大都会からこの辺鄙な田舎町に引っ越すだなんてどんな気の迷いだろうと思っていた。一晩中途絶えぬネオンの明かりは頭上高くに輝く月と星に変わり、朝の通勤ラッシュだなんて見る影もなく、人間達の代わりに小鳥達が忙しなく辺りを飛び回った。昼間は少しずつ町の広場に人が現れだすものの、夕食を終える頃には人っ子一人いなくなる。時折親父に連れてきてもらった町の酒場では毎晩同じ面子が集まり、店主も何度となく聞いたであろう話をにこやかに聞いていた。
セバスチャン、こんな毎日変わり映えのない小さな町で出会ったお前はいつだって俺の親友だった。
初めて出会ったのはいつだっただろう。まるで覚えてもいないが自分とは正反対のその男と仲良くなるのにそう時間はかからなかった。年齢が近かったこともあるが音楽やゲームなんかの趣味も合うし、見かけるたびに話してみれば人嫌いで気難しいと言うよりもただの人見知りであることがわかった。初めて共通の話題を見つけてからは生まれてからずっと可愛がられてきた犬のように懐いたし、あるいは気まぐれな猫のように今日はそんな気分でないのだとほったらかされることもあった。
セバスチャンとは一晩中いろんな話をした。いつかバンドをやらないかとあいつのそばでギターを鳴らし、新しいゲームを買ったと聞けばいの一番に山の上にあるあいつの部屋まで飛んで行った。いつかに買ったSF関連の本が見つかったときにはそれこそ普段よりも饒舌になるのを面白おかしく聞いていたし、そのくせ女の話には乗ってこなかったけれど、町の商店の一人娘であるアビゲイルとの仲を茶化すとそんなのじゃないと言いながら少し照れくさそうだったのを覚えている。本当に真反対の自分達はこのまま変わらず馬鹿をやって生きていけるのではないかと信じてやまない、そんな日々の中でのことだった。
「あいつと結婚するんだ」
冬、セバスチャンの誕生日を終えた週末、バンド練習のあとにセバスチャンがそう言った。そろそろまた街でライブをしないかとそう切り出す前に。
少し前からこの親友には恋人がいた。町の外れにある大きな牧場を受け継いだ、自分達とそう年齢の変わらない可愛らしい女の子。一時はこの町の誰もが彼女に夢中となったがあの子が選んだのはよりにもよって自分の親友だった。かねてより家族仲が悪く荒れていた時期もあった親友が恋人の存在のおかげで穏やかになっていくのを一番近くで見てはいたが、いざ結婚と聞かされると心の準備ができていなかったのだと思い知る。いや、自分がそう身構える必要はないのだけれど。とにもかくにも天地のひっくり返ったような驚きを飲み込み自分が絞り出せたのは、本当かとそんな当たり障りもなければ面白みもない言葉だった。
「冬が明けたらいい日を選んで式でも挙げようかって話をしてるところさ」
「……そうか、そうかよかったな! ご祝儀は弾むよ!」
「いらないよ……あぁでもあいつはその代わりに結婚式でお前の歌が聴きたいって言うかもな」
あいつはお前の歌が好きだからとセバスチャンがどこか遠くを見つめて微笑んだ。その視線の先には自らの指しかないはずなのにやけに愛おしそうに目を細め、恋とはかくも素晴らしきものなのだとその表情が物語る。毎日あんなにつまらなそうに生きていたこの男がだ。
「もちろんさ、なんだって聴かせてやる。いや、お前達に向けたとっておきのオリジナルラブソングを作らないとな!」
「ほどほどにしてくれよ、下手したら永遠に町の笑い者になるからな」
セバスチャンが仕方のなさそうに笑うのを見ながらギターを掻き鳴らす真似ごとをしてみせる。いつもどおり、これまでとなにも変わらないのになぜだかこの心臓は痛いほど脈打った。落ち着かない、なんなら普段どおりに吸って吐いても難しい。
このままだと変に思われそうで飛んで跳ねてと大袈裟なパフォーマンスに切り替えれば、埃が立つからやめろとセバスチャンはやっぱりいつものように呆れ調子でそう言った。
「まぁ別になにが変わるわけでもないよ、俺とお前はいつまでだって親友だ。そうだろ? サム」
「……あぁ、そうさ。俺はお前の世界で一番の親友、そればっかりはあの子にも譲れないな」
「あいつは俺のことをいきなり海に突き落としたりはしないからな、お前の代わりにもなれやしない」
「褒めてるのか、それ?」
「もちろん」
肩を竦めて軽口を叩くセバスチャンがふと時計を見遣った。つられて自分もその視線を追ったがまだ十七時を少し過ぎたばかり、これまでならこの男は外で一服をしてからまたなと言い残して自宅へ続く道を行く。けれど今日の行き先は違うのだろう、セバスチャンはそわついたのを包み隠すようにその首元へマフラーを巻いた。
「そろそろ行くよ、今日は一緒に夕飯を食べようって約束をしてるんだ」
「おいおい、誘われてないぜ? お前もあの子も浮かれて俺を忘れてないか?」
「恋人でいられるのも残り僅かなんだ、また今度招待するよ」
じゃあなとセバスチャンは手を振りこの部屋をあとにした。そうなれば自然と取り残されるのは自分一人、静まり返った自室にようやく弟の一人遊びをする声や母が料理をする音が届き出す。
ふと口内に血の味を感じた。一体なにごとかと思ったが舌先で唇に触れるとそこには玉のような血が浮かんでいて、いつのまにか唇を噛み締めていたことに気づく。はっとそのまま時計を見れば十七時半を目前にした頃だった。
くだらなかったあの頃に戻りたいかと言われたらそりゃあ戻りたいに決まっている、お前と一晩中馬鹿をやって遊んだあの頃に。けれどお前はもう戻らない。戻らないのは時間ではなくお前なんだ、セバスチャン。
この冬が明ける頃、親友は幸せを掴んで家を出る。夢を叶えたのだ。あいつ独りでは叶えられなかった夢を、ずっと変わらないままの俺を残して。それを寂しいと思うのか嬉しいと思うのか、今はただまだ見ぬ春が待ち遠しかった。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.