千代里
2025-10-13 10:22:37
11321文字
Public リーブラエピローグ
 

リーブラの針は問う・エピローグ・その2


……ふう。前に上ったときも思ったけれど、随分と長い坂道だな」
 そう言いながらも、石造りの回廊を上る青年――ノエは息一つ乱していない。
 彼が一歩一歩踏みしめているこの場所――そこは、とある建物の外周をぐるりと取り囲むような外壁沿いの回廊であった。螺旋状に上へ上へと続くその先には、絶景が待ち受けていると、この街では密かな噂となっている。
(そう。この街では、そんな噂が自然に広まるぐらい、人々が当たり前の生活を営めるようになったんだ)
 回廊の途中で足を止め、落下防止を兼ねた回廊の塀に身を預け、眼下に広がる街を眺める。
 すでに時刻は夕暮れどきを迎えている。今日のイシュガルドはあいにくの曇り空だが、ぽつぽつと灯る街灯は柔らかな光を雪道投げかけている。小さく動いて見える影は、行き交う町人のものだろう。
「蒼天街が、こんな姿になるなんて想像もしなかったな」
 ルーシャンたちに誘われて、皇都に戻り、蒼天街へと続く回廊を抜けた直後。
 ノエたちは絶句した。
 あの日、ノエたちの眼前に広がっていたのは廃墟の山だった。もしここが数ヶ月前まで街だったと言われなければ、遺跡に連れてこられたと勘違いしていたかもしれない。
 竜の炎は石造りの建物すら黒く焦げ付かせ、懸命に積み上げられた壮麗な建物は軒並み瓦礫へと姿を変えていた。だが、そこにいたのは、瓦礫に身を預けて項垂れている元住民だけではなかった。
「おい、そこのやつ! 事業に参加しに来たのか? 新人ならまずは受付に行って登録をしてきてくれ。仕事ならいくらでもあるから、焦るなよ!」
 入り口でぼうっとしていた四人を見かけて、早速職人の一人が一同を受付へと案内してくれた。
 それからは、来る日も来る日も復興のために体を動かす日々が続いた。延々と広がる瓦礫の街を前にしても、誰ひとり「もう無理だ」とは言わなかった。
「実際、不思議と大変だとは思わなかったんだ」
 誰が聞いているわけでなくとも、ノエは呟く。
 積み重なった瓦礫を片付ける日々は、剣を振るう筋肉とは異なる部分を酷使し、身体中の筋肉に悲鳴をあげさせた。
 しかし、次第にそれにも慣れ、気づけば以前より重い装備を軽々と扱えるようになっていた。
 力自慢のサルヒと共に、ノエたちは瓦礫の撤去と建材の運搬を主に担当していた。
 一方で、オデットやルーシャンのように魔法を得意としているものは、怪我人の治療や、材料の加工を受け持っていた。
 その途中で、時には皇都に運ばれる物資の護衛を務め、戦いの勘を取り戻すのも忘れていなかった。
「瓦礫が全部撤去されたときは、いよいよこれからだ、と思えた。家が一つ出来上がって、子供たちがそこで暮らすって聞いて、僕たちも嬉しかった」
 やがて、子供や老人、病人のように一部の人間だけでなく、家を失った人々が当たり前のように蒼天街の暮らしへと返っていった。
 日常を当然のものとして受け入れ、過ごせるようになること。それこそが蒼天街復興の最大の目標だったのだから、ノエたちを含めた冒険者たちは見事目標を達成できたと言えよう。
「とはいえ、これからは冒険者居住区の準備を手伝うって話だものな。今度は僕たちの家を、僕たちで用意するんだ」
 うんと大きく伸びをして、ノエは口角に笑みを浮かべる。今日、この外壁沿いの道を登っているのも、これまで積み上げた成果を確認し、新たにできる冒険者居住区に思いを馳せるためであった。
――僕は、イシュガルドの冒険者になろう)
 誰に宣言したわけではないものの、ノエはいつしか自然とそう思うようになっていた。
 己の為したことが一つの形となり、その正しさを問い続ける旅に終わりはない。
 ならばせめて、自分が最も大きな選択をした地にとどまり、その行く末を見届けたいと思うようになっていた。
 その傍に、薄紅の髪の少女がいることに、かつてのように申し訳なさは覚えない。ただ、ありがたいことだと受け止めるだけだ。
 彼女だけではない。
 肩を叩くルーシャンに、何度も励まされてきた。
 共に頑張ろうと言葉少なに応援してくれるサルヒに励ましてもらった。
 遠方からだが応援していると、ヤルマルの手紙に元気をもらった。
 無理はするなと小言がならべられたオランローの手紙に、自分の足元を確かめるきっかけを得た。
「僕は、本当に良い仲間に恵まれている」
 噛み締めるようにそう呟き、最後の坂道を上った、その先。
 蒼天街で最も高い場所から見下ろせる蒼天街は、まるで光の粒を撒き散らしたもう一つの夜空のようだ。
 だが、声を失うような絶景を見つめていたのはノエだけではない。
「あなたは……
 ノエの視線の先には、先客としてここにいた人物が佇んでいた。
 ノエより二回りは小柄な少女だった。淡い紅茶色の髪が白いフードからこぼれ落ち、冷えた風がその柔らかな色を撫でていく。白いローブのせいで、ともすれば蒼天街に舞い降りた雪の妖精と見紛うように、彼女はごく自然な形でそこにいた。
 しかし、ノエは彼女が生きた人間であると知っている。
 いや、それどころか。
……もしかして、エリンさんですか」
 ノエの声に、少女のローブから飛び出ていた髪と同色の尻尾がぴょんと跳ね上がる。フードが風に煽られて滑り落ち、背中を流れ落ちる髪の毛が露わになった。
……あなたは? えっと、どうして私の名前を知っているのでしょう
「覚えていないでしょうか。僕は、以前、黒衣森であなたに会った冒険者です。アンテロープの密猟に巻き込まれて、罠の毒で寝込んだ冒険者ですよ」
 自らの失敗を語るのが恥ずかしく、思わず苦笑いがこぼれ落ちる。その顔と語られた話に覚えがあったのか、エリンと呼ばれた少女の色違いの瞳が大きく見開かれた。
「えっと……ノエさん、ですよね」
「はい。覚えてくれていたんですね。ありがとうございます」
「いえ、すぐに思い出せなくてすみません。ちょっと、あの後、いろいろあったので」
「そうですね。イシュガルドにいても、あなたの名声はよく聞こえました。遠く東にあるアラミゴやドマを帝国の支配から解放したとか」
 エリンという少女には、その小さな両肩に似合わない大きな肩書きがある。
『光の戦士』。かの英雄の活躍は、ノエの言うように、国境を超えて届いていた。
「それに、あなたの活躍はそれだけではない」
 何よりも真っ先に、彼女に会ったら言わねばならないことがあると、ノエはあの日から決めていた。邪竜ニーズヘッグが光の戦士に討たれた、と聞いたあの日から。
 少女へと、青年は深々と頭を下げる。
「イシュガルドを……この国を、一千年の戦いから解放してくれて、ありがとうございました」
 英雄にとっては、すでに聞き飽きた台詞であろう。
 しかし、イシュガルドで生まれた者として言わねばなるまい。たとえ、それが英雄が何百何千と聞いたお礼であろうと。
 ゆっくりと頭を上げる。エリンの顔には、呆れがあるだろうか。それともいつもの謙虚な笑みがあるのだろうか。
「エリンさん……?」
 思わず問いかけ直すような声が出たのは、予想とは違う表情が彼女の顔に張り付いていたからだ。
 彼女の視線は石畳に落ちてしまっていた。まるで何かを悼むかのような苦しげな姿は、ノエにはありし日の己自身を彷彿させた。
……すみません。あなたにとっても、あの戦いはきっと楽なものではなかったことでしょう。嫌なことを思い出させてしまったでしょうか」
「あ……いいえ。違うんです。もちろん、悲しいお別れも、苦しい誤解もいっぱいありました。でも、イシュガルドの人が前に向かって歩いていけるきっかけになったなら、私のしたことにも、意味はあったと……思うから」
 だが、言葉とは裏腹に、エリンの声はどんどん小さくなっていく。そして、最後には黙り込んでしまった。
 何度も唇を開き、しかし音にならない声を積もらせていく姿は、彼女自身が今も何かに苦しんでいるかのようだ。
……ノエさん。一つ聞いてもいいでしょうか」
 静寂を挟み、英雄が漸く口にしたのは――問い。
「はい。なんでしょう」
「以前とは逆の質問になってしまうかもしれませんが……あなたにとって、正しいものが何か、答えは見つかりましたか」
 それは、かつてノエがエリンに投げかけた問いだった。
 エオルゼア地方を支配していたガレマール帝国を撃退したエリンに出会い、当時迷いの只中にいたノエは尋ねた。
 あなたは、どうやって自分の正しさを見つけられたのかと。
 そして、エリンは答えた。
 自分が正しくなくとも、護りたい人が笑顔ならそれでいい、と。
「僕にとって、正しいと思えること――
 小さく頷くエリン。は、と漏れ出た白い息が、暗くなって灯り始めた灯りの下、緩くたなびいて消えていく。
「あなたに出会った頃、この世界には絶対的に正しいと信じて行動できる何かがあるはずだと、僕は信じていました」
 それに味方するものこそが、正義の味方として正しく在るものだと理想を抱いていた。
「でも、僕が理想として掲げていたものは、結局自己満足ではないかと疑いを持つようになってもいました。世界の正しさがわからなくなり、だから僕は、あなたに正しさの在処を問いました」
 そして、英雄は答えた。誰かの笑顔のためならば、正しさの是非は問わないと。
「今の僕は、正しさとは、必ずしも一つの形はしていないと考えています」
「それは、正しさはすぐ変わってしまうということ?」
「あるいは、そう言えるかもしれません。だからこそ、僕は問い続けたい。僕が歩んだ道が、僕自身にとって正しいと胸を張って言い切れるものなのかどうか。その問いを続けることこそが」
 一拍置いて、言う。
 
――僕の、正しさです」
 
 オデットと出会い、ヤルマルに導かれ、オランローと走り、ルーシャンに背を押され、サルヒに忠告された。
 それらの鮮やかな日々の末に導き出した、唯一無二の答え。
 かつてと異なり、揺らぎ続けるものこそを己の道標として、ノエは救国の英雄に捧げる。
 沈黙が続く。すっかり辺りが暗くなった頃、ゆっくりとエリンは唇を開いた。
……私は、わからなくなったんです」
 ローブの前で手を組み、手袋に包まれた白い指を組み合わせて、祈るように。
「私は、私と大事な人のために世界を……皆を救ってきた。もちろん、誰かに嫌われることもしたと思います。皆を笑顔にしたいって言ったのに、結局笑えなかった人だっていっぱいいたはず」
…………
 英雄といえども、取りこぼすものは存在する。
 彼女は神ではない。物語のように、何もかもを救い出して解決するには、現実はあまりに過酷だ。
 そんな当たり前の事実を、改めて突きつけられたような気がした。
「少し前に、私はある人と……敵と、戦いました」
 慎重に言葉を選んでいるのが分かる、辿々しい物言いだった。
「私と同じように、温かな日々を取り戻したい、皆を笑顔にしたいって気持ちを持っている人でした。その人の願いはとても真っ直ぐで、でも私の願いとは相反していて、お互いに譲り合うこともはできなくて……結局私は、その人を……否定しました」
「だから、僕に尋ねたのですね。あなたも、分からなくなってしまったから」
 無言で、エリンは頷く。
 大事な人の笑顔を守れるなら、それでいい。
 自分と鏡合わせのように同じ願いを持つものを否定するのは、まるで自分自身の否定であるようにも思えたのだろう。
「あなたが、いったいどれほどの重荷を背負っているのかは、残念ながら僕にはわかりません」
 しかし、ノエは真っ先にこう告げた。
 ノエは、エリンを知らない。彼女が歩んできた旅路を知らない。ならば、生半可な答えは、エリンを迷わせてしまうだけだ。
 とはいえ、突き放すだけのつもりもなかった。
「ですが、あなたと共に肩を並べた人なら、あなたの重荷の意味を汲み取ってくれるのではありませんか。あなたの迷いを、受け止めて、共に悩んでくれるのではありませんか」
 かつて、ノエが迷ったとき、仲間がそうしてくれたように。
 英雄も、決して孤独ではないのだと信じたかった。
 果たして、エリンにも思い当たる人がいたのだろう。はっとした表情に、ノエは淡い笑みを浮かべ、頷いてみせる。
「今、あなたの心に浮かんだ人に、あなたの気持ちを打ち明けてみてはどうでしょうか」
 どこか落ち着きなく組み交わされていたエリンの指が、今度はしっかりと祈りの形をとっていた。
……そうですね。私、そうしてみます」
 ありがとう、と頭を下げるエリン。悩みの影はあれど、吹っ切れた様子の少女は、ノエの横を通り過ぎ、下り坂に続く道で足を止めた。
「ノエさんも、お元気で。どうか、クリスタルの導きがあらんことを」
「こちらこそ。ハルオーネ神の加護が、あなたにありますように」
 短く手を振る。それだけで、冒険者同士の別れとしては十分だ。遠くなっていく白い背中を見送ってから、ノエは眼下の絶景を眺め、ほうと息を漏らす。
……エリンさん。僕は、これからも歩き続けます。僕の正しさを問うために」
 もし足を止め、思考を停止させ、楽な方向へと身を任せれば最後、オデットを託した青年が、氷獄からノエの足を掴みに這い上がってくることだろう。
 すっかりと日が暮れ、人通りがまばらになった頃。
 青年の姿は、回廊から消えていた。
 
 ***
 
 赤赤と燃える暖炉の火。石造りのそれは装飾も少なく無骨な見た目をしていたが、炎をうちに留め、室内を温かな熱で包んでくれる。
 木製の家具はイシュガルドではよくみられる針葉樹林の木々を使ったものであり、若木であろうとその木目は深いブラウンの発色を見せる。そのため、部屋全体の色味は重くなりがちだが、そこに住人である少女――オデットは、バサリと絨毯を広げた。
「ヤルマルさんに新居祝いでもらったこれ、やっぱりこの部屋によく似合いますね」
 床の色味も家具同様重たいブラウン一色であったが、そこに仲間から届けられた極彩色の布を添えると、あっという間に華やいだ空気に染まる。赤を基調とした、見るも鮮やかな織物は、ヤルマルお気に入りの近東の輸入品を扱う行商から買ってきたものだそうだ。
「あとは、これをテーブルにかけて……
 同じく近東からの異国情緒溢れる織物を、ダイニングテーブルにかける。机の上に置いていた照明を重し代わりに置き直すと、
「うん。これでばっちりです」
 腰に手を当て、オデットは己の仕事の成果を褒め称えた。
 落ち着いた色味の調度品の数々。冒険のために使う荷物をしまう棚。机と椅子は、蒼天街復興を続けているうちに仲良くなった職人からの新居祝いだ。
 ――そう、この家は今日から、オデットと、彼女が最も大事に思う青年が暮らす住まいになる。
「ここが、わたしの家……
 もう幾度も口にしたはずの言葉を、再び音にする。
 わたしの家、わたしたちの家とこれまでも会話の中で何度も言葉にしたのに、改めて整った住まいを見ると、心の奥に大きな喜びの塊が膨れ上がる。
 思えば、ノエと出会ってからは、オデットは家と呼べるものに縁がなかった。幼い頃を振り返っても、オデットは仮の住まいに身を置いてばかりいた。
 だからこそ、こうして小さいながらも自分の家を持つことができたのは、オデットにとっても感慨深いものがあった。
「それもこれも、イシュガルドの偉い人たちが、蒼天街の復興に貢献したお礼として、優先的に冒険者居住区の土地を手に入れる権利を贈ってくれたからですね」
 閉鎖的だったイシュガルドは、今、急速に旧来の形から新たな形を得ようと模索を続けている。蒼天街の復興は、冒険者や流れの職人を招いた。居住区の土地という贈り物は、やってきてくれた彼らをこの地に留めるための政策でもあるのだろう。
 もっとも、小難しい理屈はオデットにとっては些細なことだ。大事なのは、自分は今我が家に立っているということなのだから。
「まずは、この家で何をしましょう。お料理でしょうか。それともお客様を招待するとか?」
 新たな物語の一ページ目を開いたような、わくわくした気持ちを隠しきれず、あれこれと考えていたときだった。
 コンコン、とノックの音が響く。
「はい。兄さん、戻ってきたのですか?」
 入り口の扉を開くと、そこにいたのは同居者のノエではなかった。
 オデットが目にしたのは、紺色の髪をしたアウラ族の女性――サルヒだった。
「サルヒさんだったのですね! どうぞ、中に入ってください。ちょうど、敷物を敷き終えたところなんですよ」
 こんな出迎えの言葉一つすら、オデットの胸を弾ませる。家の主人として相応しい振る舞いをしなくては、と妙に気合いが入るのも今ばかりはやむを得ない。
「こんにちは、オデット。これ、私が作った新居祝い」
 サルヒがオデットへと差し出したのは、どっしりとした大きなケーキの包みだった。
 イシュガルドは気温が低いため、地下室に置いておけば早々悼むこともない。保存食の干した果実をぎゅうぎゅうに詰め込んだケーキは、オデットもお気に入りのお菓子だ。
「こんなに大きいのを、ありがとうございます! 二人で食べ切れるでしょうか……?」
「食べきれないときは、私たちを呼んで。何せ、今日から私と旦那様は」
「ご近所さんだからな。よっ、お嬢ちゃん。新居の準備はできたみたいだな。大変だったろ?」
「ルーシャンさん、こんにちは。家具は兄さんと職人さんたちが入れてくれたので、わたしは細々としたものを買い揃えただけですよ」
 サルヒの後ろから顔を出したのは、こちらも見知った顔のルーシャンだ。蒼天街の復興の際は、素材の加工を主に手伝っていた彼は、その功績を認められ、同様に冒険者居住区に住処を得ていた。
 そして、その家の位置は、
「お二人が近くに住んでるなんて、すごく心強いです」
「うん。私も嬉しい。ノエがまた妙なことを言い出したら、いつでも報告して。お説教しに行くから」
「兄さんは妙なことなんて……まあ、たまに無茶はしますけれど」
 サルヒの言う通り、オデットたちの家とルーシャンとサルヒの家は同じ区画内に存在する。のんびり歩いても、十分もあればたどり着ける距離だ。
 隣同士では近すぎるだろうし、かと言って遊びに行くのに居住区内を端から端まで移動するのは面倒だから、とちょうどいい位置に空いていた土地を借りることにしたのである。
「それで、今日はそのノエはどこに?」
「近所の方に挨拶に行っています。これらお世話になるからって」
「あいつらしいっていうか、律儀だねえ。実は、とっておきの新居祝いを持ってきたっていうのに」
「とっておき? それは一体――
「あのさあ、いつまで玄関口で喋っているんだい! 君は、ボクたちを氷漬けにするつもりなのかい!? ルーシャン!」
 その賑やかな声に、オデットは目を丸くする。
 かつては当たり前のように聞いていた声。しかし、久しく聞くことのなかったこの声は、もしかして。
 思わずルーシャンを見つめると、ルーシャンは苦笑いと共に、一歩横へと体をずらす。代わりに、入り口の横から顔を見せたのは、
「ヤルマルさん! それに、オランローさんも!」
「少しは静かにしていろ、ヤルマル。近所迷惑だ。オデット、久しぶりだな。ここは寒いが、風邪をひいていないか」
 久方ぶりの再会に、オデットは目を輝かせる。
 新居祝いにとオランローから差し出されたのは、グリダニアの魚を作って作られた干物だった。
 ヤルマルからは、同様に山ほどの保存食と、グリダニアの商店で売られていたお菓子が贈られた。懐かしい味を思い出したのと、旧友との再会に、オデットの頬は先ほどから緩みっぱなしだ。
 ヤルマルは、いつぞやのようにカラフルな靴下を耳にかぶせ、褐色の鼻を少し赤くしながら、ひらひらと手を振る。
「元気そうで何よりだよ、オデット! 少し背が伸びたんじゃないかい?」
「はい、実はそうなんです。わたし、前より一イルムは伸びたと思うんです」
 実際は、そこまで大きくなっていない気がするが、あえて一同は黙っていた。
 ヤルマルは「いつかはボクぐらいになるかねえ」などと言いつつ、オデットの丸い頭を撫でている。
「ノエたちの新居祝いに、遠方からの仲間を招待してびっくりさせるって作戦だったのに。どうして、おじさんが仕込んでいた驚きを自分でバラしにいくかねえ」
「君は回りくどいんだよ、ルーシャン。前だって、それで失敗しただろうに」
 遠回しに数ヶ月前の事件の古傷を抉られ、ルーシャンは苦笑する。
 しかし、当時の事件を笑いのタネにできるぐらいには、一同の関係は変わりなく続いているという表れでもあった。
「ノエはまだ帰ってきていないんだろう。驚きの種明かしは、その時を待とうじゃないか」
「ヤルマルさん、どうぞ中に入ってください。部屋の中は暖かいですよ」
「ありがと、オデット。じゃあ、お邪魔しまーす」
 震え上がっているヤルマルが気の毒になり、オデットは大きく入り口の扉を開く。
 勢いよく中に飛び込むヤルマル。その後を、オデットへと頭を下げてから続くオランロー。ルーシャンの苦笑が後を追い、サルヒの微笑が彼の背を追う。
 暖炉前の小さな食卓に、四人が重い思いの箇所に座る。その様子を目にして、オデットは新居の喜びとは異なる温もりが体の内側に膨れ上がっていくのを感じていた。
(何十年も離れていたわけでもないのに、まるでずっとこの景色をわたしは探していた気がします)
 だが、今この瞬間も束の間の邂逅でしかないと、オデットも分かっていた。
 ヤルマルやオランローには帰るべき家がある。ルーシャンたちも四六時中オデットと行動を共にしているわけではない。
 しかし、いつかの別離を想って暗い気持ちになるほどオデットも愚かではない。足取りを弾ませ、席に着こうとしたオデットだったが、その尖った小さな耳が、石畳を打つ靴の音を拾い上げる。
 そして、その音を拾ったのはオデットだけではなかったようだ。
「さて、と。じゃあ、皆で我らがリーダーを出迎えようじゃないか」
 にんまりと笑うヤルマルに、四人は一も二もなく頷いた。
 
 イシュガルドに新たにできた冒険者居住区――エンピレアムの道を、一人のエレゼン族の若者が行く。
 朽葉色の癖の多い髪の毛を毛糸の帽子の中に押し込み、分厚いコートに身を包んではいるが、その立ち居振る舞いに隙はない。見るものが見れば、彼が戦う者としての身のこなしをしているとすぐに察しただろう。
 だが、その青銀の双眸には冒険者に見られる狡猾さを思わせる鋭さや、強かな光はない。あるのは柔和で人を安心させる眼差しと、それでいて何かを定めた者だけが持てる真っ直ぐな輝きだけだった。
 迷いのない足取りで歩いていた青年は、とある家の前で足を止める。
「今日から、ここが僕の家になるんだな」
 かつて、青年には家があった。そこには母がいて、たまに帰ってくる父がいた。
 外で遊んでから家へと帰れば、優しく出迎えてくれる両親の腕の中になんの憂いもなく飛び込んでいた。
 だが、その温もりはすでに失われてしまった。家を追い出された日から、彼にとって、自分の家という存在は久しく縁のないものだった。
 冒険者として身を立てるようになっても、彼の帰る場所はいつも仮の住まいだった。それを寂しいと思っていたわけではないが、
……やっぱり、少し特別な気持ちになるね」
 胸の奥にじわ、と広がる温もりが、なんだかとても心地よい。
 扉に手をかけ、中にいるであろう少女の姿を思うだけで、無意識に口元が緩む。
 ゆっくりと扉を開き、本来の意味ではなかなか口にできていなかった言葉を音にしようとして、
「やあ、ノエ! 久しぶりだね」
「邪魔しているぞ、ノエ」
「新居祝いの準備をしているの。ノエも手伝って」
「近所に挨拶だなんて相変わらず律儀だねえ、若人は。ほら、中に入った入った!」
「ヤルマルさん、それにオランローも!? ルーシャンさんにサルヒさんまで、来ていたんですか!?」
 そこにいるとは思っていなかった仲間たちからの、洪水のような言葉の数々。わっと飛び込んでくる賑やかな声の数々は、嬉しい驚きをノエへともたらす。
 ルーシャンに背中を押され、暖かな部屋の中へと足を踏み入れたノエに、小さな影が駆け寄り、飛びつく。
――おかえりなさい、兄さん」
 その言葉は、何度も聞いてきたはずなのに、どうしてだろうか。今この瞬間にしかない、特別な暖かさを帯びているような気がした。
 仲間たちの声のざわめき。部屋を包む暖炉の温もり。そして、胸の中に飛び込んできた一番大事な存在の重み。
 それらがここに揃っていることに、言葉にならない感慨を抱きながら、先ほど口にしそこなかった言葉を、今度こそノエは言う。
 
「ただいま、オデット」
 
 ***
 
 かくして、青年は己の羽を休める家を得て、暫しの休息を得る。
 だが、彼らは再び旅立つだろう。
 その未来に何が待っていたと臆することなく、足を踏み出す。
 それこそが、冒険者であり。
 それこそが――ノエの選んだ道なのだから。
 
 
 
 つづく
 
 





 ***あとがき***
 
 リーブラの針は問うの本編・エピローグはこれにて完結です。
 大変長い話ではありましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。
 思えば、ちょっとした思いつきやネタのメモから始まった物語でしたが、随分と壮大な展開になったと今振り返っても圧倒されるばかりです。
 元はといえば、ノエの伯父のフィリベールさんがきっかけの一つでした。
 サブキャラにするには勿体無いぐらい、彼について細かく設定を練り、異端者として追放された彼の甥という存在を作り上げたとき、ここまで物語を広げてくれるとは想像もしませんでした。
 
 私は登場人物の来歴、好きなこと、嫌いなこと、考え方などをある程度決めてから書き始める人間なのですが、書き始めた当初はまだまだ彼らについて深く知れていない感覚がありました。
 今思うと、序盤の校正前の彼らは若干硬い表現が多かったかもしれません。ですが、気がつけば彼らは彼らで作者が指示を出さずとも、勝手に己の気持ちを表現するようになり、作者はただ彼らの前に展開を用意していけば、自然と話が進むようになっていきました。
 その分、イシュガルドに入ってからは、彼らの葛藤や迷いが如実に現れるようになり、その分話も長くなってしまい、読んでくださった方には本当に頭が下がる思いです。
 
 登場人物たちがここまでがっつりと互いに絡み合い、信頼し合い、時に裏切ったり裏切られたりしながら絆を深め、気づけば当然のように肩を並べている関係になるのは、私にとってはとても不思議な感覚です。ですが、同時に、これが彼らの形として丁度いいのだろうと思うものでもあります。
 このメンバーが再び冒険に行くことがあるのか。それとも、自分たちなりの旅路をそれぞれで歩んでいくのか。そのさきは作者である私にもわかりません。
 ですが、また彼らに会うことがあればいいな、とは思います。それまで暫しの別れはとても寂しいですが、今はここでこのお話を終わろうと思います。
 
 改めて、ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
 そしてまた、いつか、どこかの旅路で出会えますように。
 彼らに、そしてあなたにも、クリスタルの導きがあらんことを。