雪洞
2025-10-11 13:46:34
67171文字
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【マレ監♀長編】かたち

7章沿いの長編。二人で話した夜やリリアの夢での一幕、監督生が夢を見るif、両片思い状態からお互い自覚し想いを告げ合うまでの話。7.5のネタも若干あり。また、以前書いた「刹那」を流れに組み込んでいます。うち監設定ががっつり絡む話なのでキャラシ見たほうが分かりやすいです。


想い


 彼の正体が夜を統べるドラゴンであることも妖精の王子様であることも知らぬまま、ふたりは仲良くなりました。
 やがてそのことを知っても、少女は変わらず笑みを向けました。
 王子様は、少女を自分のお姫様にしたいと思いました。王子様ですら知らない心の奥の宝箱にその願いはありました。
 ところが、王子様は気付いてしまったのです。
 ふたりの夜は、十二時の鐘が鳴る運命にあることを。


***


 シルバーに続き恐る恐る足を踏み入れた談話室では、激励会が和やかに開かれていた。寮内の光景は現実のディアソムニアそのままで、本当に夢なのかと疑ってしまうほどだ。夢に慣れているというシルバーもリリアとマレウスの姿を前に戸惑いを隠せない様子だった。当然の反応だろう。イマジネーションから生まれたものであれ、彼らは全ての発端となってしまった人であるのだから。
――ツノ太郎……
 エミリもまた、波立つ心でマレウスを見つめた。
 リリアの送別会の知らせが届いたとき、あの雪の原因はそれではないかと思ったのに、どう話しかけていいものかと悩んでいる間にその日を迎えてしまった。何を言っても気休めにしかならないのではという思いが、彼を探す足に躊躇いを生ませてしまった。
 せめて送別会で言葉を交わせたら、自分なりに言葉を尽くして励まそう。そう思っていたが、今となってはなんと浅はかだったのだろう。きっと彼は、ずっと深い懊悩に囚われていたのだ。深く深く、誰の手も届かないほど深く。そして、その一心に支配されてしまった。自分の支えとなり大事なことを教えてくれた存在を失いたくないという、その願いに。
――でもツノ太郎。これが本当に「いい方法」なの……
 奇しくも彼は、この魔法によってエミリの帰り道をせき止めた。夢に閉じ込める形で、別れの涙を流さぬ世界にエミリを引きずり込んだことになる。
 大切なものが手の届かぬところへ行ってしまうのも、永久に失われてしまうのも、耐え難いほど辛いこと。エミリだってそれを知っているから望んでしまった。夢でもいいから会いたいと何度も思った。
 だが――帰ることを思うとむしろ胸が塞ぐ心地すらしていたのに、ここが偽りの世界と知った今は、虚しさに似た気持ちが襲う。どれだけ体裁を整えても、この場で紡がれるものは作り話に他ならない。真実ではないのだ。
 見つめる視線に気が付いたのか、ふとマレウスが微笑した。そのまま少し離れた位置にいるエミリに歩み寄る。
「おや、エミリも来てくれたのか」
「ツノ太郎……
「どうした、髪が乱れているぞ。シルバーに付き合って表で昼寝でもしていたのか?」
 うまく言葉を返せず俯くと、マレウスは良いことを思いついたとばかりに口角を上げた。次の瞬間、星のようなきらめきに包まれ、エミリはディアソムニアの寮服を纏っていた。かっちりとしたレザーの質感が制服よりも少し重い。ブーツは普段のローファーに比べ重厚で、まるで兵隊のような装いだと感じた。夢の移動で乱れた髪も瞬時に梳かされ、ポニーテールに結われている。
「これ……
「ふふっ、一度着せてみたかったんだ」
 その屈託のない笑顔が、ひどく心にのしかかった。ハロウィーンの夜に見せてくれたのと同じ笑みなのに、あのときのような温かさは欠片も生まれてこない。まだ名前も知らなかった頃が懐かしかった。
 あの夜の言葉が、彼を虚ろに陶酔させる一翼となってしまった。その思いもあるからこそ棘が刺さったように胸が痛む。

――わたし、もう一度あなたとちゃんと話したいよ。

 夢を脱することを決して許さぬその様が、悲しくそして痛ましかった。


***


 宵闇の中で、エミリは燃え上がる火をじっと見つめていた。辺りは鬱蒼とした森に囲まれ、塗り込めたような闇が広がっている。頭上では星々が銀砂のように輝くけれど、遠い光を見上げるよりも、目の前の炎を眺めることに安堵を覚えた。
 周辺で活動する「銀の梟」の動きを警戒して、茨の国の近衛兵たちは夜明けの前に短い休息を得ている。朝の日差しの下であれ刃を交えねばならぬ時もあり、戦う力を少しでも温存したいという。
 ぱち、ぱち、と薪が弾け、熾火が赤々と燃える。魔獣を警戒して焚かれ続ける火の中で、赤と橙、それから黄色が躍っている。
 彼の炎と違う、と思った。エミリにとって一番身近な火は赤と青。他にないはずだったのに。あの妖しく揺らめく不思議な緑を思い出さずにはいられなかった。
「眠れないのか?」
 ふいに後ろから声をかけられ、エミリはそっと振り向いた。シルバーが宵闇の下から炎のそばに近づいて、膝を抱えて座るエミリの隣に腰を下ろす。火に照らされたその髪が、まるで剣のようだった。
「少しでも眠ったほうがいいのは、分かってるんですけど……
 鍛錬を重ねているシルバーやセベクと違い、エミリはこの行軍についていくのがやっとの素人だ。広大な学園内の行き来で少しは体力がついたと思っていたけれど、さすがに山野の踏破は過酷なものだった。夢の世界であるためか、足にたこや肉刺が出来ないことが幸いだった。それに、セベクの夢で彼が寮服を着せてくれたことも。普段のジャンパースカートとローファーではとても保たなかっただろう。
「ちょっと……いろいろ思い出しちゃってました」
 別に、火の番を買って出たわけではなかった。横になっても寝つけず、一人のことが胸を過ぎって。
「ツノ太郎のこと、とか……
 そう呟くと、シルバーは静かな表情でその呼び名を受け止めた。
「お前は以前からマレウス様と親しくしていたんだったな」
「マジフト大会の頃に初めて会って、それから話すようになって……
「すると、入学して間もなくか。全く気付かなかった」
 シルバーは朴訥とした面差しで、二人のこれまでに耳を傾けてくれた。最初は本当の名前を知らなかったこと。契約でオンボロ寮を取られかけたとき、彼の言葉が思わぬヒントになったこと。ウィンターホリデーにカードをくれたこと。VDCの招待券をあげたら、とても喜んでくれたこと……
「マレウス様はきっと、エミリとの時間を楽しんでおられたのだろう」
 エミリが最初は素性を知らず接していたと聞き、シルバーは微かに驚いていたが、二人の秘密の欠片に触れて、口許にしみ入るような笑みを浮かべた。
「そのひとときは、お前にとってもかけがえのないものなんだな」
 語る声で分かる、と。そう告げられ、エミリはそっと頷き、目を閉じた。
 最初は、変わった人に会っちゃったなと思うだけだった。夜にだけ出会う不思議なひと。それが、いつの間にか大事な「ツノ太郎」になっていた。
 あの静かな夜が懐かしい。夢じゃなくて、本当の月の下でまたあなたに会いたい。
 その想いに焼かれるまま、エミリは手を握り締めた。
「わたし、もっと話を聞いてあげられたらよかった」
「え?」
「あのときだってきっと……寂しかったんだよ」
 マレウスが庭に雪を降らせた夜のことを打ち明ける。そのとき既に思い悩んでいる様子だったのに、何も力になってあげられなかった。それどころか、いつしか自分の感情にばかり囚われて。
 リリアが学園を去ることも、異世界からやってきたエミリがいつか帰らねばならないことも、どうしようもないことだ。だが、それでも……寂しさを抱えていたのなら寄り添ってあげたかった。彼を置いていくであろう身で何をと思われるかもしれない。それでも、一人で悩ませてはいけなかった。
「わたし、自分のことばっかりで……
「お前が責任を感じることはない」
 項垂れたエミリを支え、シルバーは即座に言い切った。
「俺たちも、親父殿すらも、思い至ることができなかったんだ」
 どんなに近くにいても、その心の全ては分からない。抱えているものも、何を思うのかも、全てを知ることなど決して。
……あの方は、お優しい。俺が父を失わぬようにとのお考えもあって、こんなことを……
 硬い面持ちに沈痛を潜ませ吐露する声には、自らも意図せず「贈り物」の後押しをしてしまった苦みが滲んでいた。
 それでも――いや、だからこそシルバーはこの夢を打ち破ろうとしている。偽りの平穏ではなく、たとえ離別が待ち受けようとも現実の父を選んだように。「祝福」に耽溺する主君を救うためにも。
――わたしも、こんなふうに強くありたい。
 誰かと別れるのは、身が裂かれるほど辛いことだと嫌でも知っている。その痛みが永遠に訪れない世界があるとしたら、どんなによいことだろう。
 でも、たとえ辛い運命が待ち受けていても、ひとりでに生まれる物語ではなく、自分の手で紡ぐ世界を選びたい。何より夢には――あなたと二人で話す夜がない。偽物じゃ意味がないの――
……シルバー先輩。わたし……
 魔法も使えないし、ついていくことだけで精一杯だけど。でも……
「わたし、夢の外で、ちゃんとツノ太郎と話したいです」
 伝えたいことがある。悲しみの後にも喜びを得られると。空っぽになってもまた笑えるようになると。
 あなたを孤独にしたくない。独りは――とってもつらいものだから。
 力なき少女がそれでもなお生むひたむきさ。それを前に、シルバーは力づけるように頷き、微笑んだ。
「大丈夫だ。戦いの中でも泣き言ひとつ零さず歩み続ける強さを、お前はもう持っている」
 ずっと守られてばかりなのにそう言ってもらえるなんて。炎に照らされる肌に、より血が通った心地がする。
「あの方を想う心……それこそが何より大きな力になる」
 それだけは、どんなことがあっても携えていよう。改めて決意を胸に秘め、真っすぐな言葉に頷いて、エミリはようやく微笑んだ。


***


 命の揺り籃は、思っていたよりずっと重かった。
 降りしきる雨が全身を打ちつける中、橋の向こうではリリアやシルバー、駆けつけたセベクとバウルが銀の梟を相手に奮戦している。
 そばではグリムが小さい身体で立ち塞がってくれている。ここまで攻撃が飛んでこないことを祈りながら、エミリは皆の無事を願った。
 再びこの腕に託された卵がずしりと重みをかける。魔の山を目指し突き進んでいたときも、ひとつの生命の全てがこの手にかかっているかと思うと、雨に濡らすことすら恐れを感じた。夢の世界であってもなお――これは母親から託されたかけがえのない子供なのだから。
 されど、感じるのは重圧だけではない。
「ツノ太郎……
 そっと深い黒を撫でる。この卵に籠もるのがどんな姿をしているかも分からない。殻の外の異変を感じ取っているのかすら。けれど、この子が間違いなくマレウスなのだと思うと、守ってやりたいという思いが胸の奥から込み上げてくる。
 こんなに雨に濡れて寒くない? 少し前までお母さんとお城にいたのに。触れる殻は硬いから、容易に寒さを通さないと思うけれど……
――大丈夫だからね。
 リリア先輩たちなら、すぐに来てくれるから。自分の不安が卵に伝わらないよう、エミリはただ勝利を信じると共に己を鼓舞し続けた。


 それから幾ばくか――銀の梟が退却を叫び、引き揚げていくのが見えた。味方は誰一人膝を突いていない。
「アイツら、やったんだゾ!」
「うん!」
 グリムと顔を見合わせ喜んだのも束の間、突如襲った地響きに立つ足がぐらりと揺れた。
「あわわっ! な、何だぁ!?」
 グリムが強かに尻もちをついたそばから咆哮の如き雷鳴が轟き、雨の勢いまでも増していく。これは一体、と思ったそのとき、雷に紛れガラリと嫌な音が耳朶をかすめた。
「エミリ、危ねえ!」
 雨と地震で崩れた山壁から大岩が転げ落ちてくる。エミリは咄嗟に卵を抱え、身を挺すようにうずくまった。その瞬間、息を呑む間もなく――自分がどうなるかすら二の次だった。
「ふなーっ!!」
 ごうっと熱が背中を掠めた。次いで重いものが地に落ちる衝撃がズシンと身を伝う。恐る恐る顔を上げると、落下してきた大岩がやや離れた位置に転がっている。グリムが炎で防いでくれたのだ。
「ありがとう、グリム」
「へへん。これくらいお安いご用なんだゾ! 卵は無事か?」
 大丈夫、と返したとき、再び鋭い雷鳴が地を打った。地崩れを起こすほどの大雨は降りしきる勢いをさらに強める。まるで天が怒っているかのようだった。
「ふな……エミリ、あれ見ろあれ!」
 目を開けることすらやっとの中、エミリはグリムが指す方向のずっと先へと目を凝らした。遠く彼方の翠が原の上空に闇のような暗雲が立ちこめ、辺りがみるみるうちに何かに覆われていく。あれは――茨だ。それも、マレウスのものによく似た……
「マレノア様が、やってるの……?」
 激しい戦いの中でオーバーブロットしたということだろうか。でも、だとすると彼女は。
 お隠れになった――野営地で聞いた言葉が脳裏を過ぎり、胸がひどくざわめいた。まさかという思いに手が震える。なんと不吉なことを考えるのかと咎められてもおかしくない。けれど、渦巻く不安で抱く手により力が籠もる。きっと卵の元に帰ってくると信じたいのに。
――お父さんがいなくなって、お母さんまで……
 マレウスはまだ生まれていないのに。その目で親の顔を見てすらいないのに。あの優しい歌声をもう聴くことができないなんて、あまりにも酷い仕打ちだった。あんなに愛情にあふれた歌をエミリは知らない。直後の剣幕さえも薄れるほどの深い愛に胸を打たれるばかりだった。それなのに。
 あなたは愛されているのに。あんなにも、愛されていたのに。
 崩れゆく大橋を皆が急ぎ渡ってくる。卵を渡す時が近づく中、エミリは茨の王子が生まれる前からたどる過酷な運命を思った。土砂降りの雨に打たれ、本当のツノ太郎もこうして抱き締めてあげたいと――そんな想いに胸を焼かれながら。