かなざわ
2025-10-13 20:29:04
3312文字
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恋は人を幸せにするか

謎時間軸の同棲よだつか。生誕イラストの裸足に脳を焼かれたので、司に裸足で踊ってもらいました。
曲については言及してないですが、書いてる時に聞いていたのは「JANE DO」です。曲の長さは2分じゃないですが。あれは恋の歌だよね…

「ねえ、さっきのこれ踊って」
 そう言いながら、純は手に持っていた端末で表示していた曲を再生させた。
 ゆったりとしたテンポのワルツは、先ほどまで司が見ていた動画の中で再生されていたものの一つだった。海外の競技ダンサーの一組が踊っていたプログラム。
「何、その顔」
 純の言葉を聞いた司が、何とも言えない苦い顔をしている。不満とまでは行かずとも、飲み込めないものを口に含まされているかのような。
 ペットボトルから水を飲んでいる最中だった司は、苦い顔のままごくんと喉を上下させた。
「踊れるでしょ」
 完成度はともかくとして、司が一度見たものを記憶し再現出来るのは事実だ。純からすれば特段無理を強いたつもりもなかった。
 しかし純の言葉を聞いた司は渋い顔を崩さないままだ。
……踊れますけど、なんで今言うのかなとは思ってます」
「見たくなったから言っただけ」
「その気持ちは俺が風呂に入る前に来てほしかったな……
 しょぼくれた声音を聞いて、司の表情の意味を理解した。折角風呂で汗を流してきたばかりなのに、という気持ちだったらしい。
 その気持ちは理解できなくもない。だが、純としては今目の前で踊る司を見たいという欲求の方が勝った。
 少し考えて、ワルツを流し続ける端末に目をやり、画面を司に見えるように向けた。
「二分くらいの曲だし、そんなに汗はかかないんじゃない」
「それはそうなんですけど、どちらかと言うと気持ちがリセットされる前が良かったなあというか」
「踊れるよね」
「リーダーでい」
「パートナーの方やって」
 リーダーの方でいいですか、と言いかけたのだろう司の言葉を皆まで言わせずに答える。アイスダンス経験者の司に馴染みがあるのは、当然リーダー側だろう。
 分かっていて、純は敢えて逆を要求した。司の目と身体能力ならパートナー側も難なくこなせるだろうというのが一つ。
 もう一つは、この曲をパートナー側で踊る司が、どう表現するかを見てみたかったからだ。
「踊ってくれたら、髪乾かしてあげるから」
 風呂から出たばかりだった司は、肩にタオルをかけたままだった。リビングに来る前にある程度タオルドライは終えてきたらしく、雫は滴っていなかったが未だしっとりと湿っている。
 純の言葉を聞いた司はきょとんと目を丸くし、すぐにふっと破顔した。
「一曲踊るくらいでそんな贅沢させちゃって、いいんですか?」
「君の演技には価値があるって、前も言ったよ」
「そんなにおねだりされたら、仕方ないなあ」
 ふふ、と喉の奥を揺らすように笑って、司の足がフローリングで跳ねた。トン、と軽い音を立てて純の目の前までやってきた司が、肩にかけていたタオルを差し出してくる。
 純がタオルを受け取ると、司はステップを確認するようにくるくると軽く回った。その足取りのまま、部屋の開けた場所に行く。
 ゆっくりと首を回し、腕を曲げ伸ばし、足を動かし、目を伏せる。深い呼吸を一度、二度。
 ふうっと息を吐きながら、司が右腕を伸ばした。軽く曲げた左腕は、見えないリーダーの腕に置かれているのだろう。
 伏せられていた瞼が持ち上がり、純と視線が合う。言葉も合図もなく、純は曲をかけた。
 ゆったりとした三拍子。拍に合わせて、滑るように回る。横、前、後ろ、横。司の裸足の指先が、フローリングの床でとん、とん、と小気味いい音を鳴らした。
 フィギュアスケートとは比べるべくもない、ゆっくりとしたスピードだ。けれど、司は緩く微笑んでいた。見えないパートナーの腕に縋り、ワルツのテンポに身を委ねて。
 曲の終盤。純が指先を震わせたのは、司がふっと目を伏せた時だった。
 司が目を閉じたのはほんの一瞬だ。瞬きをしたのだと言われれば、そうなのかと納得してしまいそうな刹那の時間。けれどそこには確かに、諦念にも達観にも似た色が浮かんでいた。
 曲の終わりに足を止めた司の顔には、夢でも見ているような笑みが浮かんでいた。僅かに顎を上げて、瞼を閉じる。夢に溺れていくかのように。
 伸ばされている司の右腕、その指がゆっくりと開かれる。握っていた相手の手を放したのだ。指先が躊躇いがちに揺れ、けれど結局伸ばされないまま、すとんと腕が下ろされる。
 司がスッと頭を下げるのを見て、純は音楽プレイヤーを停止させた。司が一仕事終えた、とばかりの表情で純の元へ歩み寄ってくる。
 純の前までやって来た司は、純が持ったままだったタオルを手の中からするりと抜き取った。
「表情がずいぶん違ってた」
「そうですね」
「元の方はひたすらに幸せって気持ちが前面に出されてたけど」
「俺のは、溺れているみたいだった?」
「幸せそうでもあったよ」
 見えないパートナーに導かれる司は、くるくるとターンしながら確かに幸せそうな笑みを浮かべてもいたのだ。それだけで終わらなかった、というだけで。
「俺はこの曲を愛ではなく恋の唄だと感じたので、その辺りが差になってるんだと思います」
「恋」
「どちらが重いとかじゃなくて、恋の方が逃げられないってイメージなんですよね。恋に落ちる、って言葉もあるくらいですし」
 曲の終わりに目を伏せた司を思い返す。最後に見せていた笑みは、幸福を感じているというより夢を愛おしんでいるような表情だった。
 夢だと分かっていて、終わると知っていて、それでも手を伸ばさずにいられないのだ、とでも言いたげに。
「踊っている君の手を握ってたのは、誰だったの」
「え」
「具体的なイメージがあるように見えた」
「う、えーと」
 気まずげに目を泳がせる司は、その仕草が何より純の言葉を肯定しているのだと気付いているのか否か。
 怒っているわけでも不機嫌なわけでも嫉妬しているわけでもないが、司が誰を思い浮かべてあの表情を浮かべていたのかは追求しておきたかった。
 放っておくと逃げ出してしまいそうな司の手に、するりと指を絡める。司の指はぴくりと震えたが、そのままゆっくりと握り返された。
「相手のイメージというか、俺の心境の方を寄せたと言いますか」
「うん。で、誰」
「ぅう……貴方を画面越しに初めて見た時の俺を思い出して、ました」
 いたたまれない、と言いたげな表情で吐露された言葉。
 相手が誰だったのか、という問いに対しての答えからは少しばかりズレている、それを。しかし純は正確に汲み取っていた。
「相手は僕だったってこと」
「濁したのに皆まで言われた!」
「ふうん。幼気な司少年を誑かしたわけだ、現役時代の僕が」
「た……っ」
 司が目を見開き、口を開閉させている。信じられない何言ってるんだこの人、とでも思っているのだろう。
 司が競技スケートの世界に足を踏み入れるきっかけになったのが純だという話は知っていた。氷上の世界に飛び込み、競技者としては目立った結果を残せず、コーチとして今尚スケートに関わり続ける司は、自身の辿った道を後悔はしていないのだと言う。
 司が恋という言葉のイメージを表現する先に在ったのは、現役時代の夜鷹純か。それとも氷上の世界そのものか。
 純は端末を握っていた指から力を抜いた。手放された端末は、当然重力に従い床に落ちる。
 足元からごとん、と鈍い音が響き、驚いたらしい司が目を丸くした。
「純さん、ちょっと」
「ねえ、司。君の恋は、君を幸せにした?」
 問いかけながら、空いた手を司の頬に当てた。輪郭をなぞるように指を動かすと、くすぐったいのか司の肩が僅かに揺れた。
 頬に触れている純の手に、司が手のひらを重ねてくる。
 風呂上がりにワルツを踊らされ、ただでさえ体温の高い司の頬はまだ紅潮したままだ。伝わってくる熱は、純の手を溶かしてしまいそうなほど熱かった。
「もちろん」
 頷いた司は、にこりと笑った。
 それはワルツを踊っていた時に見せていた、夢見るような表情ではなかった。
 まっすぐに純を見つめて、眩しいものを前にした時のように目を眇めて。視線の先に、幸福があるのだと言いたげに。
「俺の世界を、変えてしまうぐらいに」