白崎ぼたん
2025-10-21 12:30:00
3930文字
Public ツイノベ
 

初恋の人を描き続けてる恋人が記憶喪失になった

初恋の人の絵をずっと描き続けてる攻めが、記憶喪失になってしまう高校生BLです。

 昔好きだった人の絵ばかりを描いている攻め。
 受けは美術部で、美術室に行くと、一番早くに来てる攻めが、熱心にデッサンしてる。受けはその一途な横顔を、横に倒した椅子に座って自分も描いた。

「あの人のこと、忘れたくないから」って言う攻めに、「それはいいことだね」と答える受け。自分も一瞬一瞬を忘れたくなくて、攻めの事を描いてる。自分たちは写真も何もとらないから、頼りになるのは互いの記憶だけ。
 それだけじゃ足りないから、忘れたくなくて、受けも攻めのことを描いている。
 絵には、その時の自分の心ものる。だから、攻めがいかにその人のことを忘れたくないか、求めているかがわかる。
 切ないけど、受けはその絵が好きだった。
 なら、いいのかなと思った。
 一方通行に見えるけど、自分の思いが、攻めのなかでとどまるなら、何か意味があるんだろう。そう思っていた。
 ◇
 ある時、攻めが階段から落ちて、記憶喪失になってしまう。
 攻めからは、自分の記憶はおろか、好きだった人の記憶までなくしてしまっていた。
 攻めはもともと浮き世離れした性格で、他の人から見ると、何ら変化がないように見えた。
 けど、受けにはわかった。ものすごく攻めは空虚を抱えてしまったことを。
 クロッキー帳を前に、じっと鉛筆を動かせずにいる攻めに、皆が戸惑う。
 攻めにとって絵は息をすると同義だったから、ぼんやり首を傾げているなんて想像もできなかった。
 攻めは自分の空虚は理解しているみたいで、焦燥しているのがわかった。ぴりぴり緊張していて、近寄りがたい攻めの傍に、受けはそっと控えていた。
 ◇
 何かを言えるわけでもない。けど、傍にいることはできるし、それが自分のするべきことだ。
 受けは関係をもう一度積み重ねていく。
 空の色や、鳥の声。紅葉や風の匂い。時間の移ろいをひとつひとつ拾い上げていく。

「見て」

 攻めは、さみしげな気配は持っていたけど、受けが指さすたびに、それを追ってくれるようになった。
 子の鳥が、飛び立つ練習をしているのを見て、攻めは目を輝かせた。
 久しぶりに見る目に、受けは泣きたいくらいうれしくなった。
 攻めが、脇に抱えたクロッキー帳を見て、それから受けを振り返って笑った。そのことに驚く。いつもあの目をしたら、攻めは絵を描き出すから。

「描かなくていいの?」

 余計なことを聞いたかな、と少しひやりとする。攻めは気にした風もなく「うん」と笑った。

「ああいうものは、ただ心にしまっておくんだ」

 そういう攻めの顔は、すごくいとしげだった。
 風がふいた。攻めが空を見上げる。受けはそんな攻めをただ見つめていた。
 ◇
 受けは、自分のクロッキー帳を見る。攻めが一心に絵を書く横顔。ふとしたとき、外を眺める目線。ずっとかきとめていた。
 自分だけは、覚えていたい。覚えていないといけないって思ってた。
 でも、そうじゃなかったのかな。
 切ない期待が胸にわきおこる受け。けれど、こうして絵を見ていると、攻めへの一種の罪悪感でいっぱいになる。
 攻めに、好きな人のことを、受けは話せていなかった。
 積み重ねられたクロッキー帳の絵を見れば、攻めは描けるんじゃないかと、仲間たちが見せた。けど、攻めの焦燥が高まったので、受けが預かっていることになったのだ。
 これだけ好きだった人のことを、攻めは今知らない。繊細なものだとわかってるけど、自分に都合のいい考えをしている気がして、苦しかった。
 攻めは最近、受けのことを見てくれるようになったから。
 この間、攻めはたわむれに受けのことを描いた。二人で話している時に、いたずらするように鉛筆を向けて、数学のプリントにスケッチしたのだ。
 ◇
 すごく嬉しくて――罪深かった。
 自分は攻めにとって大切な居場所を奪ってしまったのではないか。攻めが見つめてくれるたび嬉しくて、すごく苦しかった。
 受けは悩む。好きだった人のことを話すべきではないだろうか。
 何も知らない攻めの心を、自分が埋めてしまって、いいのだろうか。
 悩んで、ずっと攻めのクロッキー帳を一冊持ち歩く日々が続く。一番新しいそれも、半ばまで描かれているのが紙のふくらみでわかる。
 美術室に向かうと、攻めが椅子を横倒しにして、何も立てかけてないイーゼルを前に座っていた。鉛筆を手にして微動だにしない。
 けど、以前のような焦燥はなく、凪いだ様子だった。受けはそっと椅子を引いて、近くに控えた。
 攻めはすぐに受けに気づいて、くるりと体を向けた。

「なにか、描こうと思うんだけど」

 澄んだ目に期待をこめて見つめられ、受けは頷いた。攻めは新しいクロッキー帳を持ってる。けれど、それを開かない。
 受けは、今ここしかないのかもしれない、と意を決して鞄から、攻めのクロッキー帳を取り出して渡した。
 攻めがそれを見て、しばし固まった。けど、それを受け取って、開いた。
 ◇
 攻めは、じっとそれを見つめていた。
 笑み、顰めた眉や、斜めに顔に触れる手の形まで、微細に描かれたそれ。
 受けでさえ、この人と知り合いのような気がするほど、生きた絵。
 何より愛しているってわかる筆致。
 受けは、緊張しながら、じっと見ていた。
 これは自分のエゴだ。攻めに、好きな人を返してあげないといけない。でないと、自分は攻めの笑顔を受け取れない。
 もし、攻めに何かあったら、どう責任をとればいいかわからない。
 受けはじっと、攻めの様子を見ていた。
 攻めは黙っていた。
 ページを繰っていた手が止まった。
 攻めは、クロッキー帳を閉じて、床に叩きつけた。
 苦しそうにする攻めに、受けは自分が間違ったことを悟る。人を呼んで、攻めの背をさすろうとして、躊躇した。
 伸ばしかけた手を、掴まれて、腰にすがられた。
 あんまりに強い力に、受けは息を飲む。攻めは「どうして」と言った。

「どうして思い出させたの」

 苦痛の滲む声に息を飲む。どうして、攻めは繰り返した。

「君とずっと生きていきたかったのに」

 受けは目を見開く。人がやってきて、攻めは病院に連れられていった。
 ◇
 検査を受けて、異常なしとわかる。
 攻めの記憶は戻っていた。
 受けは、それに安堵しながら、ずっと茫然としていた。
 攻めの言葉の意味が、わからなかった。
 攻めは、苦しかったのだろうか。自分が苦しめていたのだろうか。少なくとも、今苦しめたのはわかる。
 会いに行っても、ずっとそっぽを向かれていた。受けは、「ごめん」と言う。

「勝手なことをしてごめん。自分が、ずるいことをしてるのが辛かったんだ」

 攻めは、窓の外を見ながら、俯いた。

「攻めがずっとあの人を思ってるの、知ってたから。それを奪ってる気がして辛かった」

 ごめん、もう一度繰り返して、受けは黙り込む。攻めは、沈黙していた。けど、無視ではなく、言葉を待っているような気配だった。

「ぼくにとって、あの人は特別」

 言葉を手繰り寄せるみたいな、話し方だった。

「忘れたくない。絵を描き出したのも、それがきっかけだから」
……うん」
「でも、一緒にいたいかは別」

 攻めは受けを見た。迷子が辺りを見て、自分の位置を確かめるみたいな目だった。

「あの人と一緒にいる未来はなかった」
「攻め」
「けど、忘れられなくて。忘れたくなくて、ずっと描いてた」

 攻めは、クロッキー帳を手に取る。適当なところで開いて、それから窓を見た。風がふく。ぱらぱらと、ページが流れた。攻めは、受けを見る。

「君は、ぼくを責めなかった。そんなぼくのことずっと描いていたよね」

 問いかけにも、確認にも聞こえた。受けは、声には出さず、頷いた。

「嬉しかった」

 攻めの目が、切なく細められた。受けは、何も言えないでいた。そんな風に思ってくれていたなんて、知らなかった。
 攻めが、受けに一歩、歩み寄る。受けは、下がるべきなのか、迷った。けど、結局、立ち止まっていた。
 ゆっくり、ゆっくり、距離を詰めて。
 攻めは受けの手をとった。

「本当は、記憶は少しずつ戻ってたんだ」

 受けは目を見開く。

「彼がいなくても、過ごせた自分に戸惑って、辛くもなった」
「攻め」
「けど、君がいつもぼくを連れ出してくれた」

 飛び立つ鳥を見て、目を輝かせた攻めが浮かんだ。

「君は何も変わらずに、ずっと同じ顔で、ぼくのところにいた」

 握る手に、そっと力が込められた。攻めの目から、涙が溢れた。

「ぼくのかわりにずっと、抱えてくれてたんだね」
「そんな」

 受けは首を振った。そんなたいそうな事を、自分はしていない。ただ怯えていただけ。
 けど、攻めもまた首を振った。

「わかるよ。ぼくだって、君を見てるから」
「攻め」
「ぼくこそ、知らないふりをしようとしてごめん。ずっと君にだけ、抱えさせるところだった」

 攻めが、そっと受けを抱き寄せた。
 初めての抱擁に、受けは身を固くする。そんな受けに笑って、肩口に顔を預けた。

「好きだよ」
……うん」
「ぼくと一緒に生きてくれる?」

 受けは頷いた。涙が止まらなくて、攻めの服を濡らした。
 ◇
 受けは、攻めのクロッキー帳を、大切に胸に抱えた。攻めが「君に全部まかせる」って言ったので、受けは持っておくことに決めた。
 一緒に生きていく。
 窓の外を眺めて、手持ち無沙汰にしている攻めに、受けはそっと鉛筆を向けた。

 《完》