らぎ
2025-10-19 19:42:24
884文字
Public モノノ怪
 

離坤ドロライ二期 第六回「看病」「桃」

オンオフはっきりしている系坤ちゃん。

「八卦が一振り、坤。ただいま帰参しました」
朝焼けの霧が立ち込める湖にも似た、薄ぼんやりとした空間。足元すら朧気で人の気配など感じられない空間で、寸分の迷いも無く坤と名乗った薬売りは声を張る。
凛とした声にいらえはなく、最後の音が白い静寂に溶けていった。かと思うと瞬きの間に蒐我の空間はその様相を変えて、靄が霧散した事であらわになった下駄の足元には刈り込まれた碧い芝生、そして視線の先には小さな庵が現れた。
坤の薬売りは驚くでもなく、半ば埋もれた飛び石を一つひとつたどって庵へ歩みを進めたが、辿り着く前にからりと引き戸が開いて浅葱の着物の同輩が姿を表した。
「坤。……無事で何より」
「離の方!」
誰がどう見ても苅安色の瞳を輝かせてカン、カンと飛び石を数個飛ばして跳ねた坤の薬売りは躊躇いなく離の方、もとい離の薬売りに飛び付いた。避けられる、拒絶される事など微塵も想定していない懐こい大猫のような仕草には、大奥で見せていた芝居がかった嫋やかさは感じられない。……と言いたい所だがこの男、現世でも片手で梁にぶら下がったり大屋根から跳び降りたりしていたので、見る者がいればこちらが素なのだとすぐに知れたであろう。
「おっ、と……相変わらずのお転婆で。」
そうは言いつつもしっかりと坤の薬売りの細腰に腕を回した離の薬売りは、切れ長の瞳を優しく細めて情人の帰還を喜んだ。こちらは普段と変わらず斜に構えた様子だったが、その気配は「気怠い」と言うよりはむしろ「倦怠感」と言った方が近かった。
「まだ、熱は下がらぬので?」
「あいにく、ね。しかし……今はそれより、アンタが欲しい」
坤の薬売りの腰に回った離の薬売りの手が妖しく蠢いたが、本格的に着物の裾から滑り込む前にやんわりと黒い爪先が重なった。
「どうせなら、熱に浮かれていない時にしていただきたいものです。」
「おや、つれないひとだ。」
「心配しているんです。さ、戻りましょう……現世で桃を買ってきましたから」
はい、はい……と満更でもなさそうな声と共に二人の気配は遠くなり、蒐我には再び柔らかな静寂が広がっていった。