宮腰
2025-10-18 15:42:38
23671文字
Public
 

ソーマセーマ【1】

ヌヴィリオ/執行官if
法無き自治区ナド・クライ。
そこで互いに『裏の顔』のまま出会い、初めての恋とセックスと真実を知るお話。





 ナド・クライの海は、晴天でも曇りでもあまり変わらぬ深い色をしている。北の国特有の色なのだろうか、なんてぼんやりと考えつつ、ヌヴィレットは朝の身支度を終えた。室内にある質素なテーブルの上には紙袋が置かれており、美味しそうな薫りを漂わせているそれを手に取ってみた。
……ホットドッグ……
 紙袋の中身は、今朝作ったばかりであろうナド・クライ・ホットドッグであった。定番のケチャップだけでなくグレービーソースもたっぷりと添えられたホットドッグからは、とても良い香りがしている。
 今朝目を覚ましてみると、隣室にはもう人の気配がなかった。随分と朝が早いのだな。そんな事を思いつつ朝の茶を淹れるため部屋を出ようとすると、扉が妙に重たいのに気が付いた。ドアノブへこの紙袋が掛けられていたせいだ。紙袋の中にはメモも添えられており『可愛らしい水のフェイからのお届け物だ』と、記されていた。水のフェイとはメリュジーヌの事で、このメモを書いたのはどうやら彼、リオセスリであるらしい。
……美味い」
 パンが硬すぎると不満を零したヌヴィレットの為に、フォンテーヌの味に近いパンが使われていた。ソースが多めにかけられていたお陰でヌヴィレットでも食べやすくなっており、この土地へやって来てから初めて眉を顰めず食べられる物に出会えた気がする。ナイフとフォークでホットドッグを綺麗に平らげ、満たされた気分で朝の紅茶へ口を付ける。
 ホットドッグは確かに美味だった。だが、やはりパンは苦手だ。
 失ってしまった水分を取り戻そうと冷蔵庫を開き、ミネラルウォーターのボトルから水を注ぐ。幸いなのは、永久凍土から溶け出したナド・クライの水はとても冷たく時間や歴史が蓄積した濃厚な味で、舌触りは悪くはないところだ。喉を潤したところで、ヌヴィレットは宿を後にした。
 今朝は璃月からの船がやって来ているらしい。ナシャタウンの港はとても賑やかで、作業員達のかけ声や笑い声が風に乗って町中まで聞こえてくる。二十四時間年中無休、ヌヴィレットと同じくらい働き者の巨大ゴンドラは今日も健在で、ゴウンゴウンと低い唸り声を頭上で響かせていた。
 まずは港湾局内にある領事局を訪ね、何か新しい情報がないかセディルへ確認してみよう。そう思い立ち、ヌヴィレットは港へ向かった。璃月から届いた荷物を運ぶ作業員達の横を通り過ぎた所で、見覚えのある制服に身を包んだ可愛らしい姿と、黒いブルゾンを着た背の高い青年が愉しげに談笑しているのが見えた。
……あれは……
 マレショーセ・ファントムの制服を着たセディルがヌヴィレットに気が付き手を振ってくる。それと同時に青年もこちらを振り返り、柔らかく眦を下げた。
「やあ、おはよう。ヌヴィレットさん」
「おはようございます! ヌヴィレット様」
「ああ、おはよう。君たちは……知り合いだったのか」
「はい。ナド・クライへ来た時には、よくフラッグ・シップで食事をしているので」
 マレショーセ・ファントムのエージェントが請け負う任務は多岐にわたる。個々の特性に合わせ、その都度最適な者が選出されるのだ。中でも、このセディルや行方の分からなくなっているエレッサは、ナド・クライへ派遣されることが多い。フラッグ・シップは馴染みの店のひとつで、そこで彼と知り合っていたらしい。
 すると、彼──ふとリオセスリの視線が自分へ向けられているのに気が付き、何かねと声には出さずに顔を上げる。
「セディルさんに頼まれて作り直してみたんだが、どうだった?」
 垂れ目がちな甘いブルーが悪戯な色を帯び、謎かけみたいな問いを投げ掛けてくる。ホットドッグのことかとヌヴィレットはすぐに気が付き、鷹揚に頷いた。
……ああ、悪くない。欲を言えば、」
「うん?」
「野菜とソースはもう少し多めの方が、好ましい」
 だから、また作ってほしい。言葉の裏に隠した本音をリオセスリは上手く読み取ってくれたのか、満足そうにひとつ頷きヌヴィレットの背中を軽く叩いた。
「今日の予約は十九時で良いかい?」
「ああ、おそらく」
「席は?」
「あそこで構わない」
「了解。それじゃあ俺も仕事へ行くよ」
 フラッグ・シップで十九時、例のカウンター席で。そう短いやり取りを交わし、セディルと二人で仕事へ向かったリオセスリの背中を見送る。すると今度は、セディルの視線がじっとヌヴィレットへ注がれているのに気が付いた。
「セディル? どうした」
 何か伝えたい事があるのだろうか。ヌヴィレットは膝が汚れるのにも構わずセディルと同じ目線へ屈み込んだ。
「あ、いいえ。ヌヴィレット様もリオセスリさんの事をご存知でしたか」
「知り合い……うむ。まあ、その様なものだ」
 すると、セディルはまだ何か気に掛かるのだろう。チラチラとヌヴィレットの背中を見ていた。
……セディル?」
「あの、ヌヴィレット様」
「うむ」
「リオセスリさんって、本当にスネージナヤの人ですかね?」
 セディルが気にしていたのは、先ほどリオセスリが触れたヌヴィレットの背中部分。背中なので目視はできず、直ぐに気配は霧散してしまったが、メリュジーヌの特殊な視界には映り込んでいたらしい。
 光と影、陰と陽、プラスとマイナス、N極とS極、青と赤。対となる存在、そのふたつが揃いぶつかり交わり、新たなエネルギーを生み出して行く。そのうちのひとつがフォンテーヌ人が生まれ持つ特性、プネウマとウーシアだ。
 ヌヴィレット自身もフォンテーヌに由来する存在であるがゆえ、プネウマの特性を有している。そしてヌヴィレットの背中に残されていたのは、ウーシア。僅かにだが、ヌヴィレットのプネウマに反応し対消滅を起こすウーシアを感じたのだと、セディルは不思議そうに首を傾げていた。
 フォンテーヌに縁がある──リオセスリは最初そう話していた。
 家族や友人、恋人や同僚にフォンテーヌ人がいるのか。それとも単純にフォンテーヌと何かしらの関わりがあるのか。詳細は分からないが、濃厚な雪と氷に隠された匂いにヌヴィレットも気が付いていた。
 リオセスリはフォンテーヌ人だ。
 雪と氷に隠された身体の奥底に流れている彼の水からは、清らかな淡水に混じり合うマルコット草の薫りがする。だからこそ、彼が作ってくれたミント水は非常に舌触りがよく美味いと感じたのだろう。だが、本人はそれに気が付いていないのか、それとも隠しているのか。裏側に隠された彼の素顔には、まだ触れることができなかった。