「好きだ」って呟けば、目の前に居る男──俺の思い人は手に持っていたお猪口をポロリと落として中身の日本酒を焼き鳥にぶっかけ、呆然としていた。
毎週ではないけれどほぼ毎週末、冨岡と二人で飲みに行っている。うちの同僚達は仲が良いけれど、それぞれの事情により仕事が終わると帰宅してしまうので結果的にこの二人が残ったのだ。
少し前までは俺も帰宅組だったが弟や妹が成長して手が掛からなくなり、実家もやや手狭になったので家を出て一人暮らしを始めた。それが半年前のこと。買い物含む家事、弟や妹の勉強の面倒を見る。帰宅すればそれらにほとんどの時間を費やしていたから、俺は一人暮らしになって空いたその時間に何をすれば良いのか分からなくなった。
煉獄や宇髄、胡蝶は家族揃って夕飯を食べることがお約束で飲みに誘えない。悲鳴嶼先生は最近子猫を飼い始めたらしいし、伊黒は思いが通じたばかりの恋人に夢中で誘っても断られてしまった。
結果的に冨岡と俺だけが週末の時間を持て余していたのだ。
「飲み……行くかァ?」
「ああ」
そんなやり取りから定期的な飲み会になるのはあっという間のことだった。
意外だったのは冨岡が飲み屋に詳しかったことで。酒飲みなこと、不器用で自炊が出来ないから夕飯を兼ねてあちこち出かけていたこと。そのせいでやれあそこの店は煮込みが美味いだの、こっちの店は酒の種類が豊富だのと、全て任せても安心出来るレベルに詳しく、味にもハズレがない。いつしか俺もこの飲みの時間が楽しみになっていた。
冨岡は酒が入ると少しだけ饒舌になって普段よりも雰囲気が明るく柔らかくなる。いつもそんな顔してりゃあいいのにと何度も思った。それくらいよく笑うのだ。
俺は、そこでようやくこいつがとても魅力的なことに気付いた。
元々冨岡は顔は整っている。あまり話さないし、表情も変わらないから人間味がなく冷たい印象を与えているが、そこへほんの少し表情を加えただけで同性の俺ですら心臓が跳ねる時がある。
常にジャージ姿の同僚体育教師。おまけに同性。
俺が友人から恋バナの相手として相談されたとしたら即答で『やめとけェ』って言うレベル。
やめとけ、やめとけ。いくらここのところ恋愛ごとにご無沙汰だったとしても最悪レベルの相手だ。友人に留めておけ。冨岡は飲み友で良いんだ。
そう自分に言い聞かせる。
でも、自分でも分かっていた。
例え言い聞かせたとしてもどうにもならないのが恋だ。意識してしまった時点でもう、恋に落ちているのだと。
「不死川、今日は空いているか?」
「お、おお」
「良かった。今夜はここに行ってみようと思うんだがどうだろうか」
冨岡と俺は同僚達からもすっかり飲み友達として認識されているから、気にせず昼休みにもよく話す。そうすれば『今日は何食べるの?』なんて気軽に言葉をかけられる。その日は近くに居た胡蝶が話しかけてきた。
「不死川と美味しいらしい焼き鳥の店に行ってみようと思う」
「あら、良いわねえ。焼き鳥、最近食べてないのよね。……私も行っても良いかしら」
いやだ。咄嗟にそう思った。そしてそう思ってしまった自分に絶望した。
胡蝶カナエは美人だし性格も面倒見も良い。俺が勝てるところなんて顔と身体の傷の数くらい。いや、そもそも男というだけで胡蝶と同じ土俵にすら立てないというのに何を考えた。
変なことを口走らないように片手で口を覆う。これ以上傷を深くしたくない。
良いじゃねェか。三人で飲むのも。
そう言えば良い。でもそれも出来ない。
「悪いが、不死川と二人で約束しているんだ」
聞こえてきた声に下に向けていた視線を上げる。
冨岡はスンとしたいつもの表情をしているけれど、何故か胡蝶は口元に手を当てて笑顔を浮かべていた。
「まあ。じゃあお邪魔したら悪いわね」
「すまない」
「大丈夫よ。楽しんできてね」
ふふ。なんて、誘いを断られたというのに全くに気にした様子もなく胡蝶はひらひらと手を振ってその場を離れて行く。
俺は様々な感情が浮かんで何も話せないのだが、冨岡もスンとしたまま何も話さないので奇妙な沈黙だけがその場に落ちる。そのままで数秒。
「不死川」
「お、う」
「お互い仕事が終わったら職員用玄関で待ち合わせをしよう」
「……分かったァ」
「連絡する」
では。
冨岡は腕時計に視線を向けるとそのまま職員室を出て行ってしまった。俺は緊張感から解放されて、誰もいないのを良いことにずるずると座り込む。
いやだ。二人でいられる時間なのに。そう思ってしまった俺は醜い。更に冨岡がキッパリと胡蝶の参加を断ってくれたことを嬉しく思ってしまった。
悪いことをすると誰が見ていなくてもお天道様が見ているよ。
小さい頃、お袋は俺によくそう言っていた。だからきっと今もお天道様は見ていて、きっと罰が当たるに違いない。
良いぜ。罰ならいくらでも受ける。
だってもう、冨岡のことを恋しく思っている時点で罰みたいな苦しみが起きているんだ。
「くそったれが……」
俺が一番のくそったれだ。
もうやめよう。終わりにしよう。
冨岡への恋心を終わらせよう。
そう決めたけれど無理なのは分かっている。恋心を自分でコントロール出来ない事など分かっているから。
でも自分以外が終わらせてくれるのなら。
誰が。冨岡が。
好きだと告げて振られたら終わりに出来るのではないかと。
最後まで卑怯で姑息だと思う。でもこれが一番確実な気がする。
「終わったのか」
「よう。待たせたなァ」
玄関に居たのは冨岡が先だったから片手を上げて挨拶してから店までの道を歩く。
店は駅の反対側なんだ。
冨岡がスマホを弄ってそう言うのを笑って聞く。
これが最後。だからこそ、今二人で並んで歩いている時間すらも愛おしい。
「冨岡ァ」
「どうした?」
「美味いと良いなァ」
そんな他愛無い会話のやり取りをしていると、冨岡はいつもみたいに柔らかく笑うから胸がぎゅっと音を立てた。
着いた店はカウンター席の数が少なくて、個室がメインの落ち着いた店だった。
焼き鳥屋なんて赤提灯で煙もくもくで、なんて思い描いていたが、なんというか予想よりおしゃれな感じがする。
「なんかすげぇな、ここ」
「宇髄が教えてくれたんだ」
「……どおりで」
宇髄が勧める店なら味は保証されているだろう。あいつは飯へのこだわりが強いから。それは良い。それは良いのだが、同時に思う。
絶対ここはデート用の店なんじゃねェのか? と。
最後に来るのがそんな店とは、あんまりな展開に笑うしか無い。
なんだよ。最後にデート気分でも味わえってか。
なら開き直るしかねえなァ。
店員に通された個室に入るとおすすめの串盛り合わせと日本酒を頼む。俺はいつもはビールからスタートするが今日は最初から飲むしかないから。
冨岡は少し不思議そうな顔をしたけれど何も言わない。
やがて運ばれてきた日本酒を俺がお猪口に注いでやると「ありがとう。お疲れ様」と言って持ち上げる。お互い一杯目を飲み干したところで焼き鳥が運ばれてきて、肉の照りの艶と香ばしい匂いが食欲をそそるが俺は冨岡に二杯目を注いで焼き鳥には手を付けなかった。終わらせるのなら早い方が。そう思って。
「なァ」
「うん……?」
どの串から食べるか考えているのか、冨岡はお猪口を持ったまま視線を皿に向けている。切れ長で蒼く綺麗な目に見つめられているよりもその方が話しやすい。
「好きだ」
そう呟けば、目の前に居る男──俺の思い人は手に持っていたお猪口をポロリと落として中身の日本酒を焼き鳥にぶっかけて呆然としている。
「……焼き鳥が、か?」
「違うに決まってんだろうがァ」
なのに第一声がそれだから脱力するしかない。
そうだった。冨岡は天然でもあった。
「好きなんだよ、冨岡のことが」
改めて視線を合わせて伝えると、せっかく拾ったお猪口をもう一度落としている。
「え、なん」
「……いいぜ。振れよ。疲れたんだわ」
報われない恋に、疲れた。
これ以上、自分が自分じゃなくなる前に終わらせたい。
目を閉じて、審判を待つ。
まあ、待っていても結果は分かっているけれどなァ。なんて苦笑いして。
それなのに、結果の前に俺の唇に何かが触れる。
柔らかくて、甘い。
ちゅ、なんてこの場に合わない可愛い音がするから思わず目を開けると、予想よりも近くに冨岡の顔があった。
まつ毛、なげェな。
ぼんやりそう思ったら、冨岡の顔が近付いてもう一度、キスをされた。
「不死川」
今度はしっかり冨岡と視線が合う。冨岡の目元が赤い。
「先を越されてしまった。格好悪くてすまない」
そしてもう一度、唇同士が触れ合う。
「俺も好きだ」
それは俺が好きになった柔らかな笑顔で冨岡は笑って告げて。
ぎゅっと俺を抱きしめるともっと幸せそうな顔を、するから。
「嬉しくて心臓が破裂しそうだ」
って、触れ合った胸の鼓動がとてもうるさいのを身をもって教えてくれた。
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