果南(カナン)
2025-10-14 21:37:38
5317文字
Public さめしし
 

No title

さめしし。半闇医者☔️x弱小若頭(?)🦁の、たぶん冒頭です。まだえろくない。
極道かどうかは未定だけど、裏社会パロ。今日の全身絵公開で激ってとち狂いました…!
気分が乗ったら続きを書きたいです。 (2025/10/14)



 白い包帯が、くるくると獅子神の腕を回る。
 あっという間に巻きつき、綺麗に留めつけられたそれを、獅子神は感心したように眺めた。
「すげぇなあ。流石はセンセイだ」
 村雨はわずかに眉をひそめ、軽く息を吐く。手元に出していた器具を片付け始めながら、深紅の瞳で獅子神を流し見て口を開いた。
「ようやく顔を見せたと思ったら、このようなマヌケな傷を負ってのこととはな。あなたはもう少し、様々なことを弁えたほうがいい」
「へーへー。お医者サマに言われちゃ敵わねえぜ」
 脱いでいた着物の袖に手を通し、胸元を整えながら獅子神は応じる。手当てしてもらった右腕は動かす度に鈍い痛みを訴えたが、努めて平静を装った。こんなことは大したことじゃない、縫ってもらったしもう大丈夫だ、と自分に言い聞かせながら。
 獅子神が患者として村雨の医院を訪れたのは、実は初めてのことだった。前にここへ来ていたのは部下の園田が自分を庇って刺されたからで、人づてに聞いていた噂を頼りに、藁にも縋る思いで医院の裏口の扉を叩いたのだった。そうして入院になった園田がある程度回復するまでは、獅子神も足繁く通ってきていたのだが、村雨の手術は完璧で、傷の酷さの割には驚異的な速さで園田は退院するまでに至った。その直後からまた別の問題が周囲で生じたため、獅子神もこの医院から足が遠のいたままになっていた。
 村雨への挨拶もそこそこになっていたし、さらにもう一つ、獅子神には後ろめたい点があった。どうやってそれを切り出そうかと考えながら、表面上は明るく、獅子神は言葉を継ぐ。
「しかしお前、ちゃんとした資格持ちの医者なんだろ? オレ達みたいなの、相手にしてていいのかよ?」
「怪我や病気を得て現れる者なら、私にとっては等しく患者だ。特にあなたたちのような手合いは、普通の病院ではなかなか見れんような傷を負って来るからな。手術のしがいがある」
「怖ぇなあ」
「ふん」
 村雨が面倒くさそうに、鼻を鳴らす。しかしそこには、どこか面白がっている響きも含まれていた。
 村雨が一人で廻しているこの医院は、跡継ぎがおらず閉院となっていたのを買い取って、半年ほど前に再開したものだった。外見こそ元の年季の入った様子のままだったが、中はきっちりとリフォームして、設備も最新のものが取り揃えられている。そのギャップに獅子神は初めて訪れた際、大層驚いたものだった。繁華街の中でも入り組んだ路地の奥にあり、村雨の好みで窓や壁の防音設備も整えられているため、立地を考えれば不思議なほどの静けさが保たれている。昼間は普通の外科医院として開業していて、看護師や受付の事務員もいるらしかったが、獅子神自身はそれを目にしたことはなかった。
 獅子神が知っているのは、夜の医者としての村雨だ。若いのに凄腕の外科医で、金さえ積めばどんな傷でもぴたりと治す。来歴は一切不明で、患者に訴えられて大学病院を追われたのだとか、それは表向きの理由で実はヤバい賭博に足を突っ込んでいたのだとか、様々な説が囁かれていたが、どれも根も葉もない噂の域を出なかった。
「そんなことより、治療費を頂こうか」
 村雨は器具を片付け終えると、電子カルテ用のパソコンを置いているデスクに向かった。
 ぎくり、と獅子神は身を強張らせる。既に帯まで結び終えていたが、羽織を背に翻す手が震えた。
 何とか袖口から手を出し、羽織紐の狐の留め具を掴む。その間に村雨はさらさらと紙片に数字を書きつけ、くるりと振り返った。
「獅子神」
 深紅の瞳がきらりと光り、白衣の腕が突き出される。しなやかな指先が摘む小さな紙片を、獅子神は怪我をしていない方の腕を出して受け取った。可能な限り、何気ない風情を装って。
 だが、その試みは一瞬にして崩れ去る。
 書かれた数字を二度見して、獅子神は目を丸くして叫んだ。
「オイオイ、先生。こりゃどういうことだよ」
「何がだ」
 村雨は全く表情を変えずに応じた。
「また随分と法外じゃねえか? 先生の腕がイイのはわかってるが、流石にねぇだろ」
……裏稼業のあなたが、法外とは。面白いことを言うな?」
「だって、そうだろ。利き腕とはいえ、そんなに深い傷じゃないぜ。なのに、こんな……
「それは先日、あなたが運び込んだ部下の分の治療費も含まれている。よもや、忘れたとは言わせんぞ」
 ぎらりと村雨が眼を光らせ、獅子神は言葉を止めた。
「私は基本的にその場での現金払い、もしくはそれに相当する現物での支払いでしか治療は受けない。再三言っているとおりだ。だがあの時は、あなたの部下を思う心に免じて、特別にあの男を治療してやった。それは分かっているな?」
「う……
「あなたは言った。必ずオレが対価を支払うから、どうかコイツを助けてやってくれ、と。そして私は、あの男を助けた。ゆえにあなたは、速やかに私に対して支払いを行う義務がある」
……っ」
 ぎり、と奥歯を噛みしめて、獅子神は唸った。
 村雨の言うことはすべてその通りで、反論の余地は何も無い。しかし今の獅子神は、村雨の提示した額を支払えるだけの資金など到底持ち合わせてはいなかった。
 大切な部下を失いたくなかったから、必死の思いで頼み込んだ。自分を守ってくれた男を救うためなら、自分にできることは何でもする。そう言って床に手をついた獅子神に、村雨は言ったのだった。大丈夫だ、私が助けてやる、と。
 あの時の村雨の落ち着いた声音、眼鏡の奥で強く輝いた深紅の瞳を、獅子神はまざまざと思い出す。そこには確かに、優しさがあった。厳しさの奥底に隠れ、並の人間ならば気圧されるばかりで到底気づかないようなものだとしても、確かに。
 だが今の村雨からは、同じ優しさは微塵も感じられない。つめたい刃のような視線を受け止めながら、それでも負けじと睨み返すうちに、獅子神の背中をつうっと汗が伝っていった。
 やはり、この男は死神なのだろうか、と獅子神は思った。
 初めて会った時には、こんな細腕のインテリ野郎がまさか、と思ったけれど。今なら、あの噂も納得できる。
 生も死も思いのままにする、闇夜の医者。救いの天使にして、容赦ない死神。
 ひとたび不興を蒙れば、その眼から生きて逃れた者はいない——

——どうした、獅子神」
 村雨は、笑った。
「あなたの出せる答えは、二つに一つしかない。私に対価を払うか、払わないかだ」
「だからっ……! ああ、クソっ!」
 獅子神は叫ぶと、がばりと頭を下げた。
「頼む! 今は金がねぇんだ……でも必ず、一生かかってでも払うから! だから、待ってくれ!」
……信用ならんな」
「そこを何とか! この通りだって!」
 獅子神は床に膝をつき、両手もついた。負傷した右腕に鈍い痛みが走る。が、ここで甘えて右腕を庇えば、信用されないと思った。
 ずきん、ずきん、と伝わってくる痛みをこらえ、村雨の足元ににじり寄る。そうして診察室の床に額を擦りつけるようにして、深く土下座して懇願した。
「お前が正しい、それはわかってる。でもオレは、こんなところで終われねぇんだ。必ずもっと上までのし上がって、本物のピカピカを掴んでやる。そうしなきゃいけねぇんだ」
……
「それさえ成せれば、お前が望むだけの対価を払える。絶対に、逃げたりなんかしねぇ。だから頼む、その日までオレを生き延びさせてくれ……村雨」
 呻くように声の最後が震え、診察室の白い壁に吸い込まれた。あとは空調の振動音だけが、低く小さく響く。
 村雨は無言のままで、足元に額ずく男を見下ろした。整えられた金髪が、天井からの無機質な光を跳ね返してきらきらと輝いている。仕立ての良い濃緑の地に鬱金で大胆な模様を描いた羽織は、およそ日本人らしくない色彩を備えたこの男の美しさをよく引き立てていた。
 先ほどの診察と治療の際に、目の当たりにした男の体を思い返していく。逞しく鍛えられた数々の筋、なめらかな肌。右手には手背から手掌まで貫かれたと思しき古傷があったが、他は目立つほどの損壊もなく、綺麗な体だった。裏稼業に身を置いている以上、今日のような傷を負うこともあったはずだが、おそらく全般的に治りが良いのだろう。実に、健康な肉体だ。また、それ以上の深手に至るようなヘマはしていない、それだけの頭脳と判断力、危機を切り抜ける腕と胆力を備えているということでもある。
 ——マヌケには、違いない。だが、まだマシなマヌケだ。
 鈍桃色の唇の端が、にいっと吊り上げられた。闇夜に閃く、爪月のように。
 細い指先が、丸い眼鏡の縁を押し上げる。
 金のグラスコードが、しゃらりと揺れた。
 
……獅子神」
 低い声で、村雨は呼んだ。足元の男の肩が、びくりと揺れる。
「あなたの心意気は、理解した。まずは顔を上げろ」
 おそるおそる、獅子神は頭を持ち上げた。床についた手はまだそのままで、慎重に村雨の眼を見上げてくる。
 怯えながらも矜持を崩さない瞳が、美しいと村雨は思った。強い意志と、向上心。よく晴れた日の昼空の色、遥か遠くまでをのぞむ眼だ。
 ——手に入れたい。
 そう思った自分の心が、すとんと腑に落ちた。
「先ほどの言葉に、偽りはないか」
 静かに問いを放つ。
「あぁ」
 まっすぐに村雨の眼を見つめて、獅子神は答えた。
 村雨は、軽く頷く。
「わかった。だが、この金額を譲歩するのは、私にとっても相応の痛みを伴う。いくらあなたが本気で成し遂げるつもりでいても、いつ叶うとも知れない望みを、何の保証もなく待ち続けるわけにはいかない」
 わざともって回った言い方で、村雨は畳みかけた。これを聞いて獅子神が何と返してくるのか、その対応を見るつもりで。
 これで私の意図を汲めないようなら、そもそも生かしてやるだけの価値は無い。
 美しく素晴らしい体を、文字通りに無言で、私に差し出させるだけのことだ。
 しかし獅子神は、きらっと眼を光らせ、挑むように言葉を発した。
……担保か」
「そうだ」
 村雨は表情を動かさずに答える。が、内心ではほくそ笑んでいた。
 やはりこの男は、見込みがある。
 一方、獅子神はあからさまに暗い顔になった。
「お前がそう言うのは当然だと思うし、今あるだけの金はもちろん払うよ。でも、それでお前が求める担保になるとは思えねぇんだ。マジで金無いんだよ、オレ」
……あなた、それでよく私のところへ受診する気になったな」
 思わず素で呆れた声が出てしまい、村雨はため息をついた。
 獅子神は苦笑して、また村雨を見つめる。
「そうだよな。でも、他に知ってる医者なんていなかったし……それにお前なら、助けてくれるんじゃないかって思ったんだ」
……マヌケめ。私は界隈では死神と呼ばれる医者だぞ」
「知ってるよ。だけど、後悔はしてねぇ。オレは……部下を助けてくれたお前を、オレが見たお前を、信じてる」
 村雨は、大きく息を吐いた。
 何と危なっかしいのだろう、と思った。
 このような世界に身を置きながら、純粋で素直で。私を信じるなどと言ってのける。
 眩しすぎる。

 こんなもの。
 到底、このままにしておくわけにはいかない。早く、私のものにしてしまわなくてはならない。
 でないと——失われてしまう。

 この男は、私のものだ。

 それが、彼を生き延びさせることに繋がる。
 私が、正当な対価を得ることにも。

「では、再診は一週間後だ」
「え? あ?」
 戸惑う獅子神には構わず、村雨は言葉を続けた。
「時刻は二十一時。今日と同じように、裏口のインターホンを二回鳴らせ。できるな?」
「そりゃ……多分……
「多分、ではない。必ず来い。その時に、現時点であなたが私に支払い得る担保を提示する」
 獅子神の眼に、さっと緊張が走った。
 床から村雨を見上げる瞳が深い青を帯び、きゅっと瞳孔が窄まる。厚い胸筋の奥で心拍数が増し、じわりと発汗が促される様まで手に取るように察せられて、そんな獅子神を愉しく眺めながら、村雨は口元を緩めた。
「時間はたっぷり確保して来い。また、着衣が汚れる可能性があるので、着替えの準備をして来るように。あなたの体格に見合う衣服は、私は持ち合わせていないからな」
「それ、って……
 ひくりと喉を引き攣らせた獅子神に向けて、村雨は微笑んだ。
 今夜のうちで最も大きく、艶然と。
「来れば、わかる」
……!」
 息を呑む獅子神に、すっと視線を合わせるようにして。
 村雨は、自らも診察室の床に片膝をついてしゃがんだ。
 床についたままの獅子神の右腕を、そっと掴む。傷口に巻いた包帯を撫で、手を取って床から持ち上げた。
「それまでは、腕に余計な力を込めるな。私の縫った傷だ。大切にしろ。あなたのマヌケな行動で治癒が遅れるなど、許さんからな」
 深紅の双眸が、可笑しそうに細められる。
 吸い込まれるようなその輝きから、獅子神は目を離すことができなかった。