雪洞
2025-10-11 13:46:34
67171文字
Public
 

【マレ監♀長編】かたち

7章沿いの長編。二人で話した夜やリリアの夢での一幕、監督生が夢を見るif、両片思い状態からお互い自覚し想いを告げ合うまでの話。7.5のネタも若干あり。また、以前書いた「刹那」を流れに組み込んでいます。うち監設定ががっつり絡む話なのでキャラシ見たほうが分かりやすいです。


寂しさ


 ねじれ歪んだ不思議な世界に落ちた少女は、不思議な男の子と出会いました。
 美しいライムの目をした男の子は、少女にこう言いました。
「僕を知らない珍しいおまえ。僕のことは好きな名前で呼ぶといい」
 彼は立派な角を持っていましたから、その日から「ツノ太郎」になりました。


***


 いつもより多い寝息が聞こえる。
 鏡の調査でやってきたエースとデュースは、もう勝手知ったるオンボロ寮といった様子でぐっすり眠っている。グリムもペンを置いたそばから夢の中。今この部屋で目を覚ましているのは、エミリ一人だけだった。
 明日も授業が待っているのだから、目を閉じて何も考えないか、問題の解き方を思い返しながら眠ってしまったほうがいいのに。暗闇を見つめていると、先ほどのしめやかな瞬間が心を捕らえようとして、思考の渦に引きずっていく。
――みんなとは、いつかお別れ……
 この世界に迷い込んだときから分かっていたことなのに。学園で過ごすのは帰る手段が見つかるときまで。だって、自分はこの世界の人間じゃないから。手違いで呼ばれちゃったから。
――わたし……帰るべき、なんだよね。
 掃除も料理も洗濯も全部自分でしなきゃいけないこの生活は、決して苦しいものではない。グリムやゴーストのおじさんたちとたわいない話をして、明日の献立や魔法史の小テストに頭を悩ませる、そんな生活は楽しくて充実したものだった。この平穏がずっと続けばいいと当然のように思っている。でも……
――この者のあるべき場所は、この世界のどこにもない……
 入学式の日、闇の鏡から言われた言葉がずっと奥底に残っている。当然だ。わたしは、最初からこの世界にいた存在ではないのだから。
「帰らなきゃ……いけないよね」
 ぽつりと呟いたとき、侘しさが冷たい風となって胸を吹き抜けた。受け入れてくれたこの場所も、突きつめれば、自分がいていいところじゃない。

――わたしが本当に帰りたい場所なんて、もうとっくにないのに。

 毛布をきつく握り締めた瞬間、ふっと目の前に光が舞った。闇の中でぽうっと光るその色は、蛍のように幻想的に踊ってはひとつのことを知らしめる。
 咄嗟に起き上がり、エミリは寝間着のまま部屋を抜け出し庭へと急ぐ。この光と同じ目をしたそのひとに、なぜだか無性に会いたかった。
「つのたろ……
 玄関から出た途端、エミリは肌を包む寒気に震え上がった。もうじき四月に差しかかる頃だというのに、庭の空気は真冬の如く凍え、宵闇の空は小雪が舞っている。寒の戻りにしても、これは――。ひゅうと吹く風が頬を撫で、エミリは闇夜に佇む彼を見た。漆黒のマントが微かに風にはためき、芝の上に所在なげに立ち尽くしながらも、その様は彫像のように美しかった。
「ツノ太郎!」
 微動だにせぬままだったマレウスは、ふいに血が通ったかのように振り向いた。「エミリか……」呟きながら、小走りに駆け寄る姿へ緩慢に視線を寄せる。
「どうしたの? 雪の降る中一人で……。いくらツノ太郎でも風邪ひいちゃうよ」
「雪……?」
 周囲を見回したマレウスは、空を舞う白にそのとき初めて気付いたようだった。悪い癖だと零しながら指を鳴らすと、途端に雪が消え失せ、夜風の冷たさも春先の和らいだそれに変わる。
 彼が機嫌を悪くすると雷が鳴るのは知っていた。エミリはそんなところもただただ彼の一部として見ていたが、季節の流れすら関係なく、まるで糸を引くように世界が感情に呼応する様を目の当たりにすると、彼の周りで一体どれだけ大きな魔法の力が渦巻いているのだろうと、少し不思議になる。だからとて怖くはない。けれど、氷の欠片のような疑問が胸に残る。雷が怒りだとしたら、この雪はどの感情の証だったのだろう……
……寒いか?」
 エミリがふと黙ったのを気にしたのだろうか。マレウスは美しく縁取られた睫毛を微かに伏せて、静かに尋ねた。
「ううん。ちょっとびっくりしただけ」
 大丈夫だと微笑んでみせると、彼は小さく息を吐いた。まるで綱渡りの合間に零す安堵か、どうしようもないやるせなさの滲むものだった。
 そして、彼はそっと語りだした。祖母と共に晩餐を取ることが急に叶わなくなった幼き日、癇癪のあまり城を氷漬けにしてしまったことを。それは木に霜が降りるなど比べものにならぬ、家具も給仕も、身の回りのあらゆる全てを凍りつかせるほどの恐ろしい寒さだった。だが、駆けつけたリリアの機転によって落ち着きを取り戻したマレウスは、諭された言葉を氷菓と共にそっと受け止めたという。
 冷たくも温かい――そんな思い出を語る彼は、少し幼さの残る笑顔を浮かべていた。
 もしかするとリリアはマレウスよりずっと年上なのではないだろうか。文化祭でエミリに礼を告げたときもまるで父か兄かのような口振りで、見た目よりずっと老成している雰囲気を感じた。特にこの思い出の中のリリアからは、優しくも時に厳しいお兄さんのような印象を覚える。
 肉親はおばあさま一人だと、彼はいつかの夜に話してくれた。でも、家族がそばにいないときに支えになってくれる――そんな存在が幼いマレウスの近くには確かにいたのだ。そのことにエミリはどうしようもなく安堵した。少しだけ、幼い頃の自分と重なったからだろうか。
 自分のそれは当たり散らすというより、感情のやり場が全て身体の内側に向かってしまったものだった。母がいなくなって間もない頃、何度も発熱を繰り返して叔母がひどく手を焼き、祖母がずっとそばについてくれていたのだ。母が消えた衝撃が静かに強く心を打ったせいでろくに受け答えもできなかったのに、祖母はそれでも自分と向き合い続けてくれた。そのおかげで、エミリはようやっと気付いたのだ。置き去りにされて、自分は……
……きっと、ツノ太郎は寂しかったんだよね」
 そっと生まれた言葉に、マレウスは目を見張った。
……寂しい? 僕が?」
「うん。じゃなきゃなあに?」
 それでも確かにそばに誰かがいてくれた。エミリにとっての祖母のように。
――でも、どうして急に昔の話……
 彼の語り口は、ただ思い出しただけではないような気配が感じられた。それは、この雪が降るような心と関係があるのだろうか。
――何かあった?
「あの……
 尋ねようとして、しかしエミリは咄嗟に口ごもる。
――でも、わたしが踏み込んでいいことなのかな。
 どんなに仲良くなっても、いつか離れ離れになってしまうのに。そう思うと、胸の奥がきゅうと痛んだ。
 夜に出会った不思議な友達のことも、自分はいつか置いていってしまうのだ。どんなに悲しませたくないと思っていても。

――ねえ、もしわたしが元の世界に帰るかもしれないって言ったら、あなたは何て言うかな。

 いつか知られてしまうなら、あなたにも伝えなきゃいけない。わたし、この世界の人間じゃないんだよって。間違いで呼ばれたから帰らなきゃいけないんだよって。

「どうした? 先ほどから何か言いたげだ」
 はっと見上げた先の彼は、いつもの微笑を取り戻していた。話してみるがいい、と促す言葉が続く。
「え、と……
 今、言ってもいいの? でも、今度はいつ機会があるか。
……あの、ね……
 エミリの声を待つその目は優しい。緑の炎が揺らめくようなその色を前にすれば、今さら引くこともできない。
……見つかる……かもしれなくて。元の世界への、手がかり」
 一音一音が重かった。彼と話すときは、どうしてかいつもよりずっと素直になれたのに。それが今は、ただただ苦しい。嘘を言うよりももっと。
「だから、その……
 恐る恐る見上げた刹那、後悔がずきりと胸を刺す。マレウスの虚を突かれたその様は、また先ほどの凍える時へ突き落とされたような――訳も分からず立ち尽くす幼子のようだった。
――どうしよう。そんな顔させたいわけじゃなかったのに。
 けれど、ずっと秘密にしているほうがもっとつらい。黙っているほうが――もっとひどい。
 どちらにせよ傷つけるではないかと自責の声が内側から木霊する。
「そうか。お前もここを……去るのだな」
 エミリが瞬きをする間に、マレウスは平素の表情を取り戻していた。淡々としたその心の奥で、別れの時が来ることをどう受け止めているのだろう。喉のつかえるような苦しさがふいに襲い、エミリは手を胸の前で握り締めた。
「でも……
 それはなぜ突然やってくるのだろう。なぜ避けられないのだろう。母、そして祖母の面影が去来する。
……寂しいよ」
 別れなんて、どんな形だって、いつだって。
 静寂にぽつりと落ちた声が溶け、さあっと吹いた風が余韻を攫う。木の芽の綻びを誘う暖かさを孕むのに、どうしてか感じるのは先ほどの凍える真冬の風だった。
――もし……
 ふと生まれた深く通る声に、エミリはそっと顔を上げる。
「家族や友、なにもかもを失わずに済む方法があったとしたら……お前はそれを願うか?」
 心の内を誘うような問いだった。そんなもの。そんなものがあったならどんなに。そんな、夢みたいなものが、もし――
「不本意な別れなんて……ないほうが、いい……
 震える喉が、堪らず奥底に淀む望みを吐き出した。
「願わない人なんて、いないと思う!」
 身を切るような叫びが初春の宵に木霊する。張り裂けそうな思いと共に。
 そうに決まってる。だって、痛くて、辛くて、苦しいだけだもの。

 そのときのわたしは、あり得ないものと知りながら、どうしようもない願いをぶつけてしまった。見つめる先の彼は、静かな面差しのまま「考えさせてほしい」と告げる。
「僕に良い方法が思いつくかもしれない」
 それはなあに? 思い出をつくる方法? 少しでも涙が出てこない方法? それとも……さよならを言う必要がなくなる方法……? 

――わたしはいつの間にか自分の悲しみばかり見て、あなたの思いに気付けなかった。あなただって、寂しさを抱えていたのにね。
 ツノ太郎は優しいから、それでかけてくれた言葉だと思ったの。
 分かっていなかった。あなたにはそれができてしまうということを。
 分かっていなかった。あの雪はあなたの涙だったということを。
 分かっていなかった。あなたの孤独が、どんなに深いものなのか――