あんみつぽろぽろ(かしへい)

喫茶店に寄る伊東先生と藤堂君の話。かしへいというには薄っすらですが距離がやたらと近い。

 伊東先生は考えごとをしていると、長いコンパスをもって早足で歩きがちだった。伊東よりも多めの荷物を持っている藤堂は一生懸命に小走りについていかなければならなくなる。ただ、買い物の荷を持たせてほしいとみずから頼み込んだ手前、伊東にもっとゆっくり歩いてほしいと申し出るのは気おくれがして、云い出せないでいる。
 ふいと伊東は顔を上げて立ち止まった。隣に追いついた藤堂を振り返って、見上げた藤堂ににっこりと笑む。
「藤堂君。まだ時間あったよね。お茶していこうか」
「はい。是非に」
 湧き上がる喜びをすまし顔に隠して、こくりと藤堂は頷いた。じゃあここ入ろうか、と伊東は目の前の喫茶店の暖簾をくぐった。藤堂も後を追ってついていく。
 吹き抜けの黒い天井が広々とした、テーブル席と和座敷のある今風の喫茶店だった。涼しげな風が回っていて、うっすらと汗をかいていた藤堂は息をつく。二名さまですね、と着物にエプロンをかけた店員が、空いているところならどこでもいいですよ、と告げたので、伊東先生は迷わず奥の方の、箱に区切られた四人用の座敷に入っていく。廊下を挟んだ反対側は引き窓越しに、まだ青さの残る紅葉が植えられた日本庭園が眺望できた。さすがは伊東先生。いちばんいい席をご存知だ、と藤堂は感心する。
 藤堂は伊東先生の反対側に正座で腰を下ろした。伊東はさっそくも品書きを眺めていて、藤堂が荷を脇に置いて落ち着くと見やすいように藤堂に向けて品書きを見せてくれた。
「なんでも好きなものを食べなさい。ここは僕がご馳走しよう」
「ありがとうございます、先生。わあ、色んなメニューがありますね」
 筆文字で珈琲、和紅茶、抹茶、と和風と洋風をミックスしたような文字が並ぶ。ひらり、とページをめくってみる。こちらは甘味の一覧のようで、団子や最中といった甘味が、めいっぱいの餡子が乗せられていたり、果物が乗っていたりする写真つきで掲載されている。
 どれも藤堂が知っているようで知らない食べ物ばかり。でも伊東先生がご馳走してくださるというのに、果物もクリームもアイスも盛り盛りのクリームあんみつのような贅沢品なんて、とても頼めないな、と藤堂は思う。一ページをまるまる使ったクリームあんみつの誘惑を抑えつけて定番の菓子を眺めた。
 店員が熱い茶とおしぼりを持ってきて、お決まりでしょうか、とにこやかに訊ねる。
「僕は珈琲にしようかな。藤堂君は?」
 あっさりと伊東が注文を始めてしまい、まだ迷っていた藤堂はあわてた。
「あ、……僕も、同じものを」
「珈琲おふたつですね。他にご注文はございますか?」
「甘味も注文したらいいよ。お腹すいたろう」
 察しのいい伊東に勧められる。クリームあんみつを食べたいような気持ちをぐっとこらえ、藤堂は控えめに、いっとう安い欄を選んだ。
……この、豆大福で」
「豆大福ですね。珈琲とのセットでよろしいですか」
「あ、はい」
「じゃあ、僕は抹茶クリームあんみつを。セットで」
 まさに藤堂が食べたかったものを伊東が告げて藤堂の心臓は跳ねた。ああ、やっぱり僕も頼めばよかった。先生と同じものなら許してくださるかもしれなかったのに。後悔先にたたずである。
 復唱も終えた店員が立ち去ってから、伊東は気を抜いたように頬杖をついてへにゃりと唇を緩めた。
「いま甘いもの食べたかったんだよね。当世のみつ豆は餡子やら果物やら、色々乗っててすごいものだねえ」
「そ、そうですね」
「藤堂君はよかったの? フルーツ最中とか、抹茶テリーヌだとか珍しいのもあったけど」
「今日はこれが食べたかったんです」
 嘘です。本当はクリームあんみつ食べたかったです。
 藤堂のさめざめ泣くような内心を知らないであろう伊東は、熱い茶を手に湯気を吹き、弓のように眼を細める。たいていの人は伊東の笑みを怪しいだの何を考えているのかわからないだの語るが、藤堂に云わせれば、伊東先生のお人柄がどんなに素晴らしいかをちゃんと知らないからだ、と断言できる。
 いまの笑い方はとてもご機嫌のいいときだ。甘味がよほど楽しみなのだろう。どっちつかずの半端者の自覚がある藤堂にとって、ふたりきりでこうして過ごしているときに伊東が楽しんでくれていることには胸が締めつけられるような喜びを感じた。
 あんみつのことは頭から振り切り、藤堂は伊東がとりとめなく話してくれることに聞き入った。買い物の途中で見つけた風変わりな土産の話や、枯山水庭園の手入れの方法、話題はどれも含蓄に富んでいて興味深い。伊東先生の知識の幅広さにはいつも驚かされる。カルデアの図書館に伊東が足繫く通っているのは藤堂もよく見かけていて、たゆまぬ勉励にはますます尊敬の念を抱いた。
「おまたせいたしました」
 鈍い緑色の陶器の珈琲椀にたっぷり注がれた珈琲と甘味が運ばれてきた。藤堂には豆大福が乗った小皿、伊東の前には漆黒の椀に盛りつけられた抹茶クリームあんみつ。蜜漬けの果物がぴかぴかとひかり、抹茶アイスクリームと抹茶ソフトクリームが大きくそびえたっている。
「うわあ、これは思ってたより大きいね。贅沢なもんだなあ」
 云いながら、伊東はひとくちクリームをすくってなめる。冷たさに驚いたように眼が見開かれるのが面白かった。ひそやかな羨ましさを藤堂はほどよい温かさの珈琲とともに喉に流し込む。珈琲独特の苦味に舌がしびれるようだった。本当はミルクと砂糖をたっぷりスプーン三杯は入れるのが好きだが、ブラックが飲めないと思われるのは子供っぽいように思えた。
 ふっくらとした豆大福は懐かしいような味で相応に美味しく感じたが、視線はちらちらと伊東に向かってしまう。銀色のスプーンで寒天や粒餡をすくい、上品に口に運んでいく。抹茶クリームはとけるのが早い。とろりと抹茶アイスにもたれかかり、黒蜜に混じってマーブル模様をえがいている……
「藤堂君」
「はい!」
 しばしぼうっとしていたような藤堂は肩を跳ねさせて、あらためて背筋を伸ばした。失礼じゃなかっただろうか、と緊張が帯びる。伊東はスプーンを置いてブラックの珈琲で口直しをした。
「僕にはちょっと多かったみたい。食べかけで悪いんだけど、藤堂君さえ良ければ、あんみつ半分こしない?」
 こてんと小首をかしげて、伊東は申し訳なさそうに云う。
 そんなの、謝らなくていいのに。食べたかったものが食べられることも、先生に頼られたことにも。思わぬ幸運が転がってきたことに浮き上がりそうな歓喜を抑えて、藤堂はなるべく平静を装った。
「僕なんかで良ければ。頂いてもいいですか」
「もちろん。スプーンはあたらしいのもらおうか」
……はい」
 先走って、そのままでもいいんですが、と喋りそうになって藤堂は言葉を飲み込んだ。さすがにスプーンを共有するのは理性がとどめてきた。伊東が店員を呼んであたらしいスプーンをもらうまでの間、藤堂はそわそわを抑えきれず待ち、それから盆ごと差し出されたクリームあんみつに喜んでありついた。
 アイスのかかった豆を頬張ると、思わず頬が緩みそうになる。大人らしくブラックの珈琲を傾ける伊東に見られていることにも気にならない。
……やっぱり藤堂君は、美味しそうに食べてくれるねえ」
「先生、何かおしゃって……すみません、聞き逃してしまいました」
「いや。ただの独り言さ。僕はもうお腹いっぱいだから、好きなだけ食べてくれると助かるよ。珈琲も美味いね、ここ」
「こんな美味しいものをふたりで食べてたら、服部さんには悪いですね」
「それじゃあ、服部君の分も合わせて、どら焼きを土産に買っていこうか。さっきレジの横で売っているのを見かけたんだ」
 はい、と藤堂も首肯する。伊東が満悦しているのならなおさら良かった。