お芋さん太郎
2025-10-17 20:15:51
2132文字
Public ONEPIECE
 

深海のルール



じつに不可解なご当地ルールに、ウソップは首をひねった。
ペンギンが言うにはこうだ。

「夜中、もしも誰かが訪ねてきても、絶対に自分から扉を開けるなよ。それが深海のルールだ」

もしもそんなことがあったら、『開いてるから勝手に入れ』と声をかけるのがハートの海賊団での決まりらしい。
同じ部屋を割り当てられたゾロは、聞いているのか分からないような気の抜けた返事をしている。

ウソップもべつに納得はしてないが、せっかくワノ国まで送ってくれる同盟相手の船である。
ここは素直に従っておいた方がいいと、少しの違和感は腹に収めた。

それ以上の説明は無く、寝床に入るころにはすっかり忘れてしまっていたのだが。


こんこんこん、こんこんこん。


夜中にふと目が覚めたウソップの耳が、小さなノックの音を拾った。
割り当てられた部屋の扉は金属製だが、それを人さし指の関節で叩くような、軽くて高い音だ。
気のせいかもしれないと目をつむるも、その音は何度も何度も繰り返される。

ウソップが部屋の入口をチラリと見やる。
問題の扉は湿度をはらんだオレンジ色の常夜灯に微かに照らされ、その無機的な不気味さにウソップの背中に冷たいものが走る。


こんこんこん、こんこんこん。


ウソップの喉はすでにカラカラだ。
それでもなんとか声を張り上げ、突き離すように言う。

「ひ、開いてるから、勝手に、は、入ってこい!」

と、音が止んだ。
ウソップがやっとのことで息を吐く。

きっとこれで一件落着だ。
もしもここにルフィがいたら素直に開けてしまっていただろう。
いやー、危なかった危なかった。

そんなふうに安堵していた矢先。


こんこんこん、こんこんこん。


「ひッ!」

再び。
先ほどまでよりも、少し強めにノック音が鳴る。

「は、入ってこいって言ってんだろ!?」


こんこんこん、こんこんこん。
「開けて」


ウソップが、ヒュっと息を飲む。

「ねえ、開けて」

女の声だ。
ぶ厚い扉の向こうから、囁くような、たおやかだが弱々しい女の声がした。
どこか聞いた覚えのある声ではあるが、断じてロビンやイッカクではない。
それがかえって、恐ろしい。

「お願いだから、開けて」

ああ、ダメだ。これ以上は。
だってもう泣きそうだし、チビりそうだ。
大口開けてガーガーいびきをかくゾロを起こすしか。

「ねえ」

頼りがいのある肩に触れようとした、その時。

「会いたいわ……ウソップ」

手が止まる。
戸口を見る。

暗闇に浮かぶ扉が、ノックに合わせてふるえる。

「ウソップ」
「母ちゃん?」
「よかった、そこにいるんだね」

それはまぎれもなく、亡き母バンキーナの声だった。

抱いていた恐怖がずんと腹の底に落ちつく。
代わりに今まで無視してきた感情が、グルグルとぐろを巻き始める。

「え? なんで、母ちゃんが」
「ああやっと会える。ねえ、ウソップ」

彼女の声をほとんど覚えていなかったこと。
彼女の魂をシロップ村に置いてきたこと。

後ろめたい事実が、大岩のように重く、ウソップにのしかかる。

……う、嘘だろ! ここはグランドラインだ。こんなのおかしい。嘘だ、嘘……
「嘘なんかじゃない、だって海は奇跡で満ちている。そうでしょう」
「違う!」

叫びながら、母の顔さえ忘れかけていることに気づく。
彼女が撮るのは愛する息子の写真ばかりだったから、ウソップは母の写真を一枚も持っていないのだ。

だから。

「会いたいわ、たった一目でいいから――ねえ、開けて」

おれだって、会いたいよ。

彼女の優しい声色に心がふるえる。
迷いはすっかり消えていた。

ウソップは鼻水をすすって、フラフラと扉へ歩み寄る。
大きく息をひとつ吸い、扉の取っ手に手をかけ、手前に引いた。

しかし扉は開かない。
上を見ると後ろから血管の浮いた太い腕が通り、それが扉をロックしている。

「おい」

ゾロだ。
彼は獣のように鋭い隻眼で、ウソップをじいと見つめる。

「何してやがる」
「え、な、何って……

チラチラと扉を気にして、挙動不審に口ごもった。
バンキーナの声はまだ聞こえている。

ウソップのそんな様子を見て、ゾロはでっかい欠伸をひとつした。

「おれは寝るがな、これは絶対に開けるんじゃねェ。絶対に、だ。それ以外は……好きにしろ」

たしなめるようにそれだけ言って、彼は自分の寝床に戻った。
途中でウソップに毛布とカバンを投げてよこして。
その後わずか三秒ほどで、またいびきをかき始める。

ウソップは扉の足元で毛布にくるまって、小さな子どものように丸くなり、偽物の母の囁き声を子守歌に眠った。

嘘でもなんでもいい。
もう二度と、忘れたくなかったから。
枕代わりにしたカバンのそばに、小さな音貝を置いて。



翌朝ウソップは、ペンギンを捕まえて寝不足の顔で「最悪だった」と苦言した。
すると彼はアハアハ笑って軽く答える。

「でも眠れない夜、しりとりの相手とかしてくれるぜ」
「んなアホな……

潜水艦の乗組員には絶対ならないと、心に誓った瞬間である。