しゃどやま
2025-10-24 00:43:00
1622文字
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戴天に対してなぜ「姉」で「姫」という感想を抱くのか

狂った私の脳の中身(創作におけるステレオタイプの話であり、現実の人間の性質を語るものではない。)

※創作におけるステレオタイプの話であり、現実の人間の性質を語るものではない。

男ではないもの
 →趣味も振る舞いもマニッシュで威圧的だが、同時に熱を出す、睡眠不足、体が凝っているなどの「無理をしている」場面が描写されている。社会へ適合しようとしているが、容易ではない。
 →男社会に必死で留まっている印象があり、逆説的に「男社会に適合するのに努力が必要な性」を感じてしまう。

 →人生に選択肢がない。戴天は自分の希望で行った行動が描写されていない。叢雲(宗雲)は自分が王座に着くことと雨竜たちを守ることを天秤にかけ決断し、雨竜は戴天に強要されてもライダーになることを自分の意志で選ぶまで頷かなかった。しかし戴天は、戴天の父や絶空の下で従いながら生きている。
 →絶空にネガティブな感情を抱いているような描写から、反旗を翻すため耐えている可能性はある。アルカディア計画が戴天の主導の計画になるかと思われるが、真意の描写まではいたらなかった。
 →高塔家の女が政略結婚に使われているエピソードがある。戴天もまた、結婚でこそないが戴天の父の出世欲のために本家に出されている。
 →男社会の中で、女たちと同じく巻き込まれて使われる存在という印象を受ける。

姉であるもの

 →兄としての振る舞いが、一人っ子であったことからか上手とはいえない。叢雲のようにゲームで負けさせ教えを説いたり、松之助のようにいざとなれば兄弟喧嘩をする「パブリックイメージの兄」の振る舞いではない。いわゆる「背中で語る」「ベタベタしない」「男同士であり、ケアをしあう関係ではない」というイメージがない。
かわりに「プレゼントを贈る」「一緒に食事をする」などの甘やかすムーブになっている。結果として、少年漫画やギャルゲーにおけるフィクションの姉(甘やかす異性)に近づいている。
 →槍術の稽古は行い圧勝しているが、初期のラスボス・黒幕ムーブに着地しており、兄の描写になっていない。

→雨竜からの接し方も、松之助たちBクラスに見せる生意気な姿ではなく、敬愛する、言い換えれば遠慮のある振る舞いなのでより異性の家族めいた雰囲気がある。モーニングコールは内線であり、部屋には入らない。

 →あとで電王の野上愛理について考察し直すこと

姫であるもの

 →戴天は前述した通り自己決定できず、雁字搦めの立場にあり、自分の力では変化できない(あるいは、変化しようと思えない)。自己決定の末に城を支配する王とは違い「そこに居ろ」と命じられて居る存在である。閉じ込められている「助け出される存在」としての描写は姫に多い。(男性が救助される話も「ヘンゼルとグレーテル」や「白鳥の王子」がある)
 →また、精神の未成熟が「魔法のランプ」で描かれた。不安になり、ヒステリーを起こす姿は王と呼ぶには年若い。人を制御する力にまだムラのある、王子や姫といった「カリスマ性はあるが、まだ王には至れないもの」の印象がある。

→雨竜は2回、宗雲は1回(叢雲が身を引いたことを含むなら2回)、戴天を庇い、守っている。
 特に雨竜は「魔法のランプ」で、戴天と口喧嘩した矢先でありながらマッドガイの攻撃から守っている。戴天から仕掛けた勝負だと知らなかった可能性も高いが「守られる存在」としての印象を強く与えるシーンになっている。
 また、雨竜は「獣の世界」で「兄さんに歯向かうものを槍で制す」と言っている。正義ではなく、兄のために武器を持つ決意は、弟というより騎士のようである。

まとめ

戴天の描写やストーリーでの役割が、兄ではないものとしての姉、王になれていないものとしての姫を感じさせている。
アルカディア計画の全容が明らかになる、絶空の支配に対して反旗を翻すなどのストーリーが描かれれば評価は変わるかもしれない。

※筆者はもはや戴天カワイイよな……になっているので、公平さを失っている。