シノハラ
2025-10-11 18:34:37
2928文字
Public アルカヴェ♀
 

書記官、結婚するんだって

近々結婚予定のモブ視点のアルカヴェ♀ ゼクシィ的な物がない世界だと結構大変そうだなって話

 これが最後の恋だと思った相手と晴れて結婚する。
 と、言うと酷く劇的な響きになるのだけれど、つまるところ結婚適齢期が近い頃合いになって付き合い始めた相手だったのだ。

 一方で、この結婚が妥協の結果によるものではないとも思っている。
 彼女はずっと聡明で美しく、その美は歳を重ねて姿を変えても自分の中で失われることはないと信じていた。
 もちろん全く同じ人間ではないから諍いが起きる事もあるのだけれど、双方が納得して謝罪した翌日に飲むコーヒーが最も素晴らしいという共通見解を持っている。

 お互いに不満はゼロではないのだろうけれど、少なくとも自分にとって彼女以上に不満が少ない人は交流関係の中にいなかった。
 ずっと一緒に暮らせる人の理想の図というものがあるならば、十中八九彼女と似た姿が描かれているだろうと思ったのである。

 結婚の申し出を受けてそろそろかと思っていたとクールに告げたかと思ったらぽろぽろと泣き出して最後に笑ってくれた彼女は、最初は式は近い親族と友人だけで良いと言っていた。
 自分も同意見だったが、式場を見たり家族に意見を求めていたりするうちに、職場の人くらいはと言う話になってしまったのだ。
 結婚式と言うものは往々にして予算を超過しがちだと聞いた事があるが、自分達も例外ではなかったのである。

 追加の招待状を出した相手は配置換えになっている同期と同僚、それと同じ部で関わりのある上司数名だった。
 その中にアルハイゼン書記官を加えるのは自分の所属上、当然と言えば当然である。
 ご多分に漏れず、彼が日頃どこにいるのか大半は分かっていないが、自分の作成した書類の承認欄に彼の名前が記入されるのも別に珍しい話ではないのだし。

 とはいえ、パルプとインクの無駄だと思うと彼女につらつらと愚痴りながら招待状を書いたのだ。
 日頃の彼の振る舞いが理由だったのはもちろん、実際彼が誰かの結婚式に出席するのを見聞きする事は一度もなかったからである。

 だから、昼休みの終わりがけに呼び止められて欠席の回答を受けたところで、特に驚きもしなかった。
 わざわざご足労いただき申し訳ないくらいである。
 いや、折り返しの封筒も用意したのだから郵便で返してくれればよかったのだけれど、なぜ自分は口頭で答えを受け取っているのだろうか。

 正式なお祝いは後日、なんて彼のイメージからすれば何とも丁重な言葉と共に綺麗な包装がされた菓子箱を渡される。
 全く予想もしていなかったことに仰天しながら、やわやわになった礼を述べたはずだった。

「君はいつ頃相手の両親に挨拶に行った?」
「へ、ええと、やっぱりプロポーズしてすぐでしたね。翌週の間に日程を押さえて、その週の週末でした。私の場合は相手が実家暮らしだったのでやりやすかったです。遠方だったらこうはスムーズにいきませんでした」

 自分の頭の中のアルハイゼンはそれでは、と言って踵を返したはずだったが、現実の彼は予想だにしない質問をしてきたのである。
 本格的にしどろもどろになってしまいながらも何とか記憶の通り回答をすると、簡単な相槌がある。

「式の予定日はどう決めた?」
「そうですね、私の仕事が忙しい月末と年度末は避けて、当然ですが相手の都合も確認しました。彼女は教令院で研究を続けているので、なるべく自由が利く工程を選んだのと……あとは私も彼女もきょうだいがまだ結婚していなかったので最近の有識者が身の回りにおらず、困る事もあると思ったのでゆっくり準備できるようによく言われている期間の1.5倍余裕を取りました」

 友人には心配し過ぎではないかと言われたが、対応に悩んで二人で話し込む事がそれなりにあった手前、そこそこいい判断だったのではないかと思っている。
 ばたばたするのは研究だけで十分だと彼女も笑っていたので、自分だけの評価ではないだろうと思う。

 なるほど、とアルハイゼンがまた一つ頷いて、次の質問が投げかけられる。
 内容としては自分がプロポーズしてから式の予定が固まるまで疑問に思っていた点や悩んでいた部分が多く、苦労話に近い感覚で説明ができた。

 式まではまだまだ時間があるので過去の出来事と言うわけでもないが、やはり骨を折った類の話は楽しいもので少しずつ心に余裕が生じてきてあれこれと考える。
 たとえば、きっと手紙ではなく直接返答にきたのも、こちらを質問攻めにしているのもアルハイゼンにとっては意味のあるものなのだろう、とか。

 彼が読書を好んでいるのは目撃情報からも明らかで、なんだかんだで好奇心の高さを示しているのだとは思う。
 ただ、この問いは自身の関心を満たすものであり、好奇心とは別の動機なのだろう。

 それから今手首に少しばかり重さを伝えてきている菓子折りを意識して、もしかしたら彼のチョイスではないのではなかろうか、なんて考える。
 こういう甘い物の情報は自分よりも彼女の方が良く知るところなので、次会う時に二人で開けて彼女に推理してもらうことにしよう。

「引き留めて悪かった。それでは」
「いえ、大丈夫です。あ、夕方頃に見ていただきたい書類があるので自席にいていただけると助かります」

 予鈴が鳴ったのを合図に解放してもらえそうだったので、ついでに自分の仕事の予定を伝えておく。
 さすがにこれだけあれこれ質問したのだからと彼も思ったのか、あっさりと了解して彼は知恵の殿堂の方に消えて行った。

 これで夕方にもぬけの殻だったらどうしよう。
 いや、そんなことより。

「結婚するんだ、アルハイゼン書記官……

 口にすると急に現実感が出てきて、今更ながらに仰天してしまう。
 正確には結婚しようと考えている段階だろうが、という事はそういう相手が既にいるということだ。

 彼に恋人がいて、結婚を意識するくらいには共に過ごしていたという事実にがつんと頭を殴られたような感覚になる。
 あんな、他人にも仕事にもほとんど興味がなくて、鍛錬と読書しか関心がなさそうな人にもそういう人がいるのだと思うと、なんだか不思議な気持ちになってしまう。

 きっと彼にも、自分が体験したような平凡で素晴らしい巡り合わせがあったのだ。
 そう、自分が彼女に出会った時の事を思い出しながら考えると、いつも何を考えているかよく分からなった相手の事がなんだか身近に感じられる。
 今なら行方不明になった書記官の行方も探し出せるような気がした。

 ――そんな話をもらい物のお菓子を片手に彼女に報告して、だから今日は格別にロマンチストなのね、と笑われたのは週末の午後の事だった。
 これは書記官の彼女から私宛に違いない、と言う通りお菓子は最近若い女性に評判の店のものらしい。
 それも、結構良いお値段の。

 ひょっとしたら、恋人が招待された結婚式を欠席すると知った彼女は書記官に説教の一つでも食らわせたのかもしれない。
 あんな人に礼儀云々で怒れる人がいるのだと思うと少し面白くなって笑ってしまいながら、その日の逢瀬はゆっくりと過ぎて行ったのだった。