朝起きるとそこは見慣れた場所ではなかった。終の住処で生涯を終えようとしていたはずだったのに、いつも視界にあった畳や乱視でぼやける視界もなく、まっさらな天井に眼鏡をかけていなくてもわかるくっきりとした視界が乱太郎を迎えた。
ふわあ…、と欠伸をしてもう一度辺りを見渡すと、なんら変わりない景色が乱太郎を迎えた。…ん?変わりない?どういうこと?自分にとっては初めて見る景色なはずなのに。とふかふかななにかから身体を起こすと、パタパタとこっちに歩いてくる足音が聞こえた。
(…だ、だれかくる……?)
身体を縮こませて警戒態勢を取っている乱太郎を迎えたのは昔によく聞いていた声。どこかで聞き慣れた声が自分の名前を呼びながら、乱太郎のいる部屋へと入ってきた。
「らん?起きたか……ってどうしたその体制…」
寝違えでもしたのか…?と首を傾げたのは、忍術学園で六年間、乱太郎の担任だった山田の息子である利吉が戸の前に立っていた。
「…利吉さん……?」
「…なんだ、その呼び方……って、あ。」
ふむ、そういう事か……。と一人で勝手に解決したらしい利吉は、ベットの隅で縮こまっている乱太郎の手を引っ張ってその場に立たせた。
「…ここにいるのもなんだし、朝ごはんを食べながら状況を説明しようか。」
利吉に手を引かれるがまま着いて行って戸をくぐり抜けた先には美味しい匂いが漂っていた。どうやら、朝ごはんを作っている最中だったらしい。ここに座って待ってて。と椅子に座らされて座ると、そのまま自分の頭を撫でて朝ごはんの準備に取り掛かる利吉。
彼を見ながら、周りの景色をぐるりと見渡す。やはり、さっきと同じように何もかも目に映るもの全てが乱太郎にとって初めてのはずなのに、脳は変わりない景色だと乱太郎の頭に訴えかけている。
もしかしてこれは夢なのではないか?と試しに自分の頬を抓ったところで支度を終えた利吉がこちらにやって来て、何をしてるんだ?と笑いながら乱太郎の前に朝ごはんを置いた。
「…いたい、」
抓った頬からじんじんとした痛さを感じて、これは夢なんかじゃないということを自覚したし、目の前にいる利吉にも夢なんかじゃないよ。と言われた。
何故、目の前の彼に自分の考えを読まれているのかさっぱり分からないが、とりあえずご飯にしようか。と言われたので目の前にある朝ごはんに手をつけることにした。
朝ごはんを咀嚼しているとごく自然に利吉が色んなことを説明をしてくれた。ここは自分たちが生きていた時代から約五百年先の未来であること。昔は歩きや馬が主流だったけれど、今は車や電車、自転車という乗り物が主流だということ。
そして利吉と乱太郎は幼い頃から家が隣でしかも同い年で幼馴染であり、今の関係は幼馴染……ではなく恋人であるということ。この世界についてから利吉との関係についてまで色んな説明を受けた乱太郎は、頭がこんがらがっていた。
やはり脳は利吉が話してくれたことを全て知っているらしく、そんなの知ってるという風に解釈しているが、乱太郎はそんなことを全く知るはずもないので余計混乱している。
「わ、わたしと、利吉さんが恋人……?」
「うん。…考えられない?」
「…いや、考えられないというか、想像が出来ないというか……。」
混乱している乱太郎を他所に父上にも母上にも記憶があってね。恋人の件は快く了承して貰えてるし、結婚もしていいって言われてるんだ。と利吉はいつの間にか机の上に置いていた乱太郎の手を自分の手に絡めながら言っていた。
「……け、結婚?」
まだ利吉に手を絡め取られていることを自覚していない乱太郎が聞き返すと、ああ、嫁入りだってことだよ。と目の前の彼が笑った。笑っている利吉を見たあとに、ようやく自分の手の所在を知った乱太郎は驚いた様子で絡められていた手と利吉の顔を交互に見た後、その顔はみるみると赤くなった。
「よ、嫁入りって……!??」
「昔からずっと言ってたんだよ、りーくんのお嫁さんになりたいの!ってね。」
なんだか昔言っていたような記憶が脳にフラッシュバックしたが、でも自分が言ったつもりはない。だけど言っている記憶が脳の中に思い浮かぶというなんともよく分からない現象に悩まされてまた混乱している乱太郎に、利吉は自分の名前を呼んで、きみが気づくと思ってずっと言ってなかったことがあるんだけど、気づかないみたいだから私が言うね。と乱太郎を見据えた。
「ず、ずっと言ってなかったこと……?」
なんなんだろう、やっぱり夢でした!とか……?とゴクリと唾を飲み込んで利吉が口を開くのを待っていると利吉はそんな緊張している乱太郎を笑って口を開いた。その口から出たのは乱太郎が予想していたものとはまるで真逆のものであった。
「……乱太郎、いや、蘭。自分の身体をちゃんと見てみなさい。」
「……私の身体?」
利吉の言われた通り自分の身体を見るために目線を下に向けた瞬間、目に入ってきたのは確かに自分自身の身体であったのだが、忍装束に身を包んでいたあの頃からは想像できないほど華奢になっており、身体を覆っている布地の面積も多くなっていた。だがしかし一番驚いたのは胸元にある二つの膨らみであった。
「……えっ……!?」
慌てて椅子から立ち上がってリビングの壁に立て掛けられている姿見を見て自分の姿を確認する。するとその鏡に映るのはどうみても男には見えない自分の姿があり、初めて自分が女であることに気づいた。
「え!?わたしって女の人になってるんですか!?」
「…そうだよ。本当に今、気づいたのかい……?」
こくりと頷くと利吉は少し呆れたようにため息をつきながら食器を片付けにシンクの方へ向かった。その隙に改めて自分の姿を見る。
昔、忍術学園で女装した時の姿そのままの姿が再現されているような自分の姿。男であったころよりも高い声、そして女の特徴的な豊満な胸。今改めて姿鏡を見て気づいたが男であった時の筋肉や骨格はもう残っておらず、女特有の丸っこい体型になっていた。
「……なんで私女の人になってるの……??」
姿見から離れて机の方に戻ってきた乱太郎は椅子に座りながらぼんやりと言葉を零した。自分の理解が追いつかない状態で利吉に沢山のことを教えられても、ただただ自分の中で矛盾が生まれていくだけで訳が分からなくなってしまう。
「私にもわからないけど……多分生まれ変わったんじゃないかな…。」
そう言いながら、洗い物を終わらせた利吉が机に戻ってきて再び乱太郎の対面に座った。
「生まれ変わり…?」
「うん。…そういうことにしておかないと可笑しいだろう?」
私にも父上や母上にも前の人生の記憶があって、そして今日乱太郎にもそれが植え付けられた。だから、そう考えないとおかしい。利吉にそう言われてそれはそうだと納得した。そうでなければこの状況は説明がつかない。
「でもそれが本当なら不思議ですね……こうしてまた出会えるなんて…。」
「そうだねぇ。まぁ、私は嬉しいけど。」
乱太郎にまた出会えて、恋人になれて良かったよ。そう言って微笑む利吉の瞳の中は今まで見たことも無い位優しくて温かいものが混ざっていて胸がきゅうっと苦しくなる。ドクンドクンと激しく脈打つ心臓に翻弄されるがままに口から勝手に言葉が出ていった。
「ど、どうしてですか??」
「どうしてって言われてもねぇ……。」
困ったように眉を下げて笑った彼が机の上で組んでいた腕を解いて乱太郎の手にそっと重ね合わせてきた。ピクッと肩を震わせるも、目だけは利吉から外せなかった。優しく触れられた指先から伝わる体温が忍術学園の時に頭を撫でてもらった時と重なってひどく懐かしくて切なくて涙が出そうになる。その涙を堪えるために唇を噛んだら目敏い彼によってすぐに指摘された。
「あぁ、ほら傷ついちゃうよ。そんなに強く噛んだら跡になるからやめなさい。」
噛んでいた唇を利吉の親指が優しく撫でる。そうされるとなんだかぞわぞわとした感覚に襲われて反射的に唇を噛むことをやめた。しかし唇を噛むことが辞めただけで涙腺は依然崩壊していて大粒の雫が瞳からボロボロと落ちていった。
自分でも意味が分からず泣き止もうとしても止められなくて必死に目元を擦ろうとする。だがそれを察知したのか利吉の腕が伸びてきて阻止されてしまった。代わりにその手は優しく背中を摩ってくれるから余計に涙が出てしまう結果になったが。
「よしよし…急に知らない環境で目が覚めて怖かったよな。…私がいるから心配しないで。」
よしよしと優しく乱太郎の背中を摩ってくれる彼のその声は何故か安心感を与えてくれて涙腺を更に崩壊させる材料となった。結局暫くの間利吉の膝の上でワンワンと泣いてしまった乱太郎は泣き疲れで意識を手放してしまったのだった。
「すぅ……すぅ……。」
規則正しい寝息を立てる乱太郎を抱きかかえたまま利吉はホッと胸を撫で下ろしていた。まさかこんな形で彼女の前世の記憶が戻るとは思わなかったし、正直驚いている。記憶が戻らないのならばそれはそれで良いと思っていたし、実際昔と違って平和な世の中であれば記憶を取り戻すことなく一生を過ごせると楽観視していたのだ。だがしかしまさかこんな形で記憶が戻るとは誰が思ったであろうか。
…記憶を取り戻したことによって昔のようにりーくんと呼んで笑ってくれる彼女は居なくなってしまったけれど、そんな事は些細なことなのだ。結局、どんな乱太郎だとしても利吉は好きなのだから。
これから徐々に色んなことをして、恋人であることを慣れさせたらいいだろう…。なんて考えていると眠ってしまった乱太郎がゴソゴソと動き出したのが分かった。起こさないようにそっと抱き上げて寝室まで運ぶ途中で薄らと目を開けた乱太郎と目が合った。
「ん……りきちさ……?」
「大丈夫だよ。…私はここにいる。ゆっくり眠りなさい。」
おやすみ、蘭。と言って額にキスを落とすと安心したような表情を浮かべて再び眠りについた。その寝顔を見ているだけで愛しさが込み上げてくる。そんな彼女を宝物を扱うように大切にベッドの上に横たえて隣に潜り込む。すぅすぅと眠る蘭の額と頬にキスを落として、ぎゅっとその小さな身体を抱き締めながら利吉も瞳を閉じて微睡みの中へと落ちていった。
了
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