心の穴に植わる花

11.02 緑の宇宙展示物
生活感のないシャリアの部屋に観葉植物をあげるエグザベくんの話(エグシャリ成分は薄め)

 空っぽの、何もない自室が嫌いだった。木星へのくだらない旅から帰ってきて、その傾向がより顕著になった気がしている。生活感のないただの箱が、まるで空虚な自分の心を表しているようで、目にするとどうしても眉を顰めたくなるからだ。かと言って、何か置いておきたい物があるのかと聞かれれば、すぐに答えは出てこないだろう。
 そんな部屋で一人過ごしていても、不快感とずっと隣り合わせだった。だから、休憩時間に入っても、外の星々を目で追うのを止められないでいる。連日、ダラダラとブリッジに長居し続けているせいだろう。見かねたコモリが、頬を膨らませながら距離を詰めてきた。
「中佐! シャリア・ブル中佐! とっくに休憩時間に入ってますよ」
 ちらりと横目で様子を窺うと、タブレットをシャリアへ向けるコモリと視線が合った。
 ブリッジに長居しては彼女に諌められる。このやり取りは最近のソドン名物と化していた。息を微かに吐き、携帯端末の画面を指で撫でる。淡く光る画面に表示された時間が、思ってもみない程に進んでいて、シャリアは少しだけ目を見開いた。
……もう、こんな時間でしたか」
「そうですよ」
 むくれた顔をしながらコモリが言い続ける。
「中佐は働きすぎなんです! 少しだけでもいいですから、休んで下さい!」
 溜めていた感情が今にも爆発しそうなコモリを見て、シャリアはただただ苦笑いを浮かべるしかなかった。

 リフトグリップを握る手に力をぐっと込める。
 コモリや他のクルーを怒らせたり、困らせたい訳では決してなかった。これ以上、感傷に浸って周囲に気を遣わせてしまうのも忍びない。そう思い至ったシャリアは、さながら彗星の如く、ブリッジから颯爽と飛び出してきた。
 自室の扉の前に佇んでいると、体の底からじわじわと暗い感情が込み上げてくる。まるで、真綿で首を締められているような、じっとりとした不快感が体に張り付いていた。金属の扉を躊躇いがちに開けて、気乗りしないまま足を踏み入れる。廊下の電灯を背中に受け、影だけが奥へと伸びていた。眼前に広がる闇が冷たく手招きをしているように見え、シャリアは思わず息を呑む。
 そのまま壁を指で探り、室内灯のスイッチへと手をかざす。だが、頭の中では既にスイッチを押していたのに、指先はぴくりとも動いていなかった。がらんどうの部屋を眺めるのが恐ろしい。えも言われぬ怖さから体が竦み、眼前の暗闇からシャリアはサッと目を逸らした。
 スイッチを押して室内灯をつける。たったそれだけだ。けれども、その簡単な動作すら今の自分では迷ってしまう。
 逡巡した後、肺に溜まった空気を目一杯吐き出した。
 真っ暗な場所は心を落ち着かせるのに丁度いい。そう自分に言い聞かせる。かざしていた手を下ろし、そのまま扉をゆっくりと閉めた。
 僅かに漏れる廊下の光を頼りに、一歩ずつ床を踏みしめる。その度に、こつこつと冷たい金属の音が部屋の中に響いた。徐々に視界が闇に慣れてゆき、周囲にある家具の輪郭がぼんやりと浮かぶ。備え付けの椅子を見つけては体を預け、吐き捨てるように呟く。
「やはり、この部屋は嫌いだ……
 黒い天井を仰ぎ見た後、シャリアはゆっくりと瞼を閉じた。



 自室へ人を呼ぶ覚悟がなかったわけではない。決意した途端に嫌悪感がぐるぐると心を支配し始めては、二の足を踏む日々が続いていただけだ。そんな中、急ぎで報告を聞かなければいけなくなり、やむにやまれずエグザベを部屋へ呼びつけた日が一度だけある。
「失礼します」
「どうぞ」
 シャリアの部屋に入るや否や、エグザベは緊張と好奇心が混じり合った表情を浮かべ、辺りを見回していた。次第に戸惑いを隠しきれなくなったのだろう、徐々に顔が曇っていく。不安そうなエグザベの心の声が、水のようにシャリアの頭へ流れ込んできていた。
『この部屋、何もないけど……。中佐は、趣味とか好きな物とか、そういうのは無いのか?』
 思わず、心の中で自嘲しそうになる。
 シャリアは人の思惟を読むのに長けていたが、エグザベの思惟は他の誰よりも鮮明に読み取りやすかった。だからこそ、この時の言葉は心に刺さりひどく印象に残っている。どこか、気まずそうに揺らぐエグザベの双眸が脳裏に焼きついて、月日が経過した今でも頭の片隅を離れなかった。
 大したもてなしもできず、かと言って他人が興味を抱くような物を置いているわけでもない。シャリア・ブルという人間をそのまま鏡のように映し出しているような場所。それがこの部屋だ。他人から指摘されずとも、嫌という程に自分自身を理解していた。
 そんな後ろめたさすら感じる場所をはっきりと見られた事実に、今すぐにでもこの場から消えてしまいたい衝動に駆られる。エグザベからの報告を張り付いた笑顔で耳にしながら、シャリアの心はずっと上の空だった。



 目を瞑っていると、自分が今いる場所もしがらみも忘れて、心が水面に似た穏やかさを取り戻すようだった。時間の流れが曖昧になるような、体が弛緩する感覚に身を委ねていると、扉を叩く微かな音で沈んでいた意識が急速に浮上する。
 用がない場合、この場所にはなるべく近付かないようクルー達へ話はしていた。だから、ここを訪れてくる者などほとんど居やしない。そう思っていた。
 二度、扉を叩く音が耳に届く。一体誰なのか、とシャリアは瞼を開き思案を巡らせた。音の出所へ目を向けながら、恐る恐る近寄り扉を開ける。
「あっ!」
「えっ、エグザベ少尉?」
「はい、お疲れ様です!」
 自分が部屋にいるのを考えていなかったのか、エグザベは慌てた様子で一礼をした。頭を上げた後、不思議そうな表情を浮かべるシャリアと、手に抱えている物へ交互に視線を合わせている。
 全く想定していなかった突然の来訪者に、思わずシャリアは目を丸くした。電灯で上から照らされたエグザベの紫と緑の瞳が、キラキラと反射して視界に入る。真っ直ぐ射抜くような目にどこか居心地の悪さを感じ、エグザベに気取られないようシャリアは半歩後退りした。
 茫然として言葉を継げないでいると、エグザベが一言「あっ」と零し、小さく息を整え始める。緊張しているのか、ライトブラウンの髪が柔らかに揺れ、あちらこちらへ目が泳ぎ始めていた。
「すみません、お休み中に。コモリ少尉から自室で休憩中と聞きまして」
「いえ、お気になさらず」
 暗闇と自分が溶けて、何もかもわからなくなりそうな時間を過ごしていたから、今の気分は到底良いとは言い難いものだった。だが、まるで叱られた子犬のように眉を下げて、じっと見つめてくるエグザベに不快な思いをさせるのは本意では無い。シャリアは柔らかく目を細めて、その場を取り繕うように言葉を続ける。
「それよりどうしたんです。何かありました?」
「はい、実は」
 質問へ答えるかのように、エグザベは手にしている物へと優しげな視線を落とした。つられてシャリアもエグザベの手の中へ訝しげに目を向ける。
「これを」
 恭しく差し出された両手の中に焦点を定めると、こぢんまりとした観葉植物の鉢植えがあった。肉厚な葉を大小さまざまに広げ、ぱっと見た限りでは非常に可愛らしい。なんとなくコモリあたりが「可愛い!」と喜びそうな印象を覚える。自分とはまるで対照的な、そんな小さな鉢植えだった。
「随分可愛らしい植物ですねぇ」
 エグザベが首を一度縦に振る。
「よければ中佐に、と思いまして」
「私に……?」
 鉢植えと自分自身を交互に指差しながら、シャリアはあんぐりと口を開けていた。この植物の印象からはこんなにも程遠いであろう自分に対し、なぜエグザベは笑顔を向けながら手渡してくるのか。もしかすると、ソドン着任時から担っていた監視の一環なのだろうか。だとすると、何か裏があるのかもしれない。それとも、ただ単に気が向いたのか。
 照れくさそうに目尻を下げるエグザベを見ながら、ぐるぐると思案を巡らせるも腑に落ちる結論は何一つ出てこなかった。
「えっと、すみません。理由を聞いても?」
 尋ねた途端、僅かに沈黙が続いた。意を決したエグザベがシャリアの肩越しに背後を一度見た後、ぽつりと零す。
……出過ぎた真似をしているのはわかっています。それでも、何か心が安らぐ物でも置いてもらえれば、と思いまして」
「そう、ですか」
 本心なのだろうか。自身の持つ猜疑心へ嫌悪感を抱きながらも、シャリアは鮮明に流れ込んでくる思惟へ意識を向けるのを止められなかった。
『なんだか心配だな……。これが良いかはわからないけど、あの部屋の中で癒しになれば』
 鮮明に聞こえてくる思惟に対し、シャリアは意図的に遮断をした。
 エグザベの発言に裏はない。寧ろ、シャリアの身を案ずる言葉ばかりが次から次へと浮かんでいた。この部屋は、シャリア自身と同じように何もない事をエグザベは知っている。最初に訪ねてきた、あの日の眼差しと言葉が頭の中で繰り返す。
 彼なりに考えた行動なのだろう。その答えが手に抱えている鉢植えなのだ。
 暗さを伴う自分には眩しすぎる程に、目の前の青年の心根は真っ直ぐだ。そんなエグザベを多少なりとも疑ってしまった己を悔やんでも悔やみきれなかった。
「すみません、ありがとうございます」
 一瞬だけきょとんとしながらエグザベが「はい」と、一言口にする。目を細めて、割れ物を扱うようにシャリアへそっと鉢植えを手渡してきた。受け取る際に触れた手が温かく、今の鬱屈とした気分を少しだけ和らいでくれた。
「あの、少尉」
「何かありました?」
 裏表のない気遣いをありがたく受け取ったはいいものの、問題が一つだけあった。それは過去に植物を育てた経験が一度も無い事だ。木星船団に花や植物を好きな者が何人かいたのを記憶している。だが、彼らの話を聞くには、己に向けて引き金を引かなければいけなかった。
 手の中の鉢植えをどうすれば良いのかわからず、二の句が継げない。鉢植えとエグザベを交互に見て、困り果てたシャリアは眉を下げた。
「こういう物を扱った事が私には無く……
「中佐のお知り合いに詳しい方は?」
 目を伏せて、シャリアがかぶりを振る。
 よっぽど慌てふためいたように見えたのだろう。どうしたら、と零しかけたところで、エグザベがはにかみながら「土や光がそれ程なくても、良く育つ品種みたいです」と懇切丁寧に説明をし始めた。曰く、この品種は初心者にでも簡単に手入れができる、おすすめの一品らしい。全部お店の人の受け売りですが、と照れくさそうに呟くエグザベにつられて、気がつけばシャリアの口元も緩んでいた。
「もし、何かわからない所があれば、聞いてください。念の為、覚えた事は全部頭に叩き込んでますから」
「さすが、首席。わかりました。大切にします」
 返事代わりに微笑むエグザベを見ていると、自身に空いた心の穴に不思議と温かい何かが湧いているように思えた。お互いくすくす笑い合った後、不意に視線が交わり見つめ合う。気の利いた言葉を出せずにいると、突然エグザベの携帯端末がポケットで震え出した。
……携帯、鳴ってますよ」
「あ、はい! 失礼します」
 ポケットから携帯端末を取り出し、エグザベが顔色を変えながら慌て始める。
「すみません! ジークアクスの事で呼び出しがあったので、仕事に戻ります! お疲れ様です!」
「ええ、お疲れ様です。エグザベ少尉」
 さっと一礼をし、脱兎の如くエグザベはその場から姿を消す。エグザベが走り去った方向を眺めながら呆気に取られていると、誰もいなくなった廊下がしんと静まり返った。
 手の中の青々とした緑に再び目を落とすと、大小様々な葉を一所懸命に伸ばしていた。丸みを帯びている葉の形や鉢植え全体の小ささから、相も変わらず可愛らしいという印象が拭えない。だが、地球から遠く離れた宇宙の中でも必死に生きようとしている命に、どこか力強さも感じていた。
 背後を振り返って見てみれば、殺風景で無機質な部屋が未だここにある。この植物はもっと陽の当たる地にいるべきであって、こんな暗い場所は似つかわしくない。今、この手に僅かな重みを受け止めていても、自分には不釣り合いだと言い切れる。
 それでも、エグザベから手渡された気遣いを、己のせいで無駄にしてしまうのは心苦しい。何もないはずの穴から、じわじわと責任感めいた感情が湧いているような気がした。
「水、ちゃんとあげないといけませんね」
 自分以外は誰の耳にも届かないこの場所に、優しげな声が溶けて消えた。



 エグザベが部屋へ訪れて以来、ブリッジで長居する時間が目を見張るほどに減った。ソドン名物と化していたコモリとのやり取りもめっきり減り、彼女が頬を膨らませる機会も徐々に少なくなっている。部屋に置かれた小さな命が、どうやら意外にも良い傾向をもたらしているのだろう。
 打って変わり、エグザベが自室へ訪ねてくる頻度は多くなっていた。
「すみません、中佐。ここ最近、毎日来てしまって」
「構いません」
 最初こそ、エグザベの行動に驚きはしたものの、大抵は鉢植えの様子を聞いてくるだけで、部屋の中へ入ろうとはしない。贈り物の植物を話の種にして、不思議で温かな時間を僅かに過ごすだけである。止めどなく流れ込む思惟を読めば、気を遣ってくれているのはわかっていた。それでも、少なからず毎日二人で話をしていると、段々と心境の変化が表れてくる。
 エグザベとの会話を好ましく思っている自分がいる。心の隙間から喜びという小さな芽が生え始めている事実に、シャリアは薄々気がついていた。
「意外に思うかもしれませんが、少尉と話していると私も楽しいんですよ」
「そ、そんな」
 目を細めながらエグザベを見ると、澄んだ瞳と視線が交わる。かち合った瞬間、恥じらいを隠すようにさっと目を逸らされたが、まじまじとエグザベの顔を見れば耳の辺りが微かに赤らみ始めていた。
「あの、差し上げた植物の調子はどうです?」
 窺うように上目遣いをするエグザベに対し、シャリアが首を縦に振る。
「よく育ってますよ。貰った時よりも、葉っぱがたくさんついています」
「それは……良かった」
 事実、部屋に飾り始めた時よりも、植物は大きく生長していた。光を当てたり、水をあげたり、疑問が湧けばエグザベに相談して、枯らさないようにずっと心掛けていた。その行動が功を奏したのだろう。
「こんな環境でも、案外育つものですね」
「中佐が丁寧に世話してるからですよ」
「そうですか?」
「ええ、絶対そうです」
……だと、嬉しいですね」
 シャリアからの話を聞いて、エグザベはまるでの自分の事のように、喜びを隠しきれない様子だった。
「あの、迷惑でなければ、またここへ来ていいでしょうか?」
 自分自身が投影されたこの部屋を、どこかまだ好きにはなれない。けれども、鉢植えを観察し、エグザベと談笑しているこの時だけは、ここにいるのも存外悪くないと思える。今まで想像したこともない、そんな考えがシャリアの頭をよぎり始めていた。
「もちろんです、お待ちしてます」
 パッと明るくなったエグザベの表情を見て、自然とシャリアも笑顔になっていた。



 自室で一人過ごす時間が嫌いだった。何も置かれていない空っぽの部屋が、虚ろな心をまるで鏡のように映し出していたからだ。少し前までは、誰かに聞かれればそう答えていただろう。
 金属の扉を軽やかに開き、躊躇わずに電灯のスイッチへ手をかける。あれだけ視界に入れたくなかったこの部屋を、今では意外にも心休める場所として認識している自分に、可笑しさが込み上げてくる。
 植物の本や多少の酒、エグザベから「今度、旅行にでも行きましょうよ」と、半ば強引に押し付けられた観光コロニーの小冊子など、少しだけ雑多になった机へ目を向けた。その中でも貰った鉢植えはまるで太陽のように存在感を放っている。日々成長していく命をただ眺めていると、不思議と心が温まるようだった。やむをえずエグザベを呼びつけたあの日から、確かに何かが心で芽生えている。そう思えて仕方がなかった。
 ふと、日課になりつつある観察をしていると、今までに見た覚えのない色をつけている植物に気がついた。予想だにしない物を見つけ、シャリアは思わず目を白黒させる。
「これは……蕾?」
 口を押さえながらまじまじ見ていると、規則的に扉を叩く音が耳に届く。反射で扉へ視線を向けるが、誰が訪ねてきたのかは既に見当がついていた。部屋の外へと向かう足が自然と早くなり、開閉スイッチへ加える力が無意識の内に強くなる。
「お疲れ様です、ち——
 いつもとなんら変わりない調子で訪れたエグザベに、昂る感情を抑えきれない声色でシャリアは呼びかけた。
「エグザベ少尉!」
「えっ、どうしたんですか。中佐?」
 普段見せる平然とした態度とは打って変わり、爛々とした瞳のシャリアを見て、エグザベはぽかんと口を開けていた。驚いて固まるエグザベを気にも留めず、すぐさま右手を取り部屋の中へと引き込む。
「とにかく、見てほしい物があるんです」
「わっ、ちょっと」
 心地よい温かさの手を引いて、シャリアは自室の奥へと歩みを進める。色々な物が置かれた机の前までエグザベを連れて来て、その場でぴたりと立ち止まった。温かな手を名残惜しくするりと離し、鉢植えを指し示す。
「中佐?」
「見てください」
 葉に覆われていた小さな蕾を露にし、シャリアは穏やかな笑みを浮かべた。
「これ……。蕾、ですよね?」
 シャリアがエグザベを見ながら、小さく頷く。
「まだ小さいですが、間違いありません」
「花、つけるんですね。知らなかったな」
「私もです」
 たった一つ。人の小指程の小さな蕾がついただけで、こんなにも喜ばしく思える日がくるなど、今までの自分では到底考えられなかった。お互いの顔を見合いながら、自然とくすくす笑う時間が流れる。
 己の心境の変わりようがどうにも可笑しくて、ほんの少し目尻に涙が溜まり始めていた。くつくつ笑みを堪えながら涙をさっと拭い、観葉植物へ目を向ける。
 こんな温かな気分が心の中から芽生えるなど、自身には生涯来ないと思っていた。表情が緩むまま、エグザベに向けてシャリアはぽつりと呟き始める。
「少尉」
「何でしょうか」
「こんな話をしても、君を困らせるだけかもしれませんが」
 何を、と言葉を継ごうとしたエグザベにシャリアは片手で口を制す。そのまま次の言葉を待つように、紫と緑の瞳は黙ってシャリアをじっと射抜いていた。
「私は、この部屋が嫌いでした」
 自分の痛い所を他人へ吐露する行為があまり得意ではなかった。己の内面にある暗闇を曝け出すと、周りを困惑させてしまうと考えていたからだ。それでもなお、今だけは内側から芽吹く言葉を止められない。目を伏せながら、シャリアは愛おしげに葉を撫でる。
「空っぽなんですよ。この部屋も私も。ここにいると、何も持っていない自分を嫌でも認識させられますからね」
「そんな事」
 シャリアが首を横に振る。
「君も、言葉にはしていませんがわかっていたんでしょう? だから、この観葉植物を私にくれた。違いますか?」
「それは……
 心にぽっかりと空いた穴には何もない。それは己が一番よく理解していた。木星圏から帰還して、赤い彗星と出会ってなお、ずっとこの虚無が胸に潜んでいる。私物を一切置かないで、今まで嫌悪していた自室が何よりの証拠だった。
「気を遣わなくても良いんです。私自身が一番わかっていますから」
 躊躇いがちに若葉から手を離し、眉を落とすエグザベにシャリアは目を合わせる。
「ですが、最近はここが嫌いではなくなりました」
 優しさを帯びた表情を浮かべながら、エグザベと鉢植えの両方に手を向けた。
「貴方とこれのおかげです」
「僕、ですか……?」
 きょとんとしながら瞬きをするエグザベを見て、シャリアは首を縦に振る。
「そうですよ。だから、少尉には感謝してます。君のおかげで、この部屋が好きになれそうですから」
「そんな……。中佐がそう思えるようになったのなら、鉢植えを渡したかいがありました」
 面映い表情のシャリアにつられたのか、エグザベの顔も次第に綻び始めた。
「あの、もう少しここにいても良いですか? まだ休憩時間終わってないので」
 目を瞑り、シャリアが頷く。
「構いませんよ、少尉といると私も楽しいですから」
「ありがとうございます!」
 空虚な部屋と自身の胸に空いた穴に、小さな芽がゆっくりと生長し始めている。じんわりとした温かい兆しをシャリアは感じ取っていた。