雪洞
2025-10-11 13:46:34
67171文字
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【マレ監♀長編】かたち

7章沿いの長編。二人で話した夜やリリアの夢での一幕、監督生が夢を見るif、両片思い状態からお互い自覚し想いを告げ合うまでの話。7.5のネタも若干あり。また、以前書いた「刹那」を流れに組み込んでいます。うち監設定ががっつり絡む話なのでキャラシ見たほうが分かりやすいです。



 少女は王子様の茨に絡め取られてしまいました。
 夢の中にいれば、鐘が鳴ることはありません。
 なくしたものも、なくしたくないものも、みんないつまでも一緒です。
 少女は夢の中で、王子様だけのお姫様になるのです。


***


「子分、起きるんだゾ!」
 朝の光と共に飛び込んだのは、目の前いっぱいに広がるグリムの顔。お腹に乗られているからちょっと苦しい。もう少し寝たいなあ、と我が儘がちょっぴり芽を出すけど今は我慢。だって、今日もいつもどおり学校があるんだから。
「ばあちゃんの朝飯が出来てるゾ!」
「うん、すぐ行く」
 あくびをしながら答えると、グリムはさっとダイニングへ向かっていった。ドアの外はもう朝の気配で満ちている。夜中のしいんと静まり返った時とは違う、温かい食事と出かける準備でせわしない空気。
 パジャマから制服に着替えて、暖炉の上の大きな鏡で寝癖がないか軽くチェックする。毛先の癖は普段と相変わらず。あとは下の洗面室でやらなくちゃ。
「おはよう」
「おはよう、エミリ」
「いい朝だね」
「お味噌汁が出来てるぞい!」
 ダイニングに入ると、ゴーストのおじさんたちが口々に声をかけてくる。このお手伝いの様子もだいぶ板についてきたなあと思う。テーブルではグリムが先に席について、お味噌汁の椀にふうふう息を吹きかけている。今朝の具は豆腐とワカメだ。
「絵美里、おはよう」
 台所に立つ背中が振り向いて、わたしの大好きな笑顔を見せてくれる。
「おはよう、おばあちゃん」
 おじさんからお椀を受け取って、おばあちゃんがわたしの分をよそってくれる。白味噌のなめらかな香り。窓から差し込む光でつやつや輝く陶器のお皿。ほんのちょっぴり高い台所でごはんを作るおばあちゃん。いつもと同じ、だけどどこかほっとする――わたしの好きな朝の光景。
「それじゃあ、いただきます」
「いただきまーすなんだゾ!」
 おかずはわたしの好きな甘い甘い卵焼き。小魚の佃煮はあったかいごはんと一緒に食べるとなお美味しい。ああ、おばあちゃんと一緒に暮らせて嬉しい。わたしの好きなごはんを毎日一緒に食べられるから。
 わたしが高校入学に合わせて紹介されたのは随分古いお屋敷だったけど、掃除に片づけ、日曜大工を重ねて今ではみんなで平穏に生活している。ひょんなことから相棒になったグリムと元々お屋敷にいた三人のゴーストさんも、今では家族同然だ。
 朝食を食べ終わって準備をしていたら、もうあっという間に登校時間。どうして朝ってこんなに時計が早いんだろう?
「絵美里ちゃん、今日はお友達を家に連れてくるんでしょう? おやつを作って待ってるからね」
「うん、ありがとう! いってきます!」
「いってくるんだゾー!」
 そうして、わたしはグリムと一緒に玄関を飛び出した。短い石段を駆け下りて門を開けると、相変わらずギィィと錆びた音が派手に鳴る。油でも差したら少しはましになるかな?
「グリム、待って!」
「にゃはは、早くしないと置いてくんだゾ~!」
 遠くに見える遥か高い丘の学園が、朝日を受けてきらめいている。家からちょっと遠いけど、坂道も階段も、今はもう苦じゃないの。
 今日も始まる、わたしの一日。なんてことない、なんでもない日。わたしの、いつもの日常。


***


「いってぇ!!」
 どすんと派手な落下と共にエースの叫びが木霊した。衝撃で青年たちは塊からばらばらとアスファルトに零れる。
「みんな無事か!?」
 中心にいたシルバーががばりと立ち上がり声を上げ、一同は各々呻いたり顔を顰めながら起き上がった。夢渡りに爽快感を覚えていた者も、この急激な移動には堪えたらしい。オルトがすぐに皆の状態を検査し、構成霊素に大きな乱れがないことを確かめる。
『ただ一人を除いては……だけど』
 ぼそりとタブレット越しに呟くイデアの傍ら、グリムがぶるぶるっと顔を震わせ立ち上がる。いつも傍らにいる金色を探し、シアンブルーの瞳は辺りをきょろきょろ見回すが、その目に映るのは見知らぬ風景ばかりであった。
「ここは? 子分は……?」
「急速に出来上がったエミリさんの夢……だね」
 オルトの密やかな声ににわかに緊張が走る。先ほど夢の回廊で起こった「事故」が瞬時に皆の脳裏を過ぎった。
「ごめん! エミリのこと、オレとデュースで挟んでたんだけど……
「あいつ、送別会のときみたいに突然力が抜けたみたいになって」
 本来ここは来るはずのない、出来るはずのない空間。トレイを覚醒させ、戦いの仲間集めも残すところあと一人となった矢先のことだった。リドルの夢に向かうさなか、突如エミリが意識を失って体勢を崩し、エースとデュースが伸ばす手をかすめ、夢の回廊を真っ逆さまに落ちていってしまったのだ。レオナやケイトの魔法も間に合わず、まるで何かに引きずられていくかのようだった。
 夢の回廊ではぐれれば、どうなってしまうか分からない。瞬時の動揺が走る中、シルバーが無理を承知で軌道修正を図ろうとしたとき、オルトの元に通信が入った。エミリの夢が急速に出来上がりつつあるとの知らせと、その座標データだった。一行は進路を急転換させ、どうにか彼女を追ってこの夢の世界にやってきたのだった。
『こうなっちゃったのは仕方ないから、ともかくなるはやでエミリ氏回収して』
「ああ。ここは幸いエミリの夢。必ず彼女はいる」
 素早く切り替えたイデアに続きシルバーも頷く。しかし、エースとデュースは自分を覚醒させてくれた彼女を同じ危機に陥らせてしまったことに対する自責がまだ尾を引いているようだった。
「しょぼくれるな貴様ら! 夢の回廊で見失ってしまうのに比べれば、よほどマシな状況だろう」
「そうそう。早いとこ迎えに行ってあげよ!」
 鼓膜を張るようなセベクの叱咤、そしてケイトのフォローに二人とそしてグリムも表情から曇りを消す。
……そーね。いっちょやってやりますか!」
「ああ。エミリ、すぐに目覚めさせてやるからな!」
「まったく、しょーがねえ子分なんだゾ!」
 後輩三人が気を取り直したところで、タイミングを見計らったトレイが「ところで」と切り出した。
「ここ、どこだ?」
 その声に一同は改めて周囲を確認する。舗装された道路を挟み、通り沿いにいくつも民家が建ち並ぶ。どれも比較的新しく、整った庭や小洒落た門構えが見られたりと、いくらか生活に余裕のある家々と思われた。
 空気が嗅ぎ慣れないとばかりにレオナが小さく鼻を鳴らす。
「見たところ住宅街だが、麓の街じゃねえな」
「地図データ照合…………ヒットなし。うん、麓の街どころか、ツイステッドワンダーランドのどの地域とも合致しない」
 オルトの結果を受け、トレイが眼鏡の奥の瞳でより確かめるように辺りを見る。
「するとつまりこれは……エミリがいたっていう異世界の風景なのか?」
「マジ!? オレたち、今とっても貴重な光景目の当たりにしちゃってるじゃん!」
 途端、物珍しそうに首を動かすハーツラビュルの面々の横で、セベクは「喜ばしいことではないぞ」と釘を刺す。
「地理が全く分からない状態でオルトのデータも頼れぬとなると、まずエミリを見つけることすら難航してしまう」
「でも、あっちにナイトレイブンカレッジが見えるんだゾ!」
「何っ!?」
 グリムの声に皆が一斉に同じ方向へ目を向ける。小さな指がさす先、大きなマンションのそのまた向こうに、確かに間違えようのない校舎があった。
「ホントだ! 思いっきり知らねえ街の中に建ってる!」
「よし、まず学園に向かってみよう!」
「待て、先に制服に着替えろ!」
 言うやいなや駆けだすエースとデュースの背中を捕まえようとセベクが追う。数メートル先で「先走るな」「何キロあると思ってる」「しょーがねえだろ」やらの短い言い合いの末、いつもの呪文が唱えられた後、一同は学園を目指し進み始めた。
「今がちょうど登校時間だとしたら、運が良ければすぐに見つかるかも」
『だといいけど……
 先刻、危なげなく移動できるようなったと話したそばからこの事態。今まで何回もの夢渡りを問題なくこなしてきた彼女が突然気を失ったという不測の事態といい、何だか嫌な予感がしてたまらない。
『エミリ氏……厄介な夢見てなきゃいいんだけど』
 どうか夢見る少女のこの世界がただの甘い砂糖菓子のようであれと願いながら、イデアはタブレットの向こうでキーボードを叩いた。


***


 坂道を登ってナイトレイブンカレッジの門をくぐると、メインストリートには既に鏡舎から校舎に向かう生徒で溢れていた。グリムと並んで今日は朝から魔法史があるねと話していると、駆けてきた気配が隣に並ぶ。
「はよ、エミリ! グリム!」
「おはよう、二人とも」
 やってきたのはエースとデュース。クラスの中でも特に仲のいい二人だ。「おはようなんだゾ」そうグリムが挨拶を返すや、エースが「ところで」とやや声を潜めた。
「B組、昨日抜き打ちで魔法薬学の小テストあったんだってよ。今日あたりうちでもやるんじゃね?」
「何ー!?」
「えー。今やってるとこ複雑なのに」
「付け焼き刃でも復習するしか……
 クルーウェル先生は好きだけど、こういうときは意地悪だ。ヤマを張るか、とにかく暗記を試みるか。揃って頭を悩ませていると、エースがふと何かに気付き肩を突っついた。
「エミリほら、いるぜあそこ」
「え?」
「ホントだ。行ってこいよ」
 にんまりと笑うエースに続き、デュースも快く笑いかける。何のことだか分からずきょとんとしていると、二人は「前、前」と促してくる。
「えっと、何……?」
「にゃはは! コイツってば照れてとぼけてるんだゾ」
「いーからいーから。彼氏待たせるもんじゃねーって!」
 よく見れば、大勢の生徒に紛れて他の人にはない彼のトレードマークが見える。なんで気付かなかったんだろう? だって、あれはわたしの大好きな――
「ツノ太郎!」
 人並みを縫って呼びかけると、彼は振り向き、そして柔らかく微笑んだ。
「お、おはよう……!」
「ああ。おはよう、エミリ」
 一緒に校舎まで行こうと誘うと、ツノ太郎――マレウスはごく自然な仕草で小さな手をそっと取り、包むように手を繋いだ。肌が触れ体温が溶ける感覚に心の底から安堵が浮かぶ。朝から会えて嬉しいと、そうはにかみながら伝えれば、彼はその低く深い声音で「僕もだ」と優しく囁いてくれた。
「そうだ。今日はお前の家に招いてくれる約束だったな」
「あっ、うん! 放課後になったら、そのまま一緒に行こうね」
「ああ。教室まで迎えに行く。ふふ、楽しみだ」
 その眼差しが蕩けるように優しくてまたいくらでも見つめてしまう。揺らめく炎のような、不思議な瞳。わたしの大好きな色。一緒にいると、まるで魔法にかけられたみたいに幸せで――
 どうしたのかと尋ねる彼に、わたしは小さく首を振る。だって、当たり前にある今が、何より幸せなんだもの。ドレスや馬車が舞踏会がなくたって、大好きなひとが隣にいる。ただそれだけでいいの。
「何でもない」
 だから、ただそう答えた。


『どええェエ――――!!?』
 あっあれエミリさんじゃない? おーホントだ! というやり取りが交わされたのも束の間、一行が目の当たりにしたのがこれである。
「かっかかかか、かか……ッ! 彼氏だとぉ!!?」
「いやまさかとは思ってたけど!!」
「やっぱ!? ねえやっぱそうだったの!?」
「エースもダイヤモンド先輩も知ってたんですか!?」
「全然気付かなかったな……
「僕のデータにはちゃんと二人の逢引の記録もあるよ」
『ちょちょちょオルト何やってんの!? そんなんお兄ちゃん知りませんが!?』
「そうか、だからエミリはあれほどマレウス様を助けたいと……
「てめえら揃いも揃って喚くんじゃねえ」
 驚愕の渦にてんてこまいな一同を尻目にレオナは煩わしさと呆れの混ざる息を吐いた。遠ざかるエミリとマレウスの背を眺め、チッと軽く舌を打つ。
「ったく。むしろトカゲ野郎の願望じゃねえのか、こいつは」
『いやさすがにエミリ氏の産物……っていうかそれにしたってあのマレウス・ドラコニアを少女漫画さながらの彼氏にしちゃうとかエミリ氏いろんな意味で強すぎんか……?』
 女子の趣味って分からない……ぼやくイデアの傍ら、グリムはわあわあ騒ぐ一同を前に実に不思議そうに首を傾げる。
「オメーら何これぐらいで騒いでんだ? エミリとツノ太郎ならいっつもあんなんだゾ」
「その仲良し度が今はちょーっとベクトル違うっていうか」
「はは、グリムには早かったな」
 ツッコミができるほどの落ち着きを得たケイトとトレイは、彼氏の意味すら分かっていないであろう毛玉を撫でる。以前、共に絹の街を旅行したケイトは二人のいっそ自然なほどの仲睦まじさに薄々「まさか」と感じていたが。こっそり交際を始めていたにせよエミリの片想いにせよ、思わぬところで想いが露見して、むしろこちらが気まずいような。
 そしてエースはというと、手を掴めなかった罪悪感が吹っ飛ぶくらいの夢に一気に脱力していた。
「やけにマレウス先輩のこと気にするな~とは思ってたけど、アイツも願望に正直ね……
「王子を夢見るにしたってよりによってあいつかよ」
 生徒の群れからひょこりと覗くツノが見えなくなってもなおレオナは鬱陶しそうにごちる。その声音は二重の意味で目を覚ます方法はないのかと言わんばかりだ。
『ま、お宅の彼氏実は今とんでもないことしてますよって吹き込んだら百年の恋ごと醒めるでしょ』
「恋はそのままでもいいのでは?」
『や、そこツッコみます……? それよりセベク氏のNowLoading状態解除してもろて』
「セベク! 気合を入れろ!! 突然のことで驚くだろうが現実で祝福するんだ!!」
「はッ……!?」
 シルバーにばしんと背中をぶっ叩かれ、セベクがようやっと衝撃から脱する。人一倍騒ぐかと思いきや、どうやらずっと処理落ちを起こしていたらしい。敬ってやまない主君といえど、同級生と恋仲になり甘い言葉や視線をあれやこれやと向ける様は、さすがに噛み砕くのに難を要する。
「設定はともかくとして、あのマレウスさん……闇だと思う? それとも本人入ってると思う?」
 空気がすっかり緩んだそのとき、オルトが発した問いが一瞬にして緊張を呼ぶ。
「え? 何それ本人って……
『彼女に甘い言葉を吐きまくるただの闇彼氏なら御の字だけど、中身はスパダリ魔王な可能性が否めないんすわ』
 一行が夢渡りを始めた当初、マレウスはリリアとの戦闘に大きくリソースを割いていた。だが、今はあれから随分と経過している。彼がその手を再び他の夢に向け始めたとしてもおかしくないだけの時間が。
「リリア様が下されたとはにわかに信じがたいが……
「だが、親父殿の夢を脱してからもう随分と経つ。警戒するに越したことはない」
『か〜〜っ、ここにきて高難易度クエにぶち当たるとは……
 砂糖菓子などとんでもない。ともすれば激辛に化ける夢を見ているなどと一体誰が思おうか。
『マレウス氏(仮)は幸い今は僕らに気付いてないけど、もしあれが本人で一足先に戦闘入っちゃ大打撃必至。最悪ゲームオーバー』
 即ち本人説が捨てきれない以上、状況によってはエミリはここに待機させたままになる。
『それはみんな承知しておいて』
 覚醒者は既に大勢揃えども、まだ「招待」の場は整わない。非戦闘員の救出よりも計画を優先すべきことは、皆否が応でも理解できる。
『あ、拙者は万が一億が一バレないよう極力存在を消してるんで、ここからはただの板扱いでよろ……
 そうしてイデアはしんと静まった。運が悪ければマレウス本人と相対してしまうかもしれない。エミリを置いていかなければいけない。その重みがのしかかる中、「それじゃあ」と空気を切り替えたのはケイトだった。
「さすがに学年違うマレウスくんが一日中ベッタリってことはないだろうから、とりあえず、いつメンたちにNPCくんと入れ替わってもらうってのはどう? 様子見てオレらもエミリちゃんに接触できるタイミング探そうよ」
「ああ、それがいいだろうな」
 トレイが賛同し、続いてエースとデュース、グリムもおうと頷き、早速それぞれ偽物の自分と入れ代わりに向かう。

 果たしてこの偽りの日々に何が待ち受けるのか。どうか顔を覗かせたのが辛味だけであれと、沈黙しながらイデアは思った。


***


 昼休み開始を告げる鐘が鳴ると同時にマレウスが一年A組へ降り立ち、エミリと共に食堂へと歩いていった。瞬間移動で現れたことに一瞬肝を冷やしながら、グリムたち三人は他のメンバーと合流するため、中庭へと向かう。
「やほやほ、お疲れ! 三人とも、どうだった?」
「普段と何ら変わんなくて、いっそ拍子抜けっつうか……
「授業も先生もいつもどおりでした」
「ルチウスが居眠り見つけて起こしに来るとこまで変わってねえんだゾ~」
「授業中に居眠りをするな!」
 どうやら、学園は授業や教師に至るまで現実そっくりそのままのようだ。やはり、はっきり違うものといえば学園以外の町並み、ついでに彼氏が出来ていることだろうか。ここに至るまではエミリが元いた世界での居住地であろう街で占められていた。
「でもあいつ、学園に通ってることをいいことだと思ってくれてるんだな」
 彼女にとっての幸せに自分たちと過ごす学園生活が含まれている――その表れを目にし、デュースが安堵にも似た笑みを浮かべる。それを横目にエースも「まあね」と頷いた。あの街だけを見たときはてっきり全てが異世界仕様になっているかと思いきや、共に通う学び舎が何一つ変わることなくそこにあるのだから。
「そりゃ当然なんだゾ! なんたって学園に入ったからこそ未来の大魔法士の子分になれたんだからな」
 この夢の風景の中でナイトレイブンカレッジだけが異彩を放っているが、彼女は二つの世界が混ざった状態に何ら違和感を抱いていない。別々の世界を知る彼女だからこそのイマジネーションといえようか。
 しかし、それはそうと、夢の揺らぎに繋がりそうな有力な手がかりはまだ見つかっていない。エースたちが麓の街で遊んだ場所のことを話しても、エミリは自然と元の世界の街に変換して聞いているようで、まるでカーテンを押すかのように手応えがない。
「そうだ! エミリさん、放課後マレウスさんを家に招くって言ってたよね。そこでなら何か脆弱性が見つかるかも」
『闇のスパダリがひっついてるのが最大の懸念点だが……隠密偵察といきますか』
 幸いデュースの夢で使った小型通信機がある。グリムは通信機を忍ばせたままエミリのそばに付き、他の一行は家の付近に隠れて様子を窺うという運びになった。


 この夢の世界でのエミリはどうやら学園外に住んでいるようで、マレウスと共に真っすぐ門から出て坂道を下っていく。尾行をしながら一行が再び異世界の住宅街を進んでいくと、ふと角を曲がった先に見覚えのある尖り屋根が覗き、あっと驚きの声が上がる。
 オンボロ寮が他の家に紛れて住宅街に建っていた。屋敷は改装が施される前のデザインで、現実と異なり庭はごく狭く、全体の敷地が他の民家と同程度の広さに縮んでいる。様式の違う屋敷が急に住宅街に現れる様は異質に見えたが、今のエミリにとってはこれが自然らしい。もしかすると、現実の彼女の住所にオンボロ寮が建つ形になっているのだろうか。
 一行はひとまず隣家との間の通りにある植え込みの影に集まり、通信機から聞こえる音に耳をそばだてた。ちょうどエミリたちはドアを開けて玄関に入ったところのようだ。


***


「ただいまー。おばあちゃん、ツノ太郎連れてきたよ!」
 はあいと談話室から声がした後、おばあちゃんがゆっくり玄関で出迎えてくれる。初めて会うわたしの家族を前にして、ツノ太郎は恭しく一礼した。
「あなたがマレウスくんね。絵美里から話は聞いてるわ。とってもかっこいい先輩がいるんだって」
「もう、おばあちゃん……!」
「ふふ……エミリの怖い物知らずは祖母君譲りのようだ。招待に深く感謝する」
 ちょっと恥ずかしかったけれど、ツノ太郎がおばあちゃんを気に入ってくれたようでほっとする。立ち話もそこそこに談話室に入ると、テーブルにはおばあちゃんが用意してくれたお茶とお菓子が待っていた。温かい緑茶と、わたしの好きな山葡萄の寒天ゼリー。鳩の形のサブレもある。
「おおっ、うまそー!」
「グリちゃん、手を拭いてからだよ」
「あわわ、ひ、ひとりでできるんだゾー!」
 我先にとお菓子に飛びつこうとしたグリムをおばあちゃんがさっと捕まえて肉球を拭う。そのままグリムはおばあちゃんに抱っこされてロッキングチェアに、わたしとツノ太郎はソファに腰かける。
「ところで、ふたりはどんなきっかけで出会ったの? おばあちゃんに馴れ初めを聞かせてちょうだい」
「えっとね、ツノ太郎がお散歩してるときに偶然会ったの。うちについてるガーゴイルを気に入って通ってたんだって」
「ああ。初めこそ目当てはそちらだったが、彼女は僕を知らない珍しいヒトの子で……。ふふ、共に過ごすうちに気付けばこんなに夢中になっていた」
「ツノ太郎……
 そんなこと面と向かって言われたら照れちゃうよ。そう呟くと、ツノ太郎は愉しそうにわたしの赤い頬を手の甲で撫でた。おばあちゃんは「あらあら」と微笑ましそうにするばかり。
「お前と親しくなれて嬉しく思う。エミリ……お前は本当に愛らしい」
「わたしも……こうしてツノ太郎のそばにいられて、すっごく嬉しいよ」
 おばあちゃんもグリムもいる前で言うのはちょっと気が引けるけど、大事なことは日頃から伝えるのが一番だよね。自分の気持ちをちゃんと話して伝えられるのって、とても幸せなことだから。
「だいすき……
「ああ、僕もだ。お前の前ではいつもこの上ない男でいたい」
「もう……恥ずかしいよ」
「ふふ……恥じらうお前も可愛らしいな。食べてしまいたいくらいだ」

「うふふ、仲良しでおばあちゃん嬉しいわ。グリちゃん、どう? ゼリーおいしい?」
 フォークを口に運ばれたグリムは、ただひと言「あまずっぱいんだゾ」と呟いた。


***


…………………………
 その頃、外では色んな意味での沈黙が流れていた。
「これ、いつまで続くわけ?」
「僕たちは何を聞かされているんだ……?」
「耐えろエース、デュース。盗み聞きは気が引けるが、これもエミリを目覚めさせるため……!」
 そこじゃねえよとレオナは隣の銀髪に思ったが、面倒なので黙っておいた。
「チッ、野郎の不気味が過ぎておちおち寝れやしねえ」
「マレウスくん言いそうって思っちゃえるのがまた……
「後輩の願望なのか本人なのか判断しづらいのが受け止め方を見失わせるなあ……
 エースとデュースは困惑し、シルバーはなぜかずれていて、セベクは再びロードに時間を要し、三年生たちは揃って頭を悩ませる。いわゆる甘い空気に当惑しきりな面々の中、オルトはふとイデアがいつにも増して動かないことに気が付いた。ただの板と称しても今ぐらいは声を出しても問題なさそうなものを。
「ねえ、兄さん」
 さっきからやけに静か――と発声しかけたとき、センサーがふと何かを引き絞るような高音をキャッチした。まるでヤカンの水が沸騰するかのようなそれに「兄さんそんなの持ってたっけ?」と思ったその瞬間。
 絶叫と共にタブレットがバイブレーションのバグの如き震えを起こし飛び上がった。 
『か――ッ!! ぬわにがお前は本当に愛らしい……だ!! この忙しいときにスパダリ魔王がイチャイチャしくさって――ッ!! このマレウス・彼氏・ドラコニア! 解釈全乗せ寵愛たっぷりじゃないか――ッ!!』
「さっきエミリの産物だっつったのどこの板だよ」
 レオナのツッコミすら意に介さずイデアは一口にまくし立てる。その怒りの込もりようときたら、髪が赤く燃えているともはやオルトは見ずとも分かった。さっき聞こえたのは兄の限界を超えた高音の呻きだったことも。
『こちとら作業が大詰めだっていうのに、母親にパソコン見られたっていうのに、よ、よくもまあ歯の浮くセリフをペラッペラと……もう少し手心ないんか!? そこに愛はあるんか!? あーもう決めた! 闇のスパダリ魔王ドラゴンからのプリンセス奪還作戦、やってやろうじゃないか!!』
 こんなん続けられたらムカつきすぎてこの夢から脱したとてあらぬ凡ミスやらかしそうなんすわ……とイデアの声がようやく弱火に戻ったとき、エースがそっと肩を叩くようにタブレットの角に手を置いた。
「気が合いますね~イデア先輩。オレも一刻も早くあいつの目ぇ醒まさせてやりたい気でいっぱいなんすよ……!」
「珍しく意見が合うなァ、カイワレ。お姫様を奪われた野郎の面がどう歪むのか見物だぜ」
『フッフヒヒッ……やってやる……やってやるぞぉ……!』
 その形相は到底勇者ご一行とは言い難い。もはや少女を狙う山賊であった。
「み、みんな、これエミリちゃんの夢だからね?」
「すっかりマレウス当人のイメージで話が進んでるな……
 状況的には本人ではなく闇であることを祈るばかりなのだが、あまりに本人らしさが過ぎてそれが余計に怒りを買うらしい。
「ああ、頑張ろうみんな。二人とも夢の中より現実で愛を伝えたいに違いないからな」
「シルバー先輩、ずっと応援の構えですね……?」
 違った意味で気を引き締めるシルバーが「なあセベク」と同意を求めたものの、そこにいたのは物言わぬキュウリであった。


***


 一体何度ふなと鳴いたであろうか。祖母の膝の上は居心地がよかったが、目の前で繰り広げられる子分と子分の彼氏のやり取りにグリムはほとほと飽きていた。口を開けば褒めたり照れたり見つめ合ったり。確かに二人は現実でも仲がいいが、今のように身体をぴったりくっつけたりダイレクトに可愛いとかカッコいいとか囁き合ったことはない。
――エミリはホントはツノ太郎とこういうことしたいってことなのか?
 惚れた腫れたの何だのと、グリムにはよく分からない。ただ、一緒に眠るとぬくいことや、誰かと囲む食事が心地よいこと――グリムが知りうる温もりのずっとずっと先にあるのがそういう気持ちなのだろうか。彼女が彼をどんなに大切にしていたかを思うと、何となく、そんな気がしてならない。
「グリちゃん、おばあちゃんのサブレもあげようか?」
「いいのか?」
 グリムを膝に乗せる祖母はにっこりと微笑み、袋の上から鳩を二つに割って差し出した。ちょっと変わった渡し方だが、これはエミリも同じことをしてもらったということだろうか。
 お礼を言って袋を開け、何枚目かのサブレに食いつく。丸ごとかじるのも良いが、割ってもらったそれは持ちやすく食べやすい。毛並みを撫でる皺だらけの手の感触を受けながら、グリムはふと、エミリが時折祖母について語っていたことを思い出す。刺繍や裁縫はどれも祖母から教えてもらったのだと、針を動かし糸を縫い進めながら彼女は小さく微笑んでいた。
 家族。元の世界の家族。そう思うと、ふと、じわりと西日が目を焼いた。
 外は既に日が傾き、大窓から差す光が眩しい。「カーテンを閉めましょうか」と祖母が口にしたとき、エミリはやっと時間の経過に気付いたようだった。
「ツノ太郎、寮に戻らなくて平気? セベクたち、帰りを待ってるんじゃ……
「ああ……そろそろ戻ったほうがいいだろう。お前と離れるのは瞬きの間でも惜しいが……
 その会話にグリムは耳をぴくりと動かした。これは皆の元へ報告に行くチャンスだ。マレウスが名残惜しそうにソファを立ち、エミリと祖母と共に玄関まで見送りに向かう。
「またいつでも来てね、マレウスくん」
「ああ、実に楽しい時間だった。素晴らしいもてなしに感謝する。ではエミリ、また学園で」
「うん。またね!」
 そうしてマレウスは満足そうに微笑むと、ふっと魔法で瞬時に姿を消した。妖精の魔法を初めて目の当たりにした祖母は、口を押さえて「まあ」と感嘆の声を上げる。
「魔法使いさんはすごいのねえ」
「おばあちゃん、今は魔法士っていうんだよ」
 そんな会話を交わす二人の足元をそっとすり抜け、グリムはさっと庭へと下りた。そのまま扉の閉まる音を背に、夕闇迫る空の下、道路へ身を躍らせるのだった。


***


『ウッ……お、終わった……!?』
「兄さん、それフラグ」
 干からびる寸前のイデアの声にオルトが冷静にツッコむ。「やったか!?」と同じくらい言ってはならぬ言葉だが、幸いなことに定石は踏まず、マレウスはそのまま帰寮の運びとなった。
「おーい、オマエら!」
 そんな中、角からグリムが顔を出す。そのうんざりした声も当然聞こえていたため、皆は口々に労をねぎらった。
「おっ、グリム来た来た! ホンット、マジお疲れ」
「じゃあ揃ったところで、エミリさんを目覚めさせる方法だけど……
 今までに分かっている齟齬は、マレウスの彼氏設定、異世界の街とナイトレイブンカレッジの混在、そしてオンボロ寮の場所と祖母との同居。これだけあれば、どこかを突けば粉砕の一打になりそうだ。
 街の話の効果が薄いならば、気の毒だが、オンボロ寮には祖母は住んでいないのだと告げることが最も衝撃が大きいだろうか。
「ばあちゃんか……
 夢のエミリは祖母に深く懐いている。元の世界でも、きっと無邪気に甘えていたのだろう。大好きな家族が本当はそばにいないと知った彼女は、どんな顔をするだろう。しんみりとした風が胸を過ぎったとき、グリムはふと奥底に靄がかかったような心地に襲われた。何か忘れているような、他にも大事なことを聞いたような。記憶を巡らせるが、その正体はなかなか出てこない。でも、思い出さなきゃいけないような気がする――
……ん?」
 そんなグリムの様子を知らず、トレイはふと目を瞬かせた。誰かが通りの向こうからやってくる。ハイヒールでカツカツと道路を叩き、長い髪をなびかせるそれは、ノーカラーのスーツを纏う女性だった。ビジネスウーマンのような堅い雰囲気ではなく、白地に黒の縁取りが付いた上着には金色のボタンが光り、やや短いタイトスカートからは脚がすらりと伸びる。手にはまるでパーティー用かのようなハンドバッグを持ち、若々しさや華やぎの主張を目的としたような出で立ちだ。
 女性は一瞥をくれることなく、すっとトレイたちの横を通り過ぎる。ただのNPCかとも思ったが、閑静な住宅街には些かずれを感じさせる佇まいで、トレイはそっと角から様子を窺った。すると、彼女はオンボロ寮の門を開け、迷うことなく敷地に入っていくではないか。
「お、おい、みんな。誰かオンボロ寮に来てるぞ」
「えっ!」
 思わぬ事態にどよめきが走り、一同はオンボロ寮の庭を囲むコンクリート塀に身を隠しながらそっと顔を覗かせた。女性がインターホンを押すと、すぐにドアが開いてエミリの祖母が姿を見せる。
「ただいまー」
「あら、おかえり。早かったのね」
「ええ。今日は早く上がれたの」
 次いで廊下からぱたぱたと駆ける足音が続き、ドアから飛び出したエミリが女性目がけ抱きついた。
「おかあさん!」
「ただいま、絵美里」
 抱き締めた拍子に体の向きが変わり、その面立ちを西日が照らす。
「なっ……!!」
 瞬間、長き沈黙にいたセベクがまるで雷に打たれたが如く驚愕に目を見開いた。シルバーも信じられないとばかりに息を呑む。
「あの人、エミリの母さんか?」
 デュースの小声の問いに、きっと誰もが頷いたであろう。もしこの場にセベクとシルバーがいなければ。
「違う……あれは、エミリの母親ではない」
 わなわなと震える唇で断じた否が、にわかにざわめきを呼び起こす。
「あれは…………
 エミリが母と呼ぶその人は、艶々と長く美しい黒髪に、先ほど去った彼と同じ緑の目を持っていた。
「マレノア様だ…………


 親子三代揃った彼女たちは、お喋りに花を咲かせながら扉を閉じた。その姿が見えなくなってもなお、セベクが放った一言に巻き起こる動揺は、何も知らぬ者たちを疑問の渦に叩き落としていた。
「あのお顔は、マレウス様の母君……マレノア様のものだ」
 シルバーの静かながらも重い声音が碇となって皆を謎の底へと沈ませる。だとすると、それがなぜエミリの母親として夢に出てきているのか。
「偶然似てる顔じゃなくて、首から上が取っ替えられてるってこと……!?」
「ああ。お顔立ちも耳の形も、妖精族であるマレノア様そのものだ」
 ケイトの問いにシルバーが淡々と事実を述べる。背格好や服装が異なり、ドラゴンの象徴たるツノもないものの、あの相貌は間違いなくマレウスの母なのだ。
「そのマレノアさんという女性に、エミリも会ったのか?」
「ああ。イデア先輩たちと合流する前にいた夢で、茨の谷の昔の時代を垣間見た際に拝謁を……
「昔、ってことは……
「今いる茨の谷の王族は、マレウスと現女王である祖母のみだ」
 トレイの問いへとレオナが代わりに唇を開く。それが意味することを悟り、エースやデュース、そしてグリムもまた言葉をなくす。今まで誰かが現実と異なる性格や人柄に変わっていることは多々あったが、顔がすり替わるなどということは経験したためしがない。エミリのイマジネーションは、一体何を引き起こしてしまったのだろうか。
 今までの齟齬が霞む事態を前に、沈黙していたイデアが口火を切った。
『誰かエミリ氏の親について知ってる人いる?』
「エースちゃんとデュースちゃん、どう?」
 ケイトに促されるが、二人は首を横に振る。
「詳しいことはオレらも聞いたことなくて」
「元の世界にあった食べ物や行事とかならたまに話してたけど、家族のこととなると……
 その身の上ゆえ、彼女が口を閉ざしたとしてもおかしくない事柄だ。それが分かっていたからこそ、周囲も無理に聞きだすことなどしなかった。
……あいつ、たまに自分のばあちゃんのことは話すけど、母親のことはオレ様聞いたことないんだゾ」
 グリムがぽつりと言ったことに、ケイトとトレイは顔を見合わせる。同じ寮で常日頃生活を共にしているグリムだからこそ知っていることがあるのではないだろうか。プライベートを探るような真似は心苦しいが、この状況では致し方ない。
「グリちゃん、他に何か聞いてない?」
「どんな些細なことでもいいぞ」
「うーんうーん……
 頭を抱え悩むグリムのそばで、イデアはタブレット越しに静かに息を吐く。
……非魔法士だけど、エミリ氏もなかなかなイマジネーション持ちと見た』
 そして、推測だと前置きして切り出した。
『考えられるのは、エミリ氏の中の母親ってもののイメージが直近で見たマレウス氏母に強く影響された可能性』
 それも彼女が抱く憧れや理想像に迫る姿だったなら、夢の世界に現れるほど心に焼きついたことであろう。
「そんな強烈だったの? マレウス先輩の親」
 セベクとシルバーが揃って頷く。
「強く気高く苛烈でありながら愛情に溢れた素晴らしいお方だった。ただ、エミリがそこまで感銘を受けていたとは僕は気付かなかった」
「ひょっとすると、エミリ自身でも気付かぬうちに影響されていたということもあり得るだろうか」
 それもまた否めない。自分でも思わぬ夢を見ていたというケースも既に経ている。
「ただ、印象深かったという理由だけで家族の顔が初めて見た人のものになっちゃうのは少し考えづらいかも」
『上塗りするって余程だし。例えば……
 オルトに続きイデアが言いかけたそのとき、「あっ!!」と下から大声が轟いた。目を向ければ、ずっと唸っていたグリムが神妙な面持ちで目を見開いている。記憶の底から何かを掴んだようだった。
「思い出した……けど……
 彼にしては歯切れが悪く、躊躇いがちに言葉を途切れさせる。何か良くない知らせだろうか。そう誰もが思ったとき、グリムは絞り出すように事実を告げた。
「ばあちゃんは……もう天国に行っちまった、って……
 そのとき落ちた沈黙は、鉛よりも重かった。
『あー……ここに来てこのパターンか』
 エミリの「家族」というものの真相を思い、イデアは皆の見えぬところで唇を引き結んだ。母親は他人の顔。祖母は既にこの世に亡い。元の世界の境遇がどうであれ――彼女が何かを抱えているのは明白だった。
「じゃあ……エミリを夢から覚ますには、お前のばあちゃんは死んじゃってて母親も他人の親の顔なんだって言わなきゃいけないわけ?」
「どっちにしても傷つく、よな……
 想像だにしなかった事態にエースの声は上擦り、デュースは面差しを曇らせる。どちらにしても彼女にとっては酷だ。偽りの平穏は真実の重さに勝らぬと分かっているが、しかし……
「なら母親の件を突くほうが早い。一目で違うと判るのはそこだしな」
 言葉をなくした面々の中で、レオナは一人事もなげに言い放つ。平然としたその様は、次の瞬間瞳に挑発を宿し口角をつり上げた。
「気が進まねえなら置いてくか? 急に気絶するほど具合も悪いってならそのほうが」
「それは駄目だ!!」
 即座に反対の声を上げたのはセベクとシルバーだった。
「彼女は魔力を持たない身でありながら、それでもマレウス様のためにとこの旅を続けてきたんだ!!」
「夢路を共にした者として、あいつを切り捨てることはできん!!」
 数々の苦難を共にした二人の断言に、グリムたちも食いついた。
「子分を置き去りにするなんて親分の名折れなんだゾ!!」
「そーだよ何言っちゃってんのレオナ先輩!!」
「そうですよ!!」
 先ほどまでの様子が一転、にわかに血の気を増した下級生たちをなだめたのはケイトだった。
「まあまあ、みんな落ち着いて。レオナくんも本気じゃないでしょ?」
「ふん。あいつを取り戻してえなら、どっちにしたって突きつけなきゃならねえんだ」
 これしきのことくらいすぐに分かれと言わんばかりにレオナは短く息を吐いた。焚きつけられた形とはいえ、澱みに沈みきった空気が瞬時に変わり、皆改めてエミリを覚醒させる意を固める。
 そして話し合いの末、まずグリムたち一年生でエミリに会いに行き、揺らぎが生まれる状況に運ぶことが決まった。上級生たちは通信機で状況を把握、指示出しをしながら闇との戦闘が始まったときに備えて待機する。
 マレウスと入れ替わるように現れた偽りの母は、十中八九闇であろう。その存在が、エミリの中で本当は何を意味するか。下手を打てば祖母の死を告げることより彼女の心を抉りかねないが、どちらの傷が深いかもイデアたちには分からない。ただ、その顔は間違いなく他人のものであるのだ。それも、彼女が大切に想っている相手を生んだ……

――例えば……トラウマ、とか。

 溢し損ねた言葉を胸に秘め、イデアはオンボロ寮に向かう一年生の背を見送った。


***


「こんちはーっ!」
 威勢のいい挨拶と共に玄関に現れた面々を見て、エミリは瞳を丸くした。
「エースにデュース、オルトくんにセベクも。どうしたの?」
「いやー、今日の魔法薬学の小テスト、かなり厄介だったじゃん? せっかくだからみんなで復習しねえ?」
「オルトとセベクも対策したいっていうんだ。記憶が新しいうちに勉強しないか?」
「実はグリムのやつが散々な出来だって密かに泣きべそかいてさぁ。このままじゃ落第だ~!って大騒ぎ」
「ふなっ! エース!」
 そんなにひどくなかったんだゾと食ってかかるグリムを抑えながら頼み込むと、エミリは「それはいいけど」と言いながらも家の奥を気にする素振りを見せる。
「もうそろそろご飯の支度するかも……
「あら、かまわないわよ。どうぞ、みんな入って」
 エミリの祖母の言葉が良いアシストとなり、一同は無事オンボロ寮への潜入に成功する。談話室でそれぞれ席についていると、お茶菓子を持った祖母に続き、件の母もやってきた。
「絵美里のお友達? 彼氏くんとはすれ違いになっちゃったけど会えて嬉しいわ。おやつでも食べていきなさいな」
「やりー! ごちになりまーす!」
「エース、少しは遠慮しろ! おおっ、 お構いなく……!」
 見目形こそマレノアだが、その口調は当然ながら王族らしい威厳はなく、一般の女性そのものだ。理解はすれどもこのちぐはぐな状態。凝視すればするほどセベクは違和感を覚えずにはいられなかった。
「あら、どうしたの? 若い子にそんなに見られちゃ恥ずかしいわ」
「も、申し訳ございません! ご無礼をお許しくださいッ!!」
「やだもう、そんなに畏まらなくても」
 けらけらと笑うその表情もマレノアとは程遠い。エミリの母当人の人格であるならば、なぜ容貌だけがすり替わるのか。
「その……エミリの母上にしては、か、顔立ちが違う、ので……
 ぎこちなく絞り出した言葉は間違いなく齟齬の指摘であったが、母親はそれすら軽く笑い飛ばした。
「印象が違うのは当然よ。だって髪と目の色が違うもの。でも、ほら。なんとなく雰囲気は似てるでしょ?」
 そうして娘に頬を寄せたその様は、どう見ても似ても似つかぬものだった。くすぐったそうに微笑むエミリとは目や耳の形まで違う。
「えっと……そーかな? デュースどう思う?」
「えっ!? えーっと……ハ、ハイ!」
「そうよ、母と娘なんだから。ねえ?」
 どうにも言葉を紡ぎづらく、見た目の指摘は母親によって見事に流されてしまう。そのまま彼女はエミリの隣にぴったりとくっつき、ソファの隣を陣取った。一応勉強会なのだが、そうであってもこの闇の母は娘を一人にする気はないらしい。
「エミリさんのお母さんは、お仕事は何をしているの?」
 次に仕掛けたのはオルトだった。
「知り合いの飲食店を手伝っているの。絵美里が小さい頃は、そこに住んでいたのよね」
「うん。上の階を間借りしてね。わたしもしょっちゅうお店に顔出して構ってもらってて。色んなお客さんが来て結構楽しかったんだよ」
 話を聞くと、母子はどうやら酒類を提供するバーやパブのような店に住んでいたようだ。そういえば、以前モストロ・ラウンジでバイトをしておっかなくないのかとエースが尋ねたとき、エミリは「ああいう空気は楽しいから」と答えていた。あれは昔を彷彿とさせるからだったのだろうか。
「お、お母上も接客をなさるので……?」
「もちろんよ。意外?」
 マレノアとそっくり同じ顔を至近距離で前にし、セベクの問いはなおも上擦る。
「い、意外というか……エミリ、本当に本当なんだな?」
「うん。なんでそんなに疑問なの? あ、ひょっとしてスナックってこっちでは馴染みない……?」
 セベクにしてみればその顔で下々の者が集う酒場に赴くなどということこそがあり得ないのだが、やはり齟齬を突きつけるまでには至らない。
「エミリさん、そのお店には今も行くの?」
「いいえ。お酒を出すお店だもの。学生が寄っちゃマズいでしょ」
「うん……もうずっと行ってない」
 店の話題はそこで途切れてしまった。大人しく勉強をしに来たわけではないのだから、何か次の話を始めなければ。動いたのはデュースだ。
「なあエミリ! 母さんとの思い出、何かあるか?」
「思い出……?」
 エミリはぽつりと呟き、少し考え込んだ後にぱっと笑顔を花開かせた。
「小さい頃、お店で誕生日パーティーしてくれたの! プレゼントにそのころ好きだったアニメのプリンセスの衣装を手作りしてくれて。あれ本当に嬉しかった!」
「うふふ、当たり前じゃない。可愛い娘のお誕生日ですもの」
 何やら先ほどから掘り起こされるのは幼少期のことばかり。見た目の違いの話からどんどん遠ざかってしまい、どう軌道を整えたものか。
「じゃあ最近の! 小さいとき以外のは?」
「えっと……あっ、お菓子を一緒に作ったよ」
 エースが話題を継ぎ、エミリはまた笑顔で答える。
「教えてもらったレシピがあってね。スートの形をしたクッキーで、最初はちょっと焦げちゃって」
「スート形の……?」
 その単語にエースとデュースが顔を見合わせた。動揺を覚えながらも互いに同じことを考えていることが分かり、エースはそっと舌鋒を向けた。
「それ、一緒にやったのオレらとだよね」
……え?」
 トレイに教えられたレシピを試してみようと、オンボロ寮に集まって調理をしたのは先月のことだ。焼き加減の調整に失敗し、プレーン味のダイヤとハートまで黒くなってしまった。確かに四人の語り草の一つだ。
「そうだろ?」
「え? な、なに、みんな……?」
 静かな口調で念を押され、エミリは見るからに狼狽える。
「わたし、お母さんと作ったもん! この前だって一緒に服買いに行ったんだよ。カーディガンとスカート選んでもらって……
「それも僕たちと行ったとこ……だよな」
 麓の街でいい感じの古着屋を見つけたとエペルが言い、休みの日に一緒に見に行った。服を見繕ってくれたのも、偶然会ったケイトがしたことだ。
 母との思い出として語ったことは、本当は友達と経験したものだった。そう突きつけられ、エミリの世界がぐらりと揺れる。
……うっ!」
「絵美里、どうしたの? 顔色が悪いわ」
 やっと生まれた揺らぎの中、母が頭を押さえるエミリを即座に抱き寄せる。娘を案じるその表情はすぐにも険しいものへと変わり、鋭いナイフの如き眼光が一同へと向けられた。
「あなたたち……本当に絵美里の友達? どうしてこの子をいじめるの!?」
「エミリさん、思い出して! その人は、本当のお母さんじゃないんだよ!」
「そうだ! 今までの旅を思い返せ!」
「まあ……! なんてことを言うの!?」
 頭痛に顔を歪めるエミリを固く抱き、母親は鬼のような形相で言い放つ。
「もう帰ってちょうだい! 絵美里、お母さんのそばを離れないで」
「お、お母さん……
「この子を傷つけるやつは許さない! 娘は私が守るわ!」
 戦闘か。皆がそう覚悟しマジカルペンを取り出そうとしたそのとき、ふいに「まあまあ」と和やかな声が割って入った。
「その辺になさいな、子供相手に。絵美里が怯えているじゃないの」
 祖母から指摘され、母親ははっと息を呑む。腕の中ではエミリがかたかたと震えながら弱々しく服にしがみついていた。
「絵美里! ごめんね、お母さん怖かったわよね。ほら、もう笑顔よ。ねっ?」
「う……うん……
 そのまま猫なで声の勢いで娘をなだめ始めた闇を前に、一同は呆気に取られてしまう。NPCあるいは闇は、異分子の排除よりエミリの安寧を優先しているようだ。
「皆さん、今日のところはお引き取りいただいて……ね?」
 祖母にそう促され、一同はひとまずは退却するほかなかった。


 一年生たちが再びオンボロ寮の外に戻ってきたとき、待機していた上級生も難しい顔をしていた。齟齬を突くことこそできそうなものの、闇の家族が厄介なのは音声だけでも伝わってきた。
……エミリの望みが、少し分かった気がする」
 ぽつりとセベクが呟いた。
「あいつは……我が子を守ろうとするマレノア様のお姿を見て、恐らく羨望を抱いたのだろう」
 夢で見たマレノアは苛烈な王女であると同時に、我が身を賭して子を守る母であった。エミリの母親が実際にどのような人物なのか、果たして健在なのかも分からぬが、きっとそのような姿に焦がれたのだろう。心の奥底の密かな柔らかさで。
「オレらと遊んだ記憶が母親と過ごしたものに入れ代わってるのもさ、やっぱホントの親とは小さい頃の思い出しかないってことなのかな……
「正確にはエミリさんがお母さんとしたい行為に最近の楽しかった出来事が投影されている状態だけど……昔の出来事のほうに具体性があったからその可能性は高いと思う」
「おばさん……って言っていいのか分かんないけど、妙に小さい子に接するみたいな態度だったもんな」
 家族のことを語らぬわけだ。納得が広がるとともに、彼女が秘したいであろう事柄を否が応でも悟ってしまう状況が心苦しさを生む。だが、それでも目覚めさせなくてはならない。
「境遇がどんなものであれ、エミリは確かにここまで歩んできたんだ」
 夢から脱し、改めてマレウスと向き合いたいと望むエミリの静かな強さをシルバーは垣間見た。偽りの家族に囲まれ、恋人となったマレウスから甘い言葉を贈られても、それは彼女が本当に為したかった語らいではない。
『闇彼氏が厄介かと思いきや、そっちがいないときは母親がべったりくっついてるか』
「ここらで子離れさせねえとな」
 今もなおこの夢のマレウスが当人か否かは判別がつかないが、彼がいない今が好機だ。一同は改めて作戦を練るべく顔を突き合わせた。


***


 ドアを開けた母親は、ナイトレイブンカレッジの制服を見るなり険しい視線を向けた。その眼光の鋭さを受けながらも、ケイトとトレイは二人揃って頭を下げる。
「夜分にすみません。ナイトレイブンカレッジのハーツラビュル寮所属の者です。どうもうちの一年生が失礼をしたようで……
「いつもお世話になってるエミリちゃんの家族に迷惑かけたって聞いて、いてもたってもいられなくて……!」
 後輩の躾がなっておらず申し訳ないと平身低頭謝れば、母親は険を残しながらもひとまず謝罪を受け入れてくれた。
「まあ、謝ってもらえれば結構よ。絵美里ももう落ち着いてるし」
「本当にすみません! 後輩たちにはキツく言っておきますから!」
「ところで……少しだけお時間頂けませんか?」
 母親が寮内に引っ込む前に、トレイは本題を切り出した。
「実はマレウスくんがエミリちゃんご一家にサプライズプレゼントを計画してるんです! それでオレたちもリサーチに協力してて」
「あら、そうなの? ふふっ、彼氏くんは随分気が利くのね」
 エミリを溺愛する彼氏の話題が上るや母親はころりと態度を変えて上機嫌になった。魚が餌に食いつくように、この母はとりわけエミリの幸福に敏感らしい。
「そうなんですよー! 彼氏の鑑ですよね! ぜひお母さんからも好きな色や食べ物、貰ってNGなものとか色々教えてほしいんです。エミリちゃんのためにも!」
「ええ、娘が喜ぶことなら協力するわ」
 母親が笑顔で応じ始めたのを確認し、第二陣が動きだした。グリムの手引きでそれぞれ窓や裏口から寮内に忍び込む。本当に賊のような真似だが、四の五の言っている暇はない。

――どうも闇の母親は娘第一で動いているっぽい。娘のためと言い張れば、いくらか時間稼ぎはできると思う。

 ケイトとトレイが母親を抑えている間、直接エミリと対峙し覚醒を促す算段だ。一年生とシルバーが勇み足で談話室へ向かった後、殿を務めるレオナは一人ふと足を止めた。振り向くと、その目は廊下の隅で一人立ち尽くすエミリの祖母を捉える。招かれざる客が大勢侵入したというのに、彼女は驚きも警戒の意もなく、ただただ目の前で起きることを静かに見つめている。突然の出来事に呆けているとも異なる様子に、レオナはややあって踵を返した。
……失礼」
 流れるように会釈をし、そして事実を静かに告げる。
「エミリはこの家から出なければなりません」
 その声を受けても、祖母は狼狽えることはない。その穏やかな眼差しは欠片ほどの動揺すら宿さず、彼女はそっと頷いた。
「ええ、そんな気はしてました」
……あなたは……
 これから始まる喧噪の前の、密やかな一瞬であった。


「エミリ!」
 突如談話室になだれ込んだ友人たちを前に、エミリは手にした刺繍枠を取り落としかける。血相を変えて現れた面々はなぜか揃って寮服を着ていた。先ほど訪ねてきた者のほか、シルバーとレオナまで加わっている。
「み……みんな、どうしたの? 忘れ物……?」
「エミリさん、聞いて!」
 オルトの呼びかけを皮切りに、セベクとシルバーが切り込んだ。
「エミリ! お前の母親は全く別の容貌のはずだ!」
「思い出せ、あのお顔がマレノア様だということを!」
 まれのあ? 震える喉で呟く声がぽつりと落ちる。
「オレ様たち、あのかーちゃんには野ばら城でしか会ってないんだゾ! それも、夢の中の、ずっとずーっと昔のことなんだ!」
 そのとき、寮内がぐわんと歪んだ。壁も暖炉もテーブルも全てがひしゃげて捻じ曲がる。記憶の扉が開きかけている。
「え…………?」
「エミリ、思い出してくれ! 僕たちよりずっと長く夢の世界で戦ってきたんだろ!?」
「そーだよ! オレらを起こしに来たの忘れたとは言わせねえぞ!」
 歪みがさらに大きくなった。エミリは訳が分からないという表情で縮こまり、お守りのように縫い針を胸に抱き締める。
「お前が本当に会いたかったのは、現実のマレウス様だろう!」
 げんじつの、つのたろう。
 その瞬間、エミリはひどく眉根を寄せた。耐えがたい頭痛に襲われ、友人や先輩、相棒までもが自分を怒鳴りつける様に涙が滲む。
「お、お母さん……おばあちゃんっ……
「オンボロ寮にいるのはオマエとオレ様と、ゴーストのおっちゃんだけなんだゾ!!」
 グリムの叫びが縋る声を断ち切った。瞬間、涙が決壊する。榛色の瞳から零れる雫は、まるで幼子の涙であった。
「やだぁ! ずっと一緒にいるんだもん! 離れないもん……!」
 その悲痛こそ、彼女の真の願いだった。奥底に眠る少女の心は、やがて悲嘆の中で自分だけの「王子」を呼んだ。
「助けてツノ太郎っ……!!」
 その叫びに一同が瞠目したとき、眼前に緑の炎が燃え上がった。揺らめく炎と共に現れたのは、寮服姿の彼女の「恋人」――マレウスであった。
「おやおや……
 エミリを抱き寄せ、その折れそうな身を守るように腕を回す闇――あるいは当人――は、その試すような優雅ともいえる目つきで闖入者を一瞥した。
「僕の姫君を泣かせるとは……相応の覚悟ができていような?」
 闇か、本物か。一同が固唾を呑む中、眼前のマレウスはオーバーブロットの姿を示さぬまま、泣きじゃくるエミリの頬をそっと撫でた。
「ああ、可哀想に。エミリ、ほらもう泣くな。僕がそばにいるだろう?」
「つのたろ……

――本物じゃ……ない!

 張り上げそうになった声をイデアは咄嗟に押さえ込む。少なくとも今ここに現れたのは、エミリの夢の危機に呼応し現れた闇だ。
 作戦通りに事を運べる。その確信を談話室に集った全員が抱き、マジカルペンを構えながらエースはハッと切るように笑みを吐き捨てた。
「なーにが可哀想だ。そもそもの発端はアンタでしょーが」
「ドラコニア先輩、今のあんたは俺らのダチを唆すただの悪い男だ」
 不躾にも切られた啖呵に、闇がぎろりとトランプ兵を睨めつける。
「黙れ。これ以上の無礼は容赦しない」
「え、エース……デュース……もうやめて……
「あのような不出来なトランプ兵など捨て置け。お前には家族と……僕さえいればいいだろう?」
 震えるエミリへ闇は甘い毒を注ぎ込む。その様を前にしてももう呆れも震えも起こらない。
「よーく分かったよ」
 低く呟き、トランプ兵の目が据わる。
「あんたを彼氏だなんて絶っ対に認めるわけにいかねえ!!」
「こいつのマブとしてな!!」
 今のエースとデュースに沸々と湧く感情は――暗闇から友たる少女を取り戻す、ただその一心だった。
 エースが風魔法を放ち、相対する闇がさらに強い風魔法で掻き消した。傍らのエミリに目を遣ると、闇は奥の階段の傍まで引いて魔法障壁を作り、彼女をその中に匿った。そして振り向きざまに衝撃波を差し向け、身構えた一同の前にレオナがすぐさま魔法障壁を張りその全てを防ぐ。「マレウス」の攻撃にしては実に柔い歯応えのなさ。イデアの読みが面白いほど的中し、獅子は不敵に口角を上げた。

――次に、闇彼氏ことゲームマスターが現れた場合。こればっかりは、エミリ氏のイマジネーションに賭けるしかない。

「おいおいどうした! マレウスにしちゃ単調な魔法じゃねえか!」
 手当たり次第に攻撃が放たれるものの、それらは複雑性が薄く、一年生たちにも軌道の読みや回避が容易い。さすがに雷は手痛いが、それすらも実物の威力には及ばない。

――魔法が使えないエミリ氏は、魔法構築式の理解はどうしたって乏しい上に使用感覚も分からない。マレウス氏が強いことは知ってるけど、授業の実戦やマジフト大会で直面してる僕らと違ってその「強さ」のイメージがかなりざっくりしたものである可能性が高い。

 攻撃が跳ね返され、闇にカウンターが直撃する。その拍子に容貌がどろりと漆黒の闇に覆われ、泥のように一部が歪む。

――能力がかなりナーフされてるなら、闇マレウス氏相手でも勝算はある!


 目の前で恋人と学友が戦闘を始め、先輩までもが加わり四方八方に魔法が飛び交っている。訳の分からぬままエミリはがくがくと震え、部屋が戦場と化していく様を見つめることしかできなかった。
「い、家が……
 大窓が割れて破片が飛び散り、ソファもテーブルも転がるそばから砕けていく。炎や氷、雷に風、あらゆる魔法攻撃によって家具も壁も何もかも崩れて滅茶苦茶になっていく。
「ひっ……!」
 突如金属を打つような重い音ががぁんと響き、部屋の真ん中へと何かが落ちる。恐る恐る目を開けると、眼前で大釜が床板をぶち抜き、派手にめり込んでいた。
「あ……
――こんなの、前にも見たような。
 そう思った途端、また激しい頭痛に襲われる。視界が明滅すると同時に目の前の光景と重なる光景が鮮明に脳裏を過った。破壊された談話室。満身創痍のエース、デュース、エペル。そして、一人為す術もない自分の前で攫われるグリム。そうだ、前にも、こんな――


「おらぁぁ!!」
 エースとデュースの渾身の一撃が闇を吹っ飛ばした。大窓を突き抜けるそれを追ってレオナが果敢に身を躍らせ吠える。
「キングス・ロアー!」
 瞬く間に庭の塀が全て砂に変わり、見る間に闇を埋め尽くす。そのまま砂の山は動かない。しばらく身構えていたシルバーとセベクも、その沈黙を前に静かに警棒を収めた。わっと勝利に沸くエースとデュースはすぐさまエミリの元に向かおうと振り返る。
「エミ……
「誰か捕まえて!!」
 ケイトの叫びが飛び込むと同時に、何かがエースたちの横を駆けた。


「はぁっ、はぁっ……
 指先が赤くなるほど針を握り締めながら、エミリは蹲り頭痛に耐えていた。知るものと知らぬものが交互に頭の中を駆け巡り、何かがこじ開けられる感覚が胸の奥を襲っては心臓がばくばくと早鐘を打つ。
――お母さん、お母さん助けて。お母さん……
 なんでわたし、何も覚えてないんだろう。なんで思い出すのがどれも小さい頃のことばかりなんだろう。なんでおうちがボロボロな景色が浮かぶんだろう。なんで――思い出の中のお母さんがみんな真っ黒なんだろう。
「絵美里!!」
 瞼を閉じた闇の中で求め続けたその声が響いた。抱き起こされる手の温もりが優しい。
「お、かあ、さん……
 頭の奥をがんがんと打ち鳴らす痛みの中、縋るように目を開ける。視界がうっすらと開きゆくさなか、求めた笑顔に目を凝らせど、その先はどうしてか真っ暗なまま――
「絵美里」
 にっこりと、顔のない闇が微笑んだ。


 ケイトとトレイが談話室に飛び込んだとき、既に闇はエミリに手を伸ばしていた。
「エミリ!!」
「あの闇、オレらを振り切ってそっちに……!」
 闇の母親はあろうことか自らを羽交い締めにしていたケイトの分身を殴り飛ばし、恐るべき力で放り投げて娘の元に駆けたのだ。その凄まじい形相たるや、さながら母神のようであった。誰より早く我が子を抱き締め、母親は娘に男を寄せつけぬよう周囲を闇で埋め尽くす。
「もう大丈夫よ。私の愛しい子」
 放心したようなその頬を黒い手が撫でる。
「さあ、お眠りなさい。お母さんの腕の中が一番安全なんだから」
「駄目だエミリ! 耳を貸すな!」
 皆口々にエミリを呼ぶが、少女の目はなおも母を見つめていた。底なしの闇で娘を包もうとする母を。
「わたしは、あなたのおかあさん……
 ぼたりと、インクのように零れた闇がエミリの頬を垂れ落ちる。黒い闇がさあっと引いて、浮かび上がったのは、ライムの目を微かに伏せて艶麗に微笑む顔だった。
 ちがう。
 心の奥で何かが外れる音がする。鍵が壊れ開け放たれた扉から溢れて溢れて止まらない。
この身の全てが、記憶が叫ぶ。

――わたしのおかあさんは、こんなかおしてない。

 愕然と揺れたハシバミ色の眼差しをなおも「母」に注ぐまま――少女はなだれ込む色の記憶に喘ぎ、そしてゆらりと針を持つ手を振り上げる。
 誰かが息を呑んだとき、赤い雫が滴り落ちる。そこには、銀の針で自らの左の手の甲を深々と刺し貫く少女の姿があった。
「友達のお母さん取るなんてダサい真似させないでよ!!」
 血を吐くような叫びに籠もるのは、自責か自罰か罪悪感か。苦悶よりも歪むそのかんばせは、目覚めの涙に濡れていた。
 エミリ……と、ぽつりグリムが少女を呼ぶ。
「わたしのお母さんはっ……こんな顔してない!!」
 その瞬間、疾駆する四つ足が床の大釜を踏み込み、闇の上へと飛んだ。
「オレ様の子分から……離れろ――!!」
 鮮やかな蒼炎が闇を覆い、エミリの目の前でそれはどろりと消え失せた。余燼が燻る中、床にへたり込む少女は頬に幾筋も涙の跡をつくり、そして手の針もそのままに大粒の雫を零した。
「うっ……わぁぁ――ん!! あっあぁっ、あぁ――……!」
 エースとデュースが駆け寄ろうとしたそのときだった。轟音と共に屋敷が震え、辺りのものが全てひしゃげて夢の崩壊が始まった。家じゅうから「絵美里」と何かの呼び声が木霊する中、シルバーとイデアが退避を叫ぶ。
「ほら子分! 行くぞっ……!」
「やだぁ!」
 グリムが引っ張ろうとしたその手をあろうことかエミリは払いのけた。大事な親分であることを忘れたような振る舞いに、グリムはただただ目を丸くする。
「何言ってんだよ! もう大丈夫だから来いって!」
「エミリ、落ち着け!」
 壊れた家具を押しのけエースとデュースも近づこうとするが、割れた床からも闇が湧き出て行く手を阻む。
「来ないでっ……! わたしっ……もう……
――優しい声が羨ましい。愛されて羨ましい。わたしもあんなふうに守られたかった。そんな願いが、とんでもない形になってしまった。こんなのいくら夢でも許されない。あのひとはツノ太郎の母親なのに。ツノ太郎だけのお母さんなのに。
「ツノ太郎に会えないよぉっ……!!」
 自責ゆえの錯乱がエミリの心を掻き乱す。少女の涙に呼応して闇に塗れる夢はもう崩壊寸前だった。
「わぁぁんっ……!」
「エミリ!!」
 そのまま彼女はあろうことか崩れた壁を抜けて寮の外へと駆け出した。追いかけようとした後輩たちをケイトとトレイが引っつかみ、急ぎシルバーの元へと集う。
「エミリ――――!」
 グリムの叫びが尾を引くさなか、エミリは振り返らずに闇の中を走り続けた。街も空も他の家々も世界が皆歪んでいる。夢も現実も変わらない。エミリにとってはみんなみんなそうだった。ずっとひずみの中で生きてきた。けれど――自分こそが、生まれも色も心さえも醜く歪みねじくれた存在だったのだ。
「あっ」
 どこを走っているかも分からずただただ足を踏み出したとき、突如身体ががくんとよろけ、エミリは束の間宙へ放り出された。膝を強かに打ち、頽れるようにバランスを崩した身体は階段を転がり落ちていく。反転した視界が止まり、身体のあちこちに響く打撲の痛みを覚えたのは、石段の下まで落ちきったときだった。
 意識が朦朧とする。涙と闇の滲む中で、頭の奥が滅茶苦茶に打ち鳴らされたように痛む。

――どうして教えてくれなかったの!?

 ふと過ぎったその声は、紛うことなく自分のものだった。

 学校から帰ってきて郵便受けを開いたら、新聞やチラシに紛れて封筒があった。消印は祖母の家のある町で、差出人の名を見たそのとき、わたしは呼吸も忘れて凍りついた。それは、幼い頃に消えた母が、実家にいることを示す手紙だったから。
 どうして教えてくれなかったの。お母さんが、おばあちゃんの家に戻ってるって。
 手紙を突きつけながら問いつめると、叔母さんはお母さんが郵便局留めを忘れたことをなじり顔を顰めた。ねえ、そこじゃないでしょ。なんで、なんでお母さんがそこにいるの。いつ戻ったの。
 お母さんが実家に現れたのは、あろうことかもう一年以上も前だった。それも、おばあちゃんが亡くなったすぐ後に。
 目眩がした。だって、何にも知らなかったから。娘の居場所を知りながら連絡ひとつ寄越さないお母さんより、全てを承知で黙っていた叔母さんに怒りが湧いた。
 なんで――わたしに何も言ってくれなかったの。わたしのお母さんなのに。わたしを産んだお母さんのことなのに!
「あなた、おばあちゃんが急に亡くなってからずっと塞ぎ込んでたでしょ。学校も休みがちで一日中閉じこもり。そんな状態で話せないわよ」
 でももう一年だよ? 叔母さんの言いつけで受験した高校だってちゃんと毎日通ってる。わたしがおばあちゃんを亡くして悲しむ気持ちを言い訳に使わないでよ。いつもいつも尤もらしいことばっかり言って。そうやってわたしをいいようにするのはやめて!!
「知ったらあなた、きっと学校も放り出して田舎に乗り込むでしょう? あの奔放でだらしのない姉さんに会って今さらどうするのよ。私はあなたのためを思って言ってるのよ。母親が蒸発して父親はどこの誰とも知れない外国人。こんな派手な髪でまあ……そんな子を今まで後ろ指さされず普通にさせようとしてきた私の苦労は一体どうなるのよ!?」
――なにいってるの。
「むしろ幸運だと思ってほしいわ。あの姉さんの子でも環境が変われば真人間に育つもの」
――なにいってるの。
「今さら姉さんのところになんて戻すもんですか。あなたはこれからも私の元で真っ当に暮らすのよ。姉さんのようになっちゃ駄目。叔母さんのほうが正しいんだから。あなたはこれから勉強して堅実な仕事に就いて……
 ふざけないでよ!!
 喉が裂けるほど叫んだのは、生まれて初めてだった。おばあちゃんが死んじゃったときですら、こんな大声出したことない。
 もう嫌、もうやだ、もううんざり!!
 本当はわたしなんていらないくせに。いつもいつも、なんでお前がここにいるんだって目で見てくるくせに。叔母さんが欲しいのは、お母さんを見返すためのお人形でしょう!?
「わたしはもう叔母さんの作り話の中で生きるのはまっぴらなの!!」
――お母さんはね、わたしの髪を褒めてくれたよ。光をきらきら写すきれいな色だって。わたしのことは置き去りにしても、わたしを否定したことは、一度だってなかったよ。

 そのまま居間を飛び出して、廊下にいた従姉妹とぶつかったけど振り向きもせず外へ駆けた。もう嫌だった。何もかもが嫌だった。今この世で独りぼっちであることが、辛くて寂しくてたまらなかった。
 階段に差しかかったとき、涙で曇った視界の中で足を滑らせて世界が一回転した。ローファーが片方脱げて身体をあちこち打ちつけて。叩きつけられた石畳に、涙が落ちた。

お母さんもおばあちゃんも、みんな突然いなくなる。
わたしの大切な人は、みんなわたしを置いていく。
わたしはさよならなんてしたくないのに。
もう全部どうでもいい。
わたしもどこかに消えてしまいたい。

――意識が闇に落ちる瞬間、馬のいななきを聞いた気がする。