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那須野
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寿月
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夕暮れだけが知っている
【寿月】CP未満*フランス戦後、浜辺にて。寿+月。
濃い夕焼け色に染まった夏雲が、オーストラリアの宵口の空に浮いている。ぬるい潮風が頬と髪をなぶるのを感じながら、毛利とふたり、敷地内のランニングコースを走っていた。
夕食にもまだ少々早い時刻ということもあり、散策や、同じようにランニングへ来ている見知った顔ぶれと時折すれ違う。
互いに挨拶を交わす程度の間柄であれば軽くやりとりを、それほどまででなければ適した距離で通り過ぎ、海岸線沿いに作られた遊歩道へ向かう。
「少し走りに行くか」と毛利に声をかけたのは、日中に行われた準々決勝
――
フランス戦の余韻を男がいささか持て余している様子だったこともあるが、自身の思考の整理のためでもあった。
立海大附属の後輩でもある柳とのペアでダブルス1の試合に臨んだ毛利のプレーを、なるべく仔細に思い返しながら黙々と足を動かす。
自身が予選リーグで大石と組んだときのように、パートナーが変われば当然プレーも変わる。今後のためにも、必要な部分は吸収しておくべきだ。
毛利の睡眠テニスという手札を温存こそできなかったものの、世界ランク三位、格上のフランス代表を相手取って白星を挙げられたことは大きい。
パートナーを務めた柳も、睡眠状態の毛利の姿は初見のはずながらデータを活かした正確なプレーを終始徹底しており、(その後シングルス2に出場した真田も含め)立海大附属の面目躍如と評して差し支えない内容だった。
データからの予測、コントロールが可能ということは、一見無意識の反射のように見える動作の中にも一定の規則性や最適化の道筋が存在するということだ。
これまではそれらへの対応を経験で補ってきた部分があるが、集積された情報として傾向やウィークポイントが可視化されることにより、今後はさらに別の角度からのアプローチもできるようになる。特に今回のエドガー・ジョルジュペアのようなトリッキーなスタイルを得意とする相手との試合であれば、得られるものは殊更貴重だろう。
今までの試合で培ってきた認識と、観戦者として相棒のプレーを追った記憶を重ね合わせる。
宿舎に戻ったあと、時間の都合がつけば柳に声を掛けていくらか意見を交わしたいところだ。むろん毛利とともに。
(
…………
、)
黙り込んだまま同じペースで隣を走り続ける男へ、ちらと視線を向ける。かねてからの懸案事項だった後輩とのわだかまりも、今日の試合のなかで無事に解消したようで、その件に関してただ見守るほかない立場の自身としてもひとつ安心した。
諦めることなくチームメイトへ歩み寄ろうとする姿勢も、大舞台でも気負わずテニスを楽しむ胆力も、チームを支えるために必要なものだ。
来年以降、この男は間違いなくU-17日本代表の中軸を担っていく。遠慮なく切磋琢磨し支え合うことのできるチームメイトは、多いほうが良い。
「
月光
つき
さん?」
「いや、」
行き着いた遊歩道の先、浜辺へ降りていく階段の最下段で、足を止めた毛利がこちらを見上げる。緩く首を振って波際に目をやれば、毛利は軽い足取りでひょいと砂浜へと降り立った。昨日よりも少し堂々として見える後ろ姿に続いて、自身もビーチへ足を下ろした。
履き慣れたシューズの裏で、さくりさくりと砂を踏みしめながら進む。空気に溶ける潮の香りと波音が、徐々に密度を増していく。ランニングを終えた体の心音と呼吸の間隔がゆるやかさを取り戻しきったころ、毛利が波打ち際でふいに立ち止まった。
「あの、
月光
つき
さん」
「なんだ」
「靴脱いで歩いてもええ?」
「
――
……
、」
まばたきをひとつ。
なにやら神妙な顔をしているかと思えばこれである。
スポーツタオルは持ち出してきているから、濡れた足を持て余すことはない。「さして問題ない」と答えれば、やった、と子どものような歓声が耳朶を打つ。
早々にシューズとソックスを脱ぎ、素足になった男が、その様子を黙って見ていた自身を見上げて首を傾げた。
「
月光
つき
さんは脱がへんのですか?」
「
……………………
」
男のまるいひとみと視線が噛み合う。かちり。
数秒のインターバルののち、聞かせるための溜息をひとつ吐いて背を屈めると、いたく嬉しげなちいさな笑い声が潮風に乗って届く。
ほんのりとあたたかい砂浜の感触を素足の裏で確かめてから、揃ってさざ波のなかに踏み込んだ。
「はー
……
気持ちええですねえ」
「
……
そうだな」
寄せては引いていく波が、足首のあたりを擽るように行き来する。日本とは真逆の季節のただ中にあるオーストラリアの海は、心地よい温度でそこにあった。
そのままゆったりと歩き出しながら、毛利が呟く。
「波の音聞いちょると、地元思い出してなんや安心しますわ」
「そうか」
「ランニングのときとか、海沿い走んのめっさ気持ちええですよ。今度、ええ感じの季節んなったら一緒にどうでっか?」
「
……
、ああ」
「へへ、約束やよ」
安心する、というのは事実のようで、男をランニングへ連れ出したときより随分とリラックスした様子が見て取れる。
戯れるように足先をすいと水面に遊ばせて、男が体ごと自身へ向き直った。そのまま後ろ向きに進みながら、ぽつりぽつりと言葉が続く。「つきさん」
「後輩らのこと、あんがとございました」
「特に、何もしていない。お前が出した結果だ」
「しゃあないて諦めんと済んだんは、
月光
つき
さんのおかげやもん。
……
俺がお礼言いたいだけやから、もらったってください」
「
…………
わかった」
そう言われてしまえば、こちらとしても頷くほかにない。首肯を返すと、毛利がほっとしたように笑む。
茜色の雲の向こうから強い西日が差して、浜辺一帯を照らしていた。夕陽を跳ね返す水面、一歩先へ進んだまっすぐな横顔の輪郭が、目瞬きをしたまぶたの裏に焼き付いて残る。波音に紛れ、もう一度男が自身を呼んだ。
月光
つき
さん。
いつになく繰り返される呼び声は、やはりいつになく真摯な色を帯びている。自ずとまっすぐに視線を返した。男からも同じように目線が返ってくることが、何故だかいたく喜ばしい。
「今日、試合中にえらそーに後輩にタンカきってもうたんで、改めてなんやけど」
「
――
……
、」
「俺、絶対テッペン獲りたいです。
月光
つき
さんと」
「ああ」
頷く。
後輩の手を引く、背を押す言葉を、確かに聞いた。
ネットの向こうで膝をつき、敗北にただ呆然としていた男はもういない。
ここにいるのは、自身のテニスを託すに足る相棒だ。目を細める。
「獲るぞ」
「はい!」
改めて交わした約束を、夕暮れだけが聞いていた。