みがきにしん
2025-10-21 00:05:40
6996文字
Public 回収人の話
 

信仰の代価

死体を回収する仕事をしているルートのアラン君のお話です。
今回はイシュガルドのウィッチドロップで雪を掘っています。

 この地の寒風は、いつも骨身に沁みる。
 深くフードを被っていても耳の先が痺れるように痛み、呼吸の度に吐く息は白く凍り、吸う空気は冷たさを伴って肺に落ちる。
 大地に開いた亀裂には太陽の光も十分に差し込むことはなく、冬が訪れたこの国では珍しい晴れた日であっても、崖下が明るく照らされることはない。
 この国の人々が溜め込み続けた痛苦のようだ、と全くの部外者ながらアランは思う。平和が訪れたところですぐに傷が消えるわけもなく、傷の奥には光も簡単には差し込まない。
 杖代わりの長い棒で足下を確かめることを忘れないようにしながら、崖に張り付いたような道を、腹に力を入れ、岩壁に手をつきながらゆっくりと下る。足下に積もる雪は踏み固められておらず滑りにくいことは幸いだったが、誰もが通るような道ではないために、どこからが道で、どこからが雪庇なのかは分かりにくかった。棒で突く限り、人が通れる程度の幅はあるようだが、もしも足を踏み外せば崖下まで真っ逆さま、命の保証は当然ながらない。
 クルザス中央高地、ウィッチドロップ。この大地の亀裂は、多くの人の命を呑み込んできた。異端者――イシュガルドに生まれながら、竜に与した人間――と疑われた人々が、崖の上から突き落とされることで。
 曰く、異端者となった人々はその身を竜へと変じることができる。故に、崖から突き落とされれば汚れた竜となり、崖上に飛び上がる。そこを矢で射かけて殺すのだと。ではそうでなければ? 身の潔白が証明され、その魂はハルオーネの御座す氷天に招かれる。それは人の身には余るほどの栄誉である。そうして異端者は殺され、殉教者は救われる。
 他国の人間であれば、『それは処刑であって、裁判の方法ではない』と言う人もいるだろう。実際、異端審問は嫌疑が掛けられた段階でほとんどが死と同義であり、アランが出会ってきたイシュガルド人全員が恐れを持ってそれを語った。
 だが一方で、千年もの間続く戦争の中、ニーズヘッグの休眠期においてもその配下の人間と戦い続けてきたイシュガルドの人々にとって、それは信仰心の表れであり、かつ『実践的』な裁判の方法でもあったことは、紛れもない事実でもあるのだろう。勿論、かの国における上流階級の権力維持に使われていたという面も多分にあるだろうが……
 かくして、亀裂はそのほの暗い腹の底に、多くの人を抱え込んできた。
 とはいえ、幸いなことにそれは少し前までの話だ。杖で行く先を強く突き、堅い手応えがあることを確認してから、また一歩回収人は足を踏み出す。
 名高きかの英雄が、戦争継続の首魁であった邪竜ニーズヘッグと教皇トールダンを弑し、竜詩戦争を終結に導いたのだ。そこにどのような物語があったのかは、当地の貴族であるエドモン・ド・フォルタンの記した『蒼天のイシュガルド』に詳しいが、とにかく戦争は英雄の手によって終結を見た。
 結果、竜側に与する人間である異端者は大きく減った。生き残りが次々と投降しているらしいと兵たちの噂話にさえ上るほどに。そして彼らを探し出し罰する異端審問官の仕事もまた減った。そのうち審問官の職さえ徐々に無くなっていくのかもしれない。イシュガルド正教の欺瞞と秘密が暴かれ、大きく知られるところになったのであればなおさらだ。漸く、終わりのない戦争の中、数々の命を呑み込んできた裂け目は、その役目を終えたのだ。
 裂け目の底から吹き上がる、ひどく冷たいのに、どこかどろりとした気配を含んだ風が、アランの頬を撫でていく。
 けれど、それでもこの崖から飛び降りた人々の命が返ってくるわけではないし、亀裂の底に堆積した人の死が無かったことになるわけではない。むしろ戦争が終わり、異端審問が減って行くにつれて、それによって失った家族や友人の存在を、人々は強く意識せざるを得なくなった。
 全く縁のなかったイシュガルドにアランが滞在し、そして仕事をしているのはそういう理由だった。即ち、嫌疑を掛けられウィッチドロップへ飛び降りた人の遺品捜索である。

……一人息子の遺品を探してほしいのです。三年前、あの子は異端審問に掛けられ、崖の上から飛び降りました。指に当家の跡継ぎである証を付けたまま……
「肉や骨はとうに獣に持ち去られているでしょう。けれどせめて息子が身につけていた物がひとつでもあればと……。もう戦争は終わったのだと、もうお前のような目に遭う人はいないのだと――そう言ってやりたいのです」
 アランを家に招き、しがない下流貴族だと名乗った老夫婦は、それでも常日頃依頼に来る冒険者たちよりもずっとよい身なりをしていた。夫人は美しいレースが縁取った豪奢なドレスを身につけ、屋敷の主人は黒く艶やかな毛皮がたっぷりと縫い付けられたコートを着ている。出されたお茶は香り高く、招かれた屋敷は広く立派で、見目の美しい家令たちが主人たちの言葉を待っている。
…………
 アランはティーカップを口に運ぶことで、即答を避けた。その手元を、老夫婦が縋るように見つめているのを感じながら。
 回収人レトリーバーといえども、誰彼構わず死体や遺品を拾い集めているわけではない。実際、アランは依頼を受けた上で、同じ冒険者の死体や遺品しか拾わない(同業者がどうしているかは知らないが)。
 そもそも死体の扱いというのは色々と面倒ごとが多く、それが誰なのか、どこに所属するものと見なされるのか、その所持品は誰の物なのかは死後も付いて回る。
 例えば道端に宝飾品を付けた死体が落ちているとする。おおなんと幸運なんだ、ナルザル神が微笑んでくださっている! そう思って死体や遺品を拾い、売りに出すとする。しかしその死体は名のある貴族のものだった。宝飾品は当然その家のものであり、売りに出されたことで足が付く。さあ大変、相手の家には金があり、拾った側は死体を漁る程度の金銭状況だ。その後どうなるかはお察しの通り、碌な目には遭わない。
 拾ったものを売り飛ばす、というのは当然極端な例ではあるが、実際似たようなトラブルは多い。拾うだけで問題になる死体や遺品というものは割に存在するのだ。勿論、そういった事情を一切気にせず、死体から追い剥ぎをして売り捌く同業も居るし、回収人と名乗らずともスカベンジャーなどは山ほど居るわけだが、アランはそういったものに手を出さないことで自身の仕事の安全性と継続性を確保している。
 だから依頼とはいえ貴族の子女の遺品探しは、常であれば危ない橋だと判断して引き受けることはない。言うまでもなく、持ち帰ってきた遺品を売るような真似を青年はしない。けれど、貴族が取引相手であるというだけでリスクはあり、トラブルに発展した場合の面倒さ加減も果てしなく高い。
 だいたい、これほどの屋敷の持ち主が、当人たちの言うとおり『下級貴族』だとは思えない。後継を失い下り坂なのかもしれないが、元はそれなりに名のある家なのだろう。であれば、政治的に顔が利くことも考えられる。そんな相手に対して何か起こった時のことを考えれば、やんわりと拒否するのが上策だ。
 青年はティーカップをソーサーに戻しながら、依頼人の顔に目をやった。
――老夫婦の顔はひどく憔悴していた。
 アランの所にやってくる冒険者たちと同じように、悲しみに暮れ、辛さを押し殺して、どうにか身体を支え、声を絞り出して。
 戦争が今も続いていれば、痛んでもそう辛くはなかったのかもしれない。信仰が、戦争が、貴族という立場と誇りが、子どもを失ったという痛みを麻痺させてくれていたのかもしれない。
 けれどもうそれらは失われてしまった。戦争は終わり、代わりに始まったのは、平和だが、失った相手は居ない日々だ。
 アランはややして、小さく溜息を吐いた。
……分かりました。ただ現在は冬期で、ご子息が亡くなられたのも数年前ですから、目安があっても発見できるかは微妙なところで、はっきり言えば見つからない可能性の方が高いです。捜索するにしても日数がかかりますし、見つからずとも捜索した日分、代金を請求させて頂くことになります。それでも良いのなら」
 俯いていた老夫婦はぱっと顔を上げ、迷わず頷く。その目尻に滴が浮かんでいたのを見たが、青年は気付かないふりをした。

 恐ろしい道を時間を掛けて降り、ウィッチドロップの底に辿り着く。老夫婦の子が飛び降りたという位置の確認のために上を見上げれば、歪に開けた裂け目から空が見えた。
 捜索はこれで三日目だ。契約の時に時間が掛かるかもしれないと述べたとおり、今のところ手応えはない。そもそも彼が死んだのは数年前であり、雪深いイシュガルドであったとしても、魔物や野生動物がいる環境下では骨さえ残らない。残るとすれば身につけていた金属製品だろうが、おそらく小さく雪に埋もれている(最悪の場合、どこか遠くに移動した魔物の糞の中に埋まっているかもしれない)それを探すというのは、正直言って徒労に終わる可能性の方が高く、干し草の中をより分けて針を探すよりも難しい。
 飛び降りたという位置から落下地点を類推し、その場所を端から掘って、何か埋まっている物がないか目をこらし、念のため掘った分の雪は全て篩に掛けてはいるが、当然のように残るのは小石程度のものだ。掘る場所が違うのかもしれないし、そもそも彼の身に付けていた金属製品が今も谷底にあるという保証はない。
「何せ三年前だからな……
 とはいえ、戦争中に異端審問で死んだ人間の遺品を探すなどということは、あの老夫婦にはできなかっただろう。彼らは貴族だ。その立場が許さない。だから依頼した三日前が、彼らにとって最も早いタイミングだったのだ。
 分かってはいる。が、途方もなさに目眩がするのは止められない。あの老夫婦にではなく、引き受けた自分の愚かさにも呆れる。だが、面倒な依頼だから他の回収人が引き受けることはないだろうし、引き受けるとしたら大人数で押しかけて、谷底を攫うだけ攫って見つけた宝石や貴金属を懐に入れてしまうような輩だろうことは予想できた。それでは流石にあんまりだ。
 何せ、あの老夫婦に真に必要なのは時間だ。この捜索で指輪が本当に見つかればいいが、それ自体は単なる遺品、物に過ぎない。見つかるにせよ見つからないにせよ、それだけの代価を払い、人を雇い、時間を掛け、労力を割いたという事実こそが、唯一彼らの心を宥められる可能性があるのだということを、回収人である青年は知っていた。だから、アランの役割は、無駄と知っていてもしばらくの間この裂け目に通い、徒労かもしれずともここでシャベルを振るうことだ。
 アランはシャベルの先で地面をなぞり、今日の作業予定地点に線を引く。落下地点らしき場所は今日全て掘り終わる計算だ。今日空振りなら、探す場所を改めて考えねばならない。当てはないが、遺品を必ず見つけなくても良いのだからそう気負う必要もない。その時また考えればいいだけだ。けれどできたら此処に居てくれ、と祈りながら、青年はシャベルを雪に突き刺した。何せ、裂け目の底は酷く冷えて、あまり長居したくはない。耳の先が凍えて落ちそうだから。
 雪を掻いては篩いに掛けて一時間ほど経っただろうか。持ち上げた雪を篩の上に落とした時になんとなく黒っぽい物が目に入った気がして、青年は目を瞬いた。とはいえ、期待などこの三日何度もしては裏切られている。それでも少しだけ気分は上向き、はぁっと白い息が空に溶けていく。かじかんで上手く動かない手をポケットに入れ、ファイアクリスタルを使ったカイロで温めてから、慎重に篩に手を掛ける。
 ざらざらと揺すれば、細かい雪がまず落ちた。圧縮されて塊になった雪を潰すとそれもまた落ちていき、篩の上にはもう嫌というほど見た石と、何かは分からないが金属の破片、それから黒く変色した指輪がぽつりと残っていた。
……これか?」
 アランは凍えた指先を叱咤しながらもたもたと分厚い手袋を外し、それを摘まみ上げる。雪に埋もれるうちに酸化したのか黒くなってはいるが、重さからして銀製だろうと思われ、身分を示す紋章が大きく掘られている。聞いたとおりのシグネットリングだった。
「ここにいたのか……
 吐き出した息が白く凍り空に昇っていく。元が一体何なのか分からない金属片も、もしかすると老夫婦の息子が身につけていたものなのかもしれない(あるいは、同じ場所に落ちた誰かの遺品かもしれないが、それを確かめるすべはない)。
 いずれにせよ、彼らの息子はここに落ちて命を散らし、雪に埋もれたのだ。肉と骨は魔物の糧となり、この指輪と少しの断片だけが辛うじて残された。確かに此処に居たのだと主張するように。
 青年は静かにフードを外し、その場で黙祷する。目を瞑ったとき、この地で事切れた多くの人々の声を拾った気がしたが、それはつかみ取る前に霧散し、谷底にはただ冷たく黒々とした風が吹き抜ける音だけが響いていた。

 アランは降りてきたのと同じだけの時間を掛けて崖を登り、見つけた指輪をもって老夫婦の屋敷を訪ねた。発見の報に血相を変えてやってきた老夫婦は目に涙を浮かべ『確かにこれは息子の物だ』と認め、述べた金額よりもずっと多くのギルを青年に握らせた。
 無論回収人は断った。冒険者は不安定な仕事であり、金はあればあるほどいいことは十分に分かっている。けれど、多すぎる報酬は大抵の場合、理由あってのものだと知っているからだった。
 渋る青年に、老夫婦は苦笑いして『口止め料も入っている』と内訳を説明してくれた。例え息子は異端者でなく、自らの無実を証明して死んだのだとしても、その遺品を探させることは貴族としてあまり良いことではないから、と。
 回収人はその回答に漸く納得し、ギルを受け取って屋敷を辞した。言われずとも他者に依頼のことを話す気はないが、それで安心して貰えるならと思ったのだ。この後の彼らに必要なのは、遺品を通した故人との時間だ。心配事は少ない方がいいだろう。

 だがその心配が全くの杞憂であり、また渡された金が口止めの意味など全くなかったことを、アランは数ヶ月後に知った。
「異端審問?」
 クルザス中央高地、キャンプ・ドラゴンヘッド。鎖国されたイシュガルドの中にあって最も開放的であり、そして開国した今もなおそうであるフォルタン家の治める土地で、青年はその話を耳にした。
 今回は回収人の仕事ではない。単なる商人の護衛だ。だから目的地であるキャンプ・ドラゴンヘッドについたあとは自由であり、さて何をしようか、と情報収集がてら兵士たちに話を聞いた時のことだった。
「ああ。大騒ぎだったぞ、なんでも審問官を往来で刺し殺したとかで……
「元は貴族のご隠居夫婦だったらしいぜ。戦争が終わったってのに、なんで今更なんだろうな」
「自分たちで『異端者』って名乗ったって話でさ。これは久しぶりの異端審問だって、暇してる審問官様たちが大勢キャンプに押しかけてきたんだ」
「でもよ、引っ立てられてウィッチドロップまで歩く間も胸を張って、堂々としたもんだったぜ、あの二人は」
「しかも最後に『ハルオーネよ、ご照覧あれ! 真に正教を信仰した者の姿を!』って叫んだって話だ」
「落ちた後も飛び上がったりせずに……ありゃ本当に異端者だったのかね。審問官サマたちは血相変えて出て行って、それきりだ」
「ああ、そうそう。老夫婦の名前は――

 アランはウィッチドロップの縁に立ち、彼らが飛び降りたのだという谷底を見つめた。珍しくクルザスは晴れていたが、昏い縁はその腹に抱えたものを容易に見せはしない。いずれにせよ、数ヶ月前ではすでに肉も骨も残ってはいないだろう。彼らの息子と同じように。
 ひゅう、と骨身に染みる寒風が吹き抜けて、青年は目を細めた。
 審問官を殺したのは息子を異端審問で殺されたことによる恨みだろうか、と必要も無い考えを巡らせる。けれどわざわざ異端者を名乗り、そうでないと自らの身を以て証明したからには、恨み以上の何かがそこにはあったのだ。貴族としての矜持か、信仰心か、憂国の思いか――だが、ただ一時の間、彼らと関係があっただけの他人には、彼らは息子の元へ行ってしまったのだということしか分からなかった。
 少なくとも、指輪をアランが渡した時点でそうするつもりだったから、金も多く支払ったのだろう。今更納得できて、少し可笑しかった。
……
 青年は崖の下にもう一度目を落とした。薄暗く寒く光が差し込まない谷底を、彼らも含めた多くの人が眠る、あの冷たく淀んだ風の吹く場所のことを思った。
 アランは何の神も信仰していない。神は居ないか、神は居たとしても、人に干渉したりはしないと思っている。
 けれど――今日ばかりは、彼らがハルオーネの御許に行けたことを願った。かの女神が御座すという氷天に、あの老夫婦と子どもは掬い上げられたのだと。
 そんなものなど、少しも信じていなくても。
……おやすみなさい」
 小さく呟いた言葉は、ウィッチドロップの裂け目に落ちて、早々にかき消えた。