宮腰
2025-10-18 15:42:38
23671文字
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ソーマセーマ【1】

ヌヴィリオ/執行官if
法無き自治区ナド・クライ。
そこで互いに『裏の顔』のまま出会い、初めての恋とセックスと真実を知るお話。





 ──PM19:00。

 カウンターへ置かれたミント水の中でカラン……と、転がった氷が涼やかな音を立てる。それをじっと眺めていると、つむじの辺りからフッと笑う気配が降ってきた。
「考え事かい?」
……ああ、少し」
 そう濁したヌヴィレットの応えを追求するつもりはないのだろう。ニコッと営業用スマイルを浮かべたリオセスリは「ごゆっくり」と声を掛け、他のオーダーをこなすべくカウンターの奥へと戻ってしまった。
 最上段までみっしり酒瓶で埋められた棚と、綺麗に並べられたグラスやジョッキ。手際良く酒やつまみを作りホール係へ渡しつつ、カウンター客の注文にも素早く応じる。まったく無駄の無い、非常に洗練された動きだ。バーテンダーとしての能力もそうだが、彼自身がマルチタスクをこなせる非常に頭の回転が早いタイプなのだろう。作業員の仕事を求めてナド・クライへやって来たと話していたが、彼ほどの聡明さと器用さを持ち合わせているのならば、もっと重要なポジションもこなせるのではないだろうか──例えば、大きな組織の管理職とか。
 すると、少々酒量の度を過ぎたカウンターの客がリオセスリを指名して呼び寄せていた。その客は身なりの良い中年男性二人組だが、カウンターの中で動くリオセスリをジロジロと品のない視線で眺めては、ニヤニヤヒソヒソと猥談を耳打ちし合っていた。非常に下品で不愉快な二人組だ。呼び寄せたリオセスリに、仕事は何時に終わるのか、一緒に別の場所で飲み明かさないかと、なんとか誘い出そうと躍起になっているらしい。酒臭い息を浴びせながら大きな声で下品に笑い、彼もそれに付き合い営業スマイルを浮かべていた。
…………
 何故だろう。不快、そう。極めて不愉快だ。
 腹の奥底からムカムカとしたものが込み上げてきて、つい眉間へ皺が寄ってしまうのを止められない。こんな衝動を覚えたのは初めてだ。もしかして腹の調子でも悪いのだろうかとも思ったが、どうやらそうではないらしい。
 初めて芽生えた感情をヌヴィレットが持て余している間にも、リオセスリは男性客達と何やら会話をしている。不快だ、すぐに離れたまえ。だが、心の声は言葉にならない。そのうちに二人組のうちの一人が、カウンターへ置かれたリオセスリの手の甲をそっと撫でた。
……ッ、……!?」
 思わず腰が浮いてしまいそうになったが、リオセスリは「おっと?」と驚いた演技をしつつも上手く躱し窘めている。どうやら、その手の客の扱いには慣れているらしい。
 気が付けば手にしていたミント水も残り少なくなっている。二杯目を注文するついでに彼へ助け船を出すべきかと悩んでいる、その時。タイミングよく奥にあるキッチンからチーンと軽やかな電子音が響いてきた。リオセスリは二人組の客へ詫びを入れつつ、カウンターの奥にある厨房へと戻る。厨房からは良い香りが漂ってきており、しばらくするとトレイを手にしたリオセスリが再び現れた。トレイを手にしたリオセスリと目が合ったかと思うと、ニコッと営業用とは明らかに違う笑顔を向けられた。
「待たせたな、ほら」
「うん……?」
 カタリと、ヌヴィレットの前へトレイを置かれる。トレイの上にはホカホカと美味しそうな薫りと湯気を放つスープと、溢れんばかりの野菜の上にたっぷりとグレービーソースがかけられたホットドッグが置かれていた。空いたグラスへミント水を注ぎつつ、リオセスリは話を続ける。
「あんたは随分とメリュジーヌ達に愛されているらしいな」
……ふむ? では、これも彼女達が?」
「ああ、寒い国は長期保存の利く食べ物が多いからな。あんたの口に合いそうなメニューを、って頼まれた」
「ほう?」
「あんたのリクエストにもお応えしておいたぞ」
 黒くて硬いライ麦パン、燻製フィッシュステーキ。ナド・クライの名物は寒くて長い冬を乗り切るために、水分を飛ばした食物が多い。ヌヴィレット自身は清らかで美味い水さえあれば固形物の食事は最低限で済むのだが、愛娘たちからのせっかくの心遣いだ。無碍にすることもあるまいと、ヌヴィレット好みにカスタマイズされたホットドッグへナイフを入れる。
「うむ……美味い」
「はは、そいつは良かった。明日は違うメニューを考えてみるよ」
「ああ」
 芳しい薫りで食欲をそそるスープは、野菜とチキンをトロトロに煮込んだ栄養満点コンソメスープだ。マルコット草が風味付けに使われているのか、フォンテーヌの家庭料理に近いとても好ましい味に仕上がっている。黙々と食事を続けているヌヴィレットの様子を微笑ましく見守りながら、リオセスリはカウンターへ戻されたグラスを手際良く洗っていた。
「あんたの恋人さんは料理が苦手なのかい?」
「恋人?」
 何の話だ。スープを咀嚼しながら怪訝そうに眉をひそめ、話の続きを待つ。リオセスリは洗い物をする手は止めずに「おや?」と目を丸くした。
「居るだろう? それとも、現地で買った子かい?」
……心当たりがない。君は一体何を以てそのような妄言を思いついたのかね?」
「いや、妄言もなにも……あんたの部屋から良い匂いがするだろう?」
 良い匂い、と聞いてようやく心当たりに気が付いた。昨晩仕方なく購入した香料入りのランプオイル。その匂いが隣室まで漂い誤解を生んでしまったらしい。
 冷静さを取り戻してからよくよく考えてみれば、別に誤解を解く必要はなかった。だが何故か、誤解をしてほしくないと珍しく少々感情的になってしまった自覚はある。
「私はあまり香料が好きではない。プライベートな時間を他者と共有するのも苦手だ」
「ん? じゃあ、あの匂いって……
「オイルの香料だ。あれしか用意できなかったので、仕方なく」
 一連の流れを手短に説明すると、ようやくリオセスリは納得してくれたらしい。成る程ね、と小さく呟き笑ってくれた。
「声を掛けてくれれば良かったのに……って、仕方ないか。お隣さんだって判明したのはその後だしな」
「うむ……
「ああ、そうだ。帰ったら俺の部屋のオイルを分けて……、お? いらっしゃい」
 リオセスリの視線がふと頭上を飛び越え、フラッグ・シップの入り口へと向けられる。それに釣られてヌヴィレットも振り返ると、そこにはフォンテーヌ人らしき商人の集団がいた。彼等はホール係の青年に案内をされ、奥にあるソファ席へと腰を下ろした。
「──リオセスリ殿」
「ん?」
「彼等はここの常連客なのだろうか?」
 フォンテーヌの商人が数名と、璃月人らしき男。身なりからみて随分と羽振りが良さそうな商人達だが、奇妙なのはどの顔にも見覚えがないことだ。フォンテーヌの商人を全て把握している訳ではないが、彼等が背広や帽子に付けている花の形をしたブローチ。あれは、フォンテーヌの茶葉愛好家達の間で密かに流行している印。何かの目印として密かに流通しているのではないかと疑惑が掛けられている、あのブローチだ。あのブローチを付けていると言うことは、少なくとも彼等はつい最近フォンテーヌを出入りしている。
 ヌヴィレットの空気が鋭くなったのを察しているのだろう。リオセスリは声のトーンを一段落とし、キュッと水栓を捻った。
「ナド・クライで闇市が開かれる時にはな」
「闇市?」
「ああ、ここには合法も違法もない。定期的に開かれる闇市では様々な物品がやり取りされている」
 ナド・クライ。特にこのナシャタウンには、テイワット中から様々な勢力が日々出入りしている。その中でも『ヴォイニッチ商会』と呼ばれる商業組織が幅を利かせており、初対面の時にリオセスリが話していた秘聞の館も、そこに属していた。
「その闇市を取り仕切っているのもヴォイニッチ商会なんだが、彼等なりのモラルや倫理観が存在していてね」
……ふむ」
「だが、残念ながらここはお利口さんには生きづらい場所だ。何とかそのルールをかいくぐろうとする輩は必ず存在している」
 食品、日用品、機械製品、美術品──そして、人。
 闇市に並ぶ商品は正規ルートで入手した物もあれば、経路が不透明な物まで様々だ。だが、それを裁く法も規則もここには存在していない。ヴォイニッチ商会が独自に取り決めたルールに従い取引は行われているが、そこですら扱えない品もこの商港ナシャタウンには持ち込まれているのだ。
……脱法? 別の闇市が存在していると?」
「ご名答。ちなみに闇市場の元締めはユースタチと言う名のスネージナヤ人」
「ふむ……
「おおかた彼等のお友達だろう」
 綺麗に食事を終えたヌヴィレットのトレイを片付けつつ、食後の締めにとリオセスリは暖かい紅茶を出してくれた。少々砂糖が多い気もするがその紅茶はとても滑らかで薫りも舌触りも良く、驚くほど美味しかった。
「その脱法闇市で大抵の物は手に入る。稀少なパーツや輸出されていない銘柄の茶葉、それと、」
……それと?」
「戸籍を持たない人間や、珍しい生物も」
 ようやく、リオセスリが何を伝えたいのかが理解できてきた。
 個性豊かで様々な文化や技術を有するテイワットの国々だが、科学分野においてはフォンテーヌとスネージナヤが一歩先の先進的技術を持つ。それは偉人アラン・ギヨタンを祖とし天才的なエンジニア達が切磋琢磨し合い、日々のたゆまぬ努力がもたらした結果だ。
 だが、突き詰めるその過程で非人道的な行為が行われているのも事実だ。フォンテーヌでは水仙十字結社などが違法組織として過去に摘発された例がある。
……なるほど。私の探し人もその市場にいる可能性が?」
「ゼロではない。あんたが探しているのはメリュジーヌだろう?」
「気が付いていたか」
「すまないね。エレッサさんもうちのお得意様なんだ」
 歌声が凄く綺麗で、お話とお茶を淹れるのが上手なとても可愛い子。現在ナド・クライに滞在しているメリュジーヌ達の間でリオセスリはそう評価されているらしい。顔の傷もサメさんみたいで可愛いと、随分とメリュジーヌ達からの信頼を得ているようだ。愛娘たちの感想には、ヌヴィレットも概ね同意である。
……君は聡明なのだな。メリュジーヌ達が一目置くはずだ」
「ハハッ、そいつは買いかぶりさ。言っただろう? フォンテーヌには縁があるって」
「ああ」
 すると、先ほどリオセスリに色目を使っていた男性客二人が焦れたのか、名指しで彼を呼ぶ声が聞こえてきた。リオセスリは苦笑いを零しつつ返事をし、カウンター越しにヌヴィレットへ顔を寄せるよう目線で合図をしてくる。どうしたのだろうか、と請われるまま身を乗り出してみると、頬と頬を寄せる親しげなチークキスを唐突にされた。頬をぴとりと密着させたまま、固まってしまったヌヴィレットの手をキュッと握り込んでくる。
「──等価交換。コレの代わりに、あんたの加護を貰うぜ?」
「等価交換……?」
 いったい何の話だ、と声に出すよりも先に、リオセスリが握手と一緒に握らせてきた小さな紙片へ気が付く。そこには闇市が開かれる日時と場所、そして入場に必要な暗号が記されていた。リオセスリはチラと例のセクハラ二人組がこちらを見ているのを確認し、わざと派手なリップ音を立てて濃厚なチークキスを締めくくった。ゆっくりと別れを惜しむように頬を離しつつ、親指でヌヴィレットの手の甲を優しく撫でる。
「じゃあな、ダーリン。浮気するなよ?」
……君の方こそ」
 ずり下がってしまったヌヴィレットの眼鏡をリオセスリの指先が押し上げてくれ、彼はそのまま男性客の方へと向かってしまった。
 親指で相手の手の甲を撫でるハンドサイン。それは、あなたとセックスがしたい。そんな真意が籠められた仕草なのだと知ったのは、かなり後になってからだ。ようするに、ヌヴィレットは無知を上手く弄ばれたのである。
 そんな二人のやり取りを憮然とした表情で見ていたのだろう。先客がいたのか、もしかして恋人なのか──そうリオセスリを問い詰めている男達の声がこちらまで聞こえてきた。
「さてね? それは秘密さ。そんな訳で、俺の可愛い尻は売約済みなんだ。他を当たってくれ」
 リオセスリは情報を提供する代わりに、面倒な客から上手く逃げる大義名分をヌヴィレットから得た。夜の誘いを仕掛けていた男性客達に、恋人が来ているからと角の立たない断り方をする為に。その恋人役としてヌヴィレットが選ばれた訳だ。
…………
 聡明でしたたかで、話術と世渡りに長け、自分の魅力をとてもよく理解し最大限に活かしている。
 清冷、清冽、澄碧、玉水、水縹。
 そう、彼の本質はまるで水のよう。甘い声も心をくすぐる話術も滑らかで心地良い。からからに乾いた身体へ潤いを与えてくれる、清冽な水。その水を味わってみたくなって手で掬い取ろうとしても、指の間からスルリとすり抜けてしまう。
 間違いない、彼はフォンテーヌ人だ。それも、かなり珍しい純度の高いウーシアを持つ。
 リオセスリが触れた自分の頬へそっと指先で触れてみると、そこはほんのりと熱を帯びていた。ヌヴィレットが有するアルケーに反応しているのだ。ヌヴィレットの持つプネウマと対消滅を起こせるほど純度の高いアルケーを持つ、自称フォンテーヌに縁がある男。
……彼は何者だ……?」

 月は嘘を吐く。
 仄白く優しい光を降り注ぎつつも、その裏には消えない痛みが刻まれているから。


【②へ続く】