第二次ネオ・ジオン抗争からしばらく、アムロ・レイとシャア・アズナブルは地球に隠れ住むことになった。映画2本分くらいの語りきれないごたごたがあったのだが、こちらは割愛しよう。
紆余曲折あったものの、現在は二人で暮らしている。「こいつをひとりで世に解き放ってしまえば今度は何をするかわからない」とアムロがシャアを捕まえて離さない為である。大体合っているので雲隠れの協力者であるセイラ・マスこと本名アルテイシア・ソム・ダイクンは神妙な顔で深く頷き、諸々の手配をしてくれた。彼女の兄であるシャアこと本名キャスバル・レム・ダイクンは心外だと言わんばかりの表情をしていたが、元凶とも言えるのでその場での発言権はなかった。
そんなこんなで生活の基盤を整えていざ始まった二人暮らしだが、当然ながら上手くいかない。
生まれも育ちも、親しんできた文化も異なる二人である。そしてそもそも殺し合いをした仲だ。フィフス・ルナの落下で多くの命が失われたことも、止められなかった無力感も、アムロは決して忘れない。ちょっとした口論が始まれば空気がピリつき殴り合いにも発展する。家具や食器が犠牲になることもしばしばだった。
――それでも、離れることはない。シャアはアムロから逃げることはなかったし、アムロもシャアを見限ることはなかった。常に噛み合わない歯車みたいにギスギスしているけれど、互いが互いの監視者であり抑止力だった。決して一般人から逸脱しないように、絶妙なバランスで天秤は保たれていたのである。
その日は二人での外食を決め、彼らは街へと繰り出していた。
微妙な仲であってもなるべく食事は一緒に摂るようにしている。アムロもシャアも、なんだかんだとお互いを無視できない。何かを話したいわけではないのだが、共に暮らす以上、共に過ごす時間があるべきだと根が真面目な二人が考えた結果であった。食事の時間くらいしか二人で過ごしている時間がないとも言える。
なんとなくアムロが外での食事を誘い、シャアが乗った、そういう日だった。
そうして訪れたレストランは、世界各国の料理の提供を売りにする大衆向けの店だ。宇宙世紀が始まる以前から、人口増加や多数の移民問題などから国特有の人種というものは薄れている。西洋系、東洋系などに纏めて大別されていた。そのため、こうした各地の郷土料理を集め、客層を広く狙う店は増えている。
メニューを選び、食事が届くまで互いに無言であった。家とは違い自分たち以外の存在がおり、ざわざわとした雑踏があることが、二人の間の緊張感を少しばかり和らげている。
やがてサーブされた料理がテーブルに並ぶ。やはり会話が発生することもなく、シャアがカトラリーを手に取った。その時不意に、アムロが「ん」と小皿を手渡してきて、彼は思わず首を傾げる。
「? 食べたいのか?」
「違うよ。それ、除けるのに使えよ」
「それ?」
「それ……マリネか? 蛸が入ってるだろ」
……蛸? シャアは目を瞬かせ、改めて注文した料理を見た。いわゆるイタリア料理に分類されるだろう。パスタがメインのランチセットだ。副菜の位置付けで、彼の言う蛸のマリネが皿に少量盛られている。
「苦手だろ、蛸」
「……は?」
「え?」
「特に苦手ではないが」
「いや……え? 自覚ないのか……?」
突然の身に覚えのない指摘に困惑するシャアだが、彼の言葉にアムロの方が戸惑っていた。
「……どうしてそう思ったんだ?」
「結構前、タコ飯作っただろ。あとなんだっけ……ああ、蛸のサラダとか」
過去、アムロが作った料理を指折り数えていく。二人暮らしを始めてから、調理担当はアムロが担うことが多い。一時、料理をしていた時期があったらしく、シャアよりは手慣れているからだ。
彼の挙げる食事を思い出す。確かに蛸の入った料理もあった気がする。
「その時のあなた、食事のペースが明らかに遅かった。味っていうより、食感が苦手なのか? 蛸をちょっと避けて食べたり、逆に集めてみて一気に食べたりしてたよ。難しい顔してさ。それでも残さず完食してるのは偉いと思ったけど」
だから苦手なんだと思ってたんだ。そう締め括ったアムロは、少しバツの悪そうな顔をした。
「……違ったなら、悪かったよ」
シャアは咄嗟に何と言えばいいかわからず口を噤んでしまった。テーブルに気まずい沈黙が落ちる。
食事風景をアムロに見られていたことは構わない。そもそも食卓を共にしている以上、必然的に視界に入るものだ。シャアもアムロが食べる様子を見ている。……けれど、アムロの食べ方であったり、料理に対する反応まで気にしたことはなかった。そこまで関心を持っていなかったのだ。
「人の苦手なものなど、わかるものなのか?」
「そりゃまあ……一緒に暮らしてるし、見てたらわかるだろ? だから蛸料理もあんまり作らなくなったし……」
わかるものか、とシャアは内心思う。士官学校で学友たちと共同生活をしていた頃、彼は誰の好物も知らなかった。雑談で話すことはあっただろう。それでも、興味がなかったから覚えてもいない。相手に関心がなければ、記憶に留めておくのは難しいものだ。それこそ家族のように心を傾ける人でなければ。
軍人として生きる以上、食べ物の好き嫌いなど言っていられない。味気ないレーションで生き繋ぐこともある。美味い食事を楽しみ、癒されることはあれど、シャアも極力食事に嗜好を作らないように努めてきた。皿に盛られた蛸のマリネを見る。シャアが苦手な食べ物だとアムロが教えてくれたもの。自分は本当に、蛸が苦手なのだろうか……?
シャアはしばし逡巡してから、寄せられていた小皿に、促されたようにマリネを移した。アムロが少しばかり目を見張る。苦手意識がなさそうな発言をしたから、そのまま食べると思っていたのだろう。
「君は蛸を食べられるのか?」
「えっ……あ、うん……食べないなら、貰うけど……」
「確認したいから、一口はいただく」
「もともとあなたのセットメニューだよ」
彼は一口分だけ残して、蛸のマリネを移した皿をアムロに渡した。それを区切りとしたのか、どちらともなく料理に手をつけ始める。
シャアはさっそくマリネを口に入れた。味は特に思うことはない。ぷりぷりとした弾力が口内に満ちる。一部は歯ごたえもあった。
「……」
シャアが知らず知らずのうちに俯いていた顔を上げると、同じく蛸のマリネを食べているアムロと目が合った。
「どうだ?」
ごくりと飲み込む。食べられないことはない。だが、いるかいらないかと聞かれたなら――――二口目はいらない、と答えただろう。
「……私は蛸が苦手だったんだな……」
どこか他人事じみた、しかし実感を伴う呟きだった。ほら見ろ、とアムロがなんだか得意げに笑う。シャアは目の覚めるような気持ちで彼を見返した。
アムロはシャアの様子を見て、蛸が苦手だと考えた。それ以来、蛸を使う料理は控えたと言う。シャア自身も自覚していなかったことに気付いて、配慮すらしてくれた。
まるで子を見守る親のように。――これを情と呼ばず、何と表せばいいのだろう。
食事を続けながら、シャアは気取られないようにアムロの食べる様子を見る。今まで気にも留めていなかった彼の仕草。これまで何度も共に食事の時間を過ごしてきたのに、ただ噛み締めて咀嚼するその様子すら新鮮に思えた。
アムロがシャアの苦手な食べ物を見つけたように、シャアも彼の嗜好を知りたかった。負けず嫌いとか、見返してやろうとか、そういった思惑ではない――純粋に、彼が何を好きなのかを、知りたい。
戦場を駆るガンダムのパイロットでも、シャアの因縁の相手でも、ファーストニュータイプでもない。ただ目の前にいるアムロ・レイという男のことを、知りたいと思ったのだ。
流石に熱い視線に気付いたアムロが「見過ぎだ、穴が開く」と恥ずかしげにそっぽを向くまで、シャアは彼を観察していた。
さて、翌日のことである。
住み着いた家のダイニングテーブルにはトーストとコーヒーが並んでいた。アムロの作る朝食メニューは大体同じだ。時々カリカリに焼かれたベーコンや、スクランブルエッグが加わる時もある。
シャアがいそいそと着席した時、本日の追加メニューがテーブルに置かれた。
「はい。あなたでも食べられる『タコ』だよ」
差し出された皿の上には、サラダと共にちょんとウインナーソーセージが乗っている。片方には切り込みが入っており、ボイルされたことで形状が広がっていた。さらにご丁寧にも黒胡麻がふたつ、目のようにつけられている。その様は、なるほど確かにデフォルメ化されたタコに似ていた。――いわゆる『タコさんウインナー』だ。
昨日の今日である。シャアも流石に揶揄われていることは理解できる。一瞬ムッとして……だが、アムロの顔を見て萎んでいく。
彼はイタズラが成功したように笑っていた。シャアは急に、苛立ちとは異なる感情の波を自覚した。胸がぎゅっと締め付けられるような、喉の奥が熱くなるような。
目の前の男に、無性に肌を近付けたくなるような。
「可愛いだろ?」
ああ、可愛い……シャアは納得して、頷いた。皿を小さく揺らし、並んだタコさんウインナーを踊らせる彼の晴れやかな顔をじっと見つめる。また胸の奥がきゅんと高鳴った。
アムロ・レイ――――君、こんなに可愛い男だったのか。
シャアは何か眩しく、尊いものでも拝んだような心地になった。辛うじて口には出さなかったため、口喧嘩などに発展することもなく、アムロはご機嫌のまま朝食を食べ始める。そんな彼の可愛さをシャアも噛み締めながらトーストを齧った。味などわかるはずもない。目の前の男のことばかりが心を占める。一度そう思ってしまったら、もう、あらゆる仕草が可愛く思えてくるのだ。
それは二人の関係性の、ひそやかな転換期だった。天秤が傾く前兆であった。もちろん、良い方向に。
抱いた感情につられるようにシャアの耳がほんのりと赤く染まっていたことは、つぶらな胡麻の瞳を持つタコさんウインナーだけが知っている。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.