宮腰
2025-10-18 15:42:38
23671文字
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ソーマセーマ【1】

ヌヴィリオ/執行官if
法無き自治区ナド・クライ。
そこで互いに『裏の顔』のまま出会い、初めての恋とセックスと真実を知るお話。


◇◇◇


『ヌヴィレット。キミ、そろそろ友人の一人や二人作りたまえよ』

 休日に一緒に釣りへ行ったり、仕事帰りに食事へ誘えるような、冗談を言いあえる友人をさ。
 それは、いつものように唐突に飛び出したフリーナからのアドバイスだ。くだらない、君の方こそ。そう言葉にはせずに、私は片眉を少し上げただけで返事はしなかった。話すだけ時間の無駄だと判断したからだ。
 そもそも釣りなど趣味にしたことも、したいと思ったこともない。誰かと食事をしたところで会話はつまらないし、料理の味などみな同じようなものだろう。雑談や安らぎを得る相手ならばメリュジーヌで十分満たされている。
『あ、メリュジーヌ達はキミの家族みたいな存在だからノーカンだよ。人間の友人さ』
……君にも人間の友人がいるとは聞いたことがないが、フリーナ?』
『うっ……!? そ、それは僕は孤高の大スターだから……コホン! 話をすり替えるのは止めたまえよ』
 痛いところを突かれてしまったフリーナは『僕はアドバイスしたからね』と捨て台詞を残し、そそくさと立ち去ってしまった。アドバイスへ従う気はないが、一応心へ留めておこう。なぜフリーナがわざわざそんな話をしに執務室へやって来たのか、心当たりはあるからだ。
 フォンテーヌの水の下、メロピデ要塞。
 水の上の法が及ばぬ、流浪の民が集う自治区域と言った点では、ナド・クライと似ているのかもしれない。ナド・クライと違うのは、メロピデ要塞には独自の規律があり、それを統べる監獄長が存在している。
 だが、その監獄長が問題なのだ。
 現監獄長は貴族達と秘密裏に繋がっており、多額の献金を受け取り不当な厚遇を独断で与えるなど、長年に及び不正を働いている。他にも看守達への横暴な振る舞いや運営予算の着服、違法賭博、囚人へ性的な奉仕を強要、違法薬を蔓延させ私腹を肥やしているなど。数え上げればキリがない。そして、魔の手は可愛い愛娘達にまで及んだ。
 シグウィンが怪我をした。と、報告を受けたヌヴィレットは、もう堪忍袋の緒が限界だった。激昂したヌヴィレットは要塞へと乗り込み、監獄長ごと此処を沈めようと本気で考えていたくらいだ。公正無私で一分の隙もない、と人々は言うが、ヌヴィレットの根にあるのは激情家で情熱的な、上位存在であるが故の傲慢な独占欲が本性だ。掌中の珠を何よりも愛し慈しみ、大切にする。表の顔は、最高審判官と言う役割をこなす為の仮面にすぎない。
 だが、そんなヌヴィレットを止めたのはシグウィン本人だった。
『待って、ヌヴィレットさん。ウチは大丈夫だから』
……しかし……
『だって、友達を放っておけないでしょう?』
 監獄長から折檻を受けていた囚人を庇い、シグウィンは怪我をしたのだと聞いていた。その囚人は元看護師だとかで医務室の仕事を手伝っており、シグウィンとも仲が良かったそうだ。その話はヌヴィレットにも聞き覚えがあった。本当はとても優しい人なのよ、と。だが、正直なところ理解に苦しむ。人間とは弱く儚い存在──たかが数十年しか生きられない人間ひとりが何だと言うのだ。
…………
 その瞬間、ヌヴィレットの脳裏へモノクロの記憶が過った。悲しい最期を選択させてしまった愛娘と、愛娘の為に最後まで自らの正義を貫いた青年。自分の心の奥底に残った大きな空洞と、降り止まない雨。無くしてしまった二つの魂はもう二度とヌヴィレットを許してくれはしまい。
……私は、……
 私は、もう二度と見失わない。あの監獄からシグウィンを連れ出すか、それともメロピデ要塞の抜本的な再編成を試みるか。だが法の番人、象徴でもある自分が、相互不可侵の条約を進んで冒す訳にも行かない。直接手を下せないもどかしさと、あの要塞へ本当にそれだけの価値があるのか分からない焦燥感に苛まれている。そうして考えて考えて答えが見えないまま、このナド・クライへやって来た。
 法のない場所へ、最高審判官ではなくただの傍観者でいられる場所へ。

 そんな経緯があり、フリーナは『友人を作れ』とアドバイスをくれたのだろう。
 どうしてそれが解決策なのかは分からない。だが、フリーナの馬鹿馬鹿しいアドバイスは時に的を射ている事も多い。髪は結んだ方が絡みにくいとか、一回くらいはサロンを開いておいた方が後々に良いとか。
 だから、少々心へ留めておくことにしたのだ。


◇◇◇


「──…………?」
 夢。夢なんて見たのは何時ぶりだろうか。いや、そもそも夢を見た自覚が残るほど眠ったのも久し振りかもしれない。
「いまは、何時だ……?」
 まだ朦朧としている意識を手繰り寄せつつヌヴィレットは硬いベッドから身体を起こし、暗い室内を見渡した。
 ナド・クライの地へ足を踏み入れてから、二日目。
 行方をくらましたエレッサの手掛かりは、今日も見つからなかった。昼間はナシャタウン周辺でエレッサの気配を探り、パハ島とやらにも足を運ぶつもりであった。だが、どうやらファデュイの調査が入っていると言う噂は本当らしく、現在一般人は立ち入り禁止となっているらしい。フォンテーヌの駐在員へ港湾局を通し許可を取るよう命じたので、近日中には現地へ入れるだろう。人間が勝手に作った社会の仕組みとやらは、つくづく面倒で非効率、複雑怪奇なものだ。
「二十時……少し前か」
 相変わらず開け放ったままの窓からは、やたらと大きく感じるナド・クライの月が見えた。フォンテーヌよりも白んで見える夜空は月灯りのせいだろう。部屋の隅にあるランプを灯そうとしてみたが、オイル切れなのか上手く点かなかった。この時間ならばまだどこか雑貨屋が開いている筈だ。最悪の場合は港湾局へ分けてもらいに行けば良い。そう考えつつ外していた眼鏡をかけ直し、ヌヴィレットは宿の外へ出た。
 それぞれの人生を抱えた人々が流れ着く法無き自治区、ナド・クライ。
 テイワットでも高緯度に位置しているせいか、月明かりのお陰なのか。夜になってもどこか空が白んでいるのは、一晩中煌々と点っているナシャタウンのネオンも多少影響しているのかもしれない。継ぎ接ぎのプレハブ住宅が建ち並ぶ路地は複雑に入り組んでおり、綿密な都市計画に則って造られているフォンテーヌ廷とは全く様相が異なっている。
 眠らぬ港町、そんな言葉がグラフィティアートと共に壁へ描かれていたが、如何にもその通りだ。昼間よりは稼働数が少ないものの、頭上でゴォンゴォンと重低音を響かせながらゴンドラが通り過ぎ、ほろ酔いの若者達が大きな笑い声を上げながらネオンの街へと消えて行く。フォンテーヌだと、サーンドル河やポワソン町付近の雰囲気に近いのだろうか。非常に興味深い。
 薄暗い路地を散策がてらゆっくり進むと、様々な商店が並ぶ中央広場へと到着した。飲食店からはどこも賑やかな声が聞こえており、冒険者協会もまだ灯りが点いている。ヌヴィレットは微かな記憶を頼りに雑貨屋を探していると、スメール産らしい物品が並ぶ店を見付けた。ここならばランプオイルも扱っていそうだ。
……ふむ? 一瓶で三万モラ……?」
 如何にもスメールの商人らしい翁はニコニコと頷き、華美な装飾が施されたオイル瓶をカウンターへ出してくれた。お客様のように上質な生活をお好みの方にはピッタリのお品ですよ。そう勧められたのだが、どうにも釈然としない。
「いや、すまないが私は高級品を求めている訳ではない。この量産品で構わないのだが……
 そう伝えてみたが、商人は嘆かわしいと大仰な仕草を挟みつつ、このオイルが如何に素晴らしい品かを語り始めた。彼の口車に乗せられた訳でもなく、三万モラが惜しかった訳でもない。ただ、この無駄なやり取りが続くのかと思うとうんざりしてきてしまい、ヌヴィレットは「分かった。購入しよう」と素直に三万モラをカウンターへ置いた。
 詐欺やぼったくりが横行している場所なので、お買い物の際には気を付けて下さいね。そうセディルにもアドバイスを貰っていたのだが、どうやら美味いカモにされてしまったらしい。どう考えても三万モラの価値があるとは思えないランプオイルを片手に、ヌヴィレットは深い溜め息を零しつつ商店を離れた。
……ふう……
 頭上で淡く輝く月の光を受け、己の足下から長い影が伸びている。消したくとも決して踏むことはできないその影は、哀れで愚かな自分を嘲笑っているようにも思えてしまった。
 ──私は、一体何をしているのだろう。
 ふとすれば脳裏へ浮かんでしまうその考えを何とか打ち消し、夜の空気で冷たくなっていた眼鏡のフレームを軽く押し上げた。ここへやって来たのはエレッサを探す為、それと思考を整頓し己の迷いを打ち消す為にだ。
 少し頭を冷やしてから宿へ戻った方が良さそうだ。そんな事を考えていると、いつの間にか見覚えのある路地へと足を踏み入れてしまっていた。
……ここは、例の……?」
 紫色とピンクのネオンに、船室にありそうな頑丈な扉。路地と路地を繋ぐ半地下にあるその店は先日も訪問したばかりの酒場、フラッグシップだ。特段ここが気に入った訳でもないが他に行くあてもない。何か新しい情報があるかもしれないからだ、と誰に聞かせるでもなく心の中で言い訳をし、重い扉を押し開いた。
 扉の隙間からは賑やかな音楽が漏れ聞こえ、少し、ほんの少しだけ、もしかしてまたあの歌が聴けるのではと期待してしまった自分がいる。だがその期待は、店へ入ってすぐに打ち砕かれた。
…………
 いない。
 聞こえていたのは古めかしいジュークボックスから流れていた曲で、カウンターの中にも店内のどこにも、無意識に探してしまった彼の姿は見当たらなかった。今日は休みなのだろうか。
 先日は壁際のカウンター席に座ったが、今日は空いていない。仕方がない、別の席にするか。そう妥協したヌヴィレットは、向かって右端の席へと腰を下ろした。カウンターの隣には何かのフロントが設置されている。フラッグシップは宿屋も兼ねているそうなので、その受付だろうか。
「ミント水を。ああ、あと……スープを。できるだけシンプルな物で」
 ヌヴィレットが腰を下ろすと、すぐに愛想の良いバーデンダーが声を掛けてくれた。先日食べそびれたナド・クライ・ホットドッグとやらを注文しようかとも考えたが、やめた。せっかくならば彼が作ってくれた物を食してみたい。
 注文の品を待っている間に、隣にある謎の受付へ人がやって来た。話し声に釣られふと視線を向けてみると、屈強そうな男が受付係と何やら揉めているようだ。
…………
 報酬、依頼、ファデュイ。
 聞こえてきた単語と受付に置かれていた看板から察するに、どうやらそこは宿屋の受付ではなく、ファデュイの人材を募集しているらしい。リクルーターらしきファデュイの男が応募者と問答を続けており、どうやら話がまとまったのか、依頼内容が記入されていた用紙を手に屈強な男はカウンターを去った。
 成る程、規模の小さい案件にはこうして流れ者を使い、有能な者はファデュイへスカウトするやり方らしい。非常に効率的で、後ろ暗い者が多いナド・クライには非常に適した方法だ。スネージナヤの首都からは離れているが、流石は本拠地と言うべきだろう。他の国よりもファデュイの影響が色濃く根付いており、住民達には割の良い職業選択のひとつとして捉えられているようだ。
 そう言えば、執行官の誰かがナド・クライへ来ているのかもしれないとも耳にしていた。あまり気に掛けていなかったが、ここを担当している執行官が有能なのだろうか。 
「ん……? ああ、ありがとう」
 そんなことを考えているうちに注文していた品が運ばれてきた。ミント水のグラスへ口を付けてみたが、ヌヴィレットはふと覚えた違和感に眉を顰める。
「すまない、店主殿。このミント水なのだが……材料を代えたのだろうか?」
 先日の物と明らかに味が違う。いや、おそらくそれに気が付けるのはヌヴィレットくらいの僅かな差違だが、味が違うのだ。この間のミント水はもっとまろやかな味がした。感情に喩えるならば憧憬に近い、様々な感情が混ざり合った複雑な味。
 すると、クレームだろうかと気にした店主に「作り直しましょうか?」と気遣われてしまったのでヌヴィレットは素直に謝罪をした。
「ああいや、不味いと言う訳ではない。水には並々ならぬ拘りがあるゆえに違いが気になってしまっただけだ。申し訳ない」
 このような店でミント水を注文する客が少ないことは、さすがにヌヴィレットも承知している。作り手によって味が違うのも仕方がないだろう。今日のミント水は熟練のバーテンダーが『ここで寛いでほしい』と思いを込めた味をしており、これはこれで舌触りの良いまろやかな味だ。悪くはない。
 だが、あの味がどうしても気になってしまう。あの甘く静かな歌声が、どうしても心をざわつかせるのだ。水面を撫でるそよ風のように、唐突に出逢った風は心の水面をざわつかせ微かな波紋が消えてくれない。
 そんな事を考えながら店を後にし、随分と高くなった月を眺めながら宿へと戻った。