spmm8ck9
2025-10-14 22:23:23
6254文字
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オロイフワンライ「〇〇の秋」「祝福」


 スポーツの秋だぞ、というイアンサからのトレーニングの誘いを、イファは「オロルンのとこで農作業にいそしまなきゃならんから」という言い訳でかわした。勿論、ただの方便じゃない。農家の男に代わって、奴の耕した畑をよくよく見てやらなきゃならんのだ。
 カクークの背負い鞄のベルトから手を離し、無人の家の前にトンと降り立つ。ドアを押せばあっさり開いて、薄っすら匂う謎煙の香が竜医とクク竜を手招いた。家の傍に立つビッグナッツも、侵入者を咎めない。まったく不用心なことである。
 不用心な男の家に足を踏み入れ、イファは殆ど自分専用になっているコートスタンドに帽子を放り投げた。上手いこと引っ掛かったそれが、遠心力で枝からくるんとすっ飛びかける。それは危うい所でカクークにキャッチされた。「ありがとな、きょうだい」と礼を言えば、帽子をしっかりと掛け直した嘴に「お安いごようだ、きょうだい!」と返された。
 医療鞄を腰から外し、腕から引き抜いた手套、肩から剝ぎ取ったコートと一緒にスタンドへと引っかける。農業用のワークグローブは、玄関横のキャビネットの中。ごわごわとした触感の手袋を両手に嵌めて、イファは入ってきたばかりの扉を潜った。
「きょうだい!」
「おっと」
 甲高い声と共に頭に被さってくるのは、ピンクの球体ではなく洗いざらしのフェイスタオルだ。顔を上げれば短い翼を忙しなく羽ばたかせながら、カクークが隻眼でイファを見下ろしている。
「あー……
 更に顔を上げると、ピンクの球体より遥か高い位置に、燃え盛る太陽が燦燦と輝いていた。普段、オロルンの手伝いをしている時に昇っている月じゃない。肩に差し掛かる光は、風が冷たくなったこの頃においてもまだまだ熱い。体力のない人間がこの下で長々肉体労働に従事していたら、ひっくり返っていたかもしれない。
 イファは曖昧に笑い、ずり落ちかけたタオルを指先で引っ張り戻す。そして幾分険しく見える、ラズベリー色の隻眼を上目遣いに見上げておもねった。
「いやあ、うっかりしてた。ありがとな、きょうだい」
「お安いごようだ、きょうだい」
 さっきと同じ台詞。だが、その声色は大分違う。きょうだいはまったく大層頭が良いのだった。
 その日はイファが草を毟り、カクークが虫を追い立てた。秋の実りに一役買ったことだろう。



「どうだ、きょうだい」
「おいおい、最高かよ!」
 粗熱を取ったクッキーを一齧りしたカクークは、大喜びの声を上げる。そしてこうしちゃいられないとばかり、再びそれに齧りついた。新しく考案したレシピは、相棒のお気に召したようだ。
 イファも一枚摘まんでみる。まだほんのり温かく、柔らかなクッキーを崩さないよう口に運んで一齧り。途端口いっぱいに広がるほくほくとした甘みに、唇の端を吊り上げた。
 普段の生地より黄色みが強いクッキーは、オロルンのカボチャを加えて作ったものだった。夏場に採って追熟させていた野菜は甘く、砂糖やバターにも負けやしない。
「きょうだい、きょうだい」
 一枚をあっという間に食い尽くしたカクークが、イファの肘に額をぐりぐり押し付けて甘える。もっと食べたいって所だろう。
 際限なく甘やかしては他に配る分がなくなってしまうが、しかし冷徹に「おかわりはなしだ」と宣言するにはあまりに可愛らしい。あと一枚くらいならいいよな、と誰にともなく言い訳をして、ケーキクーラーの網の上に手を伸ばす。
 ……しかし、にんまり笑う小さな竜が獲物を得ようとした瞬間、外から声がかけられた。
「おーい、オロルン! いるかー⁉」
「ん? この声は……
 耳慣れた声音に、イファはクッキーを取ろうとしていたことも忘れて玄関に足を向ける。無情にも離れていく手に、策士の竜は「ア……」と唖然茫然の顔を見せたが、それでも無断で食いついたりはしない。断腸の思いでテーブルから飛び立ち、イファの黒シャツの肩に止まった。
 歯噛みするカクークに気付かず、竜医は呼び声に応えてドアを引き開ける。ドアの形に色鮮やかな景色が切り取られ、その中からは思った通りの二人組が、ポカンとした顔で見上げていた。
「あ、あれ? イファじゃないか! ここ、オロルンの家じゃなかったのか?」
 驚き狼狽える空飛ぶちびっ子に、思わず笑いがこみ上げる。どうにか衝動を飲み込んで、イファは医者らしく実直そうな顔を作って挨拶をした。
「やっぱあんたらか、『希望トゥマイニ』、パイモン。ナタに戻って来てたんだな」
「会いたくなったか、きょうだい!」
「久しぶり、イファ、カクーク」
 歴戦の戦士らしく、あっさり調子を取り戻した旅人が挨拶を返す。けれど飴色の両目は未だ不思議そうに見開かれて、金髪を頂く頭は横に傾けられていた。物問いたげな視線を無視することなく、イファは本来の家の主について説明する。
「オロルンに用があったのか? 悪いな、あいつならしばらく『謎煙の主』で過ごす予定なんだ。何なら顔を出してやってくれ。あんたらなら、きっと集落総出でもてなしてくれるだろうからな」
 もてなし? と益々首を傾げる旅人に対し、隣のパイモンは目をキラキラさせて身を乗り出す。まだ料理どころか匂いすら届いていないというのに、もう涎を垂らしてさえいる。
「もてなし⁉ へへ、久々のナタグルメだ、楽しみだな! なんだかもう甘~い匂いがしてる気がするぜ……!」
「おっとそれでか」
 思わず家の中を振り返る。慣れて感じなくなっていたが、キッチンからは砂糖とバターの甘い匂いがぷんぷんと漂って来ていた。
 なんて想像力が豊かなんだろう、と感心していたが、何のことはないクッキーの匂いで涎を垂らしていた訳である。ついつい笑ってしまったのを見咎められ、パイモンに地団太を踏まれてしまった。
「いや悪い、今し方クッキーを焼いてたとこでな。甘い匂いはその所為だろう……そうだ、お詫びに持っていくか? 試作品だが、味はカクーク先生のお墨付きだ」
「きょうだい、マジかよぉ!」
 途端に肩の上でカクークが嘆いた。もっと食べられると思ったのに、客人に掻っ攫われてしまうなんて!
 しょんぼり気落ちする仔竜には悪いが、久方ぶりに邂逅した英雄たちを手ぶらで行かせる訳にもいかない。萎れる羽冠を指先であやしてやりながら、イファはカクークをなだめた。
「まだタネは残ってるだろ。そうしょぼくれるなよ、きょうだい。また焼きたてを食わせてやるから」
「時間だ、きょうだい! 時間だ!」
 焼き上がるまでどれだけ時間がかかると思ってるんだと、甲高い声が貧弱な語彙で訴える。こんなにぐずるなんて珍しい。それだけ気に入ったんだろうか。
「イファ」
 小さな頭を撫でてやっていると、ふいに旅人から呼びかけられる。どうした、と見下ろすと、何とも言えない表情でもって見上げられた。
……オロルンの家で、クッキー焼いてたの?」
「? あぁ……安心しろ、きょうだい。使い慣れてるから失敗はしないぞ」
 生焼け焼き過ぎの心配はないぞと力強く頷いてやる。すると旅人は、
「あ、へえ、使い慣れてるの……
 とまた何とも言えない顔で復唱するのだった。一体どうしたのかとイファも首を傾げたが、パイモンに「クッキーくれるのか⁉ やったぜ、早く早く!」とせかされてしまった。なので疑問を一旦忘れ、先にプレゼントを用意することにしたのだった。
 開いたドアから頭を引っ込め、昼なお薄っ暗い部屋を戻る。あの二色の瞳は特別性なのか、ここの家主はあまり光源を用意していない。小さな窓からの明かりを頼りにキッチンへと戻り、次は自身がかつて持ち込んだ燃素ランプの灯りに頼る。この家には慣れているといっても、流石に視界が不自由なまま料理をしようとは思わない。
 部屋の片隅に立つ棚を開き、家主が色づけした平べったい箱の蓋を開ける。個性的な色の奔流の中から現れるのは、素朴な生成り色の包み紙と同じ色の紐だけだ。イファはその中から紙と紐をふたつずつ失敬し、蓋と棚を閉めてケーキクーラーの前まで戻る。短い時間で熱と湿気を飛ばしたクッキーは、整然と人の口に入るのを待っていた。
 網の上から鮮やかな黄色をごっそり取って、二つの包みを作り上げる。すっかり空になってしまったクーラーに、カクークが「アーア」と残念そうに鳴いた。半分齧ってそのままにしていたクッキーをその口に咥えさせ、イファは喉を震わせる。
「そう拗ねるなよきょうだい。次はトッピングも付けてやるから。何がいい? チョコレートでコーティングするか?」
「最ッ高だな、きょうだい!」
 瞬く間にクッキーを平らげ快哉を叫び、ピンクの仔竜は肩から飛び立つ。その単純な様子がおかしく、自分の作ったものを楽しみにする様子が嬉しくて、イファも堪えきれずに声を上げて笑った。
 さて玄関に戻れば、待ちきれないといった顔にお出迎えされる。きらきらの視線は、イファの抱えた包みだけに向けられていた。そのおかしくて嬉しい様子のパイモンに包みを一つ渡せば、きゃあと歓声が上げられる。
「まだあったかいな! それにバターと砂糖の甘い匂いと、小麦の香ばしい匂い……! ん? カボチャみたいな匂いもするぞ……?」
「パイモンは鼻が利くな。そいつはカボチャのクッキーなんだ。ほらトゥマイニ、あんたにも。あぁそういや、さっき何か言いかけてたようだったが……
 包みを渡しながら、一度保留にしておいた問いを投げる。しかし旅人は空惚けた顔つきで飴色の目を瞬かせ、金の髪を揺らして首を傾げ。
……そういえば、カボチャで思い出したんだけど」
「ん?」
「カボチャの中身をくりぬいて、外の固い皮に顔を模した穴をあけて、中に蝋燭を立ててランタンにして飾るっていう風習があるんだって」
「んん???」
 急に始まった謎の風習講座に、イファの白い頭こそ傾ぐ。しかし講師は聴講者に頓着せず、さらにすらすら言葉を紡いでいく。
「ナド・クライにはあちこちの国から人が集まるでしょ? そんな風に各地の風習が集められて、ナシャタウンでイベントとして根付いたんだ」
「そうそう! 元はカブをくりぬいて作ってたんだけど、ナド・クライじゃカブが採れなかったから代用としてカボチャが選ばれたんだってさ」
 更には頼れるガイドまで、講壇に上がって蘊蓄うんちくを垂れる。トンチキコウモリに慣れている所為で大人しく聴講してしまったが、頭の上のクエスチョンマークは数を減らすどころか増える一方だ。
「あー……っと、トゥマイニ? なんでナド・クライの風習を教えてくれたんだ……?」
「作ってみたらいいんじゃないかと思って。折角カボチャがあるんだからさ」
 何が折角なんだ……? と思いつつも、口は「そうか、教えてくれてありがとな」と当たり障りない言葉を返す。旅人はニッコリと──何となくわざとらしい笑みを浮かべ、
「それじゃあ教えて貰った通り、『謎煙の主』に行ってみるよ。ありがとう、イファ!」
「またな、イファ!」
 と、クッキーの袋をたずさえパイモンと連れ立ち去って行った。なんとも忙しない。
……まあ、教えて貰ったんだし作ってみるか……確か食用に向かない小さいカボチャがあるって、あいつ言ってたよな」
 そうして家の中に戻ったイファは、残りのクッキーが焼けるのを待ちながらカボチャのランタンを作ってみることにした。バターと砂糖が高熱でとろける濃厚な香りを嗅ぎながら、慣れない手遊てすさびに熱中する。焼き上がった生地から粗熱を取り、溶かしたチョコレートのコーティングが固まった頃に、小さなランタンが出来上がった。
 丁度いい蝋燭はなかったから、おままごとみたいな豆皿に油を垂らし、紙縒こよりを差して簡単な照明を作って置いた。彫り込んだ顔から漏れ出る明かりに、作り手は満足の息を漏らし。
 ふと隣でクッキーをむさぼる仔竜に向かい、思い付きを口にした。
「なあカクーク。もしかして、俺は旅人に誤魔化されたのか?」
「ハハッ」
 チョコレートまみれの小さな嘴が笑う。机の上ではカクークを模した精巧なランタンが、仄かな明かりを灯している。
 芸術の秋だった。



「イファ、僕の分のクッキーはどこだ?」
……おいおいきょうだい……戻ってくるのはもうちょい先じゃなかったか?」
 家主が帰ってきたのはその日の夜だった。いやあ翌日だったかもしれない。ベッドの上のイファに、その判別はつかなかった。北向きの窓から見えるのは、月明りを反射する山肌くらい。聞こえてくるのはカクークの寝息だけ。時刻が分かりそうなものは、この真っ暗な部屋にはない。
 枕から頭を上げる気力もないまま、イファはむにゃむにゃと声を上げる。灼熱のナタも夜になれば薄寒く、暖かな毛布の中から離れがたい。今にも閉じそうな左目の傷跡を、硬い指の腹にざりざり撫でられた。
「『謎煙の主』で、じいちゃんとパイモンに会ったんだ。イファにカボチャのクッキーを貰ったって言ってた」
 ぶすくれた声色に、あくびをこぼして重い瞼を押し上げる。薄明りの中でも空色と桃色の妖眼が見えるのは、それらが色鮮やかという理由ばかりではない。まさしく目と鼻の先にいるオロルンに、イファは眠気に濁った鼻声で呆れを表明してやった。
……高々クッキーの為に帰って来たのか? 集落を上げての誕生日パーティだってのに?」
 素直で可愛い皆の孫息子は、数日の間「謎煙の主」で誕生日を祝ってもらう予定だった。
 里を離れて一人で暮らすオロルンを、じいちゃんばあちゃんたちは心配している。せめて年に一度の誕生日だけは祝わせて欲しい。彼はお世話になった人たちからの、そんな心優しい願いを無碍にする男ではなかった。だから数日間家を空け──イファはその留守を守っていたのだ。
 きっと、たくさんの贈り物を貰ったのだろう。きっと、たくさんの美味しい手料理を振舞われたのだろう。それなのに、たかがクッキーの為だけに、自分の為の祝いの宴を切り上げて帰ってくるなんて。
 ばかだなあ、とあくび交じりにオロルンを笑う。頭の上の三角耳が、不機嫌に伏せる気配がした。毛布がたくし上げられ、冷えた空気が入り込んでくる。
「んー……きょうだい、寒いから……っぎゃ!」
 文句を言いきる前に、冷たい塊が毛布の中に侵入した。ぬくまった肌に巻き付く乾いた夜気の匂いと、肌や髪に沈んだ謎煙の香の匂い。鳥肌を立てた首筋に、生温かな吐息が触れる。
「イファ、僕に言うことはないのか」
「ううう、クッキーならキッチンの棚ン中だよ!」
「違うだろ。もっと大事なことだ」
「おかえり‼」
「イファ」
「ぎゃあ! 冷てぇ手を服の中に入れんな!」
 狭い毛布の中で押し合いし合い、ベッドをぎぃぎぃ軋ませて騒ぐ。冷え切っていたオロルンの手は温まり、イファの目も暗闇に慣れた。
 はあ、と乱れた息を吐いて間近の男の顔を睨む。そいつは怜悧な双眸をきりりと細めて、頑固に自分の一念を通そうとしている。
 はあ、ともう一度息をつく。今度のは、諦めの溜息だった。
 じろり、僅かに火照った白い顔を睨んでイファは祝う。
「誕生日おめでとう、オロルン」
「うん。ありがとう、イファ」
 ひとつ年を重ねたとは思えない表情で、オロルンは破顔した。