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宮腰
2025-10-18 15:42:38
23671文字
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ソーマセーマ【1】
ヌヴィリオ/執行官if
法無き自治区ナド・クライ。
そこで互いに『裏の顔』のまま出会い、初めての恋とセックスと真実を知るお話。
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昔むかし、まだ人々の心へ信仰が根付きこの世界が混沌としていた頃。
月へ祈りを捧げるひとりの聖女は、北の国からやって来た青年と恋をした。厳しい戒律も二人の心を引き裂くことはできず、やがて聖女は決心をする。一族の証である美しい角を自ら切り落とした聖女は青年の手を取り、新しい人生を歩みだした。
自らを縛る重い角も、聖なる衣も脱ぎ捨てて。
仄白い月明かりの下、聖女はただひとつの恋を貫き愛する人の手を選び取った。
◆
「なぁ、お客さん。あんたフォンテーヌから来たのかい?」
深海。ああ、そうだ。喩えるならばフォンテーヌの深海の色に近いのだろう。不快な雑音と煩わしい笑い声、地下室のような狭苦しい空間には香水とアルコール、錆びた金属と水の匂いが充満している。ここはフラッグシップと呼ばれる、賑やかな酒場。カウンターの隅で一人不味いミント水を舐めていたヌヴィレットへそう声を掛けて来たのは、深海色の瞳をした黒髪の青年だった。
にこり、と青年は人当たりの良さそうな笑顔を浮かべ、サービスのつもりなのかヌヴィレットの前へ作りたてのホットドッグを出してくれた。ヌヴィレットはあからさまに眉を顰め、ホットドッグと青年の顔を見比べる。
「俺からのサービスさ。なあ、あんたフォンテーヌ人だろう?」
「
……
そうだ、と言ったら?」
正確に言えば〝ヒト〟ではないのだが。だが、人間の決めた括りに倣えばフォンテーヌに属していると言えなくもない。肯定もせず否定もしない曖昧なヌヴィレットの答えに青年は気分を害した様子もなく、ただ頷いた。
「そうか、突然すまないね。お客さんのカフスが綺麗だなって思ってさ。それ、蒼晶螺だろう?」
それ、と青年が示したのはシャツの袖口へ付けていた蒼晶螺のカフスボタンだった。ついヌヴィレットの視線も袖口へ向いてしまい、そのまま小さく頷く。
「正解だ。君は慧眼だな」
「はは、どーも。フォンテーヌにはちょっとした縁があってね、つい」
「ほう? なるほど
……
」
宵闇色の髪に深海色の瞳。少し垂れ気味の目尻には甘さと色気を孕んでいるが、瞳の奥へ宿る光はとても鋭く隙が無い。白いハイネックにカジュアルなジャケットを羽織った姿は、この地ナド・クライでよく見る若者の姿だが、蒼晶螺を即座に見抜いた審美眼や相手を刺激しない話術は見事なものだ。
そう訝しげに観察しているヌヴィレットの警戒を解くべく、青年は甘い目元を更に和らげた。
「ここで会えたのも何かの縁さ。俺の奢りだ、ナド・クライ・ホットドッグ。ここの数少ない名物だぞ。食べてみてくれ」
「いや、心遣いは有り難いが遠慮しておこう」
「ん? ホットドッグは嫌いだったか」
「ここのパンは固すぎる」
ナド・クライのパンは黒くて硬い、寒い国特有のパンだ。ライ麦が混ざっておりスープやシチューに浸して食すことが多いからなのだが、食べ慣れるのには時間がかかりそうだ。説明せずとも青年は察してくれたのか「それは失礼」と苦笑いをしつつ、空いたグラスへミント水を注いでくれた。
「ここへは仕事で来たのかい?」
「ふむ、身上調査か?」
「ああいや、気に障ったのならすまない。単なる興味さ」
「
……
人を探しに。休暇も兼ねてはいる」
「人捜し?」
氷の女皇が治める北の大国・スネージナヤ。その辺境へ位置するここナド・クライは、様々な勢力が集まり欲望と策略が渦巻く法無き自治区だ。一攫千金を狙う者、故郷へ戻れぬ罪を犯した者、各々の事情を抱えこの寒い土地へと足を運んでいる。
そんな土地柄を青年もよく理解しているのだろう。ヌヴィレットの曖昧な答えをこれ以上詮索する気はないのか「なるほど」とグラスを拭きながら頷いた。
「人捜しならばここへ来たのは正解だ。モラを積めばいくらでも情報が転がっている」
「そのようだな」
良さげなカモが来たと狙われているのだろう。この店へ入った時からチラチラとヌヴィレットの様子を伺う者が絶えなかった。
青年へ話した目的は嘘ではない。ここ、ナド・クライへ足を運んだ目的は、行方の分からなくなったメリュジーヌを探す為にだ。フォンテーヌ最高審判官であるヌヴィレットがどうして単身でナド・クライへ潜入なんて危険な行為を冒しているのか。それにはまた複雑な心境が絡んでいるのだが、それを見知らぬ青年へ話す謂れはない。
何はともあれ、ヌヴィレットはこうして一人ナド・クライの地へとやって来た。髪を短くし、質素なシャツと地味なツイードのスーツに身を包み眼鏡を掛けて。端から見れば事業に失敗した経営者か、終の地を探しに来た芸術家辺りだと思われているだろう。
「秘聞の館って聞いたことあるかい? ここで情報が見つからなかったら、そこを尋ねてみるのも手だぞ」
「ありがとう。気に留めておこう」
「
……
おっと? 俺をお呼びだ。邪魔してすまないね。ゆっくりして行ってくれ」
「ああ」
青年はそう言い残しカウンターを出た。何気なくその背中を目で追ってみると、カウンターを出た青年は奥からアコースティックギターを手に戻って来た。ギターを片手に壁際に置かれた椅子へ腰を下ろし、ポロロン
……
と喧嘩慣れしていそうな節くれ立った指で六本の弦をかき鳴らす。
『
……
月よ、愛しき歌よ
……
暗闇においていかないで』
美しい旋律、低く甘く透き通った優しい声。薄暗く狭い空間へ、独特のリズムに乗せられた青年の歌声が響き渡る。それまで酒を片手に歓談していた人々の視線もそちらへ集まり始め、誰もがそのどこか切なくも美しい旋律へうっとりと耳を傾けていた。
それはヌヴィレットも例外ではない。青年の歌声や紡ぐ旋律が、身体の奥深くへ染み込んで行く。渇ききった砂漠へ突如湧いた美しい泉のように、青年の歌声がじわじわと浸透し緑を花を、生命の息吹が吹き込まれて行くのを感じていた。こんな感覚は初めてだ。
『
……
汚れを濯ぐ青い海のように
……
』
あまりにも感動を覚えると動けなくなると言うが、それは真実だ。曲が終わってからもヌヴィレットはしばらく動く事ができず、割れるような拍手と沢山のチップを受け取る青年をただ眺めていた。
「
……
さま、ヌヴィレット様!」
「
……
む? ああ、君か。すまない」
そんなヌヴィレットを現実へと戻してくれたのは、先にナド・クライ入りしていたマレショーセ・ファントムのセディルだった。任務中に行方が分からなくなってしまったメリュジーヌについて、これまでに掴んだ手掛かりや経緯の詳細をまとめて届けてくれたのだ。目立たないようにと、このフラッグシップで受け取る算段にしていたのをつい忘れてしまっていた。
「ヌヴィレット様がボーッとするなんて珍しいですね。長旅でお疲れですか?」
「いや、問題ない。素晴らしい歌声につい聞き惚れてしまった」
「あ、彼ですよね。突然現れたフラッグシップの歌がうまいバーテンダーさん」
突然、と言うことは彼も最近ナド・クライへやって来たのだろうか。フォンテーヌに縁があると話していたが彼からは深い氷の薫りがしたので、ここの住人だとばかり思っていた。
「もう一曲歌うみたいですね。聴いていかれます?」
「
……
む?」
正直、後ろ髪を引かれてしまったのは否定できない。だが今は、それよりも行方不明者の安否が心配だ。ヌヴィレットは審判官の顔へと戻り、眼鏡のフレームを指の背で押し上げた。
「大丈夫だ。それよりも報告を聞こう」
「分かりました。港湾局の二階に各国の領事局がありますので、そちらで
……
」
「そうか。ところで、君はホットドッグは好きだろうか?」
「え? あ、はい。大好きです」
即答したメリュジーヌへ優しく頷き返し、カウンターで待機していたバーテンダーへ青年が用意してくれたホットドッグを包むよう依頼した。もちろん、ホットドッグ分の料金は歌を聴かせてもらった礼のチップとして。せっかくの厚意を無碍にしてしまうのも心苦しい。そう思っただけなのだが。
後日、そのホットドッグを譲り受けたセディルに「あのホットドッグすっごく美味しかったですよ!」次はヌヴィレット様も召し上がってみて下さいね。と、やや興奮気味に念を押されてしまった。
仄白い月が夜空へ浮かんでいる。
月には表の顔と裏の顔がある。朝の月、夜の月、月の表面、裏面。だが人々の目に映り込むのは、その美しい表の顔だけ。
──月は嘘を吐くから。
そう静かに警告をくれる透き通った少女の声が、夜風に乗って聞こえてくるようだった。
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