「今晩は雷蔵が図書委員会の泊まり込み作業で不在だから泊まりにこないか」と竹谷が鉢屋に誘われたのは、午後の授業が終わって生物委員会の活動に向かおうと教室から出た矢先のこと。きっちり十秒考えて竹谷は小さく頷いた。竹谷の返事に満足したのか、鉢屋の口元はにんまりと弧を描いた。
「生物小屋の鍵、最低でも三回は施錠の確認をしておけ」
「はいはい。いつもやってるんだけどなぁ」
じゃあまた後でと言い合って別れてから数刻。今日の委員会活動は珍しく何事もなく終わったし、壊れかけていた柵も直せた。最低三回と言われた小屋の鍵の施錠確認は、三回どころか五回は行った。汚れを落とすために湯を浴びて、軽めの夕飯を終えて諸々の支度をして夜着に着替えると、すっかり日は暮れて空は藍色に染まっている。竹谷は鉢屋の待つ部屋を訪ねた。
来たことは気配で分かっているだろうから、外から声は掛けない。部屋の前で立ち止まって一拍置いてから、竹谷は無言で戸を開けた。
「ハチ。早かったな」
「まぁな」
勝手知ったる級友達の部屋。枕持参の竹谷は遠慮することなく中に入った。万が一、億が一を考えて来週が提出期限の課題も一応持ってきたけれど、こちらは必要なかったみたいだ。部屋の真ん中でどんと待ち構えていた胡座の鉢屋に、お前何考えてんの?という顔をされてしまった。
竹谷は課題を床の上に放ると鉢屋ににじり寄った。途端、髪をゆるく束ねていた結紐を解かれる。慣れた手つきにちょっとむかついたが、文句を言うのはやめておいた。言い負かされるのは目に見えている。しかし言っておかねばならない事もある。夜着の腰紐に手が掛かったところで竹谷は鉢屋に釘を差した。
「明日も普通に朝から授業あるの忘れんなよ」
「承知しているとも」
鉢屋と竹谷。二人の間には浮ついた空気も甘い雰囲気もない。しかしこれでも二人は立派な恋仲である。深く信頼している友人達に仔細をぼかして打ち明けたのは、五年生に進級してすぐのこと。若葉の風が薫る頃だった。
二人がいつの間にやら出来ていたという事実は友人達の度肝を抜いた。鉢屋には自他共に認める双宿双飛水魚の交わり一双一対以下略の相棒がいるけれども、それはそれ、これはこれ。惚れた腫れたや色欲情欲混じりの思慕を向けた相手は竹谷だった。それでも認めるまでは長かったと、鉢屋は後に回顧する。
竹谷も竹谷で、何故鉢屋なのか奴のどこに惚れたのか本当にアイツでいいのかと散々問われたが、出せる答えは一つしか持っていなかった。『俺にも分からない』だ。分からないと言ったのを鉢屋に聞かれてしまって一悶着起きたけれども、今となってはそれも良い思い出である。
どれだけ考えても分からなくて、それでも答えろと言うのなら、『あいつに好いてるって言われてもあちこち触れられても嫌な気持ちにならなかったし自分も触れてみたいと思ったから』が、竹谷の精一杯ひねり出した答え。気づかぬうちに惚れていたのだ。きっと。竹谷は自分の出した答えに満足している。
そんな心身共に健康で欲も興味もある恋仲が夜に二人きりで逢うとなれば、色事に雪崩込んでしまうのも仕方ない。しかし明日も朝から授業があるので、二人は控えめに閨で戯れた。
触れるのも触れられるのも嫌じゃない。竹谷は戯れの後にやってくる甘やかな疲労感に浸っていた。持参した枕を抱え込みながらうつ伏せでうとうと微睡んでいると、隣で寝転がりながら天井を見上げていた鉢屋がそういえばと話を切り出した。
「さすがのお前も褥の時は顔を晒すのかと聞かれた」
曰く、昼間に竹谷が後輩に呼ばれて席を外していたいた時に、級友達との雑談の中でそんな質問が飛んできたそうだ。
昼休みの教室で、あれよあれよと言う間にあらぬ方向へと向かい始めた級友達の雑談。誰それが町で女を買ったとか買わなかったとかいう噂話が出てきたところで、鉢屋は沈黙は金と口を噤んだ。聞き役に回って下世話な雑談を適当に聞き流していたが、突然自分に話を振られて答えに窮した。鉢屋の褥の相手は竹谷だ。変に勘ぐられても困る。
少なく見積もっても片手の指の数は共に寝ている。しかし素顔を晒したことは一度も無かった。その時は「誰が答えてやるかよばーか」と雑に返しておいたが、この件について彼はどう思っているのだろうか。
「……見たいか?」
そう問いかけて、隣の恋仲をちらと見やる。鉢屋にとって己の素顔はとても重たいもので、見たいと言われても簡単に見せられるものではなかった。学園中の誰一人として、鉢屋の素顔は誰も知らない。尊敬する教師も、信頼できる友人も、唯一無二の相棒も、今ここにいる情を通じた恋仲さえも。
それでも己の大事である竹谷が見たいと望むのなら、せめてこの時くらいは——と考えたのだが。
「んー……別に」
竹谷の返事は意外なものだった。てっきり見たがるかと思ったのに。面を外しかけた鉢屋は少々驚いた。
「俺もしかして実は雷蔵と寝てるんじゃね?って思ったこともあったけど、一応三郎の顔でもあるからなぁ。慣れた。今さら見せられても誰だお前ってなりそう」
「失礼な奴だな」
鉢屋の渋い顔に竹谷は苦笑した。竹谷としては鉢屋が素顔を見せてくれようが見せてくれまいが、正直どちらでも構わないのだ。四六時中人目につくところでは決して面を外さず着けたまま過ごしているということは、鉢屋にとって己の素顔は晒したくないもの。仮面は彼の武器であり、身を守るための鎧。竹谷には強請るつもりも無理強いをするつもりもなかった。見たくないし見るつもりも一切無いと言えば嘘になるけれど。
「まぁ、その、なんだ。そのうち何かきっかけがあればでいいよ」
そう言って眠たそうに目を擦る竹谷に、鉢屋は少し考えた。
「きっかけねぇ。さすがの私も今際の際は素面がいいから、その時なら確実に見れるぞ」
ゆるゆると手を伸ばし、鉢屋は枕を抱え込んでいる竹谷の手を取った。そのままゆっくりと引き寄せて、彼のささくれが目立つ指を一本、関節一つ分だけを外しかけた面と素肌の間に滑り込ませた。
指の腹に触れる面の無機質な温度と、指の背に触れる生身の温度、感触。内側に踏み入ることを許されているんだという事実に、竹谷の背中がぞくりと粟立った。モットーは関わったら最後まで。この男は俺に最後まで関わらせてくれるということか。
あぁ、どうしてくれよう。火がついてしまったじゃないか。
「……目が覚めた。三郎、もう少し付き合え」
「はぁ?嫌だ。断る。私はもう寝る」
「天井の染みか木目でも数えてりゃすぐ終わるから」
「明日の実技に支障が出たらはっ倒すと言っていたのはどこの八左ヱ門くんだったかな?」
「忍術学園五年ろ組の竹谷八左ヱ門くんだよ。一応お前の情人のな」
体を起こした竹谷は鉢屋の体によいしょと跨った。乗られた鉢屋はジト目でぐだぐだ言っているが、竹谷を振り落とす様子はない。口で行動を咎めるだけで、両の手は着直した竹谷の夜着の中をまさぐっていた。
何だお前も乗り気じゃん。竹谷がそう指摘すると、図星をつかれた鉢屋はうるさいと言って竹谷の口を塞いだ。どこをどうされると竹谷が弱くなるかなんて、鉢屋はとっくに知っている。ほら、もう弱くなった。力が抜けて倒れ込んできた体をひっくり返せば形勢逆転。竹谷の目に鉢屋の肩越しの天井の木目が飛び込んだ。
ぱちり目が合い、見つめ合うこと数秒。不意に笑いがこみ上げてきた竹谷が咄嗟に噛み殺すと、鉢屋も鉢屋で噛み殺したような、こらえた顔をしてた。おかしいことなんて何も無いのに、二人して耐えきれずに破顔してしまった。
聞こえてくるのは裏山に住む夜鳴鳥の声。まだ月は天上に到達していない。そのままどちらともなく顔を寄せて口づけを交わした。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.