雪洞
2025-10-11 13:46:34
67171文字
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【マレ監♀長編】かたち

7章沿いの長編。二人で話した夜やリリアの夢での一幕、監督生が夢を見るif、両片思い状態からお互い自覚し想いを告げ合うまでの話。7.5のネタも若干あり。また、以前書いた「刹那」を流れに組み込んでいます。うち監設定ががっつり絡む話なのでキャラシ見たほうが分かりやすいです。


心Ⅱ


 少女は王子様の優しさに包まれ、お姫様のように過ごしました。
 王子様との時間があまりに愛おしく、少女は願いました。
 この時間が少しでも長く続きますように。
 それでもいつかが来ることを少女は知っておりました。


***


「さあ」
 その手が自然と差し出されるようになったのはいつからだろう。
 頬を微かに染めながらも、エミリはマレウスに応えた。ただ校内で階段を下りるだけなのに手を引いてもらうのが気恥ずかしくないと言えば嘘になる。けれど、マレウスが優しい眼差しをくれるから。こんな些細なことでさえも身を委ねてしまう。
 最近マレウスは特にエミリを気遣ってくれる。むしろ甘やかしているというべきだろうか。登下校の送り迎えに始まり、大食堂では特等席へ招き、グリムが無茶を言えば窘め、課題を教え、夜はゴーストをオンボロ寮に派遣してディアソムニアと同じ夕食を作ってくれることもある。
 これらが始まったのは、先日マレウスの前で泣き顔を見せてしまってからだ。自分では区切りをつけたつもりでも、祖母との別れを思い出すとどうしても涙が滲んでしまって――泣いてしまった自分を、マレウスはそっと抱き締めてくれた。その温もりが優しくて、落ち着くまで寄りかかってしまったことを覚えている。
――よく話してくれた。
 そう言って、エミリの涙をそっと拭い、彼は優しく囁いた。
――僕はやはり、お前のために何かしたい。
 両の手で頬を包み、真っすぐに眼差しを注いで。その瞳の緑が、宵闇の中で一等美しく見えた。
――これは、ただ僕が心から望むことなんだ。
 それからだ。今のようにとりわけ優しく、時を割いては共に過ごしてくれるようになったのは。それはとても嬉しい。今まで離れていた分の時間を埋めるように学園生活を送れるのはエミリにとってもこの上ない。
 けれど、こんなに良くしてもらっていいのだろうか。優しくしてくれることは、とてもとても嬉しいけれど――何だかくすぐったい。
 それに、気恥ずかしい理由がもう一つ。現場に居合わせた級友たちが、実に意地の悪い笑顔で見張って――もとい見守ってくるのだ。今日もマレウスが教室まで送ってくれた後、途端にエースがにんまりと口角を上げる。
「なになに? 急にエスコートなんかされちゃって。熱いね〜」
「もう、からかわないでよ! ツノ太郎優しいからこうしてくれるんだよ」
「そーお?」
 正夢になってもおかしくないけどね、とエースはよく分からないことを言う。セベクは普段の大声が嘘のように黙して語らずと武士の構えになっているし、シルバーは小鳥の囀りが聞こえてきそうなほど和やかな目で見つめてくる。そして、たまに鉢合わせるイデアはなぜか時折すごい目をしていることがある。まるで徹夜明けのようだったり、はたまた妙に生暖かさを感じるようなものだったり。検査中にマレウスと何かあったのだろうか。
――そういえば……
 いろいろありすぎて忘れてたけれど、夢の世界でマレウスが彼氏とか何とか呼ばれていたような。でも、今思うとそれは夢のエースたちがそう言っただけで、彼と接するときは別に恋人だとかは確かめ合わなかった気がする。
――あれ? でもわたしのイマジネーションから生まれたものだったら……やっぱり、わたしの願望なの……
 そう思った瞬間、頬がかっと上気した。込み上げた熱が胸のうちで塊になって弾けそう。
 母や祖母の件が大きすぎて直視するのが今さらになってしまったが、自分はとんでもない夢を見ていたのではないだろうか。だって、ずっと友達だと思っていたのに。友達だって迷いなく言い切ったのに。
――男の子をそんなふうに見たことないから分からないよ……
 見つめてくれる柔らかな笑顔を思い出して胸がきゅうと締め付けられる。この苦しさが想いの証なのだろうか?
 あなたが大切なのだと心中でそっと呟く。できることなら少しでも長く一緒にいたい。その願いは自分も同じ。それだけは、確かだった。


 その明くる日の放課後、じきに鏡舎が見えてこようかというとき、彼はふと会話の合間に切り出した。
「僕の部屋に来ないか」
……お部屋に?」
「ああ。いつも僕がそちらに訪れてばかりだろう? お前のことも招待したい」
 グリムはちょうどおやつに釣られハーツラビュルに行っている。「親分は応援してやるんだゾ」と、どういう風の吹き回しなのか気遣いの言葉を残して。
 断る理由は探そうともなく、エミリはこくりと頷いた。満足気な笑みを見せ、マレウスはならばとその手を引く。
 堅牢な城を思わせるディアソムニア寮はその印象に違わず荘厳な造りをしている。先の戦いで荒れ果てたが、やっと修復も済み寮生は元の暮らしを送れるようになった。
 回廊を行く寮生たちは寮長の姿が見えるや兵士のように道を開けて頭を垂れた。その前をマレウスは悠々と歩き、伴うエミリの足音が過ぎてから彼らはようやく自身の歩みに戻る。信奉者が多いとは聞いていたがこれほどまでとは。皆が皆セベクほどの熱量であるとは限らないだろうが、深い尊敬、そして畏敬を集めているのは確かなのだ。事件の後も彼が変わらず長の座に就いているのがその証左だろう。
「お、お邪魔します……
 通されたマレウスの部屋は居城の一室たる高貴な雰囲気を纏い、塵一つなく整えられていた。精油だろうか、室内には仄かに深い森を思わせる香りが漂い、石造りの壁の静けさによくとけ込んで彼の憩いの空間を成していた。
 その中でルームメイトの如く鎮座する石のドラゴンが目に留まり、エミリは真っ先に近づいた。
「もしかして、これもガーゴイル?」
「ああ、僕の傑作だ。城に持ち帰った際には相応しい場所に飾ろうと考えている」
「すごい、爪の先まで細かく作られてる……。ツノ太郎、凝り性なんだね」
「それなら、お前だって刺繍に凝っているだろう」
「そうだね。ふふ、おんなじだ」
 ジャンルは違えど物作りが好きな者同士、こだわりたい気持ちは分かる。二人はそっと笑い合うと、ドラゴンのガーゴイルが見つめる先にあるソファへと掛けた。
 マレウスは手袋を脱いでしまうと、それを魔法で片づけながらベッドの横のサイドテーブルを引き寄せ、ティーポットに紅茶を用意させた。金と緑の装飾が見事なティーカップが飛んできたかと思うとすぐに深みのある色が注がれ、鮮やかなローズペタルがひらひらと彩りを添える。
「わあ、きれい……!」
「薔薇の紅茶だ。お前が好みそうかと思い取り寄せた」
 茨の谷で採れる薔薇を使ったもので、特に女性に人気なのだそうだ。優雅な香りと程良い温度、そして滑らかな口当たりに華やかさ。五感それぞれに心地良さを与え、彼の見立て通りエミリもたちまち気に入ってしまう。
「ありがとう、ツノ太郎。わたし、これとっても好き」
「ふふ、その満足そうな顔を見れば分かる」
 花弁だけでもこんなに美しく芳しいのに、花々が咲き誇っている様はどれほど素晴らしいことだろう。
……いつか、今の茨の谷に行ってみたいな」
 あの夢の光景から長い時間が経っているのだ。現在はきっと少なからず違う光景が広がっているのだろう。それに、マレウスが誕生日ごとに種を植えたという薔薇の園もこの目で見てみたい。
「なら、来るといい」
 その静かな声音に僅かな期待を込めて――マレウスは熱を飲み干した唇で告げた。
「きっと僕が……
 カップがソーサーへ置かれ、ライムの眼差しがふと静かに注がれる。その視線に気付いた瞬間、エミリは花の群れから森へ引き込まれた心地になった。まるで、糸を引かれてしまうかのように。
――ねえ。いつから、そんな目をするようになったの?
 まるで、奥に炎が揺れるような。
――いつから……その目でわたしを……
 気が付けば、手と手がそっと触れ合っていた。初めは、エミリの右の小指にマレウスの指先が掠めただけ。けれど、彼の大きな手のひらは、やがてエミリを全て覆ってしまう。偶然ではなく意思を持って。
……小さいな」
 しっかりとした厚みが甲に重なっている。
「しなやかで柔らかい」
 節の目立つ長い指がそっとエミリのそれを撫でる。さっきまで、確かに「友達」の空気だったのに。間違いなく――友達なのに。
 重なるこの温もりがもっと欲しいと望みそうになってしまう。奥深くに隠された宝物に触れたいと願ってしまう。顔が上げられないまま、心臓の鼓動だけが急くように早い。
――でも、わたしがそんなふうに彼を想っていいのだろうか。
 わたしはいつか、このひとを置いていってしまうのに。
 染まる頬と裏腹に、その恐れが棘のように胸を刺す。この優しい時間も消えてしまう。それを思うと、重なる熱に応えられなかった。本当は指を絡めたいのに。これ以上知ってしまったら――
……嫌か」
 ふと落ちた声に顔を上げる。切なさすら宿るその響きが胸の泉に波紋を生み、エミリは咄嗟に首を横に振る。
「嫌じゃ、ない」
 見つめる先にはマレウスしかいない。目の前の世界には今マレウスしかいない。それだけが全てだった。そして、それは彼も同じ――
……すまない」
「え?」
 糸を引くように容易く、マレウスは少女を抱き寄せた。小さな身体は竜の腕の中へと包み込まれる。まるで、親鳥が卵を抱くようにそっと。されど、宝に誰も触れさせぬかのように激しく。
 心が全て熱に攫われたようだった。脈打っては暴れ、脈打っては暴れ、何もかも突き抜けてしまいそう。薔薇と森の残り香が密やかに溶け、どこかでこの腕に捕らわれることを願う自分がいた。
「僕は今――お前を攫いたくてたまらない」
 囁かれた声が耳朶を撫でる。清いままでは在れない心の片鱗がそっと声音に苦味を生んだ。
「帰したくない」
 王と呼ばれたそのひとの、王となるべきそのひとの、剥き出しの心が少女に触れる。曝け出されたその想いは、ひどく勝手で、ひどく一途なものだった。
「この時間が今だけなんて嫌だ」
 散るより先にその花が跡形もなく消えてしまうなんて。
「ずっと、僕の傍にいてほしい」
 愛することを躊躇わない目でエミリを見つめる。その瞳の熱は炎より熱く、少女を焼き尽くそうと包み込む。
「一緒に薔薇の花を見よう」
 切ないまでの懇願は、狂おしく咲く想いに彩られる。
 呼吸すら忘れ、ただ見つめることしかできなかった。歌を全て忘れたように言葉の一つも出てこない。

――ねえ、これは夢?

 わたし、どうしたらいい……? その思いが過ぎり、胸の内が張りつめそうになったとき、ふいに鳴り響く電子音が二人だけの時を打ち破った。まるで目覚めのベルのように、スマートフォンの着信音は鞄の中で少女を呼び続ける。
「あ……
 意識がそちらに向いたとき、マレウスはするりとエミリを腕から放した。
「答えるといい。あの板が鳴っているのだろう?」
「じゃあ……ごめんね」
 断ってスマートフォンを取り出すと、エースから着信が入っている。一体どうしたのだろう。
「もしもし?」
 電話の向こうからは呆れたエースの声が飛び込んできた。何でもグリムが腹痛で転がっているのだそうだ。その通り背後からは「まんまるになりたくねぇんだゾ~~」というグリムの呻きが漏れ聞こえる。
『とにかくオンボロ寮までグリム連れてくから。エミリ、今そっちいる?』
「あ、えっと……ちょっと出てる」
 視線をマレウスに戻すと、彼は微かに「グリムか」と唇を動かした。
「うん。お腹痛いんだって」
「なら、すぐに行ってやるといい」
 すぐに帰るとエースに伝え、通話を切る。先ほどの空気が霧散した中で、マレウスは静かにソファから立った。
「送ろう」
 その声に促されるまま、エミリも彼に続いて部屋を出た。

 鏡舎の外で「ここでいいよ」と告げると、マレウスはそっと頷いた。
 さっき貰った言葉も想いも――まだ何も自分の答えを返せてない。どうしたらいいんだろう。どう言えばいいんだろう。ここまでの短い道のりでは到底受け止めるので精一杯だった。
「あの、わたし……
 何か言わなきゃ。おずおずと声を絞り出し、上目でそっと彼を窺い見たとき、しかしエミリは咄嗟に視線を逸らした。その瞳を真っすぐ見つめてしまったら――吸い込まれてしまいそうな気がしたから。
……またな」
 降ってきた声に顔を上げたそのときにはもう、マレウスはふっつりと幻のように消えていた。


 うんうん呻いていたグリムは夜が更ける頃にはだいぶ具合も良くなり、今はベッドで寝息を立てている。ゴーストたちが時折様子を見に行ってくれているから、異変があればすぐに知らせてくれるだろう。
 眠る気になれず、一人談話室のソファに背を預け、エミリはずっと彼に思いを馳せていた。ふとした瞬間に浮かんでは、記憶の中のあの熱が、真っすぐな言葉が胸を打つ。吐息の触れそうな距離で見つめたあの目が、今もずっと忘れられない……
――まだ夢を見てるの?
 ううん、これは紛れもない現実。あの日の夜とは違う熱情で触れた手。違う熱の籠もった目。
 ずっと傍にいてほしい。
 その声が鐘の残響のように胸の奥に響いていく。全てが彼で埋め尽くされていく。こんなにも誰か一人を想うなんて。
――嬉しかった。そんなふうに望まれて。だってそんなの、今まで一度もなかったから。
 彼の灯した熱がずっと胸に宿っている。あのとき、もし電話が鳴らなかったら、自分はどうしていただろう。時が許す限り身を委ねていたのだろうか。驚き戸惑いながらもずっと、抱き締められていたいと願っていただろうか……
 花開くように生まれた想いをそっとたどる。
 祖母を失ってからの一年半、エミリの心はすっかり透明になってしまった。器は確かにそこにあるのに、何を見ても何をしても全てがすり抜けていく。入学式の日に棺で目覚めたときだって、最初こそ驚きはすれども、大変な事態だと判明してもどこか心は宙に漂ったまま。まるで鏡の向こうを眺めるようだった。
 けれど、それでもエミリはいつの間にか怒り、笑っていた。退学の危機を前に言い合いをするエースとデュースを見ていたら沸々と腹が立ってきて、思っていることをぶちまけたら蓋が外れたように感情が表れ、皆で勝利を迎えたときには揃って喜んでいた。
 それから、少しずつエミリは色を取り戻していった。闇の鏡には無と言われたけれど、この心は確かにこの世界で彩られた。その中にはマレウスもいる。そして、気付けば心はその色の光ばかり灯していた。
 出会ってから今まで、そして夢の世界を渡る中で得た想いの欠片が星のように瞬いている。話したい。また会いたい。自分を知ってもらいたい。一緒にいたい。できることならいつまでも、彼に――。それらが今すべて結実し、エミリにたったひとつのことを知らしめる。
「わたし……
 その緑の火が照らす想いに気付き、エミリはそっとその形を包み込んだ。温かく、星のように輝いて、そして――寂しさの弾けそうなそれを。
 この胸の震える訳が幸福だけであったなら、どんなによかったことだろう。
 ただひとつの愛を得る幸福を、迷わず選ぶことができたなら。
「わたしも、あなたと……
 ただ――隣に在れるお姫様であったならどんなにいいかと、涙と共に顔を覆った。


***


 寝台に身を投げ出し、マレウスは闇の中で双手に残る温もりへ思いを馳せた。
 ただの厚意で慈しめたらどんなによかったことだろう。儚く愛らしいその身を守ることだけに努められたらどんなにか。もう彼女が涙を流さぬように。あるのはその決意だけだったのに、募る想いは願いを生んだ。勝手な、欲に塗れた望み。守りたい。いつも共に。全て欲しい。僕を選ぶと言って。なぜ清廉なままでいられぬのかと問うても詮なきことだった。
――お前を攫いたくてたまらない。
 巣へ抱き込んでいたも同然なのに。もっと、もっと深くへと。鏡の光も届かない夜の底へ連れ去りたい。そんな昏い炎がこの身を焦がす。
 あの音が割って入らねばどうしていた? 己のことだ、彼女に答えを迫っていただろう。僕のために元の世を捨てよとすら言い放っていたかもしれない。それがどんなに残酷か分からぬわけではないのに。
……また、壊してしまったかもしれない」
 何のてらいもなく、分け隔てなく僕を友としてくれた者を。育んできた芽を摘み、蕾を永久に凍らせる――そんな愚かな真似を、彼女に……
 だが、それでもなおと想いが燃える。
 お前を離したくない。その花咲くような笑みをずっと隣で見ていたい。
 別れはいつか訪れるのだと分かっている。分からなければならない。覚悟をしたはずなんだ。けれど、それでも止められない。

――僕は――エミリを愛したいと願っている。
――欲しいんだ。心の底から。

 祝うべき夜が訪れてもなお、マレウスは窓を開け放てずにいた。