるのよ。

 ――海の中にはペンギンを食べるクジラやサメがいる。だからペンギンは海に飛び込みたくても中々飛び込めない。けれど一番最初に飛び込むペンギンはファーストペンギンって呼ばれるの。一番臆病で、一番慎重な個体だからこそ最初に海に飛び込む。無謀かもしれないけれど、一番最初に飛び込んだペンギンが居るお陰で、他のペンギンたちも海に飛び込めるの。

 ――無謀な挑戦をしろとは言わないわ。でも、一歩を踏み出す勇気を持つのはとても大事よ。貴方には、その一歩を踏み出す勇気を常に持っていて欲しい――そう、願っているわ。

  ***

 両親たちが波に呑み込まれてから一年が経ち、スワロー島にも短い夏が訪れた。
 海に泳ぎに行こう! というシャチとベポの提案に押され、俺は久しぶりに海を訪れた。あの日以来、まともに見れなかった海を訪れると、波はいつもより凪いできらきらと太陽光を反射している。今日の波は穏やかなようで少し安心した。
「おれいちばんね!」
 と海パンだけになったベポが真っ先に飛び込む。崖から勢いよく飛び降りると、きゃあ、と楽しそうな歓声を上げた。次いで服を脱いで海パンだけになるシャチに、
「シャチは大丈夫なのか?」
「? 何が?」
「何って、一年前の事もあっただろ? あんな事があって、海が怖くなったりはしねえの?」
……ペンギンは、怖いの?」
……怖いよ。あの日、俺は木の上に登った時点で波がおかしい事に気付いていたんだ。あの時叫んでいたら、俺の両親も、お前の両親も助かったかもしれないのに……でも、言えなかった。怖くて、声が出なくて、お前の腕を掴む事しか出来なかった。だから――
「ペンギン……その事を、もしかしてずっと気に病んでいたの?」
 シャチの問いに、俺はこくりと頷く。
「結果的に、俺はお前の両親も俺の両親も見殺しにしたようなモンだ。お前に恨まれたってしょうがねえのに」
「ペンギン」
 名前を呼ばれたのと同時に、眉間を指で弾かれる。「ってェっ!!」と叫んだ俺に、シャチはニィっと笑って見せた。
「シャチ、何しやがる」
「だってペンギン、流石に考えすぎというか悩みすぎだって。つーかあの木に登った時点で気付いたとしてもさ、間に合わなかっただろうなってのは俺だって分かるよ」
「そうだとしても……また、海が荒れたら」
「大丈夫だって。今日は一日快晴だってベポも言ってただろ? それにさ」

「俺にとって、海は怖いモンじゃねえんだ。海は、いつだって俺を受け止めてくれるから」

 そう言って、シャチは崖を飛び降りて行った。
 崖を覗くと、先に飛び込んだベポと合流してシャチが楽しそうに海の中ではしゃぎ回っている。早く来いよ、と手招くシャチの周りでは、揺蕩う波がきらきらと太陽光を反射していっそ眩い程だった。
 俺はごくりと喉を鳴らし、服を脱いで海パンだけになる。
 きらきらと波打つ水面を見つめると、シャチが笑顔で手を振った。

 ――貴方の名前は、勇気の名前なの。

 たっ、と俺は崖を蹴り、中空へと飛び立つ。
 ひゅっ、と一瞬だけ感じた浮遊感の後、風を切って俺は勢いよく落下し――ざぶん、と勢いよく海の中に落ちた。
 ごぼごぼと空気が割れる音を聞きながら、俺は水面を目指す。ぷはっ、と水面に顔を出すと、俺の横でシャチがニィっと笑った。
 その笑顔に、俺もつられてふはっと笑う。
 空は快晴、海も凪いで穏やかだ。
 あの日荒れ狂った海は、今は穏やかに俺たちを受け止めている。


 あの日踏み出せなかった一歩を、俺はやっと踏み出せた。
 その事が、俺にとっては何よりも嬉しくて――俺はひとつ、小さな涙を零した。

 涙は誰にも知られる事は無く、波間に呑まれて消えていったのだった。