原田がふとそのことに気がついたのは、とある微小特異点へのレイシフトを終えたあと、管制室でデブリーフィングを行っているときのことだった。
レイシフト後は、マスターである藤丸が特異点での出来事を同行したサーヴァントたちの補足を含めながら報告しつつ、管制室のメンバーが総括をする、というのがお決まりの流れとなっている。当然、魔術的見解を踏まえた小難しい話も大いに含まれるので、生前そんなものには欠片も縁がなければ知識もなかった原田にとっては、正直なところ非常に退屈な時間である。そもそも、こんなふうにじっとしているのが性に合わないのだ。
けれど同行していた際の状況説明やそのときの意見を個別に求められたりする場合もあるので、よほどのことがない限りは終わるまでの同席がサーヴァントたちへの暗黙の了解となっている。原田とて、退屈とはいえそれをきっぱりと固辞するほど嫌というわけでもないため、欠伸を噛み締めながらこの場に参加しているのが常となっていた。
まあそんな集中も何もできていないような状態での参加なので、当然注意力も散漫になるというもので。特異点の解析結果をまとめたレポートを基にあれこれと見解が述べられていくのを適当に聞き流しながら、原田は手持ち無沙汰にふらふらとあちこち視線を彷徨わせていた。
そのときふと、原田と同じく今回の同行サーヴァントのうちの一人であった、藤堂平助の姿が目が留まった。
真面目な気質の藤堂はいつも真剣な顔で話を聞いているのだが、今日は何だかそわそわと落ち着かない様子を見せている気がしたのだ。とはいえ本当に小さな、おそらく原田もでなければ気付かなかったであろう程度の些細な違いで、実際この場にいる人て彼の様子に気付いてる者はいないようである。
藤堂は自分の右手で、己の左腕――生前とは異なる絡繰の義手となっている腕を、服の上からぎゅうと強く握り締めていた。握っているのは、確かちょうど腕と義手との境目になるあたりである。彼が羽織っているパーカーの袖にぐしゃりと皺が寄るほど、藤堂はそこを握り締めていたのだ。
また同じく義足となっている右足、その爪先で時折とんとんと床を軽く叩いている。彼がいつも全力で駆け出す前にやっている仕草に似ているが、今はもちろんそんなことは必要はない場面だ。それにいつものような動き出す前の準備運動をしているわけではなく、なんとなくじっとしていられない、というような感じである。履いた靴がいまいち足に合っていなくて、なんとか収まりが良くならないかを模索している、みたいな。
そうして改めてよくよく見てみれば、何となく藤堂の顔色が悪いような気もした。元々色素の薄い顔をしている彼だが、それにしたって今はさらにその白さが際立っているように見える。
いつも以上に血の気が失せていると言えるその顔を見た瞬間、ザッ、とかつての記憶が重なった。
地面に倒れ伏し、自らが流した血溜まりに沈む、小さな体。
真っ白な髪が泥と赤黒い鮮血でべったりと染められ、普段のふわふわとした柔らかさは見る影もなく。
中途半端に開いたままの瞳は、もはや何も映すことはない。
その星の輝きを堕としたのは、汚したのは、間違いなく自分たちで——。
「ッ……」
喉の奥が締め付けられて、息が詰まる。普段であればこんなふうに、不意にあの記憶が蘇ってくることなどないのに。こんなことを思ったりしないのに。今日のレイシフト先は雪原で。肌を刺すような冷たい空気に、あのときを思い出してしまうなんて、そんなことをうっかり思ってしまったから? あの場で藤堂が吐いていた白い吐息に、ああ生きているんだなと、感慨に耽ってしまったから?
何にせよ、記憶とともに腹の底から重たいものがこみ上げてきて、それを抑えきれないまま、原田は藤堂へと手を伸ばしていた。
「っ! ……原田、さん?」
突然腕を掴まれた平助は、驚いたように目を見開きながら、きょとんとした顔で原田を見上げてきた。その青い瞳に己の顔が映り込んでいることに、藤堂がこちらを見ていることに、ひどく安堵の気持ちがこみ上げてくる。
「なんですか。後にしてください、今はマスターの大事な時間ですよ」
咄嗟に大きな声を上げかけた平助は、しかしまだデブリーフィングの真っ最中であることをすぐに思い出したのか、そっと声を潜めながらしかめっ面をした。だから邪魔しないで静かにしていろ、とこちらを睨み付ける丸っこい瞳が雄弁に語っている。
とはいえ、話の中心はちょうど一番盛り上がった場面の感想会となっていたため、各々がわいわいと騒がしく声を上げるのに忙しいようだった。要するに、原田と藤堂のこのやり取りに気付いている者も、特にはいなかったわけである。藤丸がマシュとともに華麗に空中大回転を決めて敵を翻弄した下りを話し始めたから、ここからは所長によるお説教タイムが始まるはずだ。だったらその輪から少し離れたところで雑談をしていたところで誰も構いやしないだろう、と思いつつも、一応藤堂に倣って少しだけ声を小さくしながら原田は続けた。
「お前、どっか体調悪いんだろ。どうした?」
「……いえ、別に」
「嘘つけ、そんな青っちろい顔しやがって」
「僕の顔が白いのは元々です。いちいちそんなことで構わないでくださいよ」
刺々しさを大いに孕んだ声とともに、顔をふいっと背けられる。顔を見られたくないということは、見られると不味いというのを自覚している証拠だと思うのだけれど。
原田が掴んだのは、藤堂の左腕。服の布越しに原田の手のひらへと伝わってくるのは、機械の硬い感触と、無機物の冷たい温度だ。
もし生身の腕に触れられたなら、伝わってくるその体温から、彼の体調を推し量ることもできたであろう。けれど彼の体をこんなふうにしてしまった一因である自分に、そんなことが言えようはずもない。
「平助」
「だから、あなたに構われるようなことは何もないんです。わかったら早く離してください。本当に、何でもありませんから」
そうして続いた藤堂の声には、はっきりとした『拒絶』の色が乗せられていた。
その拒絶の強さに、原田はひっそりと動揺してしまう。そうこうしている間に、藤堂はふいっと原田の手を振り払ってしまった。
「平助……!」
原田はすぐにはっと我に返り、再び手を伸ばそうとした。
けれど。
「ッ、だから! 僕に構うなって言ってるだろ!」
——ばしん、と。
伸ばした手は強い力で叩き落とされ、耐えかねたような藤堂の怒号が、管制室に木霊した。さっきまでわいわいと騒がしかった空気が一瞬にして凍りつき、痛いほどの静寂が辺りを支配する。
「ど、どうしたの? 何かあった?」
その静寂を破ったのは、マスターである藤丸だった。その気遣うような声音の呼びかけに、ただでさえ紙のように真っ白だった藤堂の顔から、さらにさぁっと血の気が失せていくのがわかる。
そんな藤堂の様子を見て、しまった、と原田は内心舌打ちした。
藤堂の自己肯定感の低さはよくよく知っている。だからこそ己の力を必要としてくれるマスターのために尽くそうと、必要とされ続ける自分で在ろうと、いつだってそればかりを考えていることも。そんなふうに思っている大切な人の邪魔をしてしまった、と藤堂は思ったのだろう。
藤丸はこんな些細なことで腹を立て、相手を「要らない」などと断じてさっさと切り捨ててしまうような人間ではないし、藤堂だってそんなことはとちゃんとわかっているはずだろう。だがそれはそれとして、彼の心に刻まれている決して治りきらない深い深い傷が、彼の思考を強引に暗い方へと引きずっていってしまうのだ。誰からも求められない、必要とされないという恐怖が、彼の古傷へ容赦なく牙を突き立てる。
「っ、ご、ごめ、マスター、僕……!」
「あっ、藤堂さん、待って!」
藤丸の静止も聞かず、藤堂はくるりと踵を返して走り出していってしまった。魁先生、という異名は伊達ではない。藤堂の誇りでもあるその俊足で、彼はあっという間に管制室から飛び出していってしまった。その小柄な背中が完全に見えなくなるまで数十秒も掛からなかっただろう。流れ星が落ちていくのにも引けを取らない速度に、この場に誰も咄嗟に彼を止めることができなかった。もちろん、原田も。
藤堂の足音が完全に聞こえなくなった管制室内は、再び重苦しい沈黙に包まれる。肩にずしりと何かがのしかかっているかのようで、息が詰まりそうだ。
「……原田さん、何があったの?」
藤丸が問いかけてくる。まあ当事者のうちの一人が逃走してしまった以上、残る一人が事情説明をするのは当然のことなのだけれど。
「いや……」
藤堂の体調が悪そうだったから確認しようとしていた、と一度は素直に白状しようとして、けれど慌てて口を噤んだ。藤堂は自身の不調を周りに、特に藤丸には悟らせまいとしていたはずなので、それを本人が望まないところで開示してしまうのは、やはり気が引けるというか。それでもこうして問われている以上、何かは言わねばならぬわけで。
さてどうやって誤魔化そうか、と考えていた原田を見た藤丸は、
「……ううん。いいよ、これ以上は聞かない」
と、少し困ったようなため息混じりをつきつつもそう言った。
「え、でも」
「いいんです。だって今は言いたくないんですよね? だったら無理に聞かないけど、その代わり、藤堂さんのことは原田さんがちゃんとよろしく」
だから早く追いかけてやれと、この少年は笑いながら背中を押してくれていた。
藤丸だって、藤堂がどうしようもないくらい寂しがり屋なことも、ああやって逃げたときに本心では追いかけてほしいと思っていることも、全部知っているはずだ。そしてそんな彼のことが心配だろうに、その役目を原田に任せると言ってくれているのである。きっと原田のためにも、そうするのが最善だと判断して。
「……うす。ありがとうございます」
ぺこりと軽く頭を下げ、原田も先ほどの藤堂と同じように踵を返して駆け出した。
永遠に逃げ続けられるほどこのカルデアは広くはないし、そもそも藤堂だってそんなに長い間全力で走り続けられはしないだろう。アヴェンジャーという本来の適正とは違うクラスで歪に現界しており、さらに機械で継ぎ接ぎにした体であるせいか、藤堂は魔力切れ、もっとわかりやすく言うならばスタミナ切れが早いのだ。魔力によって駆動する手足はその動力を失えば動かなくなるし、そうなれば如何に藤堂といえど駆け出すことは叶わなくなる。
だがもし途中で力尽きて、何処とも知れぬ場所で崩れ落ちているとしたら、それはそれで心配だった。冷たく硬い床に転がって動けなくなっている彼の姿を想像するだけで、喉の奥から重たい淀みのようなものがこみ上げてくる感覚がする。先ほど握った彼の腕、義手の冷たさが、いつまでもべっとりと手のひらに張り付いているような気がした。
廊下ですれ違うサーヴァントたちに、藤堂を見ていないかと尋ねながら、ひたすらカルデア内を駆け回る。いい年こいて鬼ごっことは、と自嘲する冷静な自分がいたが、体裁など知ったことかと吐き捨てながらその声をねじ伏せた。そんなものより今は大事なことがある。
果たして原田が辿り着いたのは、藤堂の自室の前だった。
考えてみれば当然のことだった。体調不良であればまずは第一に体を横にして休みたくなるだろうし、そうしたいときに一番に向かうのは、基本的には己の布団の上であろう。少し考えれば簡単にわかることだったが、そんなことにも思い至らないくらいには焦っていたらしい。密偵たるもの常に冷静沈着であれ、そうして必要なモノを見極めよ、と叩き込まれていたはずの身でありながら。まあやりたくてやっていたことでもないから、正直その辺りはどうでもいいのだけれど。
「平助。平助、いるか?」
ぴったりと閉ざされた扉を軽くノックしながら、中に向かって呼びかける。各自にあてがわれた部屋には一応電子的なロックがかけられており、通常は中にいる者の許しがなければ入れない仕組みだ。まあ、最も厳重であるべき藤丸の部屋のロックはいつもやすやすと突破され、天井裏だの床下だのベッドの下に中にと、多数のサーヴァントが潜んでいるのが常らしいが。どうなっているんだカルデア。
そんな奇々怪々な藤丸の寝室事情はさておき、藤堂が許してくれなければ、原田は現状この部屋に入ることはできない。呼びかけてからしばらく待ってみたが中からの返事はなかった。先ほど藤堂から寄越された拒絶の強さを思い出して、何となく腹の底がひやりとする心地がする。
「なぁ、平助。悪かったよ。俺のこと許せねぇってんなら今はそれでもいいから、せめて無事かどうかだけ確かめさせてくれ。……大将からも、お前のこと頼まれてんだ」
藤丸から不要とされるのを恐れて逃げ出した藤堂に、その藤丸本人のことを引き合いに出して使うのは我ながら少し狡いと思ったが、この際致し方あるまい。
だがいつまで待っても、そのあと何度か繰り返し声を掛け続けてみても、扉の向こうからは一向に返事はなかった。人がいる気配は確かにしているから、不在というわけではないはずだけれど。
管制室で見た血の気が失せた青白い顔が不意に脳裏を過ぎる。まさか具合が悪すぎて、部屋の中で動けなくなっているんじゃないだろうか。意識を完全に落としてしまっていて、原田の声が聞こえていないとか。
そうであれば仕方がない、最終手段である。原田はここへ来るまでの道中で借りてきたマスターキーを取り出した。これがあればどの部屋でも入れるようになるらしい。
カード型のそれを取り出す。無理矢理侵入するような真似はできれば避けたかったのだが、緊急事態である可能性が高いので許して欲しいところだ。それ以上に原田自身が、このまま何もせずにここから立ち去るなんてことができそうにない。
踏み込むのか、と冷めた己の声が聞こえた気がした。
踏み込んでやろうじゃねぇか、とその声を嘲笑う。
そっとカードキーを扉横の端末にかざしてみると、ピッ、という電子音とともにロックが解除された。襖のように扉が横滑りしながら開いていく。
「っ、平助!」
果たして藤堂は、寝台のそばで床の上に座り込み、寝台の縁に寄り掛かるようにしながらぐったりとしていた。部屋に辿り着いてから布団に入ろうとして、けれどその途中で力尽きてしまったのだろうか。
「平助、平助っ」
慌てて駆け寄り、肩を掴んで揺さぶった。まだ完全に意識を失ってはいなかったらしく、藤堂はのろのろと顔を上げて原田を見る。ぱちり、ぱちり、と藤堂は幾度か瞬きを繰り返し、大きな青い瞳が見え隠れした。そうしているうちに薄れていた意識が戻ってきたらしく、虚ろだった瞳には少しずつ普段と同じ光が蘇ってくる。
藤堂が自分の意志できちんとこちらを見て、原田のことを認識していて、それがちゃんとわかる。たったそれだけのことで、ひどくほっとしている自分がいた。
「は、らだ、さん……? あんた、なに、して」
眉間に深い皺を寄せているのは、今藤堂の身体を苛んでいるであろう苦痛からくるものなのか、部屋へ勝手に入り込んでいる不躾な男の存在に顔をしかめているのか。どこかふわふわしたその声から、原田に対する嫌悪のような感情は窺えない。となれば単純にしんどいが故の険しい顔なのだろう。勝手にそう解釈させてもらった。藤堂に己をすべてを拒絶されてはいないのだと。
「お前こそ、こんな床の上に座り込んで何してんだ。そんなに具合悪ぃなら今から医務室に」
「大、丈夫、です……」
「馬鹿言え、そんなナリで何が大丈夫だってんだよ」
「だって、こんな……ことで、ご迷惑をおかけ、するのは……」
「何が迷惑だ、ふざけんな。こんな誰もいないとこでひとりで倒れてるほうが困るだろ」
へろへろで今にも消え入りそうな彼の強がりの言葉を、原田は苛立ちを大いに含んだ声で切り捨てる。
そんな原田の険しい声に、びく、と藤堂が体を大きく震わせた。こちらを見上げる瞳が不安定に揺れ、眉尻が下がったひどく不安そうな顔になる。叱られるのを恐れる小さな子供みたいなその顔が、原田の胸に鋭い痛みを伴って突き刺さった。
「……悪かった。怒ってねぇよ。怒ってねぇから、そんな顔すんな」
それこそ幼子をあやすみたいに努めて柔らかい声音で言いながら、原田は藤堂の体をそっと抱き上げた。抱えた小柄な身体は想定していた以上の軽さで、抱き上げる勢いが余ってつんのめりそうになってしまう。
軽く蹈鞴を踏みつつも何とか踏みとどまり、藤堂の体を寝台の上へと横たえた。寝台の上で藤堂は手足を縮こまらせてぎゅっと体を丸め、管制室でしていたのと同じように、右手で左の腕をきゅうと握りしめている。
「そこ、痛むのか?」
「……少し」
藤堂は困った様子でしばし視線を彷徨わせたのち、消え入りそうな声でそう答えた。これもまた強がりなことは明白である。
原田は藤堂が横たわる寝台に腰掛けながら、そっと彼のほうへと手を伸ばした。握りしめている右手に上から包み込むように触れれば、そこも随分と体温を失って冷たくなっていた。原田の体温で温められはしないかと、触れたそこを優しく擦ってみる。振り払われはしない。そうする気力すらないのだろうか。
「……義手と、義足の、付け根が」
そうしてしばらく沈黙の時間が続いていたが、やがて藤堂が、観念したと言わんばかりにぼそぼそと口を開いた。
「寒いときに、痛む、ことがあって……」
なるほど、と原田は今日のレイシフト先を思い出す。
たしかにあそこは見渡す限りの冷たい雪原で、しかも終始びゅうびゅうと冷たい風が吹き荒んでいた。寒くなると古傷が痛むなんてこともあるが、つまり今の藤堂を苛んでいる痛みもそういう感じなのだろうか。本来の在り方とは違う機械仕掛けのものをつなげて無理矢理継ぎ接ぎにしているがために、古傷が疼くどころではない状態になっているのかもしれない。それにしたって、気を失いかけるほどの痛みはさすがに少しまずいのではないかと思うが。
或いはあの冬の日、己を殺され身体をぼろぼろにされたその痛みが、寒さという小さなきっかけで平助へと牙を剥いているのだろうか。藤堂平助という英霊の霊基に刻まれているその痛みが、アヴェンジャーとしての彼の中にある復讐の炎を絶やさないための薪となるように。その恩讐を決して忘れるなと、骨身に沁みるまで教え込ませるように。
本当のところは原田にはわからない。けれどわからないからって、このまま何もせずにはいられそうになかった。この寂しがり屋を、冷え切ったままひとりぼっちにさせるなんて、もう二度と御免なので。
「原因がわかってんだったら、寒冷地へのレイシフトは避けてほしいって、大将に言えばよかったじゃねぇか」
「……そんなこと、言えない……言えるわけ、ない」
「……ま、そうだな」
マスターからの信頼を裏切りたくない一心でいる藤堂に、彼からのお願いを断るなんて選択肢はハナから存在しないのだろう。藤丸はサーヴァント一騎一騎に寄り添い、その言葉を誠実に向き合って受け入れてくれる人間だが、それをちゃんとわかっているこそ藤堂は言えなかったのかもしれない。
相変わらず他人に甘えるのも、他人を頼るのもヘタクソな男だ。誰かに自分を委ねたいと強く思っているはずなのに、いざ受け入れてくれる相手を前にすると尻込みする。傷付けたくないし、傷付きたくないから。
「……めんどくさい、って、思ったでしょう」
呻くような声で、藤堂は自嘲した。自分でもわかってるよ、と額に薄らと脂汗を滲ませながら、唇の端を下手くそに釣り上げている。
「別にそんなこと思っちゃいねぇけど」
「嘘だ」
「嘘じゃねぇって。ただ……なんだ。いじらしいな、とは思ったよ」
「…………は?」
我ながらこの場に、そして原田と藤堂の間にはふさわしくない言葉がまろび出てしまったという思いは少なからずあったが、それでもここまであからさまに「何言ってんだコイツ」みたいな顔をされるのはちょっと面白くない。
「あの……意味、わかって言ってます?」
「見てて痛々しいくらいに健気でかわいいってことだろ。だったら合ってるよ」
「……合ってるけど、合ってないです」
「合ってんだよ。俺自身がそう思ってんだから」
「原田さん、酔ってる?」
「んなわけあるか。俺たちが帰ってきたの今さっきじゃねぇか。さすがにこんな短時間で正体なくすほど飲めねぇよ。頭ッから爪の先まで間違いなく全部正気だぜ」
「だったら……ああ、もう。なんでもいいです……好きに思っててください……」
藤堂は力なくため息を吐いた。もはや言い返す元気すらないらしい。くったりと寝台に身体を預け、時折耐えかねたように食いしばった歯の合間から呻き声を漏らしている。
原田は寝台の端にきちんと畳まれていた掛け布団を広げてから、藤堂の上にそっとかけてやった。暖めてやるならもう少し厚めのもののほうがいいのだろうが、今はこれしか見当たらないので仕方あるまい。もっと分厚い布団をどこかから借りてきてやろうかとも一瞬考えたが、それ以上に今は藤堂のそばを離れがたかった。
それでも、今の自分にできることはないだろうか。少しでも温かさを与えてやれないだろうか。そう思った原田は、布団の上から彼の身体の上で手のひらを往復させ、ゆっくりと擦ってやった。
「…………」
ほう、と。
先程の濃い疲労が滲み出たそれとはちがう、どこか心地よさそうなため息が、藤堂の小さな口から零れ落ちた。どうやらこうしてやると幾分か楽になれるらしい。硬く緊張していた身体が、ゆっくり、ゆっくりと、少しずつだが解 けていくのが、手のひら越しに伝わってくる。
「あの、原田さん……」
「んー?」
そのままうとうとと船をこぎ始めたらしい藤堂の声は、いつもより少しだけ舌足らずというか、どこか甘い声をしていた。そしてそんな藤堂の様子に釣られでもしたのか、返した自分の声も甘く優しい声音をしていた。
藤堂も原田の声音の違いに気がついたのか、一瞬だけ驚いたように目を丸く見開いて、けれどすぐに瞼を閉じてしまった。ふー、とひとつ大きく息を吐いてから、再び口を開く。
「……さっきは、ごめんなさい……急に怒鳴ったりして……みんなも、びっくりしてたし……マスターにも、あやまらなくちゃ……」
「俺は別にいいよ。そんだけしんどかったんだろ」
強い痛みに一人必死で耐えようとしていたのなら、多少情緒が不安定にもなろう。アヴェンジャーとして現界して以降は、なおのこと感情の浮き沈みが激しくなってしまっているようだし。そもそもの話、藤堂が触れられたくなくて必死に隠そうとしていたものを、横から無遠慮につついた原田が悪いのだ。
「とりあえず寝られそうならそのまま寝とけ。休めばちったぁ落ち着くだろ。大将に謝んのならその後にな。要らねぇ心配かけたくねぇんだろ」
「……はい」
朦朧としつつあるせいか、藤堂は存外素直に頷いてくれた。
痛みに苛まれ続けている状態というのは、なかなかに消耗するものだ。ゆくゆくはきちんと医療班の面々に診てもらったほうがいいが、とりあえず今は休んで体力を回復させるのを何より優先すべきだろう。
「あの……原田、さん」
けれど藤堂はそのまま眠りに落ちるでもなく、重くなっていたであろう瞼を無理矢理持ち上げた。あまつさえ身体を起こそうとするものだから、原田は藤堂を擦っていた手で慌てて彼を寝台へと押し戻す。
「なんだよ、早く寝ろって」
「ごめんなさい……でも、これだけ」
「ん?」
「……ありがとう、ございます」
寝台に押し込み直し、布団を深く被らせて寝かしつけようとする原田を見上げながら、藤堂は吐息混じりにそう言って、そのまま力尽きたように静かに目を閉じた。
こてん、と急に力を失った小さな体に思わずぎょっとしてしまい、原田は慌てて藤堂の口元へと手を寄せる。すう、すう、という規則正しい吐息が手のひらをやわくくすぐってきて、どっと全身から力が抜けた。
「……礼を言われるようなこと、俺はお前に何もできちゃいねぇんだけどな」
今も、昔も。責められるならまだしもな、と原田は藤堂の寝顔を見下ろしながら、小さく肩を竦めた。
かつて藤堂の身体をぼろぼろにして、寒空の下へ無惨に晒して、今もなお彼を苛んでいる痛みの一因を作った己の手。けれどそれが今は、そんな藤堂に温もりを与え、身を蝕む痛みを癒す一助になっている。
こんなにもやさしい奇跡が、彼と自分の間に許されていいのだろうか。
本当だったらもう二度と手が届かない場所へ落としてしまったはずだった一番星。それにこうして再び巡り会えたというだけで、十分すぎるほど恵まれているというのに。
だがせっかくこうして好機が与えられているのだから、遠慮も何もなく乗っからせてもらうほうが良いのだろう。たとえ全てはここだけのことなのだとしても。本質的には何も変わらず、そして何も残らないのだとしても。なにひとつ意味がないなんて、そんなことは絶対ない。だからこそ、自分は、彼は、星見台 という場にこうして集うているのだから。
そうでなくとも、手が届く場所にある星が地に向かって落ちていくのを、何もせずにただ見送れるほど、原田は人でなしではない。欲のない人間でもない。
「……構うなって言うけど。俺は俺の気が済むまでお前に構うぜ、平助」
相手が聞いていない状態での宣言はさすがにずるいと思うので、藤堂が次に目を覚ましたら、面と向かってもう一回こう言ってやるとしよう。
先ほどよりだいぶ血の気が戻ってきたらしい藤堂の頬に手の甲でそっと触れながら、原田はふっと口元を綻ばせた。
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