ぎんちき
2025-10-25 00:00:00
6245文字
Public 再録
 

アフター・ラブコール

2024/10/27に主催・発行したブン木手ご飯プチアンソロジー『天才的においし~さ~!』に収録したお話のWeb再録になります。

原作沿い・付き合ってないふたり・おいしいものを一緒に食べる、という自分の好きな要素をぎゅっと詰め込んだ一作です。
特にタイトルは今もお気に入り!

……なぁ、今の。これならさ」
「ええ。きっと、……
 ラケットを握るふたつの腕は震えていた。木手は前方に立つ男の赤い髪を見ながら、明日の試合で自分たちが確実に爪痕を残せるであろうことを確信する。やはり、丸井ブン太という男は只者ではなかったのだ。そんな丸井が、振り向きざまに言う。

「な。俺この後行きたいとこあって、できたら付き合ってほしいんだけど、どう?」
「他の予定はないのでいいですが、どこに行くんですか?」
 尋ねてみても丸井は笑顔を浮かべながら「そりゃあ行ってみてのお楽しみだろい!」としか返してこない。先に片付けを終えた丸井に急かされるまま、木手はラケットバッグを背負う。
「んじゃ、出発!」
「は、はぁ……
 妙に張り切っている丸井を横目に木手は今日の練習内容を頭の中で反芻した。最後に完成させた「妙技」。当然、木手の技術があってこその技である。しかし、それ以上に丸井の出してきた、自分では思いつけないようなアイデアの賜物と言えた。彼が度々自称する「天才的」という言葉の意味が、改めてよくわかったような気がする。その発想力は心強かったが、一テニスプレイヤーとしての木手からすると悔しくもあった。

……おや。ホテルに戻る訳ではないんですね」
「何言ってんだ。当たり前じゃん? じゃなかったらわざわざ誘わねぇって」
 それもそうか、と木手は納得する。
「ではもう一度尋ねますが、どこに行くつもりなのか教えてくださいよ。スポーツ用品店?」
 丸井は首をブンブンと横に振る。
「じゃあ公園の……カフェですか」
 またも、首は横に振られる。
「ああ。ならあそこですか。日本料理の――
 木手が言い終えるのを待つまでもなく、首は横。
「もしや、……海岸?」
 横。
 ここまで来ると、どこに向かうのかを知らせてくれるつもりが丸井には毛頭ないことがわかったし、木手としては「自主練習を終えた後」、かつ「明日に大事な試合を控えた状況」である今から敢えて行くような場所は思い浮かばなかった。
 こうも勿体ぶられた結果が余りにもくだらないものだったらどうしてくれようかと思いながらも、木手はこのまま丸井の言うことを聞いておくことにする。ここで変に反発でもして諍いが起きた時のリスクを考えれば、そうせざるを得なかった。

 そうして丸井と適当な会話を交わしつつ、依然として見当のつかない目的地へ向けてしばらく歩いた。十分弱程進んだところで木手は、向かっている先が選手タウンの出入り口の方向であることに気が付く。それでいてホテルには戻らないと言うことから考えてみて、自分たちの向かっている先は海側なのだろうと踏んでいた。
 なんだ、やっぱり海が見たいんじゃないですか、その気持ちはわかりますけどね……今は好きな音楽について語っている丸井の横顔を見ながらそんなことを考えた。
 しかし……
「おーい! どこ行くつもりだよ。そっちじゃねぇって!」
「え…………。正気ですか……?」
 丸井は、海岸に繋がる階段の方へ行こうとした木手のジャージの裾を強く引っ張った。何だ、と木手が丸井の指し示している方を見れば、昨日も目にした店舗がそこにあった。その店にはこんな看板が掲げられている。
『肉々苑 メルボルン店』

「肉なら昨日散々食べたじゃないですか」
 木手の脳裏に浮かぶのは昨夜開催されたばかりの各国対抗焼肉バトルの光景。あれは特設会場での実施だったので直接の入店こそしていないが、食べ物の提供はこの店舗からされていたはずだ。
 勝敗の行方としては、最終的にドイツ代表のダンクマール・シュナイダーが巨大化し、会場が混沌に包まれうやむやとなってしまった。だが、そこまでの過程で木手も丸井も多種多様な肉をたくさん口にしていた。特に第2ラウンドとして実施された「わんこ焼肉」では次々と椀につがれる肉を食さねばならず、流石の丸井も満腹だ、と言っていたと木手は仁王から伝え聞いている。
「確かにいっぱい食ったよな。でも、あれはバトルだったからノーカンだろい。俺は純粋に焼肉を楽しみたいんだよ。それに昨日は昨日。寝て起きたらリセットされるもんだしな?」
「私は違いますけど」
「まーそんなのはいいんだって。一番の理由は、明日に向けて気合い入れなきゃなんだから、ここは肉を焼くしかねぇってこと」
 木手は、考えた。これはある意味丸井なりの勝利へ向けた儀式なのかもしれない、と。それならば乗じてみるのも悪くはないだろう。昨日出されていたものはこの店のメニューというよりもあの戦いに合うよう用意された特殊なものが多かったように思われる。それに、ここまで来ることを決めたのと同様の理由にはなるが、自分が何だかんだと理屈をこねて断ってしまい、今後丸井との連携が上手くいかなくなるというのが一番困る。ならば、ここは自分が大人になることで折れてやり、彼に賛同しておくべきだ。
「わかりました。わかりましたよ。存分に焼いてやりますから」

 余談ではあるが、この時木手はかなりの空腹状態だった。

「んじゃ、入ろうぜ」
「ええ」
 丸井の先導のもと入店すると、すぐに入り口近くの座敷に通される。テーブルを挟んで向かい合うように座るや否や、木手は周囲をキョロキョロと見回した。
「どうしたんだ?」
「いえ……その、前に行った店に似ているなと」
 今年の全国大会準決勝が行われた日の晩、東京で焼肉を食べたことを木手は思い出していた。その際に利用した店舗の内装と、こことがとてもよく似ていたのだ。あの店の名前も、確か同じ「肉々苑」だったと記憶しているので、どうも同系列の店に違いなさそうだ。
「あー、あれか? 全国の時だろ。決勝前に色んな学校のやつらで肉食ったってジロくんから聞いたぜ」
「知っていたんですか。それですよ。……あれは肉を食べたなんて生ぬるいものではありませんでしたけれど」
 昨夜の戦い以上の熾烈な争いだったかもしれないその時のことを思い、木手は遠い目をした。
「せっかくの我々の大活躍が、あんな理由で……
「ふーん……まあいいや。その話は後で聞かせてくれよ。俺たちは今を生きようぜ」
「何ですか、その言い方」
 メニューをこちらに渡しながら大仰な物言いをする丸井に木手の頬も少しばかり緩む。だが、見てみると意外にも丸井は笑っていなかった。わずかにではあるがむっとしていて、木手の勘違いでなければ、子どもが拗ねている時のそれに似ているような気がした。一瞬ドキリとしたが、恐らくは空腹が限界を迎えかけているのだろうと解釈して木手は急ぎ食べたいものを見繕った。

   *

「一通り揃ったことだしいよいよ……って、今更だけど柳とか乾はいねぇ……よな」
「大丈夫だと思いますよ……
 給仕をしてくれる店員や、厨房の方を軽く見てみるがそれらしき人物は見当たらない。つまり、丸井が手にしているコーラと、木手のジャスミン茶が危険物にすり替えられている可能性は極めて低い、はずだ。
「なら、心置きなく――乾杯!」
「乾杯」
 丸井の音頭に合わせてふたつのグラスを接触させればカチン、と心地よい音が鳴る。そのまま勢いよくグラスを呷ると喉から胃へ向かって冷たいものが降りていくのがよくわかった。
「んー。どう焼こうかなぁ~……
「悩まなくて大丈夫ですよ。私は奉行ではないですから」
「そう? ならこれは最初だしとりあえずで俺がバーッと置いてくから、後の面倒はお互い自分で見ようぜ」
「わかりました」
 丸井がカルビを網の上に載せた途端にジュウっという音がして、タレと肉の熱された香りがふたりの鼻腔をくすぐる。
「っか~、この匂いと音だけで飯が食えるよな」
「ふふ、そうで……えぇ?!」
 よくそう言った文句を耳にすることはあるし、木手にもその気持ちはわかる。しかし、それはあくまで「それくらい美味しそうな香りだ」という例えに使われるものではないのか。
 実際にやる人物がいるだなんて、考えてもみなかった。ましてやそれが、こんな身近にいるなんて。唖然とする木手をよそに、丸井は香りをお供にしながらライス(大)を既に半分ほど食べていた。
「あ~、うめぇ。キテレツも食えよ」
「け、結構です……
 平静を取り戻すべく、木手も自分のすべきことをすることにした。トングを手に取り自分側にある肉を返していく。脂が下に落ちる度に小さな火が上がり、顔も手も熱くなる。
「お。俺も!」
 丸井がカルビを返すと火はより強くなり、肉の香りもますます強くなってきた。

「あ、それもういいんじゃね?」
 丸井がトングで網の真ん中、木手寄りにある肉を指す。熱が強い位置にあるそれは、確かにもう十分焼けているようだった。
「ああ、ありがとうございます」
 木手はその肉を取りタレ皿に入れる。綺麗な網目がついていて、ベストと言えそうな焼き加減だった。左手はトングから箸に持ち替え、右手にご飯茶碗を持つ。一旦、米の上に肉を置いてから口へと運ぶ。
……!」
 肉は柔らかく、脂の程よい甘みとタレの塩気、そしてわずかな辛みが上手く調和し味を引き立てている。昨夜は一枚をじっくりと味わえていなかったので同じ肉であれども、木手からすると全く別物のように感じられた。なるほど、これなら丸井の主張の通り、昨日のことはノーカウントとして良いのかもしれない。
「おいしいです……ねぇ、丸井くん?」
「ん? ほうはは!」
――も、もうそんなに……?」
 木手が一枚目の肉を堪能している間に、丸井は自分の扱う領域に敷かれた肉を食らい尽くしたらしく、今また新たな肉――ハラミをトングで掴んでいた。ついでに、通りかかった店員に二杯目のライスを注文する。
「へへっ、飛ばし過ぎちまったかな?」
「わ、私も……
 昨日の感覚が抜けていないのか、はたまた持ち前の負けん気によるものか。木手も丸井に合わせペースを上げていく。

 そうして順々に食べていき、カルビを食べ終えたところで丸井からハラミの載った皿を受け取る。ふと目が合うと丸井は柔らかく微笑んでいた。
「何か?」
「いや。ほら、キテレツも結構ガッツリ飯食うんだよなーって思って。それに食べ方綺麗だし、一緒に食ってて楽しいわ。食わせ甲斐があるってこういう感じなんだろうな。……今回は俺が食わせてる訳じゃないんだけどさ!」
「なら、丸井くんの奢りで私に食べさせてみればいいじゃないですか。今日はいいですけど、そうですね……大会が終わった後にでも」
 木手がハラミを網の上に置くと、カルビに比べると落ち着いた音がし始める。その際視界に入った丸井の方にある肉の中に、両面が既に十分すぎるほど焼けているものがあることに気づいた。
「丸井くん。それ、取った方がいいんじゃないですか」
……あ、ああ。マジだ。教えてくれてサンキュな! あ~! 最高にうまい!」
 丸井から返事があるまでに妙な間があったのが木手は僅かに引っかかった。だがちょうど別の客たちが来店したタイミングだったので、そちらに気を取られて反応が遅れたのだろうと推測した。しかしそれで肉が最も美味しく食べられる状態を逃してしまうのは勿体ない。次同じようなことがあれば、もっとハッキリ言うか、いっそ自分が取ってやろうと密かに決心した。
 その後ふたりは学校や家族、地元のことなどの談笑を挟みつつ厚切りタン、レバー、ミノ、セセリ、豚トロ、リブロースを食べ、網替えを計三回、丸井はライスを四杯食し、メインの食事を終えた。

「だから頼むって、ひとくち食わせてくれ」
「本当にひとくちで済ませてくれるんですか?」
「信じてくれよ~!」
 デザートとして丸井はバニラアイス、木手はゆずシャーベットを頼んでおり、それらがつい先ほど手元に届いたばかりのこの状況でふたりは揉めていた。
 木手は、両手を合わせながら頼んでくる丸井の顔をじっと見つめる。この感じであれば信じてやってもよさそうだし、何よりこのまま言い争っていてはアイスがどんどん溶けてしまう。
「では、ここにおける『ひとくち』を定義づけましょう。そのスプーンに軽く、一杯。これを守ってください。絶対ですよ」
 念を押しながら丸井にシャーベットの皿を手渡す。すると、今日見た中で一、二を争うくらいにとびっきりの満面の笑顔が返ってきた。
「よっしゃー! んじゃ、お言葉の通り……ほら、こんなもんならいいよな?」
 丸井がスプーンを使ってシャーベットを掬い上げる。その量は指定通りのものだったので、木手は頷いた。
 木手の反応を確認した丸井はすぐにスプーンを口に運んだ。すると瞬時にその口角が引き上がる。言葉はなくとも美味しさを伝えるものとしては雄弁すぎるほどの表情で、それを目の前で見せられた木手は、自分も早く食べたくなり丸井に皿を返すよう催促した。
「へ? ああ、悪ぃ。返すわ。いやー、すっげーうまいなそれ! さっぱりしていい感じ!」
「私のチョイスですからね、当然ですよ」
 得意げに丸井に言ってやると苦笑された。木手はそれを無視してシャーベットを口に含む。真っ先に感じるひんやりとした感覚が実に心地よい。柚子の爽やかな香りと、バランスの取れた酸味と甘味とがすっかり熱くなった舌を癒やした。もうひとくち食べようとしたところで視界の片隅に何かが映る。
「キテレツ。あ~!」
「え……?」
 突然、口内にシャーベットよりも濃厚な甘みが広がる。丸井がバニラアイスを差し出してきていて、それを自分が食べたのだということを即座に理解できなかった。
「あはは、まさかそんな素直に食ってくれるなんてな。お前って結構不意打ちに弱い感じ?」
「卑怯な……何するんですか」
「さっきのひとくちのお礼! それにさ、せっかく一緒に食ってんだからうまさは共有してこそかなって」
……はあ。それなら断りを入れてからにしてください」
 不意を突かれ動揺が隠せない木手の口から飛び出る文句に対して、丸井はピースサインで応じる。木手はそれを払いのけてシャーベットを食べ直した。

「改めて思ったんだけど甘いものってやっぱこう、気持ちを上げてくれるよな! 幸せ~ってなるし、不安も解消してくれるっつーか。……今の俺にピッタリだ」
「そうですね……ただ、最後の点に関しては解消するというより、誤魔化しているだけかもしれませんよ?」
「そう……かもな。確かに、そうだ」
 木手は丸井の返事を聞きながらシャーベットを口へ運んだ。このデザートをあと少しで食べ終えてしまいそうなのが、何だか名残惜しい。
「明日は悔いの残らないようにしたいものですね」
「ああ。今日できたアレはとっておきの切り札だけど、タイミングが来たら出し惜しみは一切なしだ。一戦目から全力で行こうぜ」
 その言葉に木手が頷き、顔を上げれば丸井と視線が交わった。昼間木手に見せたような迷いの色は、今の丸井からは微塵も感じられない。

   *

「いよいよか……
「行きましょう。我々の力を存分に見せつけてやりましょうね」
「おう」
 拳と拳を突き合わせ、ふたりはコートへ向かう。
「ダブルス2出場枠の第1試合――丸井ブン太&木手永四郎ペアVS種ヶ島修二&白石蔵ノ介ペア!!」